おれのかく話の根っ子
敗北感を感じた話を短く書く。
おれが自殺未遂をしたあと(この話ばっかだな。唯一と言っていいほどの、おれにとっての異常な話というか、旅をした話なので)前なんかのお話であげた話では、水道局の人間に発見された事になってたが、実際は、二日ほどたって、やっと意識がはっきりしてきた時に、腹が減って、家にあったもので売れそうなものを売りに行ったのだが、五十円にしかならず、どうしようかと玄関で途方に暮れていた時、普段はまったく寄り付かない親戚が訪ねてきて、おれにとりあえず生活保護を受けさせたというのが、本当の話である。(こういう話にすると嘘っぽくなるのでああした。実際の話なのに嘘っぽいので、現実とは面白いものだなぁ。親戚は、急に行かねばならない、という気分になった、と言っていた。虫の知らせかもしれない、とも。)
そしてまあ、おれは若いので、すぐにハローワークに紹介されたわけだが、ここでの出来事がまた、なんというか、欺瞞だった。おれはもう、あまり人間と関わりたくなかったので、技術職をやりたいと思い、就労学校に行きたいと言ったのだが、やんわり否定され、次から次から前の仕事と同じような仕事を紹介された。とりあえず一つは面接してもらわないと困る、というので一つ選んで、行った。まだ夢見心地で、正直まだ夢を見ていたい気分だったので、落ちてほしいなあ、と思いながらも、面接の時間を設けてくれた先方に申し訳なく、相手が望みそうな答えを適当に答えていった。そして結果連絡までの間、また生活保護をもらっているとハローワークに定期的に行かねばならないので、行くと、また面接を受けろと言われた。おれは前の所の結果がまだ来ていないので、と言ったが、許されず、一つは面接してもらわないと困る、と言うので、また受けに行って、面接の時間を設けてくれた先方に申し訳なく、相手が望みそうな答えを適当に答えていった。そうしたら、二つとも採用になり、申し訳ない、と思い、胃が痛えなぁ、と思いながら、二つ目にババをかけた。この事に関して、うまくは言えないが、とても、ネガティヴな感情を持ったが、それはうまく言葉に出来ないので、ただあった事を書く事に留める。
二つ目は、生活保護のこと。実はこれは二回目で、おれが高校生の時、母親が自殺し、おれは両親がいなくなったので、生活保護を受けに行った。この時はまぁ、バイトしながら、学校に行って、保護金でなんとかメシを食えていたので、その事について特に言うことはない。問題は、バイト先の友達に一人、同じように保護を受けてるやつがいて、そいつには両親がいた。が、両親は離婚していて、しかし、一緒に暮らしていて、二重に二世帯分保護を受けていた。しかもそいつはおれと同じぐらい稼いでいたのだが、それを申告せず、(生活保護を受けながら働いていると申告しなければならない。申告分引かれるが、金額により一万円から二万円働いていない時に比べて得をする)そいつとは仲が良かったので、その時は言えなかったが、そいつの家にはPS3もXBOX360もWiiもあって、PCもおれの数年前のゲーミングPCとは比べ物にならないほど、いいスペックだった。おれはその時まだ、PS2と、その数年前のゲーミングPCでゲームをして、月末は金がなく、二日か三日メシを食えない時もあった。(この時期の子供が計画的に金を使うことは難しいとおれは思う。自己弁護になるけども)この事に関しても、ともかく、ネガティヴな感情をとても持っている。結局世の中は、ずるい奴が得をするのかと強く感じた。
最後に、おれはひきこもりをしていた時期がある。特に理由はなかったのだが、(いや、あったかもしれない。いじめられていたような気もする)学校にうまく馴染めず、行きたくなくなって、最初はぶらぶらしていたのだが、ある時知らない老婆に、こんな時間になんでぶらぶらしてるの? と聞かれ、答えられず、おれは異常なのだ、と恥ずかしくなり、外に出なくなった。二年か三年か、もっと長くか、大人になった今は覚えていない。そうなると、感情をフローする相手が母親しか居なくなる。元々欠損した家庭で育てられたおれの感情というのは、まったくもって異常で、暴力的だった。母親はその内、おれと経済的な困窮に耐え切れず、頭がおかしくなった。それが高校生の時で、その時はまともに学校に行っていた記憶がある。そしてなんとか母親が小康ぐらいになった後、おれは大学に行きたかったのだが、精神病持ちの母親が支える家庭は経済的にそれを行う事は困難で、まともな家庭に生まれたかった、と酷く喧嘩をした。思い切り責めた。次の日の朝、母親はベランダから飛び降りていて、脳漿を撒き散らしていた。(本当に、まったくよく、いろいろな事を覚えていない。二十歳を過ぎてからの事の方がまだ覚えている。)この時の前後ぐらいに、おれも病気になった。
そうして、感情をフローできる相手がいなくなった。いや、するべきではない、と学んだ。
気持ち悪い話になる。おれはある掲示板にハマった。話し相手が居る上に、まったくでたらめな事を言えるのは楽だった。そこは非匿名性であり、おれは一人の人間と仲良くなり、こいつに対しては、ある程度はそういう、感情の吐露、というのは、許されるのかな、と思った。救いを得た気がした。それは何故かというと、相手が真剣におれと会話してくれている気がしたからだ。しかしある日、相手がそれを、自分の立場を向上させるために、誰かれ構わずしている事だと気づき、別に、真剣ではなかったのだと、気づいた。(それを別に、おおっぴらにしているのなら、おれも大してショックも受けなかったのだと思うが、例えばおれとお互いに嫌いあっている人間に対して、お互い対してに黙って、そういう事をしていて、また、どちらの味方もしているというぐあい。)それがもう、今となってはアホらしいのだが、ショックで、こいつもペテンかと思い、完全に神経のバランスをやられてしまった。もう二度と、感情を出すべきでないと、本気で思った。
そうして、感情は蓄積され、セックスをしてああ気持ち良かった明日も頑張ろうと思えるほど気持ちのいい人間でもなく、そういう人間ばかりなのだと思い、死のうと思って、仕事をやめた。それが、決行前夜の頭につながる。
しかしまた、共同体に居なければ喜びを感じ得ない日本人の血がおれには流れていて、ふれあいを求めている。そのたびに自分嫌になり、または相手に失望し、こういう話を書いている。最近、太宰治の言葉が心にしみる。うろ覚えだけども、最近、どの人間の顔も同じに見えるのです。十才も二十歳も三十歳も六十歳の老人も、同じような事で悲しみ、同じような事で笑ったふりをし、また皆少しずるく、そんな人間ばかりが居る。そんな言葉が酷く染み、島国の外には違う顔が居ると思っていたが、そうではなかった。おれは今、空虚を感じている。何もなく、ただ死んでいく事を感じている。成功しようと、破産しようと、人間は皆死ぬ。それならばこんな文にも何の意味があるのだろうかとも思うのだが、これはもうちんちんを擦るようなもので、そうでもしなければ生きていけないし、今はそんなに死にたくはない。