第三十二話 奴隷が竜を殺した話
白く輝く竜の巨体を前にして、サンゼルに辿り着いた研究員達は思わず見惚れた。
「ぉおおおオ……!」
屠竜伯の命令によって四方の門を通過する予定だった、計四台の輸送用の大型馬車。
屠竜伯の言葉。送りたい品がある、と言って子爵から外壁の内側へと乗り入れる許可を得たものの、許可を出した側からすれば全くの同時に、四方の門に各一台ずつ現われるなど予想している筈がない。
馬車の荷台には頑丈な檻に詰め込まれた実験体が複数。
おおよその到着時刻は子爵を通して門兵へと通達していたが、四門の間に距離がある故に個々の連絡はどうしても時間が掛かる故に、彼等が異常に気付けるはずも無い。同時に一台ずつ馬車で乗り付け、同時に荷台を開放する。
本来ならば街中まで侵入した後に実験体を解放する予定だったが、伯爵の寄越した荷物であろうと、門番仕事の通例として荷物の確認は行なわれなければならない。――そしてその生真面目さが門兵達にとっての不幸でもあった。
開かれた荷台から飛び出す怪物達が兵士達に襲い掛かる。
「なンっ、魔物――!?」
「さ、下がれ、下がれえっ!!」
馬車に乗り合わせた研究員達とて既に後が無い。
明確な侵略行為、犯罪行為。貴族の治める街に攻め込む事も、禁忌とされた魔物の血肉を注いだ怪物達を生み出した事も、此処に至っては誤魔化せる可能性が残っていない。主犯格である屠竜伯の連座どころか、彼等全員が実行犯だ。
だからといって、やらぬ選択肢も最早無い。
従い続けるしかないのだ。あの狂える英雄の下で、外れた道を歩き続けるしかないのだ。
だというのに。
その追い詰められた思考を、ただ姿を現すだけで漂白された。
「――竜だ」
「あれが」
「美しい……」
「何という事だ」
各々、魔法使いを目指した理由は違っただろう。
だが完成形たる魔法使い、竜の奴隷を生み出す存在に意識を向けなかった時は無い。
見惚れてしまう。
なんと美しく、雄大で、神秘的で、絶対的な、あれこそが正に地上の覇者。力の象徴。
「AH――?」
ろくな思考能力を残していない実験体達でさえ、襲い掛かる動きを止めて空を見上げていた。
白竜は身動き一つしない。
ただただサンゼルの街を覆い隠すように その大き過ぎる身体を丸め、街の一角へと視線を注ぎ続ける。
竜の眼下で戦い続ける、己が奴隷の姿を見守るだけだった。
かつてニコールという女が居た。
彼女には両親が居らず、真っ当な教育も受けぬまま、引き取った親類の下で拙く働き続けるだけの、頭の悪い少女だった。
文字は読めない。己の名前を書き記す事も出来ない。物憶えも凄く悪い。愚鈍で、不器用で、いつもいつも任された仕事を失敗しては親類に叱られ泣いてしまい、汚らしい格好に家畜同然の粗末な待遇。
汚らしい子供だと見下す視線が肌に突き刺さる。役に立たない娘だと唾を吐かれて叩かれた。
何も持たずに生まれてきた少女は、何も得る事が出来ないままに這い蹲って生きていた。
少女にとっての転機は、賊の手によって親類が殺された事だった。
狙われるほど裕福な家庭ではなく、本当に運が悪かったから死んでしまった、という程度の話。彼等に特別な非は無かったが、こういった事件は しばしば発生するものだ。仕方が無かった、というそれだけの言葉で終わる
一人ぼっちになった少女を引き取ってくれるような親切な人間は近所に居らず、醜く薄汚れた彼女の身形では下心ゆえの善意を発揮する者も皆無だった。
彼女には何も無かった。ゆえに出会った理由は偶然に過ぎない。
