Episode 14
気付けば西陽もとっくにビルの谷間へと翳り、黄昏時も過ぎようとしていた。
テーブルを見れば散らかったビールの空缶……。酒のせいもあってか、珍しく少し寝ていたようだ。
無防備に寝てしまうのはいつぶりだろうか……。
シャワーを浴びて、体裁を整えたらミディアの店へと向かう。
彼女の店は六本木の裏通りにある。
外苑東通りからとある路地に入って行くと、華やかな表通りから一変しディープな雰囲気になる場所がある。
元々外国人の多い六本木ではあるが、このエリアに居る者は8割が彼らだ。
小さなバーやクラブが軒を連ね、各国の言語が飛び交い、日本人はあまり近寄らない場所。
そこから更に奥深くに入ると、今度はキャバクラやピンサロなどの風俗街に変わる。
その有様はどちらかと言うと、遊郭の様な洗練されたモノより、場末の小汚い店が多い。
その一角にあり、他店とは異なる雰囲気を醸し出す店、"クラブ ボラカイ"が彼女の店だ。
そしてその横から延びる不気味な裏路地。薄暗いこのエリアで更に異質さを感じるその路地は、知る者からは"蛇唆路"と呼ばれている。
通りに人気は無いが、両サイドに建ち並ぶ雑居ビルからは、多くの気配を感じ取れる。たまに窓から表を伺う様に人影が顔を出す事がある。
ここは地図にも記載されていない、世界から拒絶された人が棲み、世界から忘れられた空間。
その名は誰が付けたか……。
【鬼棲街】
住人の殆どが無戸籍や、密入国の移民や難民で占められている。
元々は第二次大戦前から、強制的に連行された外国人の収容区画で、戦後の混乱から一部が独自に自治を形成し、現在では日本政府の統治からは完全に逸脱している。
歴史的人権問題の所為もあり、今ではその闇に触れる者は居なくなり、公では口にすることも憚れる街。
しかし今ではこの狭い空間には、行き場を無くした数百人が住んでいると言われている。
入口には人を拒絶してるのか、将又気休めか、黒と黄のA型バリケードが置いてある。
凡そどの国の法律も適応されないその街に、場違いかの様にバリケードにぶら下がる"安全第一"の文字。
蛇唆路の奥の鬼棲街はさらに幾つかの路地に分かれているが、そのどれもが袋小路。1度入れば出口は無い無限の回廊。
つまり出入口はここだけだ。
ボラカイは一見するとその路地横に佇む只のキャバクラだが、実はこの街への窓口の役割も兼ねている。
誰の受け入れも拒否せず、誰の命も保証しないその街は、犯罪の温床となり、目を付けたマフィアやヤクザなどが、覚醒剤の取引や人身売買に利用していた。
無秩序状態であった街に変化が訪れたのは約10年前。奪い奪われの関係でしかなかった隣人同士に最低限のルールが形成され、より大きな犯罪から互いに身を守る為に自警団も結成された。
その改革に一役買ったミディアは街の入り口に店を作り、人口動態を監視するようになった。
依然として一般常識から外れてはいるが、完全なる無法地帯ではなくなっている。
名前の由来は日本の昔話"桃太郎"から取られたとの噂だ。
その中に出てくる"鬼ヶ島"。諸説あるが、海外から流れ着いた外国人が棲まう島だったとの話がある。
その一説によると、鬼達は最初から持っていた財宝を、桃太郎達に一方的に奪われると言う物だった。
少しこの街はそれに似ている。別に住人達は"外"から何かを奪う訳では無いが、"外"から奪われる物は多かった。
それはさておき、今日は街の中に用は無い。ミディアから話を聞く為に来たのだ。
しかし折角こんな辛気臭い所まで来たのだから、少しくらい遊びたくなる。幸いボラカイの正面エントランスには見知らぬドアマンが立っている。
「やぁ!今日は可愛い娘居るかい?」
一瞬怪訝そうな顔を見せるが、すぐに笑顔になり応える。
