Episode 51
朝はすぐにやって来た。今回も俺の警戒心は杞憂に終わってしまったが、念には念を入れる事は悪い事ではない。
8時を回る頃、俺は少し仮眠を取る事にした。座ったままで数十分。
怪我のせいも有り、きっと俺のパフォーマンスが落ちている。
何せ昨夜はリカの方が先に追手の気配に気付いた。俺とした事が……。
仮眠から目を覚ましたのは10時頃。少し長く寝てしまった。やはり体力が落ちている。
リカの様子を見に行くと、もうとっくに目を覚ましていたが、ベッドの中で蹲っている。
声を掛けても返ってくるのは気の無い返事。昨夜のショックは続いているらしい。
昼になってもベッドから出て来ないリカに声を掛ける。
俺は今日行きたい場所があった。
「俺は行く所があるが一緒に来るか?」
「…………ごめんなさい。」
まぁいい、そうだと思っていた。
「じゃあ俺1人で行って来る。食事は作って置いてあるから腹が減ったら食べてくれ。」
「…………ありがとうございます。」
この街を選んだのにはもう一つ理由があった。
防戦一方では埒が明かない。こちらからも対策を講じなければ……。
荒川を越え、更に北へ少し。地下鉄の終着駅があるエリアにとあるカフェがある。
ランチタイムだと言うのに、殆ど客入りの無いその店に足を踏み入れる。
先ずはカウンターに向かい注文をするシステムだ。
「コーヒーセット1つ。ブレンドのクリーム入りで砂糖は無し。セットのケーキはハムのサンドに代えてくれ。」
「かしこまりました。注文はお席までお持ちします。着いてお待ち下さい。」
「トイレを借りても良いか?」
「どうぞ。あちらの扉の先です。」
トイレのある扉の先へと向かう。そこには更にトイレへの扉と、"PRIVATE"と書かれている扉。
十数秒そこで待っていると、後者の扉が中から開かれた。
顔を覗かせた体躯のガッチリした男は無言で俺を招き入れる。
全く……いつも思うが、この手の連中は合言葉が好きだな。
「誰かと思えば久しぶりじゃないか、お尋ね者さんよ。」
扉を閉めた男が話し掛けて来た。
この男も元は裏の人間。ボラカイにも顔を出していたベテランで、昔は皆から"アンクル"と呼ばれていた。
今では目を悪くした為、引退してこんな流行らないカフェをやっているが、そのアンテナの広さから情報屋としても機能している。
一部の人間しか知らない穴場。特に組織の連中が訪れる事は未だ無い。
「情報は何処まで知っている?」
俺達はオフィスには見えないまるで男の自宅の様な部屋のテーブルに着いて話す。
「細かい部分までは知らんが、そこそこの情報は仕入れてある。知ってる事なら教えてやるがちゃんと金払えよ?」
「大丈夫だ。多少の手持ちなら有る。」
そう言って札束を見せる。
「OK!取りあえずお前の事は春鳥から何か盗んで追われてるってな。奴等各方面に協力を呼びかけている。」
「完全に悪者扱いだな。」
「実際お前に反論出来る余地が無いなら大義名分は向こうにある。」
「まぁこの際そんな事はどうでも良い。今日は俺も春鳥の動きを掴みたくて来たんだが、それについて何か知ってる情報があったら教えてくれ。」
「お前はどうしたいんだ?春鳥からタダ逃げるだけなのか何か反撃したいのか。」
「さぁな……。兎に角今は奴等に先手を打たれない様にしたい。」
「そうか。しかし中々厄介な組織を敵に回したな。奴等各地の情報屋を抱き込んで、目の届かない範囲はあまり無くなっている。」
やはりか……。
