第十九話 奴隷が思い至る話
燃え盛る村の手前で停車していた乗合馬車は、乗客達の不平不満を受けながらも、結局その場で一夜を過ごした。
賊も魔物も彼等に襲い掛かる事は無く、昇る朝日を眺めながら安堵の溜息を零したウィンダスト家子飼いの冒険者ロバートは、結局 朝になるまで無事な姿を見せなかったジョージ達の事を考えていた。
確かに、外敵の類が乗合馬車を襲う事は無かった。
だがそれと同時に、燃え盛る村から馬車へと近付く何者も現れなかったのだ。
未だ、火事の現場から生き残った村人の姿を見ていない。村の中で変事の後処理を行なっているのかとも考えたが、村一つが大火に包まれた光景をロバートとて目にしているのに、そんな危険な場所から避難して来る人間の姿が全く見えないのは明らかな異常だった。
「早く戻って来いよお、ベイブ・ミラー……」
御嬢様の護衛をしているロバートの身に、次から次へと余計な厄介事が降りかかってきている。
本当に面倒な事である。自身の現状に対する責任の一切を誰かに押し付ける事も出来ず、せめて謎の大火事に関する問題だけは己より上位の冒険者であるジョージに任せたい。
そうやって我が身可愛さに打算を働かせるロバートの心情は さて置き、一晩 燃え続けた村の惨状は僅かな残り火を揺らしながら、村内ほぼ全ての家屋を黒く焼き尽くして ようやく鎮火しつつあった。
真っ白な硬質の尻尾が風を切って振るわれると、ただそれだけで未だ燃え残っていた家屋の一つが派手に砕け散った。
残り火も諸共 消え失せて、焼けた土の上には半端に焦げた木切れが幾つも転がっていく。
村を徘徊していた怪物達は、既に残らず事切れていた。
ざらざらと異音を鳴らしながら形を変えて衣服の陰に消えていく白竜の鱗を茫洋とした瞳で眺め、精神的な疲労から立ち上がるだけの力も湧き立たぬジョージは一人、かろうじて燃え残った家屋の残骸へと腰掛ける。
僅かな残り火を灯す村の景観の何が気に食わなかったのか、家屋を砕き、辺り一帯の火を消して回る小さな主を見るともなしに見つめていた。
ジョージの視界の中には、事切れた怪物達の死骸が転がっている。
陰鬱な溜息を吐き出したが、その音さえ嫌になって口元を押さえた。
冒険者として、ジョージには賊の類を討伐した経験がある。今更殺人という行為に病的な忌避感を有するわけではない。だが目の前に転がる彼等の扱いに関しては別の話だ。
厚手の布地越しに、己の胸から腹部までを ゆっくりと なぞる。
竜の谷で死を覚悟した あの時、そこに注ぎ込まれる灼熱を感じていた。
噛み千切られた竜族の舌部。唾液に塗れた分厚い肉に刻まれた雑な切れ目から大量に滴り落ちる赤い血の色を、ジョージは確かに憶えているのだ。
身体の内側から襲い掛かる激痛と、痛みの余り涙さえ流しながら絶叫する自身の声。
夢では無かった。
半ば以上記憶から消えかかっていた、理解など到底不可能な一連の行為。疲弊して そのまま意識を失い、目が覚めて以降は傷一つ無い己の身体を見て、夢か幻か何かの妄想かと、極自然に楽な方へと思考の舵を切っていたのだが、現実はそうそう甘くない。
それは夢や幻などではなく、間違いなく現実に行なわれた事だった。
魔法とは魔物の有する肉体的な性質である。竜は魔物では無いと聞いていたが、それは間違いだったのだろうか。
あの時 注がれた竜族の血がジョージを魔法使いへと変えたのならば、つまり原因となった竜族は、アルバスと名乗る彼は、魔法を操る魔物なのだろうか――?
