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どらすれ  作者: NE
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第三十話 竜が声を上げる話

子爵邸から帰還したジョージを待ち受けていたのは、もぬけの殻となった宿の自室であった。


「もう少しゆっくり寝ていても良かったんだぞ……!」


主の姿が見えない。

ありのままの現実を認識したジョージの脳は混乱に見舞われた。


寝ている間にちょっと行って帰ってくるつもりだったのだ。喧嘩を売った相手が予想以上に強く、その後エリザに傷の手当てをして貰った事で予定外に時間が掛かってしまった。

空は既に暗くなっており、夕暮れ時を通り越した夜間と言えよう。もしも目を覚ました主が外出したと仮定すれば、あの野生動物にサンゼルの街の土地勘があるとは思わない、何処に向かったか予想もつかない子供一人を捜索する事は至極困難だ。


――知り合いの冒険者に協力を頼んでみようか。

過ぎった思考を採るべきか否か、僅かに悩んだ。


二つ名持ちが子守の真似事かと笑われるのは構わないが、御主人様はあの見た目である、人に変じた竜族であるなどという驚きの真実を見抜ける狂人など居ない筈だが、ありもしない出自の裏を嗅ぎ回られては困った事になるかもしれない。領主の膝元だが、人攫いに身を(やつ)す無頼者が冒険者連中に混じっている恐れも完全には拭えなかった。仮に居ても返り討ちなのだが。


頭を振って、不安を忘れる。考えるよりも先に動くべきだ。


「エリザに頼めば楽なんだが……」


一月(ひとつき)以上前から完全に子爵邸に腰を落ち着けてしまっている彼女に

対し、夜間に屋敷を訊ねて人探しを依頼するなど、流石に無遠慮が過ぎる。既に冒険者と呼ぶことさえ憚られる立場なのだ、今回の件では竜族を相手に身の危険を心配する必要性が薄い分だけ、他者に負担を押し付ける事には抵抗があった。

対人関係の能力には秀でた、人に好かれるエリザならば すぐにでも信頼出来る複数人を呼び集められるのだが、ジョージ個人には そこまでの人徳も人を見る目も備わっていない。思わず零れた先の呟きは、所詮 戦うしか脳の無い男の無いものねだりである。


かの少年がベイブ・ミラーの同行者であるという事は宿泊予定を記帳した際に知らせてある。白尽くめの衣服に あの目立つ容姿だ、顔馴染みである宿の人間に聞けば分かるだろう。

一先ずの方針を胸に決めたジョージが部屋の扉を開け、さて従業員が常時 居座っている一階へ向かおうという段に至り、急ぎ歩を進める彼の背中に声が掛かった。


奴隷(ジョージ)


いつもの白い帽子を頭に被った少年が奴隷の名前を呼ぶ。


「……ああ、うん。居たのか」


出鼻を挫かれるとは この事か。探すつもりだった相手が背後から、先んじて己を見つけてしまうとは情けない。

彼が部屋に居ないと理解した瞬間から色々と考えていたというのに この始末。心配していたからだとしても少し先走り過ぎたか、と今まで悩んでいた自分を恥ずかしく感じた。


何はともあれ、これで万事異常なし。小さく安堵の吐息を漏らし、小さな主に向かって歩み寄る。


奴隷(ジョージ)

「……うん?」


腹部に顔を埋めるように、何故か御主人様が抱きついていた。


互いの身長差はそれなりのもの。丁度少年の頭が腹の辺りに届く程度。

抱きついたまま身動きをしない主の頭、白く大きな帽子の丸さだけがジョージの視界に映っている。


何が起こっているのか全くもって理解出来ない。


どうしてこうなったのだろうか。思わず首を傾げて、帽子越しに小さな頭を撫でた。

会いたいと願った同族が居らず、赤ん坊のように身を丸めて震えていた姿を思い出す。


――寂しいのだろうか。


目の前の竜族は、幼い子供は、自身が一人ぼっちである現実を悲しんでいるのだろうか。


ジョージは鈍感な男だ。

実の弟が抱えていた鬱屈とした想いも、その奥底に秘められていた本心も悟れずに。純粋な好奇心からジョン・ミラーに擦り寄った小さな主が偶然にも彼の本音を掘り出せなければ、きっと兄弟の間には より深い溝が生まれていただろう。

