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転生課とトイレと兄妹と

作者: 灯火サイ

トイレの話です。



「あー、それは転生課の案件ですかね」


 白のワイシャツに藍色のベスト、さらにその上に同じく藍色のジャケットを身につけ、黒髪の男は申し訳なさそうにいった。

 リンテルガム王国、王都の都庁だ。白を基調とした壁紙に、シンプルな絨毯が敷かれている。静かならば、もう少し高貴な雰囲気もありそうなものだが、話し声が絶えることはなく、そんな雰囲気とは縁遠い。

 長いテーブルは一人一人仕切りがされており、職員と相談客が向かい合って一対一で話すことができるようになっている。職員の前には課の名前が書いてあり、専門の課への相談や各種申請といった事柄がスムーズに行えるよう取り計らうのだ。


 茶髪の男は職員に向かって不思議そうに首を傾げる。


「えっ? だから、おれの妹が突然、と、トイ……?」

「トイレ?」

「そう、トイレ! 『トイレ』とかいうものを作りたいと言い始めたんです。確かに妹は転生者でおかしなところもあるやつでしたけど……妹の話だと、水課か土木課じゃないんですか」

「本当に作るんだったらそうなんですけどね。『トイレ』を勝手に作られるのは困るんです。その辺も転生課の職員が説明してくれると思うので、ここから右に三つ隣の職員に言ってください」


 そういったきり、水課の職員はにこりと笑う。そして、終わりだと言わんばかりに右側へと促し、次の客を呼んだ。

 相談に来た男は不服そうに職員を見た後、彼の言った通り、転生課と呼ばれる窓口に行く。転生課は何人かの人間が並んでおり、一番の盛況具合と言えた。職員は2人おり、それでも待っている人間が絶えない様子だ。

 職員はお決まりの藍色の制服を身につけ、慌ただしく、対応していた。相談客は年齢や容姿、性別、全てがまちまちで、男にも転生に関わる課というものは分かるのものの、実態はよくわからない。


 転生課の列に並んだところで、前の方から怒声が響いた。


「だーかーら! ここはリンテルガム王国、王都の都庁王宮転生課です! あなたがどこの異世界から転生したのかなんて知りません。ありふれているんです」


 女性職員が大声を張り上げ、客に必死で訴えている。

 なんだなんだと覗き込めば、客である少年が今度は抗議する番だった。


「転生したんですよ!? 何なんですか! 転生者特典みたいなのあっていいんじゃないですか」

「ですから、転生者は昨今ありふれているんです。我々と致しましては、転生者たちも同じ国民として扱います」

「でも……っ! 転生前の知識とか、役に立ちませんか」

「それはご自分の職業として大いに活かしていただいて結構です。ですが、国として転生者だからという理由で支援することはございません。もちろん、あなたの知識がそれだけ特別で代えがたいものだということが判明致しましたら、我々としても支援することはやぶさかではありません。ですが、そうなるのはあなたが転生者だからというわけではなく、それが国として素晴らしいものだと分かったからです」


 女性ははっきりとした口調で言い、少年は「後悔させてやる!」というよくわからない言葉を吐き、すごすごと窓口を後にしていた。

 男は、今からあの窓口で相談するのが一気に重くなった気がした。

 しかし、その後は順調に列は進み、男の番まで回ってきた。きっちりと制服を着こなし、肩で揃えられたクリーム色の髪はこれ以上ないほどに整然としており、職員のお手本のように伸びた背筋が男の方に向かって折られた。顔を上げ、女性職員は先程の怒声を感じさせず、美しい顔をにこりと微笑ませた。


「こんにちは。今日はどうされましたか」

「ええと、水課の方で転生課の案件だと言われまして、妹がと、とれ……と……い?」

「トイレですか?」

「そうです! トイレを作りたいと言っていて、どうしたらいいのかと思いまして」


 女性職員は長い睫毛を少し伏せた。


「申し訳ございません。トイレ設営はただいま、国の公共事業として魔力のない人間の共同体から設営を進めている段階です。個人で作ることも推奨はしておりません」

「なぜですか?」

「はい。トイレを作るとなりますと、水課の許可を取り、トイレ特有の形、材質を作るのに大変な費用がかかることが予想されます。ですから、今まで通り、魔術での処理を推奨しております」


