Episode 18
1人残された俺は特に食事をする気分でもないので、備え付けのコーヒーメーカーでカフェラテを淹れてみる。
上部に備わっている豆がミルされると、まずはスチームされたクリーミーなミルクが注がれ、その後エスプレッソが出てくる。全自動だった。
この機械欲しい……。
一連の工程を見ながら、心からそう思った。
カフェラテを飲みながら、今までの情報を整理する。
マッテオとこの会社、案内役の女性や今回のターゲット。
憶測に過ぎないが、今回の依頼のバックグラウンドも段々分かってきた。確かに今までに比べたら簡単な仕事だ。
このまま何も問題が起こらなければ良いが……。
1杯飲み終わる頃には彼女が戻ってきた。先程より心なしか窶れて見える。
「お待たせしました……。こちらへどうぞ……。」
部屋の外へと誘導する。素直にそれに従う。
まだ罠の可能性は否定出来ないが、今の所不審な動きは見られない。
付いて行くと、待機していた部屋より数十メートル離れた部屋の前で止まる。
「この部屋です……。」
案内されるが、ドアを開けようとはしない。
「申し訳ございませんが、私はこの先を見届ける自信が有りません。どうかご自身でお願いします。」
深々と頭を下げると、早々とその場を後にしてしまった。
まだ聞きたい事は沢山あったが、彼女もまた巻き込まれた側の人間かと思うと、どうしても引き止める事が出来なかった。
飾り気の無い重々しいドアの前で佇む。この先には今回のターゲットが居るのであろう。
ドアノブに手を掛けた。右手はホルスターに収まっているそのグリップに手を掛け、引き抜く準備をしている。
マッテオは俺に危害が及ぶ様な相手じゃないと言っては居たが……。
思い切ってドアを開ける。
拍子抜けするほどにその部屋は"何も無い"と言う表現がピッタリだった。
打ちっ放しの壁と床。窓も無ければ、他の出入り口もないまるで作りかけの部屋。
部屋の雰囲気に呑まれつつも、それでも銃は引き抜かれ、そこに立つ人物に向けられていた。
時に戦場と言う場において、臆病になる事は悪い事では無い。何せ慎重になればなるほど生存率は上がる。
況してや自分がリーダーだった場合には、仲間の命も掛かってくる。勇敢と無謀は違う話なのだ。
そんな習慣が染み付いているせいか、今回は必要以上に警戒していた。しかしそれは杞憂に終わる。
梅雨も真っ只中の6月下旬、地下のひんやりとした空気の割にはベタつきを感じるこの湿気は、必要以上に不快指数を上昇させる。
特に普段から厚着の俺は、冷房も効いていないこの部屋では、こめかみから絶え間なく出る汗を抑えきれずにいた。
しかし目下の問題は、暑さとは別のところにある。
そう、それは俺が銃を向けている相手だった。
「もぉ~!急にこんな部屋で待たせてどうしたんですかー???」
こちらを"誰か"と勘違いしてる"それ"は、振り返りながら不満を漏らす。
結果的にはそこには鬼も蛇も出なかった。
身長は150cmあるかないかの小柄な佇まい。
薄い水色をしたメイド服。
白いオーバーニーソックス。
長い黒髪を2つに分けたツインテール。
おまけに頭には猫耳、スカートからは尻尾が生えている。
そこに居たのは、言うなればそう……"ネコ"だった。
人間だか擬人だか分からない生物との"邂逅"。
もし人間なら年の頃は見た感じで18歳程度。
まるで2次元から飛び出したかような少女がそこに立っていた。
「あれっ?ごめんなさい……大森さんかと思って……。」
俺は今、目の前の光景を必死に理解しようと、脳をフル回転させている。
それなりに長くやってきてはいる仕事だが、こんな場違いなのは初めてだ。
キョトンとこちらを見つめる彼女を見て、余計に頭が混乱する。
独房の様な部屋に、パステルカラーを身に纏った少女。オマケにその付いている猫耳はどんなカラクリか、グリングリンと動いている。
2人して暫く時間が止まったかの様に互いを認識しあっていたが、やがて少女の方からその硬直を溶かす。
「えと……えと……どなた様でしょうか?私は大森さんにここで待つ様に言われたんですが……。それに……。」
自分に向けられている物に注目している。
ここ日本でいきなりこんな物を向けられても、理解できる人間はほとんど居ないだろう。
「もしかしてドッキリですか!?うわぁ~しまったぁー!!全然リアクション取れなかったぁー!!!」
顔をクシャクシャにして悔しがっている。どうやら本気の様だ。
「えと……カメラあるんですか!?撮れ高大丈夫でした??もしかしてお蔵入り?と言うかスタッフさんはー???お~いスタッフぅ~!スタッッフぅ~!www」
この子は正気だろうか。それとも頭が少しおかしいのか、1人で話を進めて1人で笑っている。
「アハハハハハ……って何か違うみたいですね……。えと……大森さんはどちらに行ったのでしょう?」
「大森というやつは知らん。俺は雇われの殺し屋だ。」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ???」
一々反応がうるさい。
「殺し屋さん!?じゃ私もしかして殺されてしまうんですかーーー???」
まるで他人事の様に、手を大きく広げて驚きを表現している。
うるさい上にリアクションが無駄にデカイ。
本当にこれが今回のターゲット!?間違いじゃあないのか???
