Episode 35
1時間くらいは経っただろうか。私は考えることを止め、今だひたすらにすすり泣いていた。
しかし私はある変化に気付き我に返る。
ゲームBGMがいつの間にか止んでいる。物音も聞こえない。どこかへ行ってしまったの?
見張り役がそんなハズは無いだろうと、聞き耳を立てていると、どこからか走ってくる音が聞こえた。
ドアの付近まで来ると止まり、何かブツクサ言っている。さっき話していた彼だ。その様子はとても焦っているように感じる。
すると遠くの方から聞き慣れない声色の男性の声がする。内容は聞き取れないけど、様子からして仲間では無いみたい。
見張り役は小声で同じ言葉を繰り返している。
「ミエルダッ!ミエルダッ!ミエルダッ!」
それと同時に遠くの男性が大きな声で、何かカウントダウンする様な言葉を放っている。
「ディエス!……ヌエベ!……。」
見張り役は混乱しているように、早口で意味不明な言葉を捲し立て、小刻みに空気が抜ける様な音と金属音が混ざった物を響かせている。
この音は聞いた事があった。ミーナさんが殺された時に聞こえた音だ。
「トレース!……ドス!……ウノ!……。」
その時私は直感的に何かヤバイと感じ、咄嗟にドアから離れ床にうずくまる。
「セロ!!!」
その叫びから2秒ほど遅れて、凄まじい衝撃音とドアの隙間から漏れるほどの閃光、数秒後には煙も入って来た。
あまりの音にしばらく耳がキーンとしていた私は、何もする事が出来ずにうずくまったままで居た。
聴力が回復してきた頃に状況を確認する。何かドア前で爆発でもしたかに思えたのに、ドアが壊れている形跡は一切無い。
外の様子は一変して静かになっている。見張りは?さっきの男性は?
それでもドアを開ける勇気は出ず、その場で立ち尽くす。
どうして良いか分からずに呆然としていると、向こうからドアが開いた。
正体不明の相手に身構えていると、入って来たのは何と……。
「雪村さん!!?」
緊張が解れ思わず叫ぶ。
「亜美さん?大丈夫ですか!?」
「雪村さーん!!!」
年甲斐にも無く安堵のあまり胸に飛び込んでしまった。
「助けに来てくれたんですか?」
「そういう訳では無かったのですが……。このビルに最近の暴れ回ってる連中が居るとタレコミが有りまして、来てみればまさか亜美さんがここに監禁されて居たとは。でもあなたの状況は知っていました。何せインターネット上で中継されていましたから。」
雪村さんが部屋の角に視線を向ける。隅っこの少し高めの位置、そこからはカメラがこちらを向いていた。
配線剥き出しのそれは簡易的に設置されたモノだと分かる。それでも私は憔悴していたせいか、全く気付いて無かった。
「知りませんでした……。」
「ライブ中継です。恐らく現在も……。パスワードが必要なので誰でも見れる訳ではありませんが。中継されている事は、ボラカイのミディアから情報提供が有りました。」
「ミディアさんも協力してくれたんですね。」
「さぁもうここから出ましょう。」
そう言って雪村さんは懐から出したナイフで私の縄を切った。
「でも外の男は?今どうなっているんですか?」
「私共が来た時にはもうこの様な状態でして……。」
そう言ってドアを開け、私を部屋の外に連れ出す。左右に伸びる廊下のこの部屋のすぐ側。縛られノビている目出し帽の男と、それに群がる数名の武装した男達。
「彼等は仲間です。戦闘になるかと連れて来たのですが、どうやら先客が片付けてくれた様です。」
「私が会ったのは3人組でした。他に仲間は居ませんでしたか?」
「それについてもタレコミが有りました。別の場所に居るそうです。そこにも人を送ってますが、この様子だと恐らくそちらも……。」
「私爆発音を聞いたのですが……どこも壊れてませんね。」
「えぇ私共もそれを聞いて突入してきたのですが、どうやら閃光発音筒ですね。そこに残骸が転がってます。こんな物を持っているなんて恐らくプロの仕業でしょう。」
「一体誰が……。」
自分で言ってハッと気付く。それと同時に出口を探して走り出していた。
「亜美さん!?」
雪村さんの呼び掛けに答える間も無く、廊下の端にあった階段で地上を目指す。
足元がおぼつかない。体力は限界に近かった。
「エレベーターを探せば良かった……。」
後悔を吐き捨ててる間も懸命に足を動かす。
間違いない"彼"だ。まだ時間はそれ程経ってない。上手くすると見つけられるかも!
地上階に降りるとそのままビルの外へと出る。
左右を見渡すと、右手遠くの突き当たりの大通りには見覚えがあった。
と言うか私がよく知るそこは。
【秋葉原中央通り】
どうやら私はアキバの一角にある雑居ビルに居たらしい。
人気の無い左か……人混みの右か……。
私は迷わず右に向かって駆け出した。
暗殺後は人混みに紛れる。それは私の好きなゲームの攻略法だった。
結城事務所に居た頃は、プライベートでアキバに来るのは禁止されていた。でも今はフリーだ!そんなの関係ない!
中央通りに飛び出ると、すぐさま辺りを確認する。
私は彼の姿を知らない。それでもこの人混みの中の違和感を懸命に探す。
車道に出て、手前と奥の歩道を見渡す。タクシーからはクラクションを鳴らされたけど、構っている暇は無い。
車道のセンターラインで何回も何回も振り返り、ぐるぐる回りながら余裕のない形相をしてる私は、さぞおかしな人に見えた事でしょう。
でもその時視界の片隅に、交差する通りへと曲がって行く男女の姿が微かに入る。
……ドクン!
