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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

シャンティリア王国物語

眠らぬ王に救いの歌を

作者: しきみ彰

 今から遥か昔のシャンテリア王国には、英雄王と呼ばれた男がいた。

 名をラナンキュラス。

 数多の敵を屠り、英雄として崇められ、そして最後には家族に殺された、不遇の王である。

 そして彼には、幼少から付き従った魔術師がいた。彼女の名をレヴァンダと言う。天才ともてはやされ、今で言う歌姫オペラセリアが使う魔術の根源を作り出した、シャンテリア王国の歴史において最高の魔術師だ。

 これはそんな王と、彼に最期のそのときまで寄り添った、歌姫オペラセリアの始祖のお話――






「ラス様」


 ラナンキュラスの忠臣、レヴァンダは、彼の愛称を呼び側に近寄った。彼女の銀色の髪を、夜風がゆるゆるとさらってゆく。

 彼女の声にしかし、王は動かなかった。


 彼の周りには、山のように築き上げられた屍体が折り重なっていたのだ。


 銀色に輝いていたはずの鎧は、今となっては鮮血で染まってしまっている。剣を片手に呆然と立ち尽くす主人の肩に、レヴァンダはそっと触れた。


「ラス様。もう、戦は終わりました」

「……レヴァ、ン……? ……ああ、そっか。おわっ……た、のか……」


 それにより、ラナンキュラスはやっと現実世界に引き戻された。血糊がべったりと付着した黒髪が、頬に貼り付いている。それを取るために手を伸ばすと、彼は目を見開いて手を握った。

 今にも溶けてしまいそうな主人に、レヴァンダは眉を寄せる。


 レヴァンダは、最強と言われ、崇め恐れられた魔術師だ。幼少から天才ともてはやされた彼女は、ラナンキュラスに幼い頃から仕えていた。その変化を、直に見て感じてきたのだ。


 今の彼は、酷く不安定だった。


「……ラス様。テントのある場所まで戻りましょう。近くの湖で血を落として、寝てくださいませ」

「……分かった。レヴァンが側にいてくれるなら、寝る」

「承りました」


 レヴァンダは、ラナンキュラスが不安定な理由を知っていた。

 それは幼少から隔離され、親の愛情を受けずに育ったこと。そして幼い頃に王となり、そして起こった戦を納めるために、幾度も幾度も戦いの渦に身を投じてきたためだ。


 ラナンキュラスの心は既に、取り返しのつかないところまで追いやられていた。今なんとか戦えているのはひとえに、隣りにレヴァンダがいるからであろう。


 彼は強いが、とても孤独だった。彼の配下は皆王としての彼を敬い讃えたが、恐れもしていた。化け物のようだとのたまった者もいる。

 それと同様にレヴァンダも、『氷の魔術師』として恐れられていた。顔色ひとつ変えず、敵を嬲り殺すからだろう。


 しかしレヴァンダにとっての最優先はいつだって、ラナンキュラスだった。

 ふたりの化け物は誰にも理解されることなく、互いに身を寄せ合って過ごしていた。


「おかえりなさいませ、ラス様」


 テントで寝床の準備を整えていたレヴァンダは、血糊を落としてさっぱりして帰ってきたラナンキュラスに、そう声をかけた。それに曖昧に頷いた彼は、彼女の隣りに腰を下ろす。

 髪から滴り落ちる雫を見て、レヴァンダは困った顔をした。


「ラス様。そのままではお風邪を召されてしまいます。失礼いたしますね」


 ひとつ断りを入れてから、レヴァンダはラナンキュラスの髪を布で拭いてゆく。するとそのまま、彼は彼女を引き寄せた。

 その肩が震えているのを見て、レヴァンダはそうっと頭を撫でる。するとラナンキュラスは、おそるおそる口を開いた。


「ぼく、は……最近、夢を見るんだ。殺していった人たちが出てくる、そんな、夢を」

「はい」

「何度斬っても斬っても、彼らはやってきた。そして僕を下に引きずり込もうとするんだ。いよいよ落ちる、そんなときに、目が覚める。……ねぇ、レヴァン。僕が今までしてきたことは、間違っていたのかな……? いつの日か、僕の周りには誰もいなくなってしまうの……?」


 まるで子どものような口ぶりに、レヴァンダは目を細める。ラナンキュラスが感じている恐怖は、罪悪感による自己嫌悪だろう。今まで殺してきた者たちに対する、後悔の念があるのだ。

 戦うことしか選択として残されていなかった彼は、戦いなど望んではいなかった。ただ、平和と自然を愛する、心優しい少年だったのだ。


 それを強要したのは間違いなく、ラナンキュラスを離宮に閉じ込め、あまつさえ戦争に持ち込み死んでしまった、彼の父親だろう。

 レヴァンダは唇を噛んだ。


「ラス様。何が間違っていたのか、正しかったのか……わたくしにも分かりません。ですが、確かなことがあります。それは……たとえこれから何があろうと、わたくしだけはあなた様のことを見捨てない。それだけです」