故郷を出奔してから五年の間 共に在り続けた相棒の婚約話を、当の本人から聞かされるまで全く気付く事が出来なかった。相手の事情を考慮せずに愛の告白をしようなどと考えていた、空気の読めない男なのだ。


だからジョージには分からない。目の前の小さな竜が何を考え、何を欲しているのか、どうしてあげれば良いのかが分からない。

だけどそれは、ジョージに抱きついたまま身動きをしなくなった彼自身も分かっていない事だった。


竜は孤独だ。竜族の生涯は己一つで完結する程度のものだ。

獣同然の暮らしを営み、ただそれだけで生きていられた頃には欲しがらなかっただろう。白竜の周りにある物は全て残らず、食らうべき餌か或いは只の景観だった。

知恵など持たなければ、好奇心など生まれなければ、己以外の全てに対し特別な価値を認めさえしなければ、竜族というものは ただ生きるだけで満足して終わっていたのだ。終わる事が出来ていたのだ。


獣にとって感情など余分なもの。

欲求の全ては生存に関わるものだけで事足りる。

それ以上を欲すれば、英雄譚に現われる、悪しき化け物と化すだけだ。


「――」


人間のような喉を使って竜が鳴いた。

酷く小さな、間近で触れ合っている彼の奴隷にしか聞こえないほどに、小さな小さな声だった。


袖口から、襟元から、大きな帽子の(ふち)の影から。真っ白な輝きがジョージに向けて伸び上がる。

人型である少年の、その力以外で唯一 竜を思わせる白色が屈強な身体に絡み付いた。


まるで縋り付くかのように、これは己のものだと主張するように、主が奴隷に手を伸ばしていた。

ただ一頭の竜族が、たった一人の奴隷に対し、竜として己の心を差し出しているようにさえ見えたのだ。


――まるで甘えられているかのようだ。

先程と変わらぬ調子で、帽子越しの頭を撫でる。その自身の仕草が子をあやす父親のようにも思えてしまい、どうにも面映い気持ちが拭えなかった。


白竜アルバスに親は居ない。家族は居ない。

居たのは己のみであり、今 有るのは ただ一人の奴隷だった。


ブリス村という小さな箱庭で、母親のような老婆と出会った。姉のような女と接した。遠くて近い、兄のようにも見える男と話をした。それがどういったものなのか、知識はあれども理解が及ばない。それでも竜の好奇心は少しずつ満たされていった。

恋に敗れた少女が泣き喚く様を目にして、竜の奴隷の成り損ないを壊して、花に飾られた街を眺めて。

同族を求めた先で、生まれて初めて空虚な想いを抱える事になってしまった。

寂しいという感情を、生まれて初めて得てしまった。


帽子越しに頭を撫でる、己が奴隷の暖かさを感じる。

この世の全ては余りにも小さい。それは竜族の高過ぎる視点から見下ろせば歴然とした事実。


だが奴隷ならば別だ。

竜の奴隷は人間だろうと それ以外だろうと、小さき者達の常道を外れるモノ。

そういうものなのだ。

そういうものだと、白い竜族は親から教わった。


竜とは奴隷を作るものだという事。

奴隷には己の生き血を与える事。

奴隷は竜以外には決して負けない事。

そして竜が奴隷を作るという事は、己の死期を定めるも同然の行いだと。


かつて地上に在った神々のように美しい、人型を為した竜であれば、奴隷の手によって(しい)する事も可能である。事実 古き時代から数多くの『奴隷』達が竜殺しを成し遂げて、歴史に その名を刻んできた。

竜族としての名残りを残す無数の鱗さえ避けてしまえば、肌に拳を撃ち付けて痣を残す程度は容易い事。その生命を奪うにしても、巨体を相手にするよりはずっと楽だ。


燃え盛る村の中で、ジョージはそれが出来ると考えた。

二十年前のニコール=スレイブは、事実それを成し遂げた。


甘えるように。縋るように。

奴隷の腹に顔を擦り付けている小さな竜は、己を殺せる相手の前で、本当にただの子供のように、ずっと無防備な姿を晒して鳴いていた。

やがて鳴き疲れた彼が寝入ってしまうまで、誰も邪魔する者は居なかった。

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