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どらすれ  作者: NE
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第十二話 村を出立する話

幌幕の向こう側に見えるブリス村が徐々に小さくなっていく。

恐らく馬車が見えなくなるまで続けるつもりなのだろう、クリス・ミラーが大きく手を振る姿が未だ遠くに見えていた。


じっと瞬きを忘れたように、小さな主は帽子の下の視線を村に固定して動かない。

数日滞在していた村に対し、何か思う所があるのだろうか。疑問に思ったジョージだが、問い掛ける事はしなかった。

自身も遠ざかる故郷に目を向けて、胸に残る僅かな寂しさを持て余す。


村長夫人とクリスは幼い少年を抱き締めて別れを惜しみ、村長とジョージは少ない言葉で別れを終えた。

その時の事を思い出すと、ジョージの(まなじり)が小さく緩む。

五年前に故郷を飛び出した時とは違う、のんびりとした別れの儀式。

次に時間が空いたらまた帰ろう。そう思えるような時間だった。


いや、一つだけ不可解な出来事があったのだったか。



一度、兄弟で腹を割って話そう。

父に言われて決意したは良いが、年下に次期村長の椅子を押し付けた負い目ゆえに緊張混じりだったジョージは話の切っ掛けに少しばかり思い悩んでいた。悩んでいたのだが、先んじて声を掛けてきたジョンを目にして肩透かしを食わされた気分になった。


「山の魔物の件、改めて礼を言うよ。――ありがとう、兄さん」


にっこりと笑って手を差し伸べるジョン・ミラー。

憑き物が落ちたような、という表現が正に当て嵌まる明らかな変化。


この弟に一体何があったのだろうか。


帰郷後に顔を合わせて以来 笑顔なんて一度も見ていなかったというのに、この変わりようは一体どういう事だろうか。まさか今までは偶々機嫌が悪かっただけなのか? そう思って父親の顔を窺えば、総白髪の現村長も うろたえた表情で驚いていた。


ジョンよ、お前に何が起こったんだ。

口を衝いて出そうになった言葉より早く、話は終わったと判断したジョンが兄の目の前を横切って、今もミラー家の女性陣に別れを惜しまれている幼い少年の元へと向かう。

口にすべき言葉に迷うように、しかし間違いなく竜族の少年を相手に、小さく言葉を掛けて微笑んだ。


どういう事だ。

これは、何が起こっているのだ。

あの二人の間に面識は無かった筈。何故あんなにも場の空気が柔らかい。


ジョージと村長は揃って目を見開いた。無論、今 目の前で起こっている一連の事態が悪いものだとは思っていない。だが間違いなく何かがおかしかった。昨日までのジョンでは決して浮かべなかっただろう、ミラー家の母にそっくりな優しい笑顔。

あいつは母親似だったのか、と今更になって弟の新しい一面を知ったジョージは混乱の余り何も言えなくなっており、それは村長も同様だ。異常事態と言っても良い状況の好転に意識が全く追い付かない。


「ジョージ、ジョンと何があった?」

「何も無かったし、まだ何も言っていないんだが……」


呆然と呟く二人を置いて、ミラー邸における別れの場面はこれにて終わる。実に平和な話であった。



乗り合わせた馬車が弧を描く道に沿って走り、やがて外の景色からブリス村が姿を消した。

それでも視線を外に固定したままの小さな主は果たして、その胸中にて何を考えているのだろうか。

知りたいような、知りたくないような。ジョージとしては怖いもの見たさの心持ちである。


「また来るようにと言われた」

「そうか」


沈黙の広がる馬車の荷台にて突然口を開いた主の言葉に、短い相槌でジョージが応える。少年の視線は未だ外へと向けられたままだ。


また来るようにと。次にブリス村に訪れる機会が来れば。

さてその時にはジョージの立場がどうなっている事か。


相棒であるエリザの結婚話に衝撃を受けて、当時滞在していた街を飛び出して以降は冒険者としての仕事は一切していなかった。竜族を相手に死の恐怖に包まれて、原始的な生への渇望以外に何も持たぬ状態だからこそ今の奴隷扱いを受け入れたのだが、何時まで この状態が続くのか。御主人様に問い掛けた結果「勿論 一生奴隷だ!」という答えの返ってくる可能性もあって、一度たりとて訊ねていない。