 排泄物は魔術で処理することが一般的であり、それを疑うものはいない。水系魔術で排泄物を浄化し、無害なものに変えるのがよくあるやり方だ。

 だからこそ、トイレを作る事業は進んでいなかった。みんな魔術で事足りるのである。


「それって、どのくらい……」

「具体的な金額は立地や水の配給方法によって異なりますが、王都で家が一軒建つ程度の金額だと思っていただければ幸いです」

「そ、そうなんですか……」


 男は青ざめ、礼を言って席を立とうとした。

「ああ、お待ちください。どちらにお住まいですか?」

「え、王都ですが」

「王宮にはトイレが二つあり、住民が自由に利用できるようになっております。妹さんにもお伝えください」

「あ、ありがとうございます」


 男は頭をさげ、都庁から出て行った。

 彼で一旦相談客は途切れたようで、客がいないのを確認し、女性は大きく伸びをした。


「どう? エリザ、今日は」


 隣の転生課の男性職員は女性に話しかけた。緑がかった灰色の髪に琥珀色の瞳をいたずらっぽく輝かせ、にやにやと尋ねる。おそらく先程の怒声を揶揄するかのような言葉だ。

 エリザと呼ばれた女性職員は多少呆れ顔になり、ため息まじりに言葉を発する。


「わかってるよ、コノイ。ちょっと声を上げすぎたとは思っているよ。でもあの子自分は特別だって疑ってなかったからさ。もう、転生者は溢れているって言っても納得してなさそうだったから、つい」

「まあ、そういう奴はいるよな。俺らだって、転生した時はそういう気持ちにならなかったとは言い難いし」


 苦笑気味にコノイという男性職員は言う。


 王宮都庁転生課職員、その課の8割が転生者である。

 いつからかはわからない。しかし、確実に、国では転生者というものが増えていた。それに伴い、転生したことを吹聴する者、前世の因縁を今世でも持ち込む者、前世の知識でこの国混乱をもたらしてしまう者など、様々な人間により、この国は一気に混沌とした時代に突入してしまった。

