支配の始まり
あの日を境に、
彼との関係は、音もなく形を変えはじめた。
最初は、ほんの小さな棘のような言葉だった。
それが少しずつ肌の内側に沈み、
痛みとして気づいたときには、もう抜けなくなっていた。
「男と話すな」
「話しかけられても無視しろ」
「連絡先、全部消せ」
怒鳴り声の奥には、愛情とは違う何かがあった。
けれど私は、それをまだ“愛の深さ”だと信じようとしていた。
彼は、私の一日を掌の上に置きたがった。
休み時間も、お昼も、放課後も、帰りのバスも。
「ずっと一緒にいよう」と言われるたび、
私はその言葉を“約束”ではなく、“命令”のように感じはじめていた。
それでも、
「それだけ私を大切にしてくれているんだ」と、
自分に言い聞かせ続けた。
けれど、愛の名を借りた束縛は、
やがて呼吸の仕方さえ奪っていった。
夜になると、電話が鳴った。
彼は一方的に話し、私は聞く役に徹した。
まぶたが重くなり、言葉の隙間に眠気が入り込むと、
すぐに呼び出し音が鳴った。
――「起きろよ」
その声が、夢と現実の境を踏みにじる。
眠りを拒まれ、やがて家の固定電話が鳴るようになった。
深夜の一時。二時。
受話器を握る手が震える。
『また寝たら電話するからな』
低い声が、夜の静寂を切り裂いた。
その瞬間、胸の奥で何かが冷たく固まっていくのを感じた。
それは恐怖だった。
愛ではなく、恐怖。
けれど私は、なおも口にした。
「ごめんね」
その言葉だけが、嵐を鎮める唯一の呪文のように思えた。
何度も、何百回も。
謝るたびに、私は少しずつ自分を削っていった。
――そして気づけば、
“普通の毎日”は、“恐怖の習慣”へと変わっていた。
笑っても、怯えても、謝っても、
すべてが彼の感情ひとつで揺れ動く世界。
私の時間は、
もう私のものではなくなっていた。