少女ニコールはその時、己が神に出会ったのだと考えた。
「――奴隷としてならば、このオレが飼ってやろうか」
真っ白に透き通った、柔らかな長い髪。
燃える夕暮れ時の太陽、橙色に揺らめく瞳。
好奇心のみで純粋に輝く、深い笑みを刻んだ天上の美貌。
黄金に輝く竜鱗を身に纏った、人型の竜が彼女を拾い上げたのだ。
血を受けた際の激痛など すぐに忘れた。
より多くを知る事が出来るからと、美しい主は彼女を冒険者と呼ばれる立場へ引き上げる。その最初期から既に魔法使いとしての自覚があった故に、冒険者を名乗り始めたニコールは瞬く間に優れた成果を叩き出し、その名が知られ姿を知られ、やがて二つ名を賜った。
新たに得た名は『奴隷』という。
冒険者ニコール=スレイブ。
いとも美しき男の傍らに侍り、奴隷として傅く彼女を表す二つ名だ。
その時の少女はまさしく人生の絶頂期にあった。
目を背けるほどに汚らしく、誰にも求められぬ、家畜にさえ劣るほどに無価値な少女は最早何処にも居ない。
此処に居るのは勇ましき冒険者ニコール=スレイブ。
ああ、素晴らしい。ああ、誇らしい。もっと、もっと私を誉めそやして欲しい。もっと偉くなりたい。もっと美しくなりたい。もっともっと、誰よりも強く誰よりも上に、誰にも蔑まれぬほどの圧倒的な輝きが欲しい――!
有象無象の冒険者が噛み付いてくれば力をもって叩き伏せ、魔物が現われたと聞けば出向いて残らず殲滅した。魔法があれば負けはしない。竜の奴隷に打ち勝てる存在など、この地上において主である竜族以外には居ないのだから。
望めば望むほど、あらゆる欲望が満たされた。
何処までも上り詰められると思ったのだ。誰にも下に見られる事の無い、誇れる自分を手に入れたと思っていた。
思って、いた。しかし人の欲望には際限が無い。
人並み以下であったニコールは、既にかつての彼女ではなかった。冒険者としては二つ名さえ得られて、だけどそれでも、足りていない。
自分を見下す誰かが居る事が許せない。誰も彼もに褒めて欲しい。
嫌だ嫌だと、子供のように駄々を捏ねる。
誰であろうと、一人残らず己を認めるべきなのだ。もっと欲しい。もっと、もっとと――際限なく欲しがった。
かくして少女は竜殺しを敢行する。
王都に出向いて宿を取り、眠る主に刃を突き立てた。
少女を救ってくれた相手だ。誰一人見向きもしなかったニコールを拾い上げ、人並みどころでない、過剰な幸福を与えてくれた、彼女にとってたった一人の神様だった。
「でも、わたしはもっと欲しいんだよ、――御主人様」
それでも膨れ上がった欲望が彼女を突き動かす。
例え一生の恩人が相手であろうと、飢えに飢え果てた彼女にとっては関係無い。
心臓に刃を突き立てて、噴き上がる血飛沫が少女を濡らす。美しい彼の存在は末期の血の味さえもが甘露であった。
悲鳴か怒号か、どちらとも知れぬ絶叫と共に、人に化けていた姿が解れて歪んだ。
その本性を現わした黄金竜が思わず城を踏み潰し、血反吐を吐き散らしながらの末期の咆哮は、地上における絶対者の存在を王都の全てに知らしめる。
瓦礫の戦場に一人で立ったニコールを、あらゆる視線が捉えていた。
もっと見ろ。もっとよく見ていろ。そう心の内で絶叫しながら、絶頂するような悦びと共に竜へと向かう。
最後の最後、事切れる瞬間に至るまで。
ニコール=スレイブの美しき主は、己が奴隷の嗤う姿を一心に見つめ続けていた。
叩き潰すように振り下ろす大剣。
宙を舞う瓦礫を更に細かく吹き飛ばし、真っ直ぐに襲い来る白刃が同色の長剣によって受け止められた。
