Episode 9
「依頼は完了した。"完全処理"を希望する場合、追加料金が発生するがどうする?」
6月に入り、世間では梅雨入りだの何だのとニュースで流れている。
暑いのは嫌いじゃあないが、湿気が嫌いな俺には鬱陶しい季節に入った。
しかしまだ梅雨入りを感じさせない湿度の中、とあるタワーマンションの高層階、その1室で事は行われた。
富裕層の中でも、さらに上のランクの者でしか借りられないであろうその部屋の主は、その筋では有名人で、俺も名前くらいは聞いたことがあった。
姿は見るからに"金持ち"といった身なりで、高級腕時計に上物スーツ、貴金属も趣味の悪い輝きを放っている。広い部屋を見渡せば、モダンな家具に絵画、システムキッチンにはバーが併設されている。
しかしながら、たった今持ち主を失ったそれらは個々に価値を主張するだけで、何処と無く寂しさを漂わせている。
「…………そうだな。よろしくお願いする。」
「了解。ではまた連絡する。」
電話を切り、目の前に横たわる男に目を向ける。
コイツは周りを食い物にして成り上がった。周りからは恨まれ、結果こうなる。
"自業自得"そんな言葉が頭をよぎる。
「全く……。誰に向けられてる言葉だろうか。」
誰も聞いていない部屋で一人つぶやいてしまう。
今回取った手法は"絞殺"。
暗殺はターゲットに近づく方法ほどリスクは増すが、証拠も少なく処理もしやすくなる。
特に銃が一般的ではない日本では、なるべく使用は控えたほうが良い。それにこの国の警察は優秀だ。
殺しの中でも、特に高度な技術を必要とするのは、絞殺と薬殺とされている。双方ターゲットに最接近しないと行えない。
またナイフや銃などと違い、相手との明らかな攻撃力の差があるわけでもない。下手をすれば返り討ちに合う。死に直面した者の抵抗力は侮れない。
その反面、薬莢などの凶器の処理や、血痕や肉片も残さないため、死体処理までする場合は大いに役に立つ。今回は良い例だ。
運送業者のバッグに改造した、耐超重量バッグに死体を詰める。"折り曲げれば"人は意外と小さく収納出来る。あとは手早く証拠処理をしてこの場を去るだけだ。
男の持っていた鍵で部屋に施錠をする。これだけでも少しは発覚を遅らせることが出来るだろう。
エレベーターに乗り込み、地上階のボタンを押す。高層階の上、高速エレベーターでは無いため、到着までしばらくの時間を要する。
表示された数字だけが減り続けるその空間の中で、肩に掛けたバッグのストラップと、俺の肩甲挙筋はミシミシと悲鳴を上げている。
人1人はこんなにも重い……。しかしその重みを奪い続ける事に、煩悶する事はもう無い。そんなものは子供時代にどっかに置き忘れた様だ。
「クソ重い……。歳をとったな……。トレーニング増やさないと……。」
仕事柄トレーニングは欠かさないが、推定70㎏はあるだろうその"荷物"を担ぐことは、身体の衰えを感じさせる。
「自業自得か……。」
先程この男に対して突きつけた四字熟語をふと口走る。
不道徳のレベルなら俺の方が断然上だろう。恨みの数もケタ違いに多いハズだ。
逆に誰にいつ殺されても文句は言えない。正に自業自得、因果応報。俺にピッタリじゃあないか?
エドアルドの件から少し気持ちを引きずってしまっている。何かと考え込んでしまう機会が増えた。
女にフラレた訳でも無いのにな……。
あれから約2ヶ月経つが、マッテオから次の依頼はまだ来ない。
少しホッとしているのは、このまま来ないで欲しいと思う気持ちが、心の何処かにあるのだろうか。
ポーンという音と共に地上階に到着する。
幸いにも、ここまで人とはすれ違ってないが、エントランスでは避けて通れないであろう。
ここは各業界の著名人も住み、テナントも入る商業エリアもあるマンションだ。
時刻は夜更けとはいえ、人の往来は引っ切り無しに続く。
しかし何を気にする必要もなく、居住エリアからのエントランスを抜け、商業エリアを通り、更には業者用エレベーターで搬入口のある地下へと向かう。
そこに停めてある車に"荷物"を積み込み、エンジンに火を入れて出入口へと向かう。
その手前には守衛室があり、荷物の搬入、搬出を管理している。守衛室には書類作業する若者が1人、往来のチェックをする年配の守衛が1人いる。
「やあお疲れさん!君は荷物の引き取りだったかな?結構時間かかったねー。」
「すいません……。初めてだったもので迷ってしまいました。」
「分かるよーここは迷路みたいだもんね!私なんてジジイだから、何回行っても覚えられないよ!」
「それで……荷物の確認をお願いします。」
居住者のサインの入った受取証を渡す。もちろん偽造だが。
「中身はどうします?開けますか?」
車の後ろを親指で指差す。
「いやいや、規定ではチェックすることにはなってるけどねぇ~。居住者からの荷物はプライバシーもあるから、受取証があれば確認しないことにしているよ。」
「良いんですか?そんな適当で。」
「ほら厳しくなったのって、この前ヨーロッパのどっかであったテロの影響でしょう?ここは日本だし。それに"丸帽"さんは大手だから大丈夫でしょう!」
「そうですか……ではご苦労様でーす!」
守衛が開けたゲートをくぐって地上へと出る。そのまま公道に合流し、次の目的地へと向かう。
いつも思うが、日本人の危機管理能力の低さには呆れるほどだ。
こうして大手運送業者の車と制服を用意すれば、比較的セキュリティの厳しい施設へも簡単に入り込める。
今回俺は監視カメラにもバッチリ写っているだろうが、システムに侵入して録画機能を無効にしてある。
これで俺があの場にいた証拠と言えば、守衛のジイさんの薄ぼんやりな記憶だけ。
犯罪に対して平和ボケし過ぎている。自分だけは巻き込まれないと思っている節がある。だからセキュリティ関係は凄く甘い。
まぁそのおかげでこっちは仕事がし易いんだが。
「起きてたか?。今回も急な仕事だが、車を一台"おまけ"付きだ。やって貰えるか?」
今すでに向かっている場所へと電話を掛ける。
「あんたか……。久しぶりだな。今日中に来るのか?」
「今から1時間半から2時間といったトコだな。」
「了解。じゃ工場で待ってるから直接乗り入れてくれ。」
「サンキュー!夜中に悪いな。」
「な~に、時間外出勤の手当はあんたから貰うさ。」
「程々にしてくれよ?じゃあ後で。」
ついでに依頼人へ追加料金を含めた後金の提示と、受け渡し方法をメールで送る。
支払いはすべて現金で行う。俺としては足が付きにくい1番良い方法だが、その一方でトラブルなどもたまに起こる……。
まぁ今回の相手は大丈夫そうだ。メールの返信はすぐに来た。
そのまま車を走らせ高速道路に乗る。目的地は県境の寂れた工場の集まる町。少しのドライブだ。