呆然としながらも、その珍妙な生物から照準を外せない俺に、なぜか屈託のない微笑みを返す。
「でもこの後のイベントの余興って感じでも無さそうですねぇ。もしかしてマジな話ですか?」
「マジな話はマジだが、別に俺はあんたを殺すために来たワケじゃあない。」
ここでようやく銃を下ろし、自分の役割を思い出す。マッテオに電話しなければ……。
「マッテオと言う奴からあんたに話があるそうだ。今電話する。」
「真帝王さん??あぁ!何度かお会いしました!レコード会社のオーナーさん!その方が私のデビューを決めてくださって、ホントに感謝です!!でもお話とは何でしょうか……?もしかして何かサプライズだったり!?」
1人でドンドン喋るその娘を無視してマッテオにコールする。
「よう順調か?意外と時間掛かったな。もう現場か?」
数秒で応答した。
「あぁ。今目の前に居る。しかしこんな少女がターゲットなのか?」
「ビックリしたか?」
「嘘だろ……?」
「いや間違いない。」
「こんな小娘の為に態々俺を雇ったのか?」
「まぁ細かい事は良いじゃないか。とにかくその娘と話をさせてくれ。」
少女に近づき、電話を向けてスピーカーに切り替える。俺もこんな状況の成り行きを知りたかった。
頭に付いている猫耳は、相変わらずグリングリンと動きを見せている。
「はい!リカです!お疲れ様です!お話とは……?」
「元気か?いや君はいつも元気だったな。」
「ンフフフフw」
「もう1週間後だな。デビューの日でもあり、君の誕生日でもあるんだろう?少し早いが、まずはおめでとうを言わせてくれ。」
「ありがとうございます!!これもひとえに真帝王さんのお力添えのおかげです!」
「まぁそれでめでたい話の後で悪いんだが、その日で引退してくれないか?」
いきなりの発言に一瞬周りの空気が凍りついた感じがした。
リカと名乗った少女も呆気に取られている。
「え?ええ!?えと……それはどういう……。」
「そのままの意味だ。君の芸能生活は7/1で終わりにして貰う。」
「またまたぁご冗談を~w」
「冗談では無い。CDはちゃんと7/1に発売する。しかしそれで君は終わりだ。歌手としても声優としても。」
初めて少女の顔から笑顔が消える。
俺はどうやら蚊帳の外みたいだが、話の内容からこの娘が歌手で声優なのは間違いない。
「今君はレコード会社はウチ。そして声優業も歌手業との連携のため、一時預かりではあるがスペタコロに所属している。つまりはウチから引退を発表したい。それも自主的と言う形でな。」
「そんな……どうして……?」
「君の事が目障りだって言う人がいるんだよ。だからどうしても君には消えて貰いたくてね。」
「…………。」
言葉もなく、困り果てた顔をしている。
「良いではないか。歌手になるのは夢だったんだろう?叶った日に引退する。ドラマチックで素晴らしい幕引きじゃないか!勇退だよ!」
「デビューしてもまだまだやりたい事一杯あるんです!それに声優のお仕事だって楽しいですし……。引退は……したくありません……。」
「それは困ったね。君の口から引退を発表してもらわないと。こちらで解雇と言う形にしてしまうと、また芸協に戻られてしまうからね。」
「それなら私は発表出来ません!」
「う~ん……。もし君がオレのお願いを聞いてくれないとなると、目の前の怖~いオジサンに、お仕置きをお願いする事になってしまうんだが……。」
少女はこちらを見てビクッとする。
『オジサン』という言葉に怖い顔になっていたか……?
そう思いたい……。