第二十三話 冒険者が再会する話
鬱蒼と茂る深い森を抜け、突然の雨によって増水した川を越え、歩き続ける事おおよそ七日。ようやく辿り着いた目的地、サンゼルの街に足を踏み入れたジョージ達を出迎えたのは、謎の気炎を上げるウィンダスト家子飼いの冒険者、ロバートの姿であった。
「待ってたぜえええっ、ベェェェエエエイブ!!!」
徒歩で歩き続けて やっと目的地に辿り着けたジョージとしては非常に煩わしく、真っ白な衣服に付いた泥汚れを頻りに擦って不快な染みを落とそうと励む幼い少年にとっても間が悪い。
王都の主要道路に転がる馬糞を目にした時のような嫌悪の視線をロバートへ向けて、ジョージは主の手を引いて かつて利用していた馴染みの宿を真っ直ぐに目指した。
「おい。待てよ、ベイブ、無視すんな。てめえ俺に言うべき事があるんじゃないか?」
「何も無いな。悪いが疲れているんだ、明日にしてくれ」
「てめえが俺に報告押し付けたせいでなあ――っ!」
予定外の事態に直面し、馬車ではなく徒歩でサンゼルに向かっていたジョージ達。
森で道に迷った時間を差し引いても、真っ当に馬車を利用して進んだロバート達の方が先にサンゼルに着いていたのだろう。到着の時間差が如何程かは不明だが、その期間中ずっとペネロープの護衛に徹していたとすれば、成程、御嬢様の子守によって心労を積み重ねたロバートがジョージを責め立てて気を楽にしようと考えてもおかしくはない。
滅んだ村の報告を強引に押し付けた件もある。彼が心労の捌け口にジョージを選んだとしても、それを完全な八つ当たりだとは言えなかった。
だが、それと これとは別である。
「ロバート、俺達は疲れてるんだ。まずは休ませてくれ」
「それはお前らを見れば分かる。安心しろ、サロモン子爵が屋敷に一室用意してくれてるぜ!」
面倒臭いから適当にあしらって宿へ向かおう。そう考えていたのだが、ロバートの言葉を聞いたジョージの足が びくりと震えて立ち止まる。
リック・サロモン子爵。
子爵邸が建てられた此処サンゼル周辺を領地とする、サロモン領の新たな領主。
ジョージの元相棒であるエリザを妻に迎える予定の、ある意味ではジョージの恋敵だ。
「リック殿、――ではなく、子爵が?」
先立ってのサロモン子爵家における当主交代劇を支えた冒険者こそがジョージとエリザである。
実父を追い落とした彼の内心が如何様なものかは さて置き、新たにサロモン子爵家の当主を襲名したリック・サロモンにとって、冒険者ジョージ=ベイブ・ミラーは恩ある相手。己が膝元に訪れた恩人を屋敷にて持て成そうという考えは そこまで可笑しなものではない。
しかし、リック・サロモンの住まう屋敷ならば、未だ挙式前とはいえ彼の妻となるエリザも そこに居るだろう。
それは、凄く、気まずい。
「……悪いな。今日はまず馴染みの宿に顔を出すと決めているんだ。だから非常に申し訳ない事ではあるのだが、子爵にはまた明日必ず顔を出すからと所謂一つのそんな感じでお前の方から丁寧な言葉に直してきっちり正確に或いは遠回しな表現で伝えておいてくれないか。 ――頼むよロバート!」
「お、おう。すまん、早口過ぎて分からん」
故の必死の抵抗である。
今のジョージには、貴人に対する礼儀などを考えている余裕が無い。
結婚する元相棒に顔を見せに行かなければ、と考えてはいたが、いざ会いに行こうとすると腰が引ける。
エリザはジョージの恋心など気付いてもいない。それは彼女の夫となるサロモン子爵も同様だ。
互いに心が通じ合っており、晴れて身分の差を乗り越え結ばれようとしている二人に対して、今更 横槍を入れる気にもなれない。ジョージの葛藤は完全な独り相撲であり、しかし、だからといって開き直るには早過ぎる。
「……時間がな、必要なんだよ、うん」
「よく分からんが、お前も事情があるのか?」
不明瞭なジョージの物言いに対し、その言葉通りに何を言っているのか よく分かっていないロバートが、不思議そうな顔で自身の茶髪を掻き混ぜた。
ジョージの勢いに押されたのだろう、当初の激情が嘘のようだ。いや、単に呆れているだけとも言えたのだが。