「今日はマブい娘ばかりですよ旦那!」
……誰が教えたのか、死語を使い始める東南アジア人に微笑ましさを感じる。
「取りあえず1時間!5000円ポッキリ!OK?」
意味のない値段交渉をしてみる。
「Oh!ウチは安い店ではないよ旦那~。」
「分かった!指名する!それに女の子に飲み物も絶対オーダーするから!セットは5000円!」
「う~ん…………旦那には負けるね!今日は暇だしどうぞ。」
ドアマンが入口を開け、薄暗い店内へと入る。
受付から店の奥の席に案内されると、この店でNo.1の可愛い娘を要求し席に着く。
席にはアシスタントの娘が既におり、酒を注いでくれた。どうやらまだタガログしか話せないようで、コミュニケーションは諦めるしかないようだ。
ワクワクソワソワしながら1番可愛い娘を待っていると、ふいに後ろから話し掛けられる。
「オマエ何してるか?」
…………1番怖い娘が来た。
俺の背後で腕を組み、ムスッとした顔で仁王立ちしているその女が例のミディアだ。
考えてみれば店のスタッフは見知った顔ばかりだ。バレるのは当たり前だった。
「オマエ……フザケているネ?」
調子乗りました……すいません…………。
「正面から入るなといつも言ってあるヨ!」
「いやぁ……1杯くらい飲ませて貰おうかと……。」
「酒なら裏にもあるヨ!とにかくこっちに来るネ!」
「じゃあNo.1の可愛い娘も一緒に…………。」
「何か言ったか!?」
「…………いえ……何も。」
店の裏側、蛇唆路に面したボラカイのもう一つの顔。
土地柄、表沙汰に出来ない相談事が舞い込む。そんな依頼の仲介、仕事としての斡旋をしている。
簡単な物は鬼棲街の住民に紹介し、彼らの雇用を生んでいる。
ハードな物は俺等プロに廻ってくる。つまりここは、俺のエージェントもやっているのだ。
また同時に様々な裏情報も集まって来るため、それをビジネスに情報屋としても機能している。
中には政界の大物や、警察機関。また各国の大使館も近いこともあり、国家スパイなども顧客に居る。
暇な時にここに来れば、大体何かしらの仕事に有り付けるし、情報も容易く手に入る。
最近はさっぱり来なくなっていたが、この仕事を始めた時は毎日の様に来ていた。
裏のミディアのオフィスに連行された俺は、校長室に呼び出された小学生の様な気分にさせられ、モジモジする。
デスクの後ろには高級な酒が多少並んではいるが、部屋の中は見渡す限りの書類で埋め尽くされている。
「相変わらず汚ぇ部屋だな!掃除しろよ。」
「うるさいネ!これでも最近整理したんだヨ。書類は年々溜まる一方さ。」
「倉庫でも借りて移せばいい。どうせ儲けてるんだろ?」
「そうでもないんだヨ。"こっち"は完全に赤字さネ!人手も足りないし……。誰かさんが手伝ってくれないから…………。」
「何だって!?」
聞こえないフリをする。
「まぁいいヨ……。それより呼んだのには理由があるんだヨ。」
「そうだったな。トミオカの件だろ?電話では話せない事とは?」
「そう……。アイツはバルトリの奴らに殺されたネ!」
「!!!」
「これはほぼ間違いないと思うネ。アイツバルトリからの依頼を何回かやった後に、彼等のやり方を嫌っていたのヨ。それで依頼を断るようになったんだけど……。」
それは俺も聞いていた。マッテオ達のやり方は派手過ぎると。
きっと彼の慎重な性格とは合わなかったんだろう。
「他からの依頼でバルトリの幹部を"掃除"しちゃってネ。アイツ知らなかったらしいのヨ、やるまでその事を。」
マッテオのトコの幹部が殺された事件は知っている。それにトミオカも関わっていたとは知らなかったが。
そっから先はもう大体予想は付く。
