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どらすれ  作者: NE
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第六話 山で条理を覆す話

無謀なる挑戦者を見下ろしていた白い竜が首をもたげて、男の目の前に顔を寄せる。


食われるのだろうか。震えながら泣きじゃくる冒険者を一瞥する竜族の、その閉じた口中から太い肉を噛み切る音が響いた。

そのまま口を男の腹に向けて、小さく開く。

牙をもって噛み千切られた竜の舌部から滴り落ちる大量の血潮が、穴の開いた鎧の胴部に流し込まれた。


「あ゛っ、あああああああ゛あ゛あ゛――っっ!!!」


痛い。

熱い。

死んでしまう!


絶叫する冒険者の身に、まるで身体の中に大量の毒を流し込まれているかのような激痛が襲い掛かった。


痛い、熱い、苦しい、辛い。今、自分が何をされているのか分からない。

先程まで恐怖で泣き叫んでいた男が、今度は激痛に追い立てられるように声を上げる。

末期の絶叫と聞き違えてしまいそうな苦鳴一色。胴部の穴から立ち昇る蒸気は何ゆえのものか、男の声が途絶える時まで止まる事無く熱を吐き出した。


どれ程の時間がたっただろうか。

擦れた呼吸音を漏らす男の顔からは血と粘ついた体液が垂れ流され、しかし彼の身体からは先程までの痛みが完全に消え去っていた。

腹の傷から流れ出ていた彼自身の血も、痛みから痺れて動かなくなっていた両腕も、まるで何事も無かったかのように無事な姿を見せている。


その様子を見て、白い竜は満足そうに両目を緩ませた。

本当に、嬉しそうな表情だった。



何かを探すように家の中を歩き回るクリス・ミラーを見て、彼女の母親である村長夫人が声を掛ける。


「どうしたの、クリス?」


母から声を掛けられたクリスは呼び掛けに反応して僅かに肩を揺らし、次いで不安そうな顔で口を開いた。


「お母さん。その、アル君を見なかった?」


不安そうに、心配そうに。つい最近ミラー家の長男が連れ帰った少年の名前を口にした。


――アル君。

(アルバス)と名乗った、驚くほどに美しい黄金色の少年。生まれて今まで聞いた事の無い、不思議な響きの名前だと夫人は思う。

当初、村長夫人は まさか愛する息子が貴人の子を攫って実家に逃げ延びて来たのではないかとまで想像し、気の遠くなるような想いであったのだが、当人曰く それは違うのだそうだ。


怪しい。

そう思いつつも、血の繋がった息子であるジョージが罪人になったと考えるよりは余程 救いがある。アルバスという名の少年を連れているのは仕事の一環だ、と言葉を濁した息子の様子から察するに、何やら複雑な事情があるようだったが、仕事というのが冒険者として守秘義務を要する類のものであるのなら、彼の母とはいえ自分が口煩く言うべきではない。


実家を出て、既に独り立ちを済ませた愛する息子なのだ。

ジョージが村を出た事に関しては納得している。夫である村長や次男のジョンは未だ思う所があるようだが、時間が過ぎればいずれ より良い形に収まるだろう。考え無しの故の楽観ではなく、年老いた母としての経験が そう囁いていた。


「兄さんが魔物を調べに行くから、家で大人しくしているように言っていたのだけど……」


顔を伏せて呟くクリスの言葉とは裏腹に、兄であるジョージは山中に潜んでいる魔物の調査と言う名目で心優しい実妹の心配を誤魔化して、こっそりと討伐を済ませてしまうつもりだった。

そして家族の前では小さな主を子供扱いして「家で大人しくしていろ」と言い含めておいたが、奴隷である己の言葉が竜である主に対して確かな効果があるとも思っていない。


無邪気な子供にしか見えない あの生き物が気紛れに腕を振るうだけでもジョージと その家族は容易く死体と化してしまえるのだ、実家にそんな危険物を連れ帰った阿呆の分際で今更 何を言っているのかと笑われるような拙い対処法だが、竜族の小さな好奇心を邪魔したために生まれ育った村が惨劇に見舞われるなど御免被るというのがジョージの本音。

どうせ何があろうと、竜であるアルバスを害する事など出来ないのだ。


互いの言葉が通じ、人間に対して僅かながらの配慮も見せる。あとは あからさまな邪魔さえしなければ大丈夫だろう。ジョージは小さな御主人様に対してそう考えていた。その考えは事実として間違っていない。


