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どらすれ  作者: NE
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第二十八話 竜殺しが企む話

サロモン子爵邸の一角が奴隷二人の争いによって倒壊し始めていた正にその頃、寝台の上で身体を丸めたまま寝付いてしまっていた小さな竜族が目を覚ました。

袖口や襟元、衣服の隙間から野放図(のほうず)に広がった白い輝きを寝惚け眼で布地の内側に納めると、そこでようやく自身が宿の一室に一人きりである事を理解する。


冒険者用の、複数人が寝泊りできる大きさの部屋だ。室内に大きな遮蔽物が無いため、周囲を僅かに見渡せば それだけで己以外に誰も居ない事が知れてしまう。

少年が小さく首を傾げた。


己の奴隷が居ない。


鼻腔から大きく息を吸い込み、室内に漂う薄まった彼の残り香を計算材料に、この部屋から姿を消した大よその時間を逆算する。さほど時間は経っていない。それを理解して瞼を擦る。

寝台から立ち上がり、身体を覆っていた毛布を床に落とし、外へと続く扉に手を掛けた。


室外に伸びる廊下は窓から差し込む夕日で赤く染まり始めており、突き当たりの階段を下って一階へと到着すれば、宿を取るために訪れた客達が疎らに見えた。


その中に、何故か見知った姿があった。


「――あら、アルバスじゃないかしら?」


護衛役としてロバート一人を引き連れた子爵令嬢、ペネロープである。


屠竜伯のサロモン子爵邸来訪に際し、婚約破棄以降は両家の関係が拗れて断絶状態にある筈のウィンダスト家の御令嬢が元婚約者の膝元に居座っている事実を他の貴族家に知られては、無駄に内情を勘繰られる可能性がある。

それ故に彼女は昨日まで滞在していた子爵邸を辞し、屠竜伯の目に留まらぬよう、冒険者御用達の宿屋を一時的な逃げ場とするために足を運んだのだ。


冒険者が数多く宿泊する都合上 問題事も起こりやすい場所なのだが、神経の図太いペネロープは気にしない。本来ならば貴族の御嬢様が宿泊するには そぐわない場所であり、だからこそ彼女が此処に居ると察せられる人間は限られる。

二つ名持ちの冒険者であるベイブ・ミラーが馴染みの宿として利用していたのだ、護衛として常にロバートを侍らせておけば早々不味い事にもなるまいという判断もあっての事だ。


「ペネロープ」


失恋した小さな雌だ。というのが彼女に対する竜の認識である。

交易地での自棄食いで余った食料品の大量消費に関連付けたが故の記憶力ではあるが、少年がペネロープ個人の名前を憶えていた事は双方にとっての幸いだろう。


対するペネロープ側、子爵令嬢の名を敬称抜きで呼び捨てた事に関しては、公的な場では無いのだからと聞き流した。

そもそも失恋を指摘されて泣き喚いた挙句、その後の自棄食いする姿まで見られているのだ。個人としての感情に限って言えば、ペネロープのアルバスに対する心理的な距離は近い。内心で、これはもう友人関係なのでは無いかしら、などと考える、友達の少ない御嬢様だった。


「貴方一人なの?」


基本的に二人一組で行動していた主と奴隷。

少年の傍らに冒険者ベイブ・ミラーの姿が見えないという事実は、常に護衛役を傍に置いている彼女にとっては不可解な状況だ。


彼等の正確な関係性などは知らないまま、しかしペネロープよりも年下の子供を一人で放って姿を消すとは、この街が領主の膝元ゆえの治安の良さを誇るとしても、少々警戒心が足りていないのではないか。そんな事を考えた。


「……もし良ければ、一緒にどうかしら?」


お節介と見られるかもしれない。

しかし一人ぼっちの少年を放置する事を嫌った少女は、多少の緊張感を抱きながらも食事の席へと彼を誘った。


寝起きの獣が食べる機会を逃す筈もなく、護衛のロバートを含めた彼等三名は配膳されてくる夕食を待ちながら、宿の一室にて仲良く会話する機会を得たのだった。



元相棒たるエリザに傷の手当てをされながら、無数の傷と泥に塗れたジョージは不貞腐れた表情で座り込んでいた。


「ジョージが負けるところ、初めて見ちゃった」


努めて暢気な様子で話しかけるエリザに対し、大人しく治療を受けているジョージは何も言わなかった。

まるで子供だ。そんな元相棒の姿に苦笑したエリザは、それでも手と口を止める事なく手当てを続ける。


ウィンダスト家の御嬢様を避難先の宿まで案内していたエリザが屋敷に戻ると、帰宅先で目にしたものは荒らされ放題となった無残な中庭の様子だった。

庭木は残らず薙ぎ倒され、乱雑に捲れ上がった土と芝生が辛うじて花壇を避けて屋敷の景観を染め上げる。

魔物であろうと ここまで執拗には荒らさないだろう。出立前と今では屋敷の有り様が一変しており、驚きから口を大きく開けて呆けていたエリザを正気に戻したのは、異常事態を察知して屋敷に常駐している衛兵達を引き連れて来たリック・サロモン子爵の姿だった。


原因の半分を担うキッドマン屠竜伯は、非常に楽しそうに笑いながら「冒険者同士の挨拶だ」と強引に押し通し。

元凶となったジョージ=ベイブ・ミラーは、泥だらけの姿で地面の上に転がっていた。


エリザは、幼馴染のジョージが負ける姿を初めて見た。

戦い続ける限り、生涯無敗と行かないのは当然だ。きっと彼女の知らない場所で幾度も敗北した経験があっただろう。

それでも衝撃的な場面だった。


同じ冒険者としてジョージが誰かに負けるなど、今の今まで一度も想像出来なかったというのに。世に名高い竜殺しの英雄が相手だとしても、敗北が当然である実力差があろうとも、それでも彼女は心の底から驚いたのだ。


