第十七話 目的地が燃える話
腰を落とし、攻撃を受け止めるために交差させた両腕へ握り拳を叩き込む。
ロバートが吹っ飛んだ。
腰溜めに構え、全身を撓らせ斬り上げられた大剣の腹を押し退けるように真横へと逸らす。
ロバートが吹っ飛んだ。
「……訓練にならないなあ、これは」
大剣で武装した相手に素手で圧勝したジョージが、呆れたように肩を落とす。
土塗れになって転がるウィンダスト家子飼いの冒険者、満身創痍のロバートは肩で息をしながらジョージを見上げる。
ロバートの頭の中には目の前の男に対する驚愕と尊敬、そして己への失望が渦巻いていた。
――これが『ベイブ・ミラー』か!
食い詰めた貧民共の掃き溜めとさえ称される冒険者の中から這い上がった、本物の強者。
御大層な後ろ盾も持たず、己の腕一つで成り上がった男の力。
充分な食事と休養、正規の厳しい訓練を積み重ねて腕を磨いた、ウィンダスト家子飼いの冒険者でさえ全く歯が立たない。まるで別の生き物なのではないかと思う程の、圧倒的な実力の格差!
自分自身が不甲斐ない。地に膝をついたロバートは歯噛みしながら両手で土を掻いた。
当然ながら、勘違いである。
本来ならば二人の間に そこまで大きな差は存在しない。
確かに現状における彼我の力量は隔絶しているが、それを冒険者として積み上げてきたものの差とは言えなかった。
竜の谷で白い竜族を相手に生き延びて以降、ジョージの肉体は謎の力を発揮するようになっていた。
完全武装であろうとも徒党を組まずには対峙出来ない筈の魔物の群れを、単独にして討伐し得てしまう程。
体格的に同程度の冒険者を相手に、自身は素手のままで汗一つ掻かずに一方的な勝利を収めてしまう程。
冒険者二人の訓練風景を見物していたペネロープは、現状を冷静に観察しつつも声を上げた。
「ロバートったら不甲斐ないわ!」
まさか全く相手にならないとは、彼女とて想像だにしなかった。
口ではロバートを叱りつつも、目の前で行われた両者の遣り取りは、貴族の御嬢様には驚く以外の反応が返せない程の異常事態。拳の一振りで大の男を吹き飛ばせる人間が居るなんて、一体誰が想像出来るというのだろうか。
家から滅多に外に出ず、他家との交流会を除けば家族と合わせて専属の家庭教師や使用人としか関わりを持たない箱入り娘のペネロープですら名前を聞いた事のある冒険者、それがジョージ=ベイブ・ミラーである。
漠然と「凄い」のだろうと考えてはいたのだが、実家で雇っている子飼いの冒険者が手も足も出ないというのは驚愕の一言で済ませて良い事態ではない。
ここまでの差があるのか。
戦闘行為全般に関して明るいわけではなく、冒険者という人種に対しても曖昧な知識しか持っていない彼女でさえ理不尽に感じる光景だった。
貴族の後援を受ける事の出来る恵まれた人間を圧倒した、素人目に見ても優秀過ぎる程に優秀な常識外の実力者が、未だ明確な後ろ盾さえ持たずに個人として活動している。
ペネロープにとって理解し難い話だ。
今すぐにでも父に掛け合い、ウィンダスト家との縁を繋いで貰いたいという損得勘定が働いた。
それを押し留めたのは、今回 己の我が儘に付き合わせてしまったロバートの冒険者としての面目を潰さぬための幼い気遣いと、家中における実権を持たず必要知識にも乏しい自身の判断の是非を確信出来なかったが故。
何より、未だペネロープ個人としてはジョージの人となりさえ知らぬのだ。優秀な人材を囲うためにも決断が早ければ早いほど良いとは頭で理解してはいたのだが、今一つ積極的に距離を詰める気になれなかった。
加えて当人は無自覚ながら、目的がどうあれ失恋直後に別の男に擦り寄る、という行為そのものへの嫌悪もあったのだが、結果が変わらないのだから これは然して重要な情報でもない。
肩を回して身体を解すジョージと、緩慢な動きで立ち上がるロバート。
己の思考に捕らわれて口を噤んで黙ってしまったペネロープの隣で、己が奴隷の仕上がりに不満気な顔を見せる竜族の感情を察せられる者は、この場には誰一人としていなかった。
ごろごろと転がる車輪の音を背景に、真剣な表情を作ったジョージが口を開く。
「――剣が欲しい」
「どうして持っていないのだ?」
お前が砕いたからだよ、と口にはしない従順なる奴隷だった。
「どうして剣を持っていないのかしら?」
