第三十三話 英雄が血を流す話
「知った、事かぁああ――っ!!!!!」
叩きつけられた長剣が、腹の底まで響き渡るような轟音を吐き出した。
攻撃を受け止めた屠竜伯は、歪に笑いながらも大剣を操り力任せに迎撃する。
一撃打ち合うたびに両者の間にある空気が弾け、連続する白剣の交差が回を重ねるごとに刃へ篭められる力が増していくような、圧倒的な昂揚感と不快感。前者が屠竜伯のものであり、後者がジョージ。徐々に笑みを深くする女を見て、男はより強く、より早くと次の攻撃への戦意を高めていく。
刃を用いる斬り合いとは到底思えない剣戟音の連続。
鉄器の刃であれば ただの一合で折れてしまうか、或いは砕けていただろう。
竜の骨格を削って生まれた白の刀剣は折れず曲がらず、魔法を浴びせても変わらぬ乳白色の輝きを宿していた。
「アンタが何を考えていようと、俺のやる事は変わらないっ!!」
長剣を操るジョージが吼えた。
屠竜伯の内面にて如何なる葛藤があろうとも、その行いは悪行に他ならない。
少年であった頃には憧れていた。
何も知らない子供にとっては、紛れも無い英雄だった。叶うとも思っていなかった竜殺しを謳って竜の谷に足を踏み入れた事も、彼女の勇名が僅かながらに影響していた筈なのだ。冒険者の頂点、己が力のみで成り上がった実力者。そう思っていた相手の現実は今、目の前にある。
ジョージの中には、己の憧憬を裏切られたという八つ当たりも混じっていた。小さな主に対する屠竜伯の影響に腹を立てた事もある。元相棒であるエリザの結婚式当日に馬鹿げた事態を引き起こしたという怒りも当然のものだ。
そして、自分で選んで行動したくせに、まるで後悔しているかのような顔で語る屠竜伯の、その表情も言動も振る舞いも何もかも、全て残らず気に喰わない。
野の獣のように、歯列をむき出しにして言葉を吐いた。
「俺はアンタが嫌いだ――」
だから叩き潰す。
それらしい理由を幾つ用意したところで、ジョージの出すべき結論は最初から決まっている。
「本当に、……貴様は」
朧げに呟いた屠竜伯は黄金の竜翼を大きく広げ、徐々に全身に広がりつつある竜の鱗を指先で撫でる。
竜殺しとなって以降の十年以上、ずっと無気力に倦んでいた。
時は巻き戻せない。かつての己が下した決断も、成し遂げた主殺しの偉業も罪も、未来永劫 変わる事が無い。そこから先で無為に積み上げた、英雄と持て囃されてながら空虚に過ごした二十年もまた同じ。
自身の心の、その明確な形さえ見い出せぬまま。胸中の間隙を埋めるために あらゆる娯楽に手を出したが、それでも足りぬと更には法を犯して必死に無聊を慰めてきたのだ。
魔法使いの製造実験だけではない、それ以前にも数々の罪に手を染めた。
今も変わらず夢を見る。
その手で弑した主の、燃えるような竜眼を。
最期まで真っ直ぐに見つめていた、物言わぬ視線ばかりが繰り返されるのだ。
「自業自得ではあるが。それでも、私はな――」
ざらざらと流れるような音が鳴り、屠竜伯が大剣の柄を強く握り締めた。
狂おしいまでの飢えに喘ぐ獣のように、一心に親を求める子犬のように、想いのままに周囲を食い散らかす魔物のように、ただ在るだけで国さえ滅ぼす竜族のように。
黄金に飲み込まれていく女が傲慢にも吼え猛った。
「欲しいのだ。――ソレが何かは知らぬがな」
屠竜伯自身、己が何を求めているのか分かっていない。
だから叫ぶ。だから暴れる。傍迷惑な子供の駄々が、その有り余る力ゆえに人々を害すると理解したとて関係が無い。己の欲望以外は どうだって良いのだ。足を止める選択肢など、最早どこにも残っていない。
欲に駆られて主を弑し、結果 得られたものにさえ満足出来なかったからといえ、腹の底から湧き出す毒を撒き散らす。
どれほど喰らっても飢えを満たせぬと喚きたて、ただひたすらに食い漁るだけの餓えた鬼。
それが竜殺しの英雄として崇められる女伯爵の真実の姿だ。
今に至るまで目に映る全てを踏み躙り続けてきた哀れな女の、酷く無様な現実だった。
「死ね、竜の奴隷。死ねば、殺せばっ、私は満たされるかも知れんのだ――!」
真っ直ぐに飛び出す黄金竜の爪牙に対し、ジョージは長剣で攻撃を受け流しながら足を踏み出す。
足元から次々と伸びてくる石杭を避けて、斬り砕き、時に宙を駆けながら屠竜伯を目指した。
「ぉお、っらアアアアア――ッ!!!!」
意味も篭らず ただ吐き出すだけの叫びを上げて、目の前の相手以外の一切を視界に入れず、ただ前へ向かってジョージが走る。
