Episode 4
「"あの話"は続いている…………。残念だったな。」
うなだれていたエドアルドは顔を上げ、呆気にとられている。
「オレが何も知らないとでも思っていたのか?」
一変して、まるでいじめられっ子が泣き出すのを楽しんでいる、いじめっ子の様な表情をしている。
その直後に突如として両手に大きな負担が掛かる。
エドアルドがマッテオに向かって走り出していた。不意を突かれた俺は、彼を解放するのを許してしまう。
体勢を崩しながらも、無意識に超人的なスピードで左脇から銃を抜く。
「マッテオォォ!!お前ェェェェェェェェェ!!!」
エドアルドが走りながら叫ぶ。
その真後ろから後頭点を正確に狙いながら考える。
殺すか?
いや止めるだけか?
狙いを右腿へと変更し、躊躇なく引き金を引く。しかし一瞬の迷いがその行動を失敗に終わらせた。
サプレッサーによる独特の銃声の後、その弾丸は貫く相手を見失い空を彷徨う。
エドアルドは逆上し、マッテオに突っ込むと見せかけて、左手の路地へと踵を切り返していたのだ。
部下達も一拍遅れて銃を抜いていたが、突然の行動に立ち尽くしている。
「バカ野郎ども!!!エドが逃げたぞ!!!」
マッテオが叫ぶと、部下達はまだ視界の中にいるエドアルドに一斉に発砲する。
こちらとは違いサプレッサーのない銃声が、協奏にならないカルテットを奏でる。
その4重奏も、逃げる男に届くことなく逃走を許してしまう。
人気が無いからって撃ち過ぎだ。ここは日本だぜ?
それにしても何つーヤツだ、あの男は。
「何やってる!シカリウス!簡単に逃しやがって!!早く捕まえてこい!!!」
「……へいへい。心配しなくても逃げられっこない。」
一足早く追跡を始めた部下達の後に続き、俺も追いかける。
ヤツの逃げた方向には、倉庫街からの出口が一つだけ。その先には隠れる場所もない、輸送トラックが通るだけの車道が広がっている。そっちに逃げてもすぐ見つかる。
倉庫に隠れるのも現実的ではない。手が自由に使えない今のあいつは、鍵を壊すこともままならないだろう。手間取っていたらすぐ見つかる。
後は海に逃げるかだが……。後ろ手に縛られ、服も着用してる人間が波のある海を泳ぐのは、恐らく水泳選手でも難しいだろう。
普通なら逃げ場は無いように思うが、しかしあいつなら……?恐ろしくポジティブなあいつは、少しでも可能性があればそれを実行するだろう。
各々がエドアルドの足取りを追うように追跡する中、俺はいち早く海沿いへと向かう。
エドアルドは不思議な男だ。調子を狂わされる。
この仕事に道徳も不道徳も、正義も悪も、良い奴も悪い奴も関係ない。依頼されれば熟す、それだけ。
そこには一片の個人的感情もなく、機械的だ。
今回マッテオからの依頼は"生け捕り"。それに従うだけ。
既に数え切れない人間を殺してきた。物心がついた頃からだ。
別にそうしたかったワケではなかったが、周りの状況が俺をそう育て上げた。
それ故倫理観など疾うに崩壊している。仕事の為、板前が魚を〆る様に、只の"作業"でしかない。
おかしな男に会ったからといって、今更変わることはない。
あいつは俺にとって標的でしかないのだ。正にまな板の上の魚。俺はそれを客に提供するだけ。
思考を巡らすうちに、海沿いまで開けた場所に着く。ここから海まで10メートルといったトコロか。
物陰に身を潜めると、脇の路地から人の気配を感じる。
「……当たりのようだな。」
その路地からエドアルドが周囲を伺うように顔を出す。こちらには気付いていない。
海に向かって走り出した所で、俺も影から飛び出る。
「残念だったな。しかし俺は、ターゲットを逃した事は一度も無いんだ。」
男へ真っ直ぐに銃を構え、静止させる。俺を挟むようにエドアルドと海が対峙する。
咄嗟に体を強張らせ、急停止したコイツからは、またしても思いもよらぬ言葉が飛び出す。
「何だあんたか。びっくりさせるなよ。悪いが急いでいるんだ。」
まるで近所の知り合いに会ったかのように振る舞い、去ろうとする。
「ジョークじゃあないぞ?」
動き出そうとした次の瞬間、空気を切り裂くような音と共に、男は右膝を地面へと落とす。
「これ以上ふざけるなよ。もうお前の茶番に付き合う気はない。」
向けられていた銃は、エドアルドの右足を撃ち抜いていた。
両手を縛られ、右足も使えない。これで海へ逃げる事は諦めるだろう。
「ハハハッ……。酷い事するじゃないか。結構痛いぞこれは。」
「大人しくしろ!そうすればこの1発で勘弁してやる。」
苦悶の表情を見せるエドアルドだが、失血はそれほど多くは無い。
急所は外してある、動きを止めるだけの1撃だった。
「これでもう逃げられやしない。諦めろ。」
「……まだだ。あんたは左足を残してくれている。」
右足を震わせながら立ち上がろうとする。
一体この男は何なんだ!諦めるという事を知らんのか!?
「おい!!言ったはずだ!大人しくしないとその左足も撃つぞ!?」
「本当に撃つ気なら何も言わず撃てばいい。」
「手を煩わせるな!殺せる状況ならとっくにお前の事なんか殺してる!!」
「ならば殺せばいい。」
「マッテオからは生け捕りと言われている。殺したくても殺せん!」
「あんたはそうやって何かと理由をつけて、逃れているように見えるが?」
「!!!!!」
先程までのチャラけた表情から打って変わって、真剣な表情を見せる。
「大人しく捕まっても自分は殺される。だったらあんたが撃たない方に賭けるしか無い。それにあんたはきっと撃たない。」
エドアルドは右足を引きずりながら歩き出す。
「おい止まれ!これは最後の警告だ!!」
それでも止まる様子は見せない。
「あんた本当に殺し屋か?言わば殺人鬼だ。そんなあんたなら何故攻撃する事に理由を求める?」
「!!!!!!!!!!!!」
歩みを止めず、しかしゆっくりと進み続ける男は、またしても俺の心を抉る。
「あんた……あんたがホントにそれだけの人間なら、一々ターゲットに話し掛ける必要もないし、撃つ前にワザワザ警告なんてしないさ。」
「……………。」
言い返す言葉が見当たらない。
――あれだ!図星ってヤツ??
…………。
――折角"帰って来た"のにね!
…………。
――こんな事何で続けてるんだろうね!?
…………。
――やっぱやりたくないんじゃないの?
…………。
――見透かされてるよ!
…………。
――何も言葉が出てこないんだ?
…………。
――完全に負けちゃったね……この人に……!
…………。
しばらく思考の回廊に引き込まれてしまっていた。
マッテオからまたメッセージが届いているが、確認している余裕はない。
しかしエドアルドとの距離はさほど変わってなかった。やはり右足のダメージはデカいらしい。
当たり前だ。普通なら立ち上がる事すらままならない1撃を与えた。この男が異常なのだ。
そう……。この男が異常。惑わされる事はない。
制止を聞かぬなら、さっさと行動不能に…………。
「もう来たか……。」
エドアルドは唐突に足を止めた。