魔物を討伐すれば すぐにでも村を発つ。

僅か数日、家族に対して竜の存在を誤魔化せれば それで良かった。


ジョージは主に向けた自分の言い付けが守られるとは思っていない。

人間の生活が見たいと のたまう小さな主が、冒険者による魔物の討伐というものに興味を持つ可能性を織り込んで、その上で一人 魔物の住まう山へと向かったのだ。


だから人に姿を変えた白い竜が山中を逃げ回る自分を観察しているぐらいなら、(ジョージ)にとっても想定の内。

しかしそこから先の状況に至っては、絶対に予想など出来ていなかった。


出来る筈も、無かった。



「うおおおおおおお!!!」


強く踏み出した一歩目で上空へと飛び上がり、男の体躯が勢い良く宙を舞う。

山中を走るジョージの正面にて身構えていた猪の魔物二頭、その頭上を容易く飛び越え、周囲の樹木から垂れ下がる、先立って用意しておいた印付きの蔦を掴み取る。


「これで――っ!」


そのまま全身の体重を蔦に押し掛け、蔦を下方に引き絞る動作を起点として、事前に仕掛けておいた罠を作動させる。

待ち構えていた二頭の位置は、背後の三頭から逃げる上では都合が悪かったが、別の視点に立てば そう悪いものでもなかった。


此処は丁度良く、猪共に効果の見込める罠を仕掛けた場所だからだ。


上空から複数の丸太が落ちてくる。

乱雑に切って仕立てた それらが積み重なるように猪達の背中を叩き、熊ほどの巨体とはいえ静止状態だった二頭にとっては丸太の重みは軽くない。

その背を、頭を強かに丸太で打ち据えられ、苦痛に喘ぐ魔物の雄叫びが度重なる落下音に紛れて漏れ聞こえる。


続いてジョージの後を追って来た三頭は落ちてくる丸太と立ち止まったままの二頭を前に、一頭のみが直前で足を止め、残り二頭は走る勢いを殺せずに衝突、諸共絡み合って地を転がった。


一連の事態を魔物達の頭上から、蔦に捕まり見守っていたジョージに動揺は無い。

呼吸の乱れも無い。

足場の悪い山中を走り続けた身体にも一切疲労が残っていない。


掴んでいた蔦を手放しながら、ゆっくりと地面に降り立つ。

周囲には丸太罠や同族との衝突の痛みから身を横たえた猪型の魔物が四頭。


彼の正面には残った一頭の猪が居る。


「……手伝ってくれないか? 御主人様」


本来ならば、複数の魔物に囲まれた状況で鎧も纏わぬ軽装の冒険者が一人立ち尽くすなど あってはならない。

しかし無傷の猪を真っ直ぐに見つめながら欠片も緊張も見せないままで、ジョージは上空に立つ小さな主に声を掛けた。


何時かのように、宙空を踏みしめて己を見下ろす金色の天使。

少年は何時ものように、小首を傾げて答えを返した。


「必要無いだろう?」


よく鍛えられているとはいえ、人間が生身で魔物を退治しようなど無茶が過ぎる。

大きさが違う、力の強さが違う。魔法の有無は決定的な戦力差を生む。

武器を持たず、防具さえも身に付けていないジョージが勝てるわけが無かった。

だが頭上から返ってきた答えは簡潔であり、何よりも常軌を逸していた。


手伝いなど、助けなど、――『竜の奴隷』には必要無い。


ジョージには、主の その言葉が薄情さの故のものとは思えない。

ならば本当に出来ると思われているのだろうか。倍以上の体重差のあるだろう大猪、その背に燃える火毒が僅かに皮膚を炙るだけで溶けて消えてしまうような脆弱な人間が、単独で魔物を倒せるのだと。


「GIGIGIGIGI――!!」


正面に立つ魔物が吼えた。

耳障りな猪の鳴き声が耳朶を叩き、正面から駆け出してくる猪型の魔物を前にジョージは浅く息を吸う。


丸太の罠に巻き込まれた四頭は徐々に体勢を立て直しつつある。手早く終えなければ五頭を同時に相手取る破目になるだろう。だから、今すぐにでもどうにかしなければならない。

――だというのに致命の事態に直面しているジョージに動揺は無い。

呼吸の乱れも無い。

身体にも一切疲労が残っていない。

どこか自分の知らない場所から力が湧いて出てくるかのように、全身が軽く、力が漲っていた。


錯覚では、ない。


向かって来る猪を見る。

額から背中にかけて燃え上がる火毒。蒸気を噴き出す口元からは無数の牙が覗いているが蒸気の方に毒は無く、距離を取って向かい合った場合は噛み付かれる事よりも巨体を生かした体当たりの方が危険が大きい。


真っ直ぐに駆けてきた猪の魔物。その顎の下に右手を差し込み、全力でもって かち上げた。


「ォオラァッ!!」


出来るわけが無い。

本来ならば、そんな事は絶対に出来ない。


だというのに目の前の情景は彼、ジョージの望むまま、風に舞う木の葉のように軽々と宙を舞う猪の巨体が見える。


名の売れた冒険者とは言えども只の人間が、己の数倍の体重差を覆して持ち上げ、放り投げるなど不可能だ。だというのに可能とするものがあるとすれば、それは条理を逸した奇跡の具現に他ならない。


ジョージの視線が上空に佇む主へ向かう。

一欠けら程の驚きも見せず、己が奴隷の為した結果を見下ろしている。


「……あとで、話を聞かせてもらうからな」


その幼い肢体を包む真っ白な竜の鱗を真っ直ぐに睨み付け、哀れなる竜の奴隷は次なる獲物を求めて視線を切った。

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