Episode 1
時としてリアルでも、面白いくらいに使い古された状況に出会ってしまう事がある。
霞がかった景色、人気のない東京湾沿いの倉庫街、夜更けにはまだ寒さが残る春先の時刻は午前2時過ぎ。それでも視界に入るレインボーブリッジでは、航空障害灯が煌々と光り、今だに忙しなく車が往来している。
映画かなんかで闇取引にでも使われそうな場所だ。こんな所に潜んでいた"この男"もどうかと思うのだが……。
後ろを見れば、黒スーツにサングラスを掛けている男と、同じく黒塗りの外車。
夜なのにサングラスって……視界は大丈夫なのか?
な~んてどうでも良い心配をしているが、俺も今まさに跪く男の頭に銃を突きつけてる現状で、このテンプレな状況に加担してたりする。
んでもって俺の職業ときたら……
【殺し屋】
ずいぶんとまあおあつらえ向きじゃあないか!
取りあえずお約束の状況なのだから、ここは笑う所だろうか……。
さてこの男。今回の依頼主の組織の元幹部で、詳しくは知らないが、組織に対して大きな不利益を図ったらしい。
追われて逃げ回っていたところ、俺にも依頼が来たので、とっ捕まえ現在に至る。
「最後に言い残すことはあるか?一応聞いといてやるぞ?」
「そんな事よりあんた、自分を見逃す気はないか?」
いきなりの図々しさに呆れる……。
「おい!質問に質問で返すなよ。それにこの期に及んで命乞いとは……。」
「自分にはまだやらなければならない事があるんだ。頼む!もう少しだったんだ!金なら用意しよう。」
「悪いが依頼を受けちまった以上、金では見逃せない。今後の仕事の信用に関わる。」
男は俺の背後にいる黒ずくめをチラリと確認する。
「あいつの事なら大丈夫だ!何とかする!だから見逃してくれ!!」
「情けない奴だな!それでも裏社会で生きてきた人間か??」
「情けなくても何でも良い!!!とにかく今は何とか生き残りたいんだ!」
言っている事がメチャクチャだ。
裏社会で裏切るという事は、殺される事くらい予測出来る事態だ。
それともそんな事すら考えないバカなのか?
「何でそんなに生きたい?自分の命が惜しくなったのか?」
男は俯き、答える様子はない。
「まぁ言いたくないのならそれでもいい。興味もないしな。」
と言いつつ、やはり俺はこいつに少し興味があった。何十年も付き従った組織を裏切る理由は何だったんだろうか?
幹部まで登り詰めた中で、裏切ってまでやらなければならない事とは何だろうか……。
「あんたは命を懸けて守りたいのモノはあるか?」
突然少し顔を上げ、こっちの目を見据えて呟くように口を開いた。
「何だいきなり。あるように見えるか?俺が??」
「そうだろうな、自分もずっと考えていた。お互いこんな商売だ、仕事の邪魔になる。だから家族も持たず、組織のためずっと尽くしてきたつもりだ。特にクズだった自分を拾ってくれたドンのために……。」
「話が見えないな。そんなお前が裏切り者として殺されようとしてるんだが???」
何か言い淀んでいるようにフゥーっとため息をついた後、およそこの状況にそぐわない言葉を言い放つ。
「……天使に会ったんだ……。」
「!!?」
突然トチ狂った事を言い出したと思ったが、もうすぐ自分が死ぬ焦りのせいなのか、まぁおかしくなっても仕方ない。
「意味不明だが???」
「あんたは神を信じるか?」
「おい、いい加減にしろよ?」
「タダあんたがクリスチャンか聞いただけさ。」
笑って誤魔化す男は黒ずくめの方を再び確認する。
俺もチラリと黒ずくめを見るが、彼に特別変わった様子はない。
「なぁ……あんた。自分から仕事を請け負ってくれないか?」
「ふざけてんのか??お前は俺に殺されるんだぞ???」
「ふざけてなどない!本気だ!!もし誰かに託せるなら託したい事がある。あんたの噂は知っている。何でも引き受けてくれるんだろ?」
何でもと言うには少し弊害はあるが、確かに金次第で請け負ってはいる。
「…………そうだな。今この場で全額払えて、見逃す事以外なら引き受けてもいいが?」
「今は手持ちは無い!だが信用してくれるなら自分の隠し金の在り処を教える。」
「話にならないな。さっき会ったばかりのお前を信用するだと??もうさっさと覚悟を決めろ!」
「覚悟なんてとっくに出来てるさ……。」
男は少し寂しそうな顔をする。
「裏切った時点でこうなる事は覚悟していた。ただこのまま成し遂げられないのは、死んでも死にきれん……。」
「お前の都合など知ったこっちゃあない。」
「化けてあんたのトコに出てやるぞ!?」
「おいおいかわいい脅しだな。生憎俺はスピリチュアルな物は信じていない。」
「チッ!どう足掻いても見逃す気はないか……。」
「すまんな……個人的恨みは無いが、これも仕事だ。」
再び俯き、もうこちらを見ようとはしない。
人差し指に力を込め始める……。
「……1分だけくれないか?さっきは聞いたが、自分が本当はクリスチャンなんだ。最後に祈らせてくれ。」
引き金を引き切るのを、男の言葉が遮る。
一瞬迷ったが、その願いは聞き入れることにした。
「……いいだろう。1分だ。」
「ありがとう。あんたは良いヤツだ。これでも人を見る能力はあるつもりだ。」
「…………。」
笑顔で俺を茶化すと、男は目を閉じ、天を仰いだ。後ろ手に縛ってあるため、前には出せないその両手も後ろで組んでいる。
「Pai nosso, que estás nos céus...」
母国語で祈りを始める。そう彼は移民だ。
彼の"元"組織は殆どが外国人で構成されている少し特殊な組織だ。
「......abençoe essa garota. Amém!」
1分と掛からず祈りは終わった。内容に気になる事があるが、今は彼の祈りを尊重したい。
「俺は神父でも、ましてやクリスチャンでもないが、お前の祈りが届く事を願う。Deus abençoe!」
「Obrigado!やっぱりあんたは良いヤツだ!………………。」
「……………。」
もう互いに言葉を発することもなく、互いに定められてしまった役割を全うする。
やり残した事というのをさせてやれないのは残念には思うが、一々情など感じてられない。
時に無慈悲に、時に無感情に、職務を全うする。俺にはこれしか出来ない。
その時、再び人差し指に力を込める俺の携帯電話が鳴った。またしても遮られる……。取りあえずうるさく鳴るそいつをポケットから取り出し、ディスプレイに表示された相手を確認した。