第七話 村で色々と考える話
ジョージ=ベイブ・ミラーは冒険者である。
活動拠点近辺に限る話だが、組織的な能力を評価される徒党としてではなく、冒険者個人として広く関わりの無い平民にも名を知られるような、優秀な戦士だ。
活動開始から僅か五年の間に確かな実績を積み上げ、人々の生活を脅かす恐ろしい魔物の討伐依頼さえ多数乗り越えてきた前途有望な若者だった。
「いっ、一日で魔物を全滅させた、だって……?」
だからといって、此度の成果が常軌を逸している事には違いが無い。
仕留めた獲物は猪型の魔物が五頭。
討伐の後 山中にて築かれた魔物の巣を暴いて生き残りが居ない事を確認し、取り扱いに厳重な注意が必要な魔物の死骸を村まで単独輸送、運び込まれた巨体の群れに何事かと集まる村人達を下がらせ、ミラー邸にて次期村長である弟ジョン・ミラーへの報告を行なった際の反応が先の発言となる。
「詳細な確認は数日掛かりで行なう。見逃しがあったら不味いからな」
想定外の事態に対する驚きから呆けたようにジョージを見つめる実弟に対して事務的な返答を返して、視線を窓の外へと向ける。
妹のクリスが魔物の死骸に近付こうとする村人達を押し留めては声を上げ、その傍らには いつも通りの煤けた外套で全身を覆い隠した小さな子供が座り込んでいた。
両手を見下ろす。
山の中からブリス村まで、一纏めではないがジョージ一人で五頭の魔物を運び込めた。
それは有り得ない事だ。不可能な事だと言っても良い。単純に大き過ぎて重過ぎる、魔物の死骸の運搬は冒険者ならば誰だって覚えのある切っても切れない難題なのだ。
だけど、出来た。至極当たり前に、魔物の取り扱いを理解しているとはいえど、個人で成し遂げるには重労働という言葉でさえ足りないような苦行をだ。いや、それを言うのなら そもそも複数体の魔物を生身で殺し尽くした事実こそが異常だった。
「これから死骸の処置に取り掛かる。魔物は金になるからな、商人に話を通しておいた方が良いぞ」
軽く言い捨てて踵を返す。
ジョージとしては魔物の事よりも、村の事よりも、もっと気にしなければいけない事があるのだ。
だからこそ実弟への対応にも身が入らず、そんな素っ気無い兄の態度が「魔物の対処なぞ余りにも容易い事だ」と言われているかのようで、次期村長であるジョンは自身が頭を悩ませていたブリス村の危機を軽く扱われたと捉えて顔を歪める。
兄ジョージが優秀な冒険者だというのは知っていた。
生まれ故郷のブリス村にも その名が届く程の実績を上げているのだ。村を出る際の身勝手な選択から一方的な嫌悪を感じていたが、やはり兄は凄かったのだ、と蟠りを捨てられずとも僅かに誇らしい気持ちを持っていた。
今回の山の魔物に関する問題も、確かに兄に対するジョンの言葉と態度は悪かったが、それでも兄ならばどうにか出来るのでは無いかという期待の篭った提案だった。事実その通りだったのだろう、今朝方になって山へと赴き、日が暮れる前に事を済ませた彼の手際は次期村長とはいえど只の村人に過ぎないジョンには理解出来ない偉業と呼べよう。
だがあの態度は何なのだ。
この程度の問題に頭を悩ませているなんて、と。ブリス村を襲った緊急事態に対する関心の薄さと、酷くどうでも良い話題に対するような態度の軽さを感じていた。
――勘違いである。
そんなものはジョンの考え過ぎだ、いっそ被害妄想と言い切っても良い。
ジョージは生まれ育った村に対する恩返しとして、冒険者にとって有るまじき事だが今回の魔物討伐の報酬を受け取らずに済ませようとさえ考えていたし、竜退治の結果として武具の一切を失っている圧倒的に不利な状態で複数の魔物に挑むという無理難題に対して気後れしてはいたが、身体の底から湧き上がる謎の力の存在が無くとも弟の依頼を断るつもりは無かった。
先の遣り取りは、単に間が悪かったのだろう。
ジョージ当人としては考えるべき問題が山積みの状態で、山の魔物は退治したのだから これで一区切り付いただろうと、より切迫した別の問題に意識の大半を捕らわれていただけで、弟であるジョンの存在を軽く扱う気持ちなど欠片も無い。
だが僅か数分の遣り取りによって、ジョンの中の兄に対する暗い感情が膨れ上がった。
ジョン・ミラーは平凡な人間だ。優秀な兄とは違う。
それでも父から村長としての仕事を引き継ぎながら、村の纏め役としての経験を積み上げ、兄ジョージが冒険者としての実績作りに明け暮れていた五年の間も必死になって努力して来たのだ。
確かに魔物を倒す事は出来ない。ジョンにその力は無い。だがだからといって、今まで積み重ねてきたものを、自分の行いを、軽く扱われて嬉しいわけが無い。
「……くそっ」
だからといって、何が出来るわけでもなかったが。
村のために働いてくれた冒険者なのだ。兄に対して少しばかりの悪感情を抱いているからといって、明確な害意にまでは育たない。あくまでも村という共同体に属する個人としての領分を越えられない、良くも悪くも平凡なジョンだからこそ腹を立てるだけで敵対的な行動にまでは至らない。ブリス村全体の利益に反する行動を執るなど、実直な性格の次期村長には仮の選択肢としてさえ浮かび得ないものだ。
だが、酷く嫌な気分だった。
高望みをした事は無い。分不相応な欲など持ち合わせていなかった。