「……レヴァン」

「怖い夢を見てしまうのなら、わたくしが子守唄を歌って差し上げます。夜寝るのが怖いと言うならば、お側でずっと番をいたします。ですからラス様は、己が信ずる道を進んでくださいませ」

「……うん、分かった」

「今宵はもう遅いです。お眠りになられてください」


 そう言えば、ラナンキュラスは素直に横になった。そんな彼の手を握り締め、レヴァンダはそうっと子守唄を口ずさむ。



 褒めそやせ 御霊の命を

 褒めそやせ 永久の月日とともに


 幾度に渡る旅路あれど

 私はそれに 付き従いましょう


 あなたが迷うことのなきように

 あなたが嘆くことのなきように


 華の歌を詠いましょう……



 レヴァンダは、ゆっくりと寝息を立てて眠るラナンキュラスを見て、密かに涙をこぼす。しかし歌うことを止めることはしない。それは歌が止めば、彼が起きてしまうことを知っているからだ。ラナンキュラスは今となっては、レヴァンダの歌なしでは安らぐことすらできない。

 彼女は心の中で叫び声をあげながら、歌を詠い続けた。


 ごめんなさい、ラス様。ごめんなさい……。


 今のレヴァンダの胸の内にある想いを、ラナンキュラスが知ったらどう思うだろう。そう考え、自嘲する。たとえ彼であれど、彼女を気色ばみ嫌いになるだろう。


 だってレヴァンダは、ラナンキュラスがここまで悲しんで苦しんであるにも関わらず、それが嬉しいと感じてしまっているのだ。自分を頼ってくれるのが嬉しいと、そう感じている。そんな醜い感情を晒すことなど、絶対にできない。

 こんな歪極まりない感情など、恋と呼ぶことすらできない。それこそ、傷の舐め合いから生まれた執着だ。


 しかしレヴァンダにとって一番好きな彼は、離宮の庭一面に咲いたラベンダー畑で、楽しそうに笑う彼を見ることで。

 されど二度と見ることが叶わない光景だと分かっているからこそ、涙がこぼれてしまう。


 できることならば、あの幸せな日々に戻りたかった。



 ***



『はじめまして、ラナンキュラスさま。わたくしはレヴァンダ・アスフィ・シェンスナーともうします』


 レヴァンダとラナンキュラスの出会いは、城の遠い場所にある離宮の玄関の前でだった。

 その頃から既に神童と言われていたレヴァンダは、ラナンキュラス付きの魔術師になるよう王命を受け、ここに来たのだ。

 初めて顔を合わせたときのラナンキュラスは、夜空のような黒髪に星のように輝く金色の瞳が印象的な、美しい少年だった。銀髪に薄墨色の瞳をしたレヴァンダとは、対照的な色と言ってもいいだろう。


 しかしその頃の彼は今とは違い、レヴァンダに向かってぎこちなく、けれど柔らかく微笑んだのだ。


『はじめまして。ぼくはラナンキュラス・フォン・デ・シャンテリア。レヴァンダは、かわいいね』


 昔から無表情で無愛想と言われてきたレヴァンダには、彼が何を言っているのかよく分からなかった。

 確かに顔は整っていたが、彼女は笑うことがなかったのだ。感情の起伏が弱いため、表情を動かすことすらない。誰も彼もが気味悪がって、お世辞すら言わないのに。


 それなのにラナンキュラスは、レヴァンダのことを可愛いと言った。


 彼女にはそれが、とても信じられなかった。


 慌てた様子で礼を言うと、彼はさらに笑う。そして言うのだ。


『これからよろしくね』


 差し出された手を取ったその日からレヴァンダは、彼に一生付き従うことを決めた。



 ***



 そんな記憶がまるで、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

 レヴァンダは、乾いた笑顔を浮かべる他なかった。


「……馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいです、いまさら。何より守りたかった笑顔を守れなかったのは、他でもないわたくしなのに」


 そんなふうにぼやいた彼女の周りには、物言わぬ屍体となった衛兵が転がっている。しかしレヴァンダの服に、返り血は一切付いていなかった。


 彼女はそれを踏みつけ、ラナンキュラスのことを探し始める。


 ラナンキュラスが戦から帰った夜、襲撃されたのだ。しかもその相手が第二王子というから笑えない。彼はラナンキュラスの化け物さに恐れをなし、彼が疲れているときを狙って殺すことを計画していたのだ。もちろんその中には、レヴァンダを殺すことも含まれている。第二王子は、戦が終わった世にこのふたりの化け物はいらないと考えたに違いない。