「バルトリもその事件に関してもの凄く怒ってネ。殺った関係者皆殺しにするって、ウチにも色々聞き出しに来たヨ。カネ払わないから門前払いにしたけどネ!」
……そう言えば、何人か生け捕りにしてくれって仕事が廻って来たな。時期的にはピッタリだ。当時は深く考えなかったが。
「それでトミオカはバレてからは、毎日『殺される!』ってビビっちゃってうるさいから、どうせなら鬼棲街に隠れる事を勧めたんだヨ。アイツなら大丈夫と思ったからネ。」
確かに何かしらのスキルが有れば、あの街でも多少生き易くはなるが……。
「それで半年くらい潜伏してたんだけどネ……。でもバカなのかどうやらついこの間、外の自分の部屋に戻ったらしいんだヨ。そこで拉致されたみたい。」
「それっておかしくないか?あの慎重かつ臆病なアイツが、何故熱りも冷め切ってない内に外に出たりしたんだ?しかも自分の部屋なんて最も危険だろ?」
「戻った理由は分からない……。でも拉致したのはバルトリだって情報は掴んだヨ。それに幹部殺しに関わった23人全員捕まったみたいネ。これは不確かな情報だけど、全員一斉に酷い拷問を受けて殺されたみたいネ。まだ死体は誰のも見付かってないから、確かめようがないけどネ。」
20人以上の酷い死体、それらの消失、そして春鳥。
考えなくても一目瞭然だった。
「もう死体は見付からないと思うぞ。」
「オマエ何か知ってるか?」
「いやもうこの件は忘れた方がいい。何も得にはならんぞ?」
何か言いたげに口元をゴニョゴニョしているが、この女も裏の世界で生きる人間だ。自分が関わって良いラインというモノを辧えている。
「それだけか?トミオカの事を伝える為だけに態々呼んだのか?」
「…………一応は……。」
「じゃあもう帰るぞ?あぁそれと!俺2週間暇なんだ。何か仕事あったらくれよ。」
「……分かった。」
「またな!」
そう言ってデスクの前から踵を返す。
「……ねぇユージーン?」
久々に聞くその名前に俺の足は止まる。
「おい。その名前で呼ばない約束だ!」
「バルトリとは深く関わらない方がいいヨ……。」
またその忠告ですか……?昨晩も言われたんだが……。
「最近アイツラと仕事してるよネ?アイツラは危険だヨ!仲間だろうが躊躇なく殺すんだから!」
知っている。
「ユージーンが強いのは知ってるけど……。やっぱり心配だヨ。」
ガラクタ屋のジイさんが父親なら、こいつは母親か!
「だからネ……お願い!」
つか俺ってそんな心配させるくらい頼りないのか…………。
「まぁ俺も同じような事は考えているさ。心配すんな!」
「本当にそうだと良いけどネ……。」
「忠告ありがとう。」
何かよく分からない空気になる。
俺はこの空気感が嫌いだ。向こうも同じらしく、思い出したかの様に話し出す。
「それと、今日は鬼棲街には寄っていかないの?」
「特に用事も無いしな。それにもう俺には関係の無い街だ。」
「そんな事ないヨ!きっと"アイツラ"だって……。」
「兎も角、お前が上手くやっているんだからそれで良いじゃあないか?」
「…………まぁその気が無いなら仕方ないネ。それと仕事だったネ!丁度良いのがあったら教えるヨ。」
「ありがとう。じゃあまた……。」
今度は呼び止められることもなく部屋を後にした。
ラウンジを通って斡旋所側から外に向かう。何人か知った顔があったが、仕事でなければ互いに声を掛けないのが、暗黙のルールみたいになっている。
外に出ると、目の前にある蛇唆路入り口からから鬼棲街を見つめる。ここからだと深部の様子は見て取ることは出来ない。
しかし相変わらず人の姿は見えないのに、気配だけはそこら中から漂ってくる不気味な街だ。
入り口のバリケードの安全第一の文字が、キィキィ音を立てて哭く様に風に揺られていた。