上には上が居る。

それは当然の事だったが、エリザはジョージなら負けないのだと思っていて、今でも本当に負けてしまったのかと心の何処かで疑っていた。


かつて両親が生業としていた冒険者。自分もそうなろうと志したは良いが、己一人では生き残れないだろう。そう直感したエリザが目を付け声を掛けた、とても頼りになる幼馴染。ジョージにとってのエリザが己の狭苦しい世界を広げてくれた女神様だとすれば、エリザにとってのジョージは己の漠然とした夢や憧れを実現してくれた生き神様だ。


信頼していた。信仰していた。彼は絶対に負けない人なのだと、一人で思い描いて身勝手な理想を押し付けてさえいたのかもしれない。


「悔しいなあ」


既に相棒関係は解消している。

言うべきではないし、言える資格など持っていない。それが分かっていても尚、他人事に過ぎない筈の此度のジョージの敗北が、サロモン子爵夫人となる予定のエリザにとって、酷く悔しく苦いものに感じられたのだ。


「……次は勝つさ」


今まで黙っていたジョージが、独り言のように呟いた。


勝手に憤って、一方的に喧嘩を売って、負けた挙句に庇われた。

貴族に喧嘩を売って貴族の家を破壊して、だというのに屠竜伯のただ一言で御咎め無しだ。


腹立たしい事だ。溜め込んだ怒りを吐き出しきれず、一泡吹かせる事さえ叶わず、男としての矜持(きょうじ)が傷付いた。竜殺しの英雄が一筋縄ではいかない相手だと予想してはいたのだが、だからと言って敗北の結果に喜べるわけが無い。

同じ冒険者であり、同じ魔法使いであり、真っ向からぶつかって負けた相手だ。

言い訳のしようも無い敗北だ。

このざまで、宿に戻って小さな主に何と言えば良いのか。


「……うん。そうだね、次は勝ってね。私は何も出来ないけど、ジョージの事、すっごく応援してるから」


肌を汚した泥を拭って、丁寧に傷の手当を繰り返すエリザ。

柔らかく微笑んで激励の言葉を贈る姿にジョージの胸は暖かくなり、次いで目の前の女性が別の男と婚約済みであるという現実を思い出して気が沈む。


「ああ、勝つさ。勝つとも。勝ってやる。……ちくしょう」


口早に再戦の決意だけを吐き出すと、ジョージは屋敷の天井を仰いで最後に小さな悪態を付け加えた。

それさえも彼の内心を知らない元相棒にとっては屠竜伯に対する戦意の表れでしかなく、手当てを続けるエリザから視線を逸らしたジョージは拗ねたように瞼を閉じる。


まるで冒険者時代に戻ったかのような穏やかな時間が、今少しの間だけ、二人を包み込んでいた。



ジョージとの喧嘩で僅かな手傷を負った屠竜伯は、サロモン子爵を相手に形だけの謝罪を行なっていた。


「壊れた屋敷と庭の修繕費はこちらで用意する。必要ならば、職人もな」

「それには及びません。屠竜伯に対してそのような――」


上機嫌に笑う屠竜伯に対して、サロモン子爵は過剰なほどに取り成した。

それも当然、相手は貴族としても個人としても圧倒的な格上だ。相手方に明確な非があるゆえ正式に非難する事は可能だが、既に味方が減り尽くしているサロモン家の現状を考えれば、数少ない親交のある伯爵家との間に溝を作る事は全力をもって避けなければならない。

下手(したて)に出過ぎて(へりくだ)っているという印象を相手に与えようとも、サロモン家と己に仕える者達を守るためには率先して頭を下げる。些か気弱過ぎる選択だが、事実として他者を下に見る事の出来ない半端な立場、己一人が恥を掻いて終わるのならば安いものと考える子爵。


恥を恥と思わぬ若さゆえの勇み足、守りの姿勢。対する屠竜伯は笑って受け流した。


「こちらに非があり面子もある。修繕費程度は受け取って貰いたいのさ、子爵殿」

「それは……っ、はい。」


立場が弱かろうと虚勢を振り絞り、居丈高に振舞うべき時がある。家格に見合った誇りが陰れば、相手に舐められてしまえば、貴族などという職業は立ち行かない。


礼節とは、上位者の非に目を(つむ)る行為にあらず。

かつては子爵とて、道を誤った実父相手に為せた事だ。相手が子供心に憧憬を覚えた英雄だからという理由だけで常に道を譲っていては、何時 弱みを握られ食い潰されても おかしくはない。


そんな事だから付け込まれる。


「そういえば子爵、貴方方の挙式は何時だったか」

「えっ、はい。式の準備そのものは終えておりまして、招待客の予定に沿う形で執り行おうかと」


わざとらしく話題を変えることで、今までの話は終わりだと言外に告げる屠竜伯。

目上の相手が望む事だ。新たな話題に追従する子爵もまた、質問に答える形で笑みを取り戻した。


「既に運んである物とは別に、貴方方に送りたい品があるのだ。取り寄せるには数日掛かるが、是非、受け取って欲しい」


本当に嬉しそうに笑う白髪の女が、返す子爵の言葉を聞いて更に笑みを深める。

疑う事を知らぬかのように純朴な様を見せつける青年を相手に、心中濁り切った大人がとても表に出せないような悪巧みを思い描く。


事態が大きく動くのは、この日から数日後の事だった。

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