 ぼんやりとそんなことを考えたレヴァンダはようやく、ラナンキュラスのことを見つけた。


 彼は長剣を片手に、どこか遠いところを見つめていた。


 その足元には、第二王子とその腹心たちの屍体が転がっている。

 レヴァンダはラナンキュラスのもとへと駆けた。


「ラス様。お怪我は?」


 そう聞くが、返事が返ってくることはない。

 レヴァンダは足元から闇が這い上がってくるような、そんな嫌な感覚に襲われた。

 幾度も根気良く声をかけるが、返答はない。

 その体を見れば、腹の辺りがこそげ、鮮血が噴き出していた。

 おそらく、油断していたために斬られたのだろう。昔のラナンキュラスなら絶対にあり得ないことだったが、今の弱った彼ならば話は別だ。

 目を見開いた彼女は慌てた様子で治癒魔術を行使するために、その手を腹部に伸ばす。


「ねぇ、レヴァン」


 そんなときだ。彼がその手を握り締めたのは。

 驚いたレヴァンダは顔を上げ、そして後悔した。


「ねぇ、レヴァン。僕……もう死んでもいいよね」


 ラナンキュラスの目は、死んでいた。


 まるで生気のないその目に、レヴァンダは唇を戦慄かせる。

 弟による反逆は、ラナンキュラスがぎりぎりのところで保っていた心をいとも簡単に壊してしまったのだ。


 一度壊れたものは戻らない。


 ラナンキュラスが負った傷はもう、一生癒えない。


 それを悟ったレヴァンダは、その瞳から大粒の涙をこぼす。

 それを拭うと、ラナンキュラスは乾いた笑顔を浮かべた。


「ねぇ、レヴァン。僕、死ぬならあそこの庭がいいな」


 ねぇ、レヴァン。僕の最期、見届けてくれる――?


 主人の最期の願いに。

 稀代の天才魔術師は、無詠唱で転移魔術を行使することにより肯定してみせた。






 初夏にさしかかっていたその庭には、ラベンダーの花が咲き誇っていた。

 紫色の花が風に揺られ、月光に照らされる。

 幻想的な光景の中に、ラナンキュラスとレヴァンダはするりと溶け込んでいた。


 ラベンダーの庭で座り込んだレヴァンダの膝に、ラナンキュラスは頭を乗せて仰向けに寝ている。

 じわじわと、抉れた腹から鮮血が流れ出ていた。


 みるみるうちに青ざめていく顔を見下ろし、レヴァンダは顔を歪める。そして虚ろな瞳で最期の時を待つ主人に向けて、無理矢理笑みを浮かべた。

 するとラナンキュラスは、かすれた声をこぼす。


「ねぇ、レヴァン。僕、ね……君に会えて、ほんとうに、よかったって……思ってるよ」

「……はい。わたくしも、ラス様の隣りにいることができて、幸せでした」

「そっ、か……おそろい、だ、ね」

「は、い。おそろい、ですっ……」


 彼の瞼が、ゆるゆると閉じてゆく。

 そして彼は最後に、こう呟いた。


「レヴァン……だい、すき」


 大好き。


 そう言い切ると、彼は幸せそうな顔をして。



 死んだ。



 レヴァンダは目を見開き、耐えきれなくなった涙を流す。

 ぼろぼろと泣けど、拭ってくれる手はもう動かない。

 名前を呼べど、返ってくる返事はない。

 レヴァンダは嗚咽交じりに、声を上げる。


「おつ、かれさまに、ございました……もう、ゆっくり……っ、おやすみください、ませ……」


 そしてレヴァンダは最期に、彼に向けて鎮魂歌を謳う。



 褒めそやせ 御霊の命を

 褒めそやせ 永久の月日とともに


 幾度に渡る旅路あれど

 私はそれに 付き従いましょう


 あなたが迷うことのなきように

 あなたが嘆くことのなきように


 華の歌を詠いましょう……



「……さようなら、ラス様」


 わたくしも、大好きでした。


 そうぼやき、レヴァンダは最期の魔術を行使してから。



 自身の喉笛を掻っ切った。







 こうして英雄王と歌姫は、ラベンダーの花に囲まれたまま永遠の眠りについた。しかしその離宮は、いくら探そうが見つかることはなかった。


 稀代の天才魔術師レヴァンダによって使われた最期の魔術は今もなお、ふたりが愛した離宮を隠し守っていると言われている。

新年明け短編祭り第四弾。


シャンテリア王国において最も血塗られた時代を生きた、二人のお話でした。

(※「私の声が、聞こえますか?」とその他同シリーズのものと、同じ世界観の作品です)


時系列的には、五、六十年くらい前のことですかね。

シャンテリア王国物語において最終作品となる、「揺籠姫の守り歌」を書くためにどうしても必要でしたので、こうして短編として書かせていただきました。

(※上記のタイトルの作品は、まだ投稿していません)


私にしては珍しく、純粋なバッドエンドです。

糖分も控えめ、誰も救われない話ですので、作者は胸を痛めながら書いておりました。


以上、雑談です。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました!

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