 これを素早く察知し、対策に乗り出したのが、当時の宰相である。転生者の相談窓口、つまりは転生課の発足である。

 その性質からか、転生課には転生者が従事することが多く、それを隠さない者も多い。

 コノイとエリザも転生者であった。


「トイレって懐かしいよな。俺も最初はトイレがないって驚いたけど、魔術ってやっぱり便利だよ」

「そうだよね。私も確かに抵抗あったけど、やっぱり魔術って便利……って、転生課の案件とか言ってたけど、水課でも説明できるでしょうが……」

「今日はライナスが窓口担当だからね~。面倒押し付けられたんでしょ」

「あの、ぐうたら人間」


 エリザは恨みのこもった声で言う。ただでさえ転生課は相談客が多いことは周知の事実だ。それにも関わらず、隙さえあればサボろうとするのがライナスという人間だった。



 就業時間の終わりを知らせる鐘が鳴り、エリザは立ち上がる。制止するようなコノイの声が聞こえたが、それは無視した。

 水課の方向へ向かうと、ライナスが丁度事務室に行くところだった。ライナスの黒い後頭部が見える。エリザは腕を掴んだ。


「ライナス! トイレは水課でも説明できるでしょうが!」

「エリザ、そんな怒るなって。君の怒鳴り声、水課まで聞こえたよ」

「えっ、本当?」

「ほんとほんと。エリザまた怒鳴ってると思ってさ~、虫の居所悪い時に、ちょっと悪いことしたかなとは思ったんだよ。ごめんね。これからは気をつけるよ」


 へらとライナスは笑う。

 逆にエリザは口を押えた。怒鳴り声が響いていたなんてきまりが悪い。エリザの勢いはなくなり、控えめな声でライナスに言葉を発した。


「今度からちゃんとやってくれるならいいけど……」

「それ、絶対やらないやつでしょ」


 エリザの後ろから、コノイが会話に入ってきた。咎めるようにライナスを見て、悪びれていないライナスにため息をつく。


「全然反省してそうにないし」

「まあ、いいでじゃん。転生課に関係していたことは確かだし」


 ライナスはあっけらかんと言って、事務室に入っていく。

 エリザとコノイもそれに続き、書類が並ぶ雑然とした部屋へと入っていく。


「それに、俺、窓口担当になることほとんどないし。今日はたまたま窓口担当が休んでたから、偶然で。運が悪かったね」

「運が悪いとかじゃないって……」

「俺は窓口担当に向いてないっていうか、現場行く方が性に合っているし」


 ライナスは水課きっての水系魔術の使い手だった。水の問題は絶えず入ってくるため、それを聞き、問題の場所に直接行く。そして、問題を解消する方を得意としているのは当たり前だった。


「そりゃね、そうでしょうよ」

「ああ、そういえば、妹がトイレ作りたいって言ってた客。あいつはまた来るかもしれないね」

「え? ちゃんと説明したよ」


 ふふふと意味ありげにライナスは笑い、ひらひらと手を振り、エリザの元へと離れていった。エリザとコノイは顔を見合わせる。どちらもライナスの真意はわかっていなかった。

 コノイは課の上司に呼ばれ、エリザもそろそろ、事務仕事を始めなくてはならず、ライナスを追いかけることはしなかったが、妙にその言葉が引っかかった。



 その言葉の意味が分かったのは、2日後のことだった。

 妹がトイレを作りたいと相談してきた青年が転生課の窓口にやってきていた。エリザは首を傾げつつ、前と同じように応対する。すると青年が弱りきって、エリザに尋ねた。


「転生者って、その、前世のままっていうか、変わらないものなんですか」

「と、言いますと?」

「前世で出来なかったことはできないままだったり、前世でない力はないっていうか」


 しどろもどろで青年は言い、言葉を必死で探しているようだった。

 エリザは困ったように眉を寄せる。青年が何を言いたいのか、よくわからなかった。

 青年はそんなエリザに申し訳なさそうにし、決意したように、エリザの金の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「あの! 前世で魔術が使えなかったら、今世でも使えないものなんですか?」


 エリザは面食らったように目を瞬く。

 まさか、そんなはずはない。

 エリザも、隣にいるコノイもトイレなんてものが普通に存在する現代日本生まれで、前世では魔術が使えなかった。しかし、ここにきて、魔力という概念も、魔術という言葉もすんなり受け入れ、使えるようになっていた。

 転生者だからと言って、特別何かができるということも、何かができないという話も、聞いたことがない。だからこそ、同じ国民として扱っているのである。いつぞやの少年の言った特別待遇はこの国にはない。


「そんなことはございません。転生者だからと言って魔力も魔術も使えないということはーー」


 そこまで言って、エリザは言葉を止めた。転生者だからというわけではない。それなら、考えられる可能性は一つしかない。もっとも単純でむしろそれ以外考えられない。

 青年は不思議そうにエリザを見つめた。


「君の妹さんは魔力がないかもしれない。転生者ということは関係なくね」


 答えを言ったのは、いつの間にか後ろに立つライナスだった。

 涼しげな顔で青年に淡々と事実を告げる。


「妹さんは転生者なのだろうけど、元々魔力の素養がなかった。今世でもその運に恵まれなかった、そういうことかもしれません」

「ライナス」

「でも……っ、それなら妹は……!」


 青年は悲痛そうに顔を歪める。妹を思いやっているのが伝わる表情だった。そして、言葉を詰まらせながら、その先を言った。


「それなら妹は! トイレをどうしたらいいんですか!」

「確かに」


 ライナスは頷く。エリザも神妙な顔で顎を引く。


「ちなみに今まではどうしていたんですか」

「妹は13歳なんですが、最近、母が他界しまして。もともと父はいなかったので、2人暮らしになったんですが、どうやら、妹は母に頼んでいたらしいんです。母が死んだ後に発覚したんですが」