ただ、前へ。人間らしい賢しらな思考など必要ない。叫び、弾いて、左右の足を振り上げる。
事は既に魔法使い同士の戦いとは呼べなかった。人型の竜族と称すべき化け物と、人型の魔物と称すべき獣の殺し合いだ。
襲い掛かる竜鱗の群れを越え、目の前に辿り着いたジョージに向かって屠竜伯が大剣を翻す。
いつも通りの力任せ。ただ掠めるだけでも全てを殺せる、魔法使いの一撃だ。
それを、完全に無視して踏み出した。
「――奴隷め」
ニコール=スレイブ・キッドマンは魔法使いだ。
冒険者として一歩を踏み出した時は既に竜の血を受けており、彼女は他者を圧倒する以外の戦闘経験など主殺しの一件を除いて有していない。
戦術の一切が力任せ。
それで充分なのだ。用いる魔法もただ有るものを使っているだけ、竜族が魔法を使用する理由と変わらない。便利だから使い、そこにあるものを利用するのみ。決して、状況に即した最善を選び取っているわけではなかった。
「奴隷の俺が羨ましいか、……ニコール=スレイブっ」
黄金の竜鱗がジョージの身体を貫いていた。
肩も、腹部も、腰も、胸部も。魔法で硬化されていようと知った事かとばかりに容易く貫き、傷からは血が滴って衣服を濡らす。
振り下ろされた屠竜伯の大剣を肩から腹まで斜めに通しており、それが致命の一撃であると、誰だろうと目にしただけで理解出来るだろう。
しかし、ジョージの突き出した長剣もまた、屠竜伯の胴体を貫いていた。
「相討ち狙い、っとは」
屠竜伯が口端から血泡を垂らして苦しげに喘ぐ。
強者たる彼女は、常に豪力をもって圧倒するだけで勝利してきた。それで充分だったからだ。例外など知らなかった。竜族たる主でさえ、抵抗らしい抵抗も無くその勝敗が決したのだから。
だが相手は魔法使い、竜の奴隷。その一撃は竜殺しの肉体さえ貫けるもの。
そこまで分かっていようとも、まだまだ全く理解が足りない。
どれほどの賊を討とうと、数多の魔物を殺そうとも、常に一方的に勝利してきた屠竜伯だ。命を賭けて立ち向かおうと、誰もが彼女の肉体に傷の一つも刻めなかった。
己の生命を奪い得る敵対者との尋常な殺し合いなぞ初めての事。
命一つをこの場に賭ける。ただそれだけで心の臓まで届き得る刃を、ニコール=スレイブは今の今まで知らなかった。
頭で考えようとも、それだけでは決して足りない。力量を語るのならば竜の血肉を諸共喰らった屠竜伯が格上だろうが、だからといって無敵と呼べるほど隔絶した力の差は存在しない。
ジョージ=ベイブ・ミラーは冒険者だ。
生まれながらの才に恵まれ、五年の時をかけて二つ名を得た真の強者、実力をもって登りつめて来た成り上がり者なのだ。
経験が違う。心構えが違う。積み重ね、研ぎ澄ました技術の桁が違う。
大振りの力任せ、暴れ回る獣のような乱撃を凌ぎ潜り抜ける程度、既に何度も体験してきた。
強いだけの化け物を殺せるのが冒険者だ。魔法使いである彼の一撃は屠竜伯の命を奪い得る。相手が人型の竜族であろうと、殺すだけなら出来て当然。
「別にっ、そのつもりは無かったんだが、な」
――などと言う理屈を、ジョージが考えて実行したわけでは決して無い。
叫び、走り、敵を殺す。冒険者としての彼に出来る事などそれだけだ。
その実績をもって二つ名こそ得られたが、ジョージ個人の持っているものなど戦士としての優れた才能一つのみ。社会一般との仲介役として奔走した元相棒エリザの存在が無ければ、間違いなくベイブ・ミラーなどという冒険者は生まれなかった。
彼の本質は獣だ。如何に理性的に振舞っていても、究極的には暴れ回る事しか能の無い、図抜けた阿呆だ。母親役に面倒を見てもらわなければ自分一人では何も出来ない、身体が大きいだけの子供に過ぎなかった。
だから『赤子』。
それ故の二つ名、蔑称である。
ジョージは別に、相討ち覚悟で戦っていたわけではない。ここを こうすれば勝ち目がありそうだ、と獣の嗅覚をもって行動し、結果、望んだ通りに敵の身体を貫いた。――ただし自分も死んでしまった。ああうっかり。運が悪かった残念だ。そういう事になる。身の危険に気付いても意識せぬまま、勝利の可能性があるからと真っ直ぐ走って相討ちだ。
端的に評せば馬鹿である。そうとしか言えない、ただそれだけの男だった。
「ま、まずいな、これ」
今更焦って出血を止めようとするが、既に傷そのものは致命的。誰が見たって手遅れである。
