Episode 50
大田区に帰り着いてからは、何が有る訳でも無く、ゆっくりとした時間を過ごす。
明日には一応拠点を移動する予定だ。忙しないこの生活の中で、何も考えない時間もきっと必要だろう。
昨日の様にリカは寝室に行き、俺はリビングのソファーにその身を委ねる。
深夜0時を回った頃、俺は昨日徹夜してる事も有りウトウトとしていた。
そこにリカが起きて来る。
「シカさん……ちょっと変です。先程から数名が歩き回る音が聞こえます。」
俺にはそんな音は聞こえないが……。
「上の階の住人じゃあないのか?」
「いえ……それが廊下から聞こえるんです。まるで何かを探してる様で……。それに男性の声でヒソヒソ声も聞こえます。」
何だ何だ?このマンションで心霊現象が起こるとは聞いてないぞ?
「リカ……もしかして霊感有るのか?」
「やめて下さい!寝れなくなるじゃないですか~。そんなんじゃないんです。さっきは1階から聞こえてて、今はこの2階に昇って来ました。」
1階から?変な事を言う娘だ。そんな所の音が聞こえる訳無いじゃあないか。
「俺には何も聞こえないし、気配もしないぞ?これでも敏感な方なんだが。」
「いえ……タダ少しだけ気になったものですから……。それにヒソヒソ話がどうも日本語に聞こえない様な……。」
俺はその言葉にガバッと立ち上がる。
リカの言っている事は信じられないが、外国語が聞こえると言う事に胸騒ぎを感じた。
「リカ……。念の為最低限の荷物を纏めておいてくれ。」
「はい!」
俺はゆっくりと玄関のドアに近付き外の様子に聞き耳を立てる。
確かに誰か居る様だ。この部屋の方へと近付いて来る。
「Doscientos catorce...」
ボソッと1人が呟いた。その瞬間俺は部屋の裏手の窓へと向かう。
この部屋番号だ!
「リカ荷物は?」
「はいここに!」
リカからバックパックを受取ると、窓を開け、先ずはその荷物を外に投げ捨てた。
「シカさん!?」
「追手だ。ここがバレてる。逃げるぞ!」
「逃げるって……どうやって!?……キャッ!!!」
窓から俺が先に飛び降りた。
裏手は駐車場になっている。このままバイクに乗って逃げられる。
「リカ!飛べ!下で受け止める。」
「無理ですぅ~。」
頭をフルフルと振って拒絶を示す。
「早くしてくれ!もう入ってくるぞ!!」
鍵は掛けてあるが数秒の足止めにしかならないだろう。
「頼む!!目を閉じて飛べばいい!絶対受け止めてやる!」
その言葉に意を決したのか、目を閉じ、組んだ手を額に当て、祈るようなポーズで飛び降りた。
空中で体勢を崩したリカは、丁度お姫様抱っこの形で俺に受け止められる。
改めてリカの軽さにビックリしつつも、急いで荷物を拾い、バイクに乗り込んだ。
最後にミラーで部屋を確認するが、まだ踏み込まれてはない様で、開けっ放しの窓からカーテンだけが風に揺られていた。
駐車場を出て大きな国道に向かおうとした瞬間、路地で黒塗りのバンと対面する。
運転手が乗っていた。外国人の男。それは奴等の仲間だった。
そいつはフルフェイス越しでも気付いたのか、俺達を見るなり携帯電話を取り出し、どこかへ連絡しようとしている。
しまった!リカを見られた。生きている事が知れ渡るのはマズイ。
俺は擦れ違い様に銃を抜き、運転席へと向ける。
スロットルを操作しながら使えるのは左手。右脇に入っていたのはデザートイーグルの方だった。
マズイとは分かっていながら、今更どうしようも無く、デザートイーグルから銃弾は放たれる。
左手の関節が外れてしまいそうな反動と、この街全体に響きそうな程の銃声。その衝撃はバイクのバランスにまで影響を与える。
ハンドガン最強の1発は正確に男の側頭部を捉えた。
初めてにしては完璧な弾道予測だ。
その凶悪な弾丸は男の頭を半分吹き飛ばし、スイカ割り後のスイカの様になっている。
「嫌ッ!!!」
その光景を見ていたリカが短く叫んだ。
恐らく血飛沫を上げ、人が死ぬ瞬間を見るのは初めてだったのだろう。俺の服を掴んでる手が、より一層の力を込める。
初めてがこんなグロテスクなモノではトラウマになってしまうかもしれないな……。
しかし可哀想だがこれも慣れて貰うしか無い。きっとこの先も同じ様な事は起こる。
15号線に入った俺達はひたすら北上した。
やはり昨日の行動は目撃されていたのだろう。そこから住処がバレた。
だが今更リカを責めても仕方が無い。
『気を付けろ。オレ達は何処にでも居るぞ?』
マッテオの言葉を思い出す。
あの意味はきっと構成員だけじゃない。春鳥は各地の状況に詳しい情報屋も抱えているのだろう。
もしかするとリカが生きている事もバレているかもしれない。もっと慎重になる必要がある。
なるべく遠くへ。俺が東京で所有している部屋の中でも最北端の場所へ向かう。
最南端から最北端へ。最善かは分からないが、近場よりマシだと思った。
1時間程で足立区に有るその住処へと到着する。
リカはショックな光景を見たせいか、走ってる間終始無言だった。
「どうした?リカ?着いたぞ。」
到着してもバイクから降りようとしないリカに問い掛けた。
「シカさん……私のせいで人が死んでしまいました。私が逃げているせいで……。」
「何言ってるんだ!悪いのはアイツラなんだ!死んで当然の奴等だ。」
「死んで当然の人なんて居ません。もし素直に私が出て行っていれば、あの方が亡くなる事も無かった筈です。」
「変な事を言わないでくれ!じゃあリカは自分が死ねば良いと思っているのか?」
「それは……私だってもちろん死ぬのは遠慮したいですが、私のせいで人が死んでしまうのも……。それにシカさんにもこれ以上人を殺して欲しくありません。」
「俺は殺し屋だぞ?」
「それでもです!!!」
「…………。」
滅茶苦茶だ。
それならばどうやってこの先生き残る?
「やっぱり私の言ってる事おかしいでしょうか?」
言いたい事は分かる。しかしそれは理想に過ぎない。現実はそんな事を許しちゃくれない。
「分かってます。きっと私が世間知らずで、甘い考えで物を言っている事を。でも私は…………。」
部屋に入ってからもリカはどこか上の空でボケーッとしていた。
先程の出来事がまだ頭で処理出来てないんだろう。
もしかするとリカが初めて、自分達の現実を突き付けられた瞬間であったかもしれない。
「今日はもう寝ろ。明日になれば気持ちも少しは落ち着く。」
「はい……。」
元気の無いリカと言うのは、どうも変な感じがして落ち着かない。
明日には元気になってくれると良いのだが……。
俺は今日も警戒の為、徹夜することになる。
3日間迄は大丈夫な筈だ。体力が老いていない事を願う。