4 出会いと小競り合いと出会い
頭がズキズキと痛む。
頭が熱い。
クラクラする。
目を開くと不思議な光景が目に飛び込んできた。
天井に立つ人影。
もしかして、壁とか天井とかを走れるような能力を持った人なのかなとか考えてみる。
それにしても、頭が痛い。血が頭に上っているような、のぼせたような感じ。
ふと、自分の足下を見やると、なんだ、宙づりになっていた。
本当に血が頭にたまっているだけだった。
よく見てみると、ここは学校の倉庫みたいだ。
窓から入ってくる光の感じから、もう日が暮れていることを察知する。
もう一度、人影の方を見てみると、どうも女の子らしいことに気づく。
ん? 女の子?
何か、重要なことな気がするけど、頭が痛くて思考が散漫になる。
頭に血が通っているなら思考がクリアになると思ってたけれど、全然そんなことなかった。
殴られたせいなのかな?
……ああ、そうだ。思い出した。
女の子の声に呼ばれてここまで来たんだった。
じゃあ、ぼくを呼んだのはこの子か?
なんだろう? てっきり困ってることでもあるのかと思ったけれど、ぼくを縛る余裕ぐらいはあるみたいだ。
それにしても、頭が痛い。
少女が何も言わないから、なんだか空気がいたたまれなくなってきた。
逆さまのままじゃ何もできないから、とりあえず沈黙を破ってみる。
「もしもし、良かったら助けてくれませんか? 逆さまで血が頭に上ってきて、困ってるんです……」
——静寂
どうも様子がおかしい。
まるで、人形かのごとく動かない少女の影。
あるいは、本当に人形なのかもしれない。
一番可能性として高いのは、この少女がぼくを呼んで、ぼくを縛り上げたことだけど……
どうだろう、もしかしたら、ぼくを呼んだ女の子は別にいて、今目の前にいる少女はその子を救いにこようとしたぼくを捕まえたのかもしれない。
どちらにしろ、この女の子と話したいのだけれど……
漂うのは静寂のみ。
もう一度口を開こうとした時だった。少女の手にナイフが握られていることに気づいた。
どうも、ロープを切るためのナイフっぽくない。
ナイフというか、もう包丁というのだろうか?
ナイフと包丁の明確な基準がわからないし、逆さ吊りの状況でよくわからないけれど、危険のにおいは十分に感じ取れる。
この少女が、ぼくを呼んだ相手だろうとそうでなかろうと、敵意を持っていることは、害意があることは、自明だった。
少女の手に握られている刃物は、明らかに、ぼくの生命活動を害しようとしてそこに存在していた。
だが、少女は動かない。
ただ、静寂が鳴り響くだけ。
気まずい沈黙。
このままでは、刃物で死ぬよりも前に、緊張で高まった血圧と頭に集まった血液のせいで、頭が爆発して死にそうだ。
そこで、もう一度口を開くことを決意する。
「聞いてますか?」
我ながら馬鹿らしい質問だった。
聞こえないはずがない。
それでいて、少女はあえて無視をしているのだ。
無駄だとわかりつつもしゃべり続ける。
「目を覚ましたら宙吊りになっていて、困っているんですよ」
どうも、滑稽な図にしかならない。
どうにかして、会話を成り立たせなきゃ。
そう思っても、まるで壁にでも話しているかのような空しさ。
それでいて、軽蔑でもされているかのような、悲しさ。
嫌になるよ。
けれど、ぼくは比較的落ち着いていた。
実を言うとぼくは超能力者なのだ。
周知の事実だろうけれど、あえてもう一度言うと、ぼくは超能力者なのだ。
目をつぶって少し念じれば、この危機的状況から一瞬で抜け出し、トイレに逃げ込めるのだ。
これほど精神的に楽な、危機的拘束状態はないだろう。
精神的余裕さえあれば、交渉は勝ったも同然だ、って何かの本で読んだ覚えがある。
精神的に言えば、ぼくは全くこの少女と対等でいれた。
けれど、肉体的、物質的に言えば、ぼくは圧倒的不利でもあった。
だんだん、頭の痛さが耐えられないほどになってくる。
「逆さ吊りって結構きついですよ?」
相も変わらず、少女は反応を示さない。
何がしたいのだか……
膠着状態を続けたところで、意味があるとも思えない。
一旦、状況を整え直そうと思い、瞬間移動することにした。
目をつぶり、念じる……
——激痛
——劇痛
頭を締め付けられるような、鋭くて耐えられないほどの痛みが襲う。
今までにない感覚。
そして、眼前に広がるのは変わらぬ逆さまの世界。
……失敗?