「さあ。彼ほどの冒険者ですから、何か理由があるんでしょう」
交易地を離れ、舗装された道の上を馬車が走る。
流れ行く外の景色を眺める四人は並んで座り、一路それぞれの目的地を目指していた。
彼等が身を任せているのは荷台部分に幾つかの座席を設けた乗合馬車。サンゼルの街を目指すというジョージ達の話を聞いて、ならば好都合と言うペネロープから同道する事を持ち掛けられたのだ。
ジョージの目的地は元相棒たるエリザが居る場所。そしてペネロープが目指す先もまた、子爵家にて領主業の引継ぎを執り行っているだろう『兄』の居る場所。どちらも同じ、サンゼル行きとなる。
失恋の痛みは未だ癒えていないが、それでも自身の想いを自覚した以上、彼女は会いに行かなければいけないと考えていた。その結果が己の望むものではないと理解してはいたが、望まぬ結果に出会おうとも、せめて兄と慕う相手の結婚を祝福せねばならない。女の矜持と妹分としての板ばさみである。
彼女の護衛を請け負っているロバートはすぐにでも実家に帰還して欲しかったが、彼の意見が通る筈も無い。ここで素直に聞き入れるのならば、そもそも家を飛び出していないのだから。
「次の村は割と近いが、そこからサンゼルまでは結構な距離がある」
近隣の地形を思い起こして、今後の予定を説明する為にジョージが言う。
小さな主にとっては再びの車上生活である。またも退屈な時間が訪れるのかと元気を無くしていた その顔が、己が奴隷を見上げて僅かに輝く。
交易地から僅か一日で次の村に到着、その村でペネロープの伝手を頼って馬を用立てる予定だ。
馬一頭を用意するだけでも実は相当量の金銭が動くのだが、彼女はどうするつもりなのだろうか。村で飼育している荷馬を金で買うのか、もしかすると家の名で預けている馬を借り受けるのか。どうするにせよ、元々の拠点に貯蓄の大半を預けているため あまり手持ちに余裕の無いジョージとしては大助かりな話である。
「馬に乗れるか、なんてのは聞くまでも無いか」
「食べた事ならあるぞ!」
「……ああ、そうなのか」
笑顔で胸を張る御主人様の食べた馬というのは、果たして どのような馬だったのだろうか。
ひょっとすると、その背中に人間が乗っていたりしたのではないか。普段から好き嫌いをせず何でも食べる健康的な竜族を前に、不穏な想像が脳裏を過ぎったジョージは己の思考を打ち切った。
霧深い山々の奥にある竜の谷で出会った馬が真っ当な生き物である保障もないのだが、そこには気付かぬ奴隷である。
そんな二人を観察するペネロープは、興味深そうに薄く目を閉じた。
冒険者ジョージと少年アルバス、二人は どうにも不思議な関係である。
親子なのか兄弟なのか、幼い少年に対して常に配慮している素振りの見えるベイブ・ミラー。自分とロバートのような主従の関係にあるのかと思えば、貴人としての作法の名残りも窺えぬ野生児が相手だ。正規の雇用関係では無いのかもしれない。
何処ぞの貴族の落とし胤、いわゆる隠し子の護衛をしているのかとも予想したが、それとて向かう先の目的地が件の女冒険者に会いに行くためと言われて首を傾げる。平民の家に生まれた貴人を貴族としての実家に連れて行く護送依頼であるならば、寄り道をする余裕も無い。
「……ううん」
ペネロープは散々 頭を悩ませてみたが分からない。
いっそ直接訊ねようとも考えたが、それは流石に無作法が過ぎる。こうして相手の内情を勘繰る理由とて、優秀な冒険者を実家で囲い込もうという利益を求める貴族の下心と、年頃の少女の抱く下世話な好奇心が入り混じったものなのだ。
考えても分からない事を考え続ける事で、これから会いに行く『兄』への感情を努めて忘れるように振舞う少女。
その隣に座る子飼い冒険者ロバートは、時よ早く過ぎ去れと祈りながら外の景色を眺めていた。
雇われ先の家の御嬢様に無理矢理 外へと連れ出されて以降、彼にとっては厄介事ばかりが降りかかっている。
今すぐにでもウィンダストに帰りたい。しかしペネロープを置いて逃げ出すわけにもいかず、力尽くで連れ帰る事も己の立場を考えれば実行に移し辛い。
今後の行動を決定するに足る強い動機を得られぬまま、ふと気が付けば、一方的に婚約破棄を叩き付けてウィンダスト家の面目を潰した子爵家へ向けて旅立つ破目に陥っていた。