身体を貫く竜鱗が音を鳴らして引き抜かれれば、傷を塞ぐ栓として機能していた部分に穴が空き、死ぬまでの猶予が縮まった。
おいふざけるな、何をする。鱗を抜いて出血量を増やした屠竜伯を見上げれば、白髪の女は肩を震わせて笑っていた。
「お前はっ、本当に、ふふっ、お前は本当に、――は、ははははは!!!」
呟く声が震えている。笑い声に伴ってジョージの長剣が突き刺さった傷から血が噴き出すが、それを気にする女ではない。徐々に声が大きくなって、やがて天を覆う白竜にまで届くほどに広がっていく。
竜が首を擡げてジョージに近付き、鈍い音が鳴ったかと思えば、開いた口から土砂降りの如き竜の血が降り注いだ。
「ぐげ――っ?!」
死に瀕した彼に行われたのは、何時かの再現。
しかし今回はかつてのように絶叫するほどの余力が無い。びくびくと激痛に身体を小さく跳ねさせながら、ジョージの全身が真っ赤に染め上げられていく。
屠竜伯は突き刺さった長剣を引き抜く事もせず、その様子を見つめていた。
竜族の主と竜の奴隷。
彼女の目に映る姿は酷く懐かしいものであり、同時に望んで手ずから打ち捨てたものだった。
悲しいのかも、寂しいのかも分からない。或いは不快感を覚えているのかもしれないが、老いた彼女には最早それさえ分からないのだ。分からないからこそ、今の今まで暴れ続けていたのだから。
「――お前にとって、竜とは何だ?」
街を覆う影が消えた。
黄金の髪を揺らしながら、かつて目にした神の如き美貌が屠竜伯の前に立っている。
小首を傾げて言葉で訊ねる、濁り一つない橙色の視線。
何故だか無性に泣きたくなった。子爵邸で初めて目にした時には悦び以外の何も無かったのに、今は問い掛けに答えようとする唇が震えてしまう。
「神、だ」
美しい黄金の竜。優しい主。愛しい存在。
家畜以下の少女を拾い上げた、救いの神。
屠竜伯の答えに迷いは無い。
「竜よ。――お前にとって、奴隷とは何だ」
――神よ、我が神よ。どうして私を拾い上げた。
心の内で叫びを上げる。きっと本当に聞きたかった事はそれなのだ。
だが答えられるわけが無い。答える事の出来る相手は自分で殺してしまったし、訊ねられたとしても恐らく竜の好奇心ゆえ。そこに少女だったニコール個人の価値は関係無い筈だ。
視線を絡めた小さな竜族が口を開く。
「奴隷は奴隷だろう。お前は、おかしな事を聞くのだな」
奴隷とは竜の文化の一つである。
そういうものだ。そういうものなのだ。
竜とは奴隷を作るもの。
奴隷とは竜の生き血を与えられたもの。
奴隷は竜以外には決して負けないもの。
そして竜が奴隷を作るという事は、己の死期を定める事。
「――死期?」
「そうだ」
ざらざらと真っ白な竜鱗が躍る。人型をとった竜族の、唯一その本性の名残りを残す部位。
硬い鱗を避ければ、竜の肉体強度は魔法使いとなった奴隷と変わらない。ゆえに奴隷は主を弑せる。
皆が皆、ずっとそうやって生きてきた。
同族と群れる事の叶わぬ竜族が それでも他者を求めるのなら、代替品として竜以外を侍らせるしかない。竜の無自覚な振る舞いによって壊れぬように、頑丈な魔法使いに作り変えた上で。
力か、恐怖か、口約束か。経緯は何だろうと構わない。
竜殺しは報酬だ。この世で最も恐ろしい化け物、竜族に仕える代償なのだ。
竜にとっての奴隷とは、唯一 己に寄り添う事の出来る小さき者の総称である。
やがてその命を預ける相手。死期を定める断頭台。
同族達と群れる事の叶わなかった大き過ぎる獣が他者を欲した時に縋り付く、妥協と代用の産物。
奴隷に与える代価は、竜殺しとしての余りある栄光。
竜は孤独だ。一人ぼっちだ。だから。
殺されても良いから、傍に居て欲しいと願うのだ。
「お前の竜もそうだったのだろう?」
首を傾げて訊ねる声音は、疑問の体を成していない。きっと確認の言葉でさえ無かった。
だってそれは当然の事だ。竜族にとっては親から教わる、数少ない常識なのだから。
「……最初から、か」
死の間際、最後の最後。真っ直ぐに見つめていた橙色の視線を思い出す。いつも真っ直ぐにニコールを捉えていた、彼の眼差しを憶えている。
そこに篭められた感情が、屠竜伯には分からない。幾度思い返そうと、彼女には主の心が理解出来ない。
欲に駆られて殺した奴隷が、どうして主を理解出来るのか。
「気味の悪い、生き物だ」
虚ろな瞳で空を見上げて、心にも無い言葉を呟いた。
涙は出ない。
ただただ血潮を流しながら、偉大なる英雄が一人ぼっちで笑っていた。