「それに通称"追跡者"と呼ばれている男を雇ってる。コイツは結構厄介で、決して自分は姿を表さないが、張り付いた人間の情報を逐一雇い主に報告するらしい。一度付かれると中々振り切れないとの話だ。振り切ったと思って安心した頃にまた居場所がバレる。そんな事態になるらしい。」
……なるほどな。
大田区での居場所がバレたのはリカのせいでは無かったか……。
そうなるとこの足立区の住処も、本拠地までもバレているかもしれない。
どうにかして排除しないと、この先動き辛い。
「しかし春鳥の追い込みにしてはまだまだ甘いな。きっと本腰は入れて無いだろう。」
「分かった。サンキュー!助かった。」
「ん?それだけで良いのか?」
「あぁあまり聞くと高いからな。その追跡者が居るって情報が分かっただけでも十分だ。で今回は幾らだ?」
「そうだな……お前が来た事の口止め料も含めて10万だ。」
「高ぇな!値引きしてくれ!」
「したら口止めはしないって事にして、3万値引きするぞ?」
「すまん……それはしてくれ……。」
俺は渋々10万を払う。
「おい!これだけ払ったんだからもう1つお願いを聞いてくれ。」
「何だよ厚かましいな。」
「堀井梨香と言う人物を知っているか?」
「いや知らないな。」
「まぁ良い……今恐らく行方不明となっている芸能人なんだが、その娘を全てに秘密裏に保護出来る人物を探している。春鳥関係以外でだ。」
「その娘がお前が今逃げ回ってる事に関わってんだな?」
「推測するのは勝手だが、俺からは何も言えない。」
「しかしそりゃ人捜しだろ?お門違いってヤツだぞ。オレは探偵じゃねぇ。」
「分かってる。だけど他に頼れる奴が居ないんだ。誰の息も掛かってなく、フットワークの軽い奴が。」
「それこそボラカイに行ったらどうだ?」
「あそこは……俺が厄介を持ち込めば、きっと"街"の連中も巻き込む事になる。だから最終手段にするつもりだ。」
「オレは中の事情については知らないが、お前があそこの連中と何かあるのは知ってる。」
「だから頼めないか?」
「…………仕方無いな。芸能関係には疎いし、片手間になるけど良いか?」
「捜してくれるだけでも有難い。助かる。」
「報酬は多めに用意しとけよ?」
「あぁ……よろしくな。」
コーヒーだけでも飲んで行けと誘う言葉を振り切って俺は店を後にする。
今は昔話に花を咲かせてる状況ではない。
途中で少し食料を買う。リカが食事だけでもしてくれる事を願って。
しかしそんな俺の懸念は帰り着いて1発で吹き飛ぶ。
作り置きの昼食はしっかり無くなっていた。
やはりリカはリカだ。俺の口元からも笑みが溢れる。
あの娘が絶食するなど、地球が終焉に向かっても有り得ないのだ。
一先ず安心した所でリカを外に誘う。
「後で少し外に出ないか?鬱ぎ込んでても何も変わらないぞ?」
「……そうですね。今日は1日中考え事をしてしまっていて。ごめんなさい。」
「じゃあコーヒーでも飲んで一息入れたら散歩に行こう。近くに河川敷があるんだ。良い気晴らしになる。」
「はい。すぐに着替えます。」
リカが支度をしている間、俺はコーヒーを淹れる。すっかりリカ用のカフェオレを作るのも板に付いて来た。
朝より幾分元気になった彼女はコーヒーを飲み、多少の笑顔も見せる様になる。
「シカさん!こんな簡単な変装で良いんですか?」
家を出る時、ニット帽しか渡されてないリカが聞いて来た。
「あぁ。今日は大丈夫なんだ。但し自分が有名人だと言う事を忘れるなよ?」
流石に春鳥も白昼堂々と襲って来たりはしないだろう。
それに追跡者とやらが居る以上、変装は殆ど意味が無い。
だったら気楽な格好をさせてやりたい。
「はい!分かりました!」
河川敷へと2人歩き出す。時刻は午後5時を回っていた。