魔物は魔物以外の全ての種族を餌として、自分達を細かな分類によって区別する事無く、魔物同士での共食いは決して行なわない。生態としての魔法を用いて、己にとっての弱者たる他の動物類を食らうもの。
総じて動物のみを対象とした食性を有する魔物とは、だからこそ地上に生きる生物全ての天敵なのだ。
かつてブリス村に滞在していた際、ジョージの母である村長夫人や妹のクリスが作った料理を喜んで口にしていた姿を憶えている。
あの体躯に見合わぬ健啖が、積極的に温かな料理を口にしていた食性が、本来は人間を相手に発揮されるものだったとすれば、まるで今まで目にした全てが偽りのみで形作られていたかのようではないか。
殺されると考えた事はある。
だが食べられるとまで考えては居ただろうか。
自身が、自身の家族が。少年にとっては只の食料だったのだと、そう考えた事が一度でも あっただろうか。
気持ちが悪い。
吐き気がする。
己の中に生まれた疑念と、そうなのかもしれないという可能性が、幼い少年の姿をした竜族に対する生理的な嫌悪感を掻き立てる。
今も村内の家屋を破壊し続けている小さな主を そっと見上げた。
彼に対して、どんな顔をして接すれば良いのか分からない。
どのような対応が正解なのか。自身の抱いた疑念を問い掛けても大丈夫なのか。もしも相手が本当に魔物であったなら、人間の敵だったとすれば、果たしてジョージはどうすれば良いのだろうか。
「どうして、俺が」
どうして、自分は竜の奴隷なのだろうか。
人間社会の案内役としては確かに有用だが、弱者達の作り上げた小さな社会構造なんてものを、絶対的な強者たる竜族が守ってあげる必要など何処にも無いというのに。
竜は、ただ踏み潰せば良い。
知りたい事があるのなら、力で踏み躙り問い質せばそれで済むのだ。どうして人間に扮してまで社会に紛れて生きる必要があるというのか。それさえ知恵有る獣の単なる気紛れだというのなら、彼の奴隷として隷属するしか無いジョージに異論など差し挟めはしないのだが。
「……いや」
軽く握り込んだ右拳を見下ろす。
あの時は激情から咄嗟に殴りかかってしまったが、思い返せば少年の頬は殴られた事による微小な内出血で肌が赤く染まって見えた。
竜の谷で出会った時には、剣を触れさせる事も出来なかったのに。
魔法を使える今、小さな子供に扮しているとはいえ、間違いなくジョージの一撃が主に通じた。少年の頬に刻まれた極小の傷、負傷とも呼べないものだったが、相応の手間を掛ければ殺害さえ可能なのではないだろうか。
思い悩むジョージの視界の中。
何を思ったか、竜族の少年は村の土を盛大に上空へと巻き上げて、勢い良く降り落ちる大量の土砂が燃え残った家屋や地に転がる死骸を覆い隠す。
体躯の小ささを完全に無視した、正に魔法としか呼べない光景。
魔法を使えるというジョージもまた、今までのように単純な怪力だけでなく、彼の竜族と同じように奇跡を行使する事が叶うなら。
――魔物である可能性を有した、あの白い竜族を殺す事も出来るのではないか?
それは竜殺しだ。
英雄の所業だ。
そもそも竜の実在さえ信じていなかったが、あの日 竜の谷に訪れた冒険者ジョージ=ベイブ・ミラーが思い描いていた、地上に生きる者達全てにとっての偉業である。
「馬鹿なっ」
両手で己の顔を覆い、今にも泣き出しそうなほど弱々しい声音で小さく零す。
先程まで考えていた思考を振り払い、浅い呼吸を繰り返して気を落ち着ける。
出来るかどうかは分からない。だが、それを成し遂げられる可能性を真面目に考えたくなどなかった。
見た目通りの、小さな子供のように接してきた。
悪意など知らぬ、獣のように純粋な少年なのだ。
その本質が人とは異なる化け物だと、ジョージとて間違い無く知っていたが、それでも――。
母や妹と共に過ごしていた姿を思い出す。ずっと不機嫌そうな顔しか見せなかった弟が、今まで目にした事のなかった優しい笑顔を浮かべていた、あの別れの情景を思い起こす。
未だ短い時間を共に過ごしただけの間柄だ。
ジョージと小さな主の間に、絆などという名で御大層に持ち上げられるだけの関係なぞ築かれていない。
それでも彼の命を奪う可能性を計算し、算出された未来の成果に諸手を挙げて喜ぶ事など、ジョージには とても出来そうに無かった。
村を一頻り埋め立てて気が済んだのか、御主人様が座り込むジョージに向けて近付いてくる。
このまま大人しく主に殺される可能性と、食料として千切って食われる可能性を脳裏に思い描き、少年に対する被害妄想としか呼べない猜疑心を抱えたまま、特に身構えもせずに出迎えた。
「もう朝だぞ!」
「……そうだな」
互いの横顔を照らす朝日を感じながら、少年の背後にある村内の景色を目に映す。
空高く舞い上げられた土砂は対象を一切差別せずに村の彼方此方を埋め立てて、相応の大きさを持つ家屋はともかく、地面に転がっていた筈の村人や怪物達の死骸は全く見えなくなっていた。
これは後々この村で起きた事態の詳細を探るため検分にやって来るだろう者達が困るだろうな、と他人事のように考えながら立ち上がる。
「馬車に戻ろう」
「分かった」
努めて平然とした態度で小さな主に声を掛け、ジョージは燃える村を離れて交易地へと引き返した可能性のある乗合馬車を目指して足を動かした。
竜族の魔法によって見事に埋め立てられ、先程まで野晒しにされていた筈の遺体の一つも見えない村の景観。
まるで粗雑に拵えられた土砂製の墳墓のような光景に背を向けて、白い竜族の少年は いつも通りの調子を崩さずにジョージの後をついて歩き出す。
その柔らかな頬には、奴隷に傷付けられた小さな痣が、未だ確かな痕跡を残していた。