そもそも獣に過ぎない竜族にとっての奴隷とは、果たして如何なるものであるのか。


奴隷。奴隷。

なんとも惨めな言葉である。口の中で小さく繰り返す度に それが今の己の立場なのだと再確認しているかのようで、ジョージは溜息が止まらない。


「いや。――『奴隷』、か」


ふと思い出す。奴隷という言葉は冒険者にとって一つの到達点を意味する事を。

当然だが、偉大なる主に従属する事が冒険者の誉れである、という意味では無い。もっと別の、純粋に音や名前としての意味があるのだ。

相変わらず外を眺めている主へ視線を向ける。


地上における、全ての生物にとっての力の象徴。

賢き獣、単独にして国さえ滅ぼす絶対強者。

ソレは何よりも大きく強く、だからこそ竜を討ち果たした者を英雄と呼ぶ。


名の売れた冒険者とはいえ奇跡の体現者たる彼等(えいゆう)自身(ジョージ)では比べるべくも無い。

直接 顔を合わせた事など当然無いし、いつかは肩を並べられるような冒険者になるのだ、と思いつつも頼りになる相棒を貴族の嫁として持って行かれた今のジョージでは望みが叶うのは何時の日か。


「次は何処に向かうのだ?」


何時の間にやら自分を見上げている主を目にして、村との別れに心の整理は付いたのだろうか、

と まるで人間の子供に対するような気遣いを思い浮かべて すぐに振り払う。


次の目的地、というのなら元より決まっていた。

嫌で嫌で仕方が無いが、かつての相棒としてエリザの結婚を祝いに行かなくてはならないのだ。

目的地は彼女の嫁ぎ先である貴族家が直接治める『サンゼル』という街。しかし実際にはブリス村との距離が離れているため、予定の順路上にて二つほど村を経由して行く必要があった。


「三日ほど馬車で移動して、そこにある村に寄ってから最後にサンゼルへ向かう」


鍛えているとはいえ、車上生活は中々に堪える。今のジョージならば物ともしない気もするが、物資の補給とて重要だ。飲まず食わずなど冗談ではない。

目的の街に到着するまで、順調に進めば一週間と少し。

何事も無ければ良いのだが、何事が起ころうとも今の自分ならばどうにでもなる。そう考えたが、油断は禁物だと自身を戒め、ジョージは己の額を小さく叩く。


「サンゼル……。どういう場所だ?」

「ああ。つい最近、治める貴族が代替わりしたばかりの街で――」


続けて言おうとした街の情報を呑み込み、僅かな間を置いて改めて別の方向から説明する。


「そこで俺の幼馴染が結婚式を挙げるんだ。それで」

「お前が振られた雌か?」


無遠慮な物言いに対し、ジョージは思わず目頭を押さえた。

振られた事は確かだ。既に知られているのだし誤魔化しようが無い。

だからといってそこまで直截的な物言いをしなくても良いのではないか。主に対して抗議しようにも喉が引き攣って言葉が出てこない。未だジョージの心は失恋の傷を癒しきれていないのだ。


馬の手綱を握る馬車の主が気遣わしげな視線を寄越すのが視界の端に見えて、それが更にジョージの心を刺激する。年頃の男は繊細なのだ、気にせず放って置いて欲しい。


「そういえば、失恋した相手には優しくするのだったか」


クリスの教えを思い出したらしく、ごりごりと乱暴にジョージの金髪を撫でてくる小さな主に対する何とも言えない複雑な感情を持て余しながら、先程言えなかったサンゼルに関する情報を脳裏に転がし顔を歪める。

それは、正確には街の情報では無いが――。


これから向かう先、新たな領主の座す街であるサンゼル。その近隣、丁度隣に位置する領地では、竜族の少年にとっても無関係ではない とある冒険者が領主を務めている。

偉大な功績を収めた結果、遂には国王から直々に爵位を賜った、今時代における成功者の一人。


生きる英雄。

現存する竜殺し。


屠竜伯(とりょうはく)ニコール=スレイブ・キッドマン。


キッドマン伯爵領を治め、『奴隷(スレイブ)』の二つ名を持つ、間違いなく現代において最も偉大な冒険者。

出自定かでない冒険者の身でありながら国の有事においては王の親衛隊として活動する権利を有する程の、国王を除いた王族達でさえ無視の出来ない本物の強者。己が腕一つで成り上がった、冒険者達の憧憬を一身に集める希望の星。


――そのような人間の存在を生きた竜族に教えてしまえば、どうなる事か想像も付かない。

或いは単純な興味本位で。或いは同族の仇だと気炎を上げて。

どちらに転ぶにしろ、事の結果はジョージの裁量では手出し不可能な難物であろう。


せめて元相棒の式が終わるまでは平和であって欲しい。

叶うかどうかも分からない祈りを胸に抱いて、実在する竜族に頭を撫でて慰められるという酷く希少な体験をしている一人の冒険者が、馬車に揺られながら ひっそりと涙を流していた。

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