篭められた力、振り下ろす素早さ、豪剣の一撃に伴って戦場に突風が吹き荒れる。
「この、馬鹿力、めっ!」
「真っ向から受け止められたのは初めてだぞっ、ベェエイブッ!!」
屠竜伯の叫びによって周辺大気が揺さぶられる。
空間を渡って伝播される細かな振動が、近距離で白い大剣を受け止めているジョージの鼓膜を強かに叩きのめした。
常人ならば鼓膜が弾け飛ぶだろう、屠竜伯の口から吐き出された大音量と、歪なまでに不規則な空気の振動波。魔法でもって強靭な肉体を得ているゆえに痛みだけで済んでいるのだ。叫ぶだけで発動する その魔法の簡便さに歯噛みして、ジョージもまた魔法を使う。
長剣を握る手の甲から僅かに浮いた位置、大気が揺らめき蝋燭ほどの小さな灯りが生まれた。
皮を解して血肉を溶かす、対有機性の火毒を目にした屠竜伯が鼻で笑う。
「――その程度では、つまらんぞっ!」
剣と剣で鍔競り合う拮抗状態。互いが弾き合うように刃を振るう。
ジョージの握る長剣の鍔を越え、刃に届き、燃え続ける火毒の灯りが竜族の巨体で暗く染まった街中で仄かに輝いていた。
そして再度両者が激突する。
「ふうっ!」
「ぜあ!!」
一合、二合。刃同士の接触に際して火毒が屠竜伯の大剣に乗り移ろうと蠢くが、連続で振り回される剣速に伴い無残に散らされる。
屠竜伯が街の歩道に足裏を叩きつければ、対面のジョージに向けて、無数の刃が整備された石畳から形を変えて襲い掛かった。
ジョージは回避の為に地を蹴って、宙空にて更に空間を蹴り飛ばし、上空から屠竜伯に向けて長剣を薙いだ。振るう剣身に灯った火毒に大きく息を吹き付ければ、何らかの可燃物を追加されたように強く燃え盛る毒炎が眼下に立つ屠竜伯の全身を包み込む。
猪の魔物が用いる火毒。僅かに掠めただけで肉と皮が溶けて致命的な傷を負うのだから、大剣以外の武装を持たない屠竜伯に完全な防御は不可能だった。広範囲に広がった炎が迫り、直撃までの時間は僅か数秒ほど。
「だが、ぬるい――!」
轟剣一閃。
振りかぶられた大剣が不自然なまでに鋭い突風を巻き起こし、炎を巻き上げ、更に奥のジョージに向かって重苦しい衝撃を叩き付けた。
全身を苛む鈍痛と僅かな擦り傷のみを得たジョージは宙空を足場に、大気を幾度か足で跳ねて着地する。
「……手札の数が多過ぎるな」
「はははっ、それは お互い様だろうよ!」
魔法を使えば魔法をもって防がれる。何を行おうと別の手段で凌がれてしまう。
このまま続ければ細かな差異も生まれるだろうが、総じて見れば千日手。
「何が狙いだ、ベイブ・ミラー」
見上げれば白い巨体が二人を、正確には己の奴隷一人を見下ろしている。
人里で竜族の本性を曝け出すなどという暴挙。このように目立つ行動をとれば、後々必ず彼等にとっての不利益を呼び込むだろう。人にとっても国にとっても、竜族の存在はそれだけ大きい。
この街の領主に対してどのような言い訳をするつもりなのか。
竜と己等の無関係を装ったとしても、それが通ると信じているのか。
此度の行い、どう考えても得られる利益と損失が釣り合わない。
「私を殺したいのならば竜が手ずから行えば良い。街を襲う実験体の心配をするのなら他に協力者が居なければ手が足りない。――お前は何を望むのだ?」
竜の奴隷が望めば、何だって出来る。
人のような悪意を有さぬ竜族は、奴隷が望めば素直にその願いを叶えるだろう。屠竜伯を殺したければ一度敗北を喫しているジョージよりも、主である竜族が動いた方が確実だ。