「じゃあ、今度はあなたがやればいいのでは?」


 ライナスは至極当然と言わんばかりに青年にいう。しかし、青年はくっと拳を握った。


「わかりますか! 妹は13歳という思春期! お兄ちゃんと一緒に洗濯したくなーいとか言ってくる年頃なんですよ! 母が死んでただでさえ何となく気詰まりで暗いから、排泄物の処理だ何だと言える雰囲気じゃないんですよ! 妹は俺にそれを頼むなら母の後を追うとまでいってます。性別も違うし、正直それは理解できます。それでトイレの設営の打診にきたのに、そんな費用とても出せないし。王宮のトイレに毎回行くのはかなりきついみたいだし」


 青年は涙声で項垂れた。


 兄に頼むのは複雑な心境があるだろう。家族だからと言って、気軽に頼めないことだってある。まして、13歳の少女ともなれば、なおさらだ。兄の協力的な態度がむしろ少女を頑なにさせているとも言えた。

 何となく同情を禁じえない。それにこれは、転生課関係なく、顕在化するであろう問題かもしれない。しかし、今回はとりあえず、応急処置だ。


「えーとそれじゃあ、妹さんにはーー」


 エリザが言いかけたところで、ライナスはエリザを制した。今更ながら、ライナスはなぜこんなところにいるのか気になったエリザである。今日は窓口業務ではないはずだが、そう思いつつ、真剣な眼差しのライナスに少しだけ息を飲んだ。彼は自分が思っているより、この問題を重く受け止めているのかもしれない。

 ここはライナスに譲ろう、そう思って、エリザは口を閉じる。


「水課として、妹さんに魔術の特訓をしよう。俺と君とエリザと一緒に」

「は?」

「本当ですか! 妹は魔術を使えるようになりますか!」

「待っ、待って、ライナス」


 抗議しようとライナスを振り返るが、ライナスは早口で青年に言った。


「それは分からないけど出来るだけのことはしよう。お兄さんは窓口の業務が終わる鐘が鳴るまでにきてね。妹さんと一緒に」

「はい!」


 勢いよく立ち上がり、青年は乗り気な笑顔で去っていく。都庁の扉が閉まる音が無情に響き渡った。


「……ライナス、何考えてんの……」

「いや~?」


 はははと白々しく笑い、ひらひらと手を振ってライナスは水課の方に戻っていく。問い詰めようと席を立ちかけ、業務中であることに思い当たり、座り直した。次の客が既に待っている。

 今日はサービス残業決定のようだ。隣のコノイの同情的な視線が妙に癇に障った。



 時間はいつも通りに過ぎていき、ついに鐘が鳴り響いた。こんなにも重い気持ちで鐘を聞いたのは、新人の頃以来かもしれない。

 エリザは席を立ち、ライナスがこちらに寄ってくるのを見て、顔を青ざめさせた。


「エリザ、行こう」

「私行く必要ないでしょ……」


 不服そうなエリザを引き摺るようにして、ライナスは都庁の扉の方へ行く。コノイはエリザの後ろ姿に同情的な目を見つつ、「事務仕事は片付けておくよ」と叫んだ。それはエリザとしてとても有難いが、こちらの立場を代わってほしい。周りの職員を見ても、苦笑いを返されるか、明らさまに目をそらされる。ライナスに関わりたくないというのが見え見えだった。

 エリザは諦め、ライナスに並んで扉をくぐった。


 兄妹は既に扉の近くに立っていた。妹は兄と同じ茶色の髪をし、不機嫌な様子で立っている。表情こそ、正反対だが、顔の作りはよく似ており、2人が兄妹だということを感じさせた。


