第四話 村長が頭を抱える話
ブリス村は長閑な村だった。
何処からか聞こえてくる家畜の鳴き声、畑に集まり談笑しながら農作業を行なう村人達。空を見上げれば小鳥が羽ばたき、暖かな気候は立地の良さを言葉を用いず伝えてくる。
「飽きた!」
「何も無い村だからなあ……」
つまるところ、ブリス村は観光には全く適さない土地だった。
若き日のジョージ・ミラーが村を飛び出し冒険者を志したように、幼子のような見た目通り好奇心旺盛で、人間社会を案内させるためだけに瀕死の冒険者を拾い上げた一頭の気紛れな竜族が楽しめるようなものなど何も無い。
老後をのんびり過ごすには良い村だろう。しかし日々の刺激を求める若い二人にとっては物足りない事この上ない。
「――兄さん、アル君。そろそろ お昼御飯だよ」
暇を持て余した二人に柔らかな声が掛けられる。
昼御飯という言葉に反応した小さな竜族は勢い良く立ち上がり、超えに振り向いたジョージも柵に座り込んでいた腰を上げる。
「ごはん!」
「ああ。ありがとな、クリス」
「ごはん!」
「……分かったから。ほら、行くぞ」
外套で隠された金色の頭を軽く叩き、溜息混じりのジョージが小さな背中を押し出した。
余程食事が楽しみなのか、御飯御飯と連呼する小さな竜族は興奮気味だ。
そんな二人の様子を見て、ジョージの実妹であるクリス・ミラーは小さく微笑んだ。
――仲の良い親子だな、と。
クリス・ミラーは兄が大好きだった。
五年程前に兄が村を出る時も寂しさから思わず涙を流してしまったが、遠く聞こえる噂から、今も元気で居るらしいと知ってホッとしていた。冒険者としての実績には欠片も興味を持てず、ただ壮健である事だけを日々願っていた。
そんな兄ジョージが村を出て以降、初めて実家に帰省したのだ。
嬉しかったが、それ以上に驚いてしまった。なんと兄は小さな子供を連れていた。
まるで御伽噺の妖精のように綺麗な子供。初対面の相手にも物怖じせず、元気一杯で声の大きな立ち居振る舞いは幼き日のジョージを髣髴とさせる。
両親はジョージと子供の関係を訝っていたが、クリスには分かった。分かってしまった。
――兄さんはきっと道ならぬ恋の果てに、愛する息子一人を連れて実家を頼って来たんだ!
勘違いである。
しかしクリスの中では それこそが真実だった。
あんなに綺麗な子供を生んだのだ、相手はきっと やんごとなき身分の美しい御令嬢だったのだろう。
クリス自身は詳しく知らないが、冒険者という身分は真っ当に生きる人達からは良く思われないものらしい。親しい関係を結んで、しかしそれを相手方の御家族に認めてもらう事も叶わず、愛する相手と離れ離れになって失意に暮れた子連れジョージが頼った先は、生まれ故郷に住む血の繋がった家族だったのだ。
「……大丈夫。私は兄さん達の味方だからね!」
ぎゅっと両手を握り締め、家路へと向かう二人の背中に小さく呟く。
ジョージの妹、クリス・ミラーはちょっと思い込みの激しい女性だった。
僅か五年の間に生まれたと考えるには、ジョージの連れている子供は少しばかり身体が大き過ぎる。しかし彼女の中では既に二人の親子関係が確定していた。
兄さんとあの子、金色の髪がよく似ていると思うの。微笑みながら脳内で二人の親子関係を補強しつつ、己の勘違いを更に磐石のものとしていくクリス。
彼女の思い込みの晴れる日は、遠い。
ジョン・ミラーは兄が大嫌いだった。
子供の頃は喧嘩が強くて頭も良くて、同年代の子供等と比べても飛び抜けて優秀だった兄ジョージを尊敬していた。
将来は兄が この村の長になるのだろう。
自分より先に生まれた優秀な兄が己よりも上の立場に就く。それを不満に思った事は一度も無いし、ジョン個人としても自分に村長の仕事が勤まるとは思っていなかった。
ジョン・ミラーは兄であるジョージとは違う平凡な人間であり、将来は家の畑をいくつか融通してもらい、それによって日々の食事を賄いながら同村内から嫁を迎えて のんびり暮らしていくのだろうと考えていた。
考えて、いた。
予定が狂ったのはジョージが冒険者になると言った日の事だ。
幼馴染と一緒に冒険者になりたい。
――だから俺は村を出る。村長の椅子はジョンに与えて欲しい。
身勝手な話だと今でも思う。