ただ当たり前にブリス村の住人として生きて、それで済む筈だった人生設計を兄の個人的な我が儘で崩されて、挙句の果てには押し付けられた立場と己の努力さえ見下されてしまえば、どうして平気な顔で居られようか。
「何が悪いんだよ……、何がっ」
ただの勘違いであり、些細な擦れ違いだ。
他者と関われば往々にして生じるだろう、有り触れた出来事の一つ。
だとしても簡単に割り切れるものでもなく。
暫くの間、ジョンは机に向かって意味の無い悪態ばかりを呟き続けていた。
「アル君、正直言いなさい。あなたは兄さんが大変な時に一体どこに行っていたの?」
「山!」
家の中どころか村中を探し回るほど心配していた内心を押し隠し、精一杯厳しく叱りつけようと眉を顰めて「怒っています」という表情を取り繕ったクリスへの返答は、とても素直な単語一つで済んでしまった。
「えっ、……ぇえ?! 山!? なんで!?」
「見たかったからだ」
「どうして!?」
「見たかったからだぞ?」
矢継ぎ早に言葉を重ねていく姦しい二人の遣り取りは、野暮な外套さえ無ければ傍目からは仲の良い姉弟にでも見えたかもしれない。いや、姉弟ではなく姉妹と捉える可能性もあるが。
村人の耳目を集める二人から充分離れた位置で、ジョージは黙々と魔物の死骸を解体していた。
魔物とは魔法を使う生物である。
人間が価値を見い出すのは魔物の有する生体部位の内、魔法としての機能を持つ部分のみ。
血液は魔物の種別次第では利用価値を持つ物もあるが、肉に関しては基本的に捨てるしか無い。魔物以外の純粋な害獣を駆除する際に毒餌として用いても良いのだが、魔物の肉自体が人間にとっての毒であり、好き好んで毒物を傍に置く者など まず居ない。そもそも毒餌を作るのなら山に生えている毒餌用の野草でも摘めば済むのだから。
この猪の魔法部位は燃え立つ背部の毛皮と、蒸気を噴き出す呼吸器系を含む幾つかの内臓だ。
死亡して尚 火毒を滾らせる毛皮を丁寧に切り離し、喉から腹部にかけてを切り開いて必要な部位を取り出す。他は基本的に廃棄予定だ。
気が付けば興味深そうに解体作業を眺める竜族が傍に居た。先程まで声を張り上げていたクリスは、何を思ったのか村人を相手に子育ての相談をしている。まさか この竜を育てる気なのだろうか。
ジョージは作業の手を止めること無く、解体の邪魔にならない程度の意識を割いて口を開く。
「こんなものを見て面白いのか?」
かつて白い竜は人間を知りたいと言った。
何故知りたいのかと問うた人間に、知りたいと思ったからだと返した。
「興味深い……と、思うぞ?」
己が何を感じているのかを、自分でも よく分かっていないのだろうか。首を傾げて疑問形の返答を口にする小さな主を見て、本当に獣のような生き物だと改めて思う。
こいつはどうしようもない危険物だ。
やりたいから、やる。
知りたいから、知る。
竜とは賢き獣であるが、知恵を持つからといって その知恵を生かすとは限らない。
今は人間のような形をしているが、内面はどこまでも獣らしい、本能と感情によって動く動物だった。
或いはこれから変化し得るものなのだろうか。
人のように考えて、人のように人を好いて、人のように悪意をもって人を殺す。そんな竜に育つ可能性が有るのかもしれない。
もしもこのアルバスと名乗る竜族が人間と敵対する時が来るとすれば、それは彼に知識を与えたジョージ=ベイブ・ミラーの責任なのだろうか?
知恵を生かす為の知識を与え、得られた知識が人の排除を謳うものであったなら、今でこそ無邪気な子供にしか見えない白竜アルバスは、望むままに人を殺して回るのか。
厄介な事だ。
竜という種族に詳しいわけでもない、多少 名の知られた冒険者というだけでしかないジョージが心配しなければいけない理由なんて、竜の奴隷だからという悲しい悲しい身の上一つ。どうして自分が子育てに悩む一人親のような苦労を背負い込まねばならないのか。しかも育てる対象は まかり間違って反抗期を迎えてしまえば国が滅ぶ可能性を有する最強生物なのだ。
殺す事が出来れば、それだけで英雄になれるような生き物だ。
どうして自分のような一介の冒険者が こんな悩みを抱えているのだろう。一体何が悪かったのだろう。
奴隷扱いを受け入れて共に行動している現状が悪いのか。
竜の行いの結果によって生き延びた事が悪いのか。
自暴自棄になって竜に挑んだ自分が悪いのか。
それとも――。
「なんだ、お前、また泣いているのか?」
竜に挑もうなどと考えた、そもそもの原因。
半ば自暴自棄な有り様で、一人ぼっちの竜退治に出掛けた理由。今の今まで竜族に関する対応の是非を考えさえしなかった、無気力な精神状態が継続していた根深い事情。
ソレを思い出すだけで涙腺が緩む。ああ なんと心の弱い。こんな事だから自分の二つ名は『赤子』なのだ。胸中にて己を叱咤しても、湧き上がる寂しさと情けなさは消えてはくれない。
「一度、ちゃんと顔を見せに行かないとなあ……」
とても嫌な事だが、やらねばならない。
今も人だかりの出来ている この場では口に出来ないが、自身の身体に秘められた不思議な力に関して御主人様に問い質す予定も詰まっている。
やるべき仕事は相も変わらず次から次へと積み重なっていくのだが、その全てから今すぐにでも逃げ出してしまいたいと思うのがジョージの偽りなき本音であった。
徐々に沈みつつある夕陽の照らすブリス村の一角で、ようやく前を向き始めた一人の冒険者が深い溜息を吐き出した。