「待ったかな? ごめんね」

「いえ、とんでもないです。こっちが妹です」


 挨拶を促すように青年は妹を紹介した。

 兄はソーク、妹はミリスと言った。こちらも自己紹介をし、ライナスの取り計らいで、広い訓練場に場所を移した。都庁からは近く、公園にも似ているが、魔術の行使が全く制限されていない空間だ。


「まずは、ミリスさんの魔力の程度を見たいと思うんだけど」


 ライナスは言い、ミリスを促す。ミリスはやはり眉を寄せ、憤っているようにも見えた。そのまま沈黙が続き、居た堪れなくなったのか、兄の方が口を開く。


「あの、妹は本当に魔術が使えなくて」


 妹は無言で兄をはたいた。余計なことを言って、と言わんばかりだ。


「ええと、ミリスさんは生まれてから一度も魔力を行使したことが無いんですか?」

「……そうです。兄に何を聞いたのか知りませんが、前世で魔力がなかったので、魔術が使えません」

「でも使えるようになりたいんですね?」


 エリザの言葉に眉を寄せたまま頷いた。切羽詰まっているように見え、魔術が使えないことを本気で恥じているようにも見えた。

 エリザがそのまま話を聞けば、妹のミリスはまだ兄から前世云々が魔力と関係ないことやトイレで都庁に相談に来たことを知らないようだった。確かに、突然トイレのことを相談に行ったとは言えないかもしれない。ということは、魔術を教えてくれるという話を聞いて彼女はここにいるのだろう。


「君はなぜ、魔力が使えないと気づいたの?」

「私に……そんな力ないし、実際使えなかったので」

「……うん、とりあえず、使い方の基本からいってみようか」


 そして、特訓が始まった。ライナスは基本を教え、ミリスがそれをする。確かにミリスはどの魔術も使えていない。しかし、兄のソークは辛抱強くミリスに教えていた。いつの間にか、ミリスの眉間のシワはとれていた。

 ミリスがソークにコツを聞いている間、ライナスはそれを真剣に見ている。


「ライナス?」

「おかしいなあと思って」

「なにが? 魔力がなくても魔術使えるようになりそうなの?」


 エリザは小声で尋ねる。ライナスは困ったように首を少しひねった。


「うーん。ミリスさんって魔力、あるんだよね」

「え?」


 エリザはぽかんと口を開けた。

 そういえば、高位の魔術使いは他人の魔力が見えるとは聞いたことがあったが、まさかライナスもとはエリザの知る由もなかった。


「これは俺がトイレ設営とか水課の現場に行くと感じることなんだけど、魔力がないって言っている人は、実際はほとんど魔力があって、使い方がわかっていないだけなんだ。だから、ちょっとコツを教えるとたちまち使える人が多い。もちろん、本当に魔力がない人もいるけど、彼女はそうじゃない。だから、本当は魔力があるんじゃないかという希望と、なくても兄との関係改善を図ろうという目的が半々くらいだったんだよ。で、魔力があったから、まあ使えるようになるだろうと思ったんだけど」


 ミリスは魔術を使おうと四苦八苦しており、まだ使えていない。兄とはうまくやっているように見える。ある意味、目的の半分は達成しているともいえた。しかし、ライナスは不服そうに首をさらにひねる。


「わかんないなあ」


 しかし、ライナスとは反対に、エリザには思い当たる節があった。

 エリザには生まれた時から、己が転生したのだという認識を持っていた。それは、ああそうなんだという当たり前の感覚であり、違和感のない感覚だった。エリザは小さいころ、この世界の人間は全員が転生者なのだろうと勘違いしていたくらいだ。

 それと同時にこの世界と日本の差に戸惑うこともあった。エリザにとって、価値観の違いは大きかった。この世界では、王制が続いており、それを不思議に感じる人間はいない。悪政もあれば、王が打倒されることもある。エリザは王がいるという感覚になかなか慣れることができなかった。