「宿はまだか?」
手持ち無沙汰に服の裾を弄っていた小さな主が訴える。
己の白い衣服に落ちた泥染みが大層 気になるのだろう、街に辿り着く以前から洗濯をするのだと声を上げていた。
道の半ばで目にした川は雨で増水しており、とても衣服の汚れを落とすには適さない。布地を綺麗に保つ魔法でもあれば良かったのだが、魔法も そこまで利便性に富んでいるわけでは無いらしい。
ああ、そうだな。すぐに宿へ行こう。
――とジョージが口にする前に、更なる人物が彼等に声を掛けてきた。
「待っていたわっ、ベイブ・ミラー!」
呼び掛けを耳にしたジョージとロバートの顔が、揃って歪む。
男三人が視線を向ければ、そこに立っていたのは子爵令嬢ペネロープ・ウィンダストだった。
また面倒臭いのが来た、と考えるロバート。
このままだと もっと増えそうだな、と不安に思うジョージ。
早く衣服を洗濯したいアルバス。
この場に駆け付けたばかりのペネロープは彼等の感情を一切斟酌する事無く、何処ぞから走って此処まで来たのだろう、僅かに息を弾ませながら甲高い声音を張り上げた。
「お兄様が貴方から直接 話を伺いたいと仰られていたの! すぐに御屋敷に行くわよ!」
「オレは宿に行きたい」
「俺も宿に行きたいんだが」
「俺は御嬢様とは別の街に行きたい……」
ペネロープが口にしているのは交易地から僅か一日の位置に在る、火に包まれて滅んだ村の一件だ。
兄貴分であるサロモン子爵の役に立とうと奮起する御嬢様を前にして、竜族の少年は服の洗濯を優先し、ジョージは元相棒に会うための決意が未だ固まらず、ロバートは誰の耳にも届かないよう密やかな声で希望を告げる。
それぞれの意見を順番に聞き届け、大仰に頷くペネロープは舞台上に立つ劇団員のように大袈裟な仕草で片腕を振るった。
「ロバートは次の給与を楽しみにしてると良いわ!」
「御嬢様ァ!?」
護衛役の不平不満を しっかりと耳に入れていた地獄耳。彼女が本当に子飼い冒険者の給与査定に手を出せるかは不明だが、愕然として肩を落とすロバートの姿に満足したのだろう。得意気な顔で幾度も頷き、次の標的である幼い少年へと視線を合わせる。
「食事も、お風呂も、寝室も。必要なものは既に二人分を御屋敷に用意してあるわ」
「洗濯は?」
「屋敷の者に頼めば良いじゃない」
「分かった。行く!」
「よろしい!」
そして あっさりと陥落した。
立て続けに話を済ませたペネロープの視線が、残るジョージへと向けられる。
子爵の屋敷に赴く事自体は構わない。しかしエリザに会うには今少しの猶予が欲しい。
どうにか時間を稼がなければ。思い悩むジョージだが、その時 彼の耳に懐かしい声が届いてしまった。
「――ジョージ?」
遠く狼の遠吠えのように、深く耳に残る女の声音が彼の名前を呼んだ。
思わず振り向けば、一人の女性が視界に映る。
僅かに肩に届かない程度の、短い赤毛の頭髪が彼女の動きに従い軽やかに揺れた。
今のジョージが最も会いたくなかった女性だ。
未練がましく幾度も思い返しては涙を流し、再会までの時間を必死に引き延ばそうと足掻いた理由そのものだ。
「えり、ざ?」
「わあっ、久しぶり! 元気だった!?」
懐いた犬猫が飛びつくように、彼女は勢い良くジョージに駆け寄り、彼の手を握って振り回す。
元気一杯の仕草で再会を喜ぶ元相棒を前にして、両手を振り回されているジョージの思考は胸中を駆け巡る激情に翻弄されていた。
ずっと好きだった女性だ。恋焦がれていた相手だ。想いを告げる事さえ叶わぬままに、横から華麗に掻っ攫われたジョージ・ミラーの女神だった。
――もうすぐ結婚してしまう、ジョージの大切な相棒だ。
「えっ、な、泣いてるの、ジョージ? どうしたの、大丈夫っ?」
悲しいのか、寂しいのか、虚しいのか、或いは別の何かだったのか。
自分の感情を明確に定義する事も出来ず、しかし何時も通りにジョージが泣いた。
この場で彼の心配をしてくれる人が事の元凶たるエリザ一人しか居なかったのは、酷くどうでも良い話である。