もはやロバートには、無心となって唯々諾々と御嬢様の命令に従うしか道がない。後々 雇い主から下されるだろう処罰に関しては、既に朝方になって諦めが付いている。諦めが付いているのだ、と自分に言い聞かせながら今の状況に耐えているのだ。
ロバートは苦労人である。
子飼いとしての仕事も、雇い主の娘の身柄も放り出す事が出来ず、胸の内で文句を言いつつも子供の我が儘に付き合ってしまう程度には立派な苦労人気質だった。
日が傾いて、次の目的地である村が見えてくる。
夕焼けに染まる視界の向こう側、遠目にも分かるほど激しく燃え上がる村の惨状を見て、ウィンダスト家子飼いの苦労人ロバートは最早 笑う以外に自分に出来る事が思いつかなかった。
「ロバート? どうしたのかしら?」
様子の可笑しな従者を目にして、首を傾げるペネロープ。
「村が燃えているな。ここまで臭うぞ」
視覚ではなく嗅覚をもって事態を把握して、直接的な言葉で状況を説明する幼い少年。
主の発言によって新たな厄介事を察知したジョージが、溜息を吐いて額を押さえる。
目的地が燃えている。それだけでも大変な事だが、問題は何故その村が燃えているのか、だ。
野盗の仕業だろうか。村一つともなれば規模の大きな傭兵団が下手人か。村人の不始末が燃え広がっただけ、というのなら宿には困るが問題としては小さなものだ。問題は魔物の群れによる襲撃だった場合だが、それだと遠目に見えている以上に村内は不味い事になっているだろう。
交易地から僅か一日で辿り着ける近場の村が魔物によって襲われたと言うのなら、村の警備はどうなっているのだろうか?
繰り返すが、村の位置は交易地から とても近い。周辺の村々に利益を齎す重要度の高い土地ならば、周辺の村に通じる街道も利便性を上げるために舗装され、予算を割り振り警備の兵士が配置される。自分達に齎される利益を守るために、予想される被害を防ぐ為に。
僅か一日の距離にある あの村にも、当然その恩恵がある筈なのだ。
交易地ほどではなくとも、村の守りと備えは他の共同体とは比べ物にならない。だというのに遠目にも察せられるほど派手に燃えているという事は、その原因もまた、それが叶うほどの大規模でなければならない。
「嫌な予感がする。――おい、ロバート。此処は任せたぞ」
「はっ? ベイブ、おい」
席を立ったジョージは、乗合馬車の荷台の床を駆ける勢い そのままに扉を蹴破り外へと飛び出した。
背後から聞こえるロバートの呼び掛けは無視。
小さな主にも何も言わない。言っても無駄な上に、今は何より時間が惜しい。
足を深く踏み込み、地面を砕く勢いで馬車を追い抜き視界に映る村を目指した。
ジョージ=ベイブ・ミラーは冒険者なのだ。
社会における底辺層と見なされるような彼等だが、国に仕える騎士団や正規兵以外に、唯一魔物の脅威を取り除く事のかなう人材の宝庫でもある。
名声を得るために。財産を得るために。
そしてジョージにとっては己の有り余る力を存分に振るい、充足感を得るための手段だった。
それだけは昔から変わっていない。だがそれだけとも言い切れない。
「剣が欲しいな」
元相棒である彼女の影響だろうか。
生まれ故郷で魔物を討伐した際もそうだったが、魔物の脅威を排除する類の人助けとて己の仕事だと思っている。無論、それは相手が魔物ではなく賊の類でも大して変わらないのだが。
あっという間に彼我の距離が縮んでいく。気が付けば村はもう目の前だ。
村と外の境界線として設けられていたのだろう、砕けて薙ぎ倒された木柵の端を掴んで持ち上げる。
長剣の代わりにはならないが、今のジョージにとっては振り回せれば何でも良い。素手では届かぬ相手に己の一撃を届かせるために、振るう武器は大きければ大きいほど望ましかった。
試しに近くで燃えている建物の屋根を狙う。荒縄で縛られた横に長い木柵を振り回して強かに打ち据え、建材ごと燃え上がる火事の一部を掻き消した。
柵の脆さに些か不満はあるが、仕方がない。
ここまでやっておいて実は余所からの襲撃ではなく事故による火事だった、となれば少々肩身が狭いが、そこは考えないようにするジョージであった。
「――さて、何が出て来るか」
火に包まれた家並みを睥睨し、竜の奴隷が事の元凶を求めて村の中へと足を踏み入れた。