 同じ日本出身の転生者に話を聞いても、あまり同意を得られることはない。

 しかし、ある時気付いた。それはこの国の人間にとって違和感の感じるべきことではなく、それは当たり前の普遍的事実なのだ。

 常識であって、特異ではない。


「ライナスさん、エリザさん、私、やっぱり才能がないんですよね」


 近寄ってきて、ミリスは申し訳なさげに俯いた。


「魔力がやっぱりないんです。魔術が使えるはずもありません。教えてくれてありがとうございました」

「いや、まだ諦めるのは早いです。ミリスさんはきっと、自分に魔力がないって信じてしまっているんです」

「だって私はそんな特別な人間ではないですから」

「魔力がない方がここでは特別です!」


 ミリスは目を見開いた。

 エリザが感じていたのもそんな感覚だった。王政は現代日本にはない、特別な感覚だった。だから、前の価値観のまま、王政が特別だと錯覚していた。

 この国は王政でもよく回っているし、何かにとんでもなく困ったことはない。この国で王政が続いているのはそれなりの理由があって、実績のあることなのだ。

 前世は前世だ。頭では分かっていても、それを真実理解できていなかった。

 ミリスも前世の感覚のまま、魔力が特別なのだと勘違いし、自分で拒んでしまっている。


「ミリスさん、あなたは普通の人間です。前世での価値観に囚われてはだめです。もっとここを受け入れて、魔力を身近に感じてください。出来ます、ミリスさんなら」

「でも、魔力ってそんな大層なもの……」

「大層なものではありません。魔力はここで普通にあるものです。前世で持っていなくても、今世の自分を信じてください」


 ミリスはエリザの言葉に逡巡しながら、何かを言おうとして、それをやめた。価値観なんてそう変えられるものでもない。エリザにもそれは分かっていた。しかし、手ごたえは感じていた。彼女にもきっとこの言葉は届くはずだ。


「ミリスさんならできます」


 ソークはエリザの言葉に勢いよく頷く。


「そうだ! ミリスならできるよ。信じて使える自分を考えてみるんだよ! そうしたら、と……とい、トイレ! そう、トイレなんて作らなくて済む! トイレにわざわざ行く必要なく普通に、ごくごく普通に一人で、できるようになる!」


 排泄を、と口にはしていないが、言外にそんな言葉が含まれていた。

 エリザは一気に、スッと心が冷えた。他人の前で兄にそんなことを言われて、思春期の少女が耐えられるだろうか。答えは否だ。


 ミリスはソークの方を見て、一気に顔を赤く染めた。恥ずかしさに体全体が震えている。

 ライナスとエリザは自然と2人から距離をとった。彼女は片手で拳を握り締め、もう片方の手で兄を平手で打った。それと同時に兄に水しぶきのような波紋が広がり、その衝撃でソークは尻餅をついた。


「あっ魔術」

「さいっていっ! 最悪! デリカシーない! だから兄さんが嫌なの! この無神経! もう兄さんと暮らすなんて無理!」


 魔術を使えたことにも気づかずまくし立て、ミリスはその勢いのまま、駆け出した。呆然とした兄のソークと、呆れ顔のエリザと、何となく苦笑しているライナスが残される。

 ミリスの後ろ姿を見ながらエリザはため息をついた。


「とりあえず、彼女には王宮の住み込みの職を紹介しますね……」


 それはエリザがもともと考えていた案だった。



 一週間後。

 ミリスはそのまま王宮で働き、快適なトイレライフを送っているらしい。彼女は魔術が使えたことに気づき、時々ライナスやエリザに教えを請いにくる。

 逆にソークの方は、人生相談のように、ミリスのことをエリザとライナスに愚痴りにくる。しかし、ライナスは適度なあしらい方を心得ているため、ほとんどはエリザが対応することになってしまっている。

 エリザとしてはここは人生相談所ではないと言いところだが、無下にもできず、転生課の仕事をコノイに押し付ける形になっていた。


 今になっても、転生絡みの相談客は絶えることはない。

 転生課は、今日も平和である。





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