私の胸は大きく鼓動する。その瞬間には彼等の向かった先へと再び駆け出していた。
あれは!あの横顔は!!!
バイクに轢かれそうになるも、そんな事はお構いなく一直線に車道を突っ切る。
お願い!まだ動いて!私の脚!!!
膝がガクガクする感覚を必死に堪えて走り続ける。
彼等の曲がった通りへと着き、そのまま曲がった方へと後を追う。
ぶつかりそうになりながらも、何とか人波を掻き分けて進む。
やがてまた大きな通りとの交差点に到着する。
そこで私はついにさっきの男女を横断歩道の先に捉えた。
男性は180近くありそうな高身長に、季節にそぐわない黒い長袖のジャケット。
シカリウスだ。そう思った。
それよりも一緒に居る女の子。
趣味とは違った大人びた服装。
ショートパンツの下は黒のタイツ。
ふわっとウェーブの入った長いハーフアップの髪は、少し茶色がかっている。
似ても似つかない。でも私が間違えるハズは無い。
その横顔……。
その後姿……。
しかし横断歩道は赤。車はひっきりなしに通る。これでは追いつけない。
私は最後の力を振り絞る。
「リカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
交差点に居る通行人が一斉に私を見る。
声優になった当初から、声量だけは評価されていた。ハッキリ遠くまで通る力強い声。間違いなく彼女にも届いている。
しかし無情にも彼等は振り返る事もなく、その先の路地へと姿を消す。
全ての体力を使い果たした私は、青になっても追いかける事は出来ず、人混みの中に座り込む。
違ったのだろうか……。でもあの背格好はリカにそっくりだった。
動く気力すらも残されていない私に、周りの通行人が怪訝そうに話を始める。
「何かの撮影?写真撮ってSNS上げても良いかなー?」
止めなさい。誰にでも肖像権っつーのがあるの知らないの?
「つかあれ声優の名屋亜美じゃね?」
はいはいそうですよー廃業寸前だけどねー。
「えー顔違くない?何かやつれてるし。」
うっさいなー今は化粧も崩れてるし、こちとら疲れてんのよ!
「大丈夫かしらあの娘。救急車呼んだ方が良いかな?」
是非お願いします!
そんな周りに心の中でツッコミを入れつつ、立ち上がることすら出来ない私は本当に助けを求めていた。
その時、さっき男女が曲がった路地から1台のバイクが顔を出す。
乗っているのはあの2人だった。フルフェイスを被っているためやはり顔は見えないけど。
通りを私の居る方向に曲がり、交差点も直進してくる。
他人の空似。そう理解しつつも、つい眼で追ってしまう。
歩道側、車の間を抜けてこちらに向かってくるバイクは、丁度私の側を擦れ違う。
その瞬間、まるで世界がコマ送りになったかの様に、1つ1つの場面が私の脳裏に強く焼き付く。
後部座席に座る女の子はあろうことか、擦れ違う瞬間に私に向けてとあるポーズをする。
フルフェイス越しでも伝わるその視線は、私の瞳を真っ直ぐ捉えていた。
『ねぇねぇあ~みんさん!!こうやって両手を胸の前で握り合うようにして少し振ると、手話で"友達"って意味なんだってー!!!』
『とにかく!これから互いに話せない状況で目が合ったら"友達"のポーズだからね!?』
『私達の秘密の合図ね!』
女の子は私に向けて"友達"のポーズをした。
私はいつから泣き虫になったのだろう。大粒の涙は止める事が出来ずに、感情のまま溢れ出す。
生きて……ちゃんと生きていたのね……。
拭っても拭っても止まらない涙。傍から見れば異常な状況。
私の周りにはいつの間にか人集りが出来ていた。
「こんな所に居たのですか。大丈夫ですか?」
雪村さんが追い付いて来てくれた。
「人集りが出来ていたので来てみれば……。立てますか?」
「ちょっと無理みたいですぅ……。」
今だ泣き続ける私に肩を貸してくれる。
「すぐそこに車を回してます。そこまで頑張って下さい。……すみません。この娘は私の連れです。通して下さい。」
雪村さんは周りに謝りながら人集りを掻き分ける。
私はそれに感謝しつつも、頭では全く違う事を考えていた。
きっとあの娘と一緒に居た男性はシカリウス。
今は何か事情があるのね……。
なら私は待つ事にしよう。あの娘が自分から私を訪ねて来る日まで……。
生きている事が分かった。今はそれで充分。
私はそのままとある小さな病院に連れて来られた。
医者からは極度の疲労のため、点滴入院を強制されてしまった。
私が落ち着くまで雪村さんは残ってくれていた。彼にはどれだけ感謝しても足りないくらい。
『この病院は鏑木会の息が掛かっているのでご安心を……。』
去り際にサラリと怖い事を言った雪村さんは、その優しさから彼も極道である事をいつも忘れさせる。
次の日には回復した私は、そのまま退院となった。
体に気怠さは残るけど、気持ちはとてもスッキリしていた。
「良い顔になりましたね。まるで憑き物が落ちた様に。」
当たり前の様に病院前の駐車場で待つ雪村さんは、優しい笑顔を私に向けている。
「ありがとうございます!今私に出来る事は全て終わりました。」
「それは良かったです。ではもう良いのですね?」
「はい。」
「それでは参りましょうか?」
「お願いします。」