今現在サンゼルの街を襲っている異常事態への対処ならば、屠竜伯を押し留めるジョージ以外に怪物達への対処を行うために更なる人員が必要なのだが、事が起こって以降の短い時間では、事情の説明と協力の要請には到底 間に合わなかった筈だ。
彼等の行動は非効率的だ。
ならば何故そんな手段を選んだのか――。
「特に、考えて、いない!」
「……は?」
白の長剣が振り下ろされる。
大剣で一撃を薙ぎ払い、反撃を行おうと刃を翻せば、剣の柄を握る右手を包んだ空気が邪魔をする。
長剣を握らぬジョージの片手、屠竜伯へと向けられた掌が彼女の右手と、その周囲の空気を固定して反撃を制止していた。
再度空気を切り裂き迫る長剣を躱して、一度距離を取ろうとしたが右手が掴まれたままでは動けない。
「分からぬ奴よ。本当に獣のようだな、貴様はッ!!」
「鏡を見ろと言っておくさ、この野獣めっ!!」
屠竜伯の真っ白な髪が蠢き、その奥から金色の輝きが飛び出した。
攻撃のために振りかぶった長剣を防御に回し、硬質な金属音を鳴らして受け止めた筈の金色が、更に蠢き形を変える。受けても弾いても、次から次へと襲い掛かってくる。
どこかで見たような動きだった。どこかで見たような輝きだった。
「竜の――!」
角のような、爪のような、鱗のような、翼のような、その輝き。
真珠層のような複雑な色彩を宿すキッドマン屠竜伯の白い髪、豊かな頭髪の奥に隠されていた黄金色の竜の角が幾度も形を変えながら、ジョージに向かって その切っ先を伸ばしてくる。
人であるのか、竜であるのか、これでは全く分からない。
魔法を使うという点では竜の奴隷と変わらない。
だが独特な彼女の髪の色、今 目の前にある小さな主の有する竜鱗の如き謎の器官。目の前の女が本当は何者であるのか、答えを探しながら長剣での迎撃を続ける。
「その剣はな、私の『主』の骨から削り出したものだ」
屠竜伯の屋敷の私室にある玉座。
屠竜伯の身に付けた白い耳飾り。
サロモン子爵に贈った骨製の筆。
そして今、彼と彼女の振るう武器。
「お前の殺した相手だろう、何故こだわる!」
金の竜鱗を受け流しながら発した苦し紛れの問い掛けは、意識せずとも罵倒に近かった。
魔法使いであるという事と、ニコール=スレイブの二つ名。状況証拠に過ぎないが、二十年前に屠竜伯が討伐した竜族が彼女の主なのだろう事は、情報を又聞きしたに過ぎないジョージにも察せられた。
主を弑逆して得た、竜殺しの英名。
名も、爵位も、今ある全ては反逆の成果だ。竜を殺せる可能性に気付きながらも それを選びたくないと結論を下したジョージには、現実として殺す事の出来た屠竜伯の感情が分からない。
「殺して、肉を喰った。血を啜った。気が付けば私は、――主のように成っていた」
真っ白に透き通った、柔らかな長い髪。その身を包み込む、黄金に輝く竜鱗。
竜の血を受けて魔法の力を得た時とは大きく異なり、彼女は彼女の神に準じた姿を得られたのだ。
名声が欲しかった。誰かに認められたかった。他者を見下す事で己を誇れると、そう思っていた。
だが、すぐに飽きてしまったのだ。
身を焦がすような欲に駆られて、至上の名誉たる竜殺しの名を欲し、救いの神さえ その手で殺した。
そこまでして欲しがった癖に、手に入ったものは過ぎ行く時と共に急速に輝きが色褪せていく。
あんなに欲しかった筈なのに。あの美しい主を殺してまで欲しがったのに。
手に入れたものに価値が無いというのなら。
ならば本当に欲しかったものは何なのだろうか。
「今の私は、一体何が欲しいのだろうな――?」
白痴のように虚ろに笑う白髪の女の、その背中から黄金の翼が広がった。