村を出る事。今の今まで村長になるための経験を積み重ねてきた癖に今更全てを放り出す事。ならず者同然である冒険者になると言った事。
そして何よりジョンにとっては寝耳に水の、次期村長の椅子に座らざるを得なくなった事だ。
余りにも身勝手が過ぎる。家族の事情など一切顧みずに、自分のやりたいようにやると言い切った兄。
妹のクリスは懐いていた兄が居なくなると聞いて泣いていた。
両親は跡取りである長男が家を捨てた上で冒険者になる事に反対した。
ジョンは、わけも分からずに一人呆然としていた。
兄が村を出るなんて、欠片も想像していなかった。
今日も、明日も、一年後も、十年後も。ずっと変わらぬ毎日が繰り返されると信じきって、日々の平穏が崩れ去るなんて考えもしなかったのだ。
尊敬する兄がそれを壊してしまうなんて、考えられる筈も無かったのだ。
結局最後まで何も出来ず、何も言えないまま、ジョンは兄が家を出る様子を見ているだけだった。
両親や妹を何と言って説得したのかも知らない。自分の肩を叩き、家の事を頼むと口にするジョージに対して曖昧に頷いてそれっきり。
彼にとっては予想も出来ない突然の出来事に思考が追い付く暇も無く。頭も身体も凡庸なジョン・ミラーは、ジョージの居ない五年の内に次期村長としての立場を引き継ぐ事に成功してしまっていた。
彼には特別優れた才が無い。しかしブリス村程度の小規模村落であるのなら、平凡な彼の能力でも事足りる。
未だ己の立場に納得など出来ないまま、ただ周囲に流されるだけで生きてこれてしまったジョン・ミラーは。
実兄であるジョージ=ベイブ・ミラーの事が大嫌いだった。
「アンタなら魔物の討伐くらい簡単だろう? なぁ、『ベイブ』・ミラー」
昼食時、ブリス村村長宅ミラー家の食卓。
スープに浸して柔らかくした黒パンを齧りながら、次期村長であるジョン・ミラーが言葉を発した。
彼の対面に座るのはジョージ=ベイブ・ミラー。
兄とは呼ばず、わざわざ冒険者としての『二つ名』、ベイブという名前を用いて呼び掛けるジョンの機嫌は余り良いものとは言えないだろう。それは正面から顔を合わせているジョージとて分かっていた。
生きた竜族を連れた身で この村に長居するつもりは毛頭無いが、かつては素直に慕ってくれていた実弟の自身に対する態度の変遷には思うところがある。短期間の滞在で不都合が出る事は無いかもしれないが、後々を考えると両者の間にある蟠りは僅かなりとも晴らしておかねばなるまい。
そこまで考えて、口を開く。
内容は先のジョンの発言、ブリス村周辺に姿を見せる魔物の討伐に関してだ。
「魔物と一口に言うが、どんな相手なんだ? なぁ、ジョン・ミラー次期村長殿」
先の発言の意趣返し。
言葉の最後に付け加える事で相手の名前と立場を強調し、弟の他人行儀な振る舞いに皮肉でもって言い返した。そんな大人気ない兄ジョージの発言にジョンの顔が僅かに歪む。
二人のやり取りを見て、同席していた現村長たるミラー家の父親は頭を抱えた。
何時の間に こんなに仲が悪くなっていたのか。
幼少の頃から村長としての仕事を教え込んでいた兄ジョージが村を出て、入れ替わるように教育を始めた弟のジョン。
文句の一つも言わずに父親の教えを受けてはいたが、内心では鬱憤が溜まっていたのだろう。そんな当たり前の事実に今更気付いた村長は、お互い冷めた態度を維持したまま喧嘩腰で会話を続ける兄弟を見守りながら溜息を吐いた。
頭を抱えて溜息一つ。昼食を口に運びながら落ち込む様子を見せる村長に対し、幼い少年が首を傾げる。真っ直ぐに視線を合わせてくる橙色の瞳を見つめ返し、老いたミラー家の父親は柔らかな金色を小さく撫でた。
村の家畜を襲う魔物の存在。
突然帰って来た長男ジョージ。
息子の連れ帰ってきた子供。
兄弟の間に刻まれた確かな溝。
今の今まで大した障害も無く過ごしてこれた村長業だったが、この年になって問題ばかりが湧いて出てくる。
兄弟の話し合いを見守る老いた妻と、心配そうに兄二人へと交互に視線を向けている娘クリス。
頭を撫でられながら止まる事無く食事を継続する幼い少年、『白』と名乗った不思議な子供。
一段落つくまで何事も無ければ良いのだが――。
古びた家屋内の天井部分を見上げながら、ミラー家の老いた大黒柱は もう一度だけ溜息を零した。
ミラー家三兄弟
長男ジョージ
次男ジョン
長女クリス