「無駄よ、力は使えない……」
無言だった少女がその重い口を開いた。
声には落胆の色が見える。
「そして、あなたの力はくだらない」
ナイフか包丁か? その刃物でぼくの胸の辺りを、つまり心臓の辺りをなぞる。
「奪うに値しないほどに、くだらない。」
いつの間にか、声には落胆の色とともに、静かな怒りが混じっていた。
ぼくから言わせてもらえば、ただの逆切れだけれど、死の直前のぼくにそんなことを考える暇も精神的余裕もこれっぽちもなくて、脳は思考を停止して、感情は振り切れてしまって……
「だけど、もらっといてあげるわ。その能力。」
「じゃあ、さようなら」
言って、少女は刃物を振り上げる。
ある意味で、ぼくは望みだった非日常を垣間みて、非日常に死ねる訳だ。
だけど、全くうれしくも本望でもなかった。
ただ、死への恐怖があるだけだった。
なんの変哲もない日常のすばらしさを感じただけだった。
殺されるとき、目を開いたまま死ぬ人と、目を閉じて死ぬ人がいると聞いたことがある。
ぼくは、怖くて目を閉じた。
その時だった。
爆発音と衝撃が突如、ぼくを襲った。
それは、どうにも死の感覚には思えなかった。
恐る恐る目を開く。
開く目があることから死んでいないことはわかったが、目の前に現れたのは、不思議な光景だった。
ぼくを殺そうとした少女がいた場所には奇妙奇天烈な格好をした女の子がいた。
さっきの殺人鬼っぽい少女が変身したのかとも思ったけれど、どうも違うようだ。
この女の子はぼくを逆さ吊りにしているロープを切った。
うん……助けてくれようとしたのはわかるけれど、ぼくは地面に顔から落下した。
地面に顔をつけながらも、とりあえず、刃物によっても、落下によっても、死ななかったことを安堵する。
「ごめん、大丈夫だった?」
上から声がする。
どうやら自分の失敗にだいぶ焦っているようだ。
「大丈夫……なんとかね」
服と顔についた埃を払いつつ立ち上がる。
「本当に大丈夫? 顔、思い切り打ったよね?」
目の前に顔。
ぼくの顔を覗き込むようにその顔はぼくに迫っていた。
心配そうな目。
『目鼻立ちの整った』と言うのだろう。いわゆる、美人だった。
けれど、どこか少しだけ抜けているような、あどけなさが残っているような女の子。
歳はいくつぐらいだろう?
ぼくと同い年か年下か? もしかしたら年上かもしれないけれど、見た目は幼い感じだ。
そして、顔はぼくの好みと言うか、じっと見つめられると困る位な美少女。
そう言って差し支えないだろう。
「大丈夫ですから」
そういってぼくは顔を背けて、その美少女から離れた。
何だろう、すごく非日常なのに、逃げている自分がいる。
望んでいた非日常なのに。
「良かった〜」
美少女の方を見ると、まるでわざとやっているのかと思うぐらい大袈裟に、胸を撫で下ろしていた。
ちなみに、奇妙奇天烈な格好と言ったが、落ち着いてその格好を見てみると、どうもアニメか何かのキャラクターのコスプレっぽかった。
赤っぽい色をベースにした派手な『衣装』。
変な部分に肌の露出があったり、動きづらそうなぐらいな無駄な装飾品。
どう見ても、日常的に着て外を歩けるような類いの服装ではなかった。
まさに、非日常の権化だった。
「自己紹介がまだだったわね」
美少女は、ぼくのほうに向き直ると、自己紹介を始めた。
「わたしの名前は、レッドローズ、紅き魔法戦士よ!」
……非日常の権化さんはちょっと痛い子だったようだ。