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オヨメサン

作者: 姿月あきら

気がつくと、俺はただ真っ白い空間の中で複数のヨメに囲まれて立っていた。


ヨメとはすなわち「嫁」のことである。可愛い可愛い、俺のお嫁さん。

ただ、俺は独身である。二十五歳にもなって彼女がいたことは一度もない。俺のヨメは画面の向こう側か漫画の中にしか存在しない。二次元の存在。それでも、俺にとっては立派な嫁だ。ファンタジーの王女様も、ツンデレ女子高生も、おっとり系お姉さんも、はたまた生意気系妹も、みーんな、俺のヨメ。日本は一夫多妻制を採用していないが、二次元だったらハーレムも可能なのだ。なんという都合の良い世界。三次元の女など眼中にない。まったくもって、本当に。


隔てられた世界にいたヨメたちが、今、等身大の姿で俺の目の前に立っている。しかも俺が中学生の頃からの歴代のヨメたちほとんど全員である。夢にまで見た光景。液晶画面の中に入れれば他に何もいらない、とまで思っていたこの俺にしてみれば、泣いて喜ぶ他ない展開である。

だが、俺は泣いて喜ぶこともヨメたちの名前を呼ぶこともできなかった。彼女たちが一様に、俺のことを悲しげな目で、あるいはひどく怒ったような目で見つめていたからだ。

「どうして」

ヨメの中の一人が口を開いた。彼女は三年前まで一番だった俺のヨメ。ツインテールが似合うおっとり系美少女。つり目なのにおっとり系というギャップと、好きな食べ物が麻婆豆腐(俺と同じ)というところに惹かれたのだ。ひざ丈スカートのセーラー服が良く似合う。だが、彼女の声に含まれるはずのない怒りを感じて、俺は一歩彼女から後退った。

「どうして私を忘れてしまったの」

「……は?」

「あなたは私をあんなに愛してくれていたのに、今は全然愛してくれない。新しいお嫁さんをいっぱい作って、私のことはほったらかしなのね」

 彼女の愛らしい唇からこぼれた、どこかの陳腐な恋愛ドラマのような台詞に俺は呆然としてしまった。この子は何を言っているんだ?


「ねえ、こっちを向いて」

 今度は後ろから声をかけられて、俺は恐る恐る振り向いた。目に涙をいっぱい溜めた女の子。彼女は俺が最初にはまったアニメのヒロイン。ピンク色の長い髪に白いドレス姿がまぶしい。彼女は剣と魔法の世界の王女様なのだ。彼女の小さくて白い手は、ドレスのすそを跡が付きそうなほど強く握り締めていた。――ああ、抱きしめてあげたい!

「昔はあんなに絵を描いてくれたのに、グッズを買ってくれたのに、夢にまで呼び出してくれたのに、今は全然違う女の子に夢中なんでしょう。ひどいヒト」

 彼女は今にも泣きそうな震える声でそう言った。


なんということだろう。ヨメたちからやきもちを焼かれている。なんて可愛いのだ! これは、ヨメたちには申し訳ないが、正直なところ嬉しい。これぞハーレム。……しかし、少し面倒くさい。世のハーレムアニメの主人公たちは、こんな思いをしていたのか。ただただ羨ましがっていた俺は浅はかだったかもしれない。俺は少しだけ姿勢を正して、周りを見渡した。なるほど、今一番萌えているヨメは見当たらない。すべての女の子たちが、俺を見つめている。俺の言葉を待っている。

「君たちを忘れたことなんかないさ! 俺はしがない会社員だから、金がなくて全員のグッズを買ったりなんか出来ないけど、君たちは全員俺のヨメだ。ずっと愛してる。今だってイラストを描いたりDVDを観たり、ファンサイトを巡ったり、妄想の中で愛でたりしてる。これで足りないって言うのか?」

 俺の熱い愛の言葉は、しかし思った以上に薄っぺらく響いた。そして我ながら気持ち悪い。

「……うそつき」

 一人のヨメがぽそりと呟いた。おとなしくて優しい、俺の五年前からのヨメ。彼女は学園アニメの主人公に恋していたが、恋のライバルであるヒロインに負けてしまって、しかし健気にも主人公を想い続けた女の子だ。俺が幸せにしてやるから、とヨメに加えた。彼女には思い入れが強く、長いこと俺の一番のヨメだった。彼女のために等身大抱き枕を初めて購入したのは良い思い出である(家族にはドン引きされたが)。彼女のキャラクターソングCDはすべて買ったし、今でもそらで全部歌える。それがどうして嘘つき呼ばわりされなければならないのか、俺には納得できなかった。

「どんなことを言ったって、結局今のあなたの一番は私たちじゃない。それにかわりはないでしょ」

「『愛してる』だなんて薄っぺらよ」

「愛してるならどうしてブルーレイも買ってくれないのよ!」


 彼女達の声が耳に響く。女の子の声は、こんなにキンキンしているものなのか。うるさい。本当にうるさい。皆が俺を睨んでいる。そして不満をぶつけてくる。なぜこんな目にあわなくてはいけないのだ。ただヨメに萌えているだけではいけないと言うのか。今まであんなに愛してやったというのに、まだ足りないとは、欲張りじゃないのか。愛しいヨメたちが、今の俺には三次元の女たちと同じに見える。

「……うるさい」

 俺が呟くと、ヨメたちは一斉に静かになった。

「うるさいうるさいうるさい! 何がブルーレイだよ! 金が無いと言ってるだろ。嫁が俺の愛を疑うな。俺を睨むな! 俺を困らせるなら、お前らなんかヨメじゃない!」

 

俺の言葉は、彼女達に思った以上の影響をもたらした。今まで俺を激しく睨み、悲しげに見つめていたヨメたちは、一瞬にしてその表情を変えた。無表情に近い、薄ら笑いを浮かべた顔で俺を見つめる。その視線は俺をおびえさせる。

「……な、なんだよ」

「やっぱり。あなたの愛はその程度だったのね」

「私たちはただ都合の良い存在だった。そうでしょ?」

「ち、違う……っ」

「いいえ、違わない」

 そして、彼女達は薄ら笑いのまま、言葉を続けた。

「そして、私たちも同じよ。ご主人様」

「え……」

 可愛らしく、無邪気で可憐な俺のヨメは、どこかに行ってしまったようだ。

「あなたより、あの人の方が私を上手く描いてくれる」

「あなたより、彼の方がグッズをたくさん買ってくれる」

「あなたより、あの方の方が私を深く愛してくれている」

 彼女達の言葉に、俺は愕然とした。こいつらは、一体「誰」のことを言っている?

「あなたには何人かのヨメがいるけど」

「私たちには、数万人のご主人様がいるのよ」

 うふふ、と一人のヨメが笑った。無邪気で、かわいらしい顔。俺が愛したヨメの笑顔。たぶん、俺以外に向けられた、笑顔。

「だから、あなたが私たちのご主人様でなくなるなら……それでもかまわないわ」

 嫁の言葉に、俺は打ちのめされた。あまりの衝撃に、俺はその場でひざをつく。周りをヨメたちに囲まれて、絶望感に打ちひしがれる。

「あああ、あああああ」

 夢なら覚めてくれ。そう、心から願った。でも、まだ俺の周りを取り囲む、ヨメたちの薄ら笑いは消えてくれなかった。


「ご主人様!」

 後ろから誰かに抱きつかれて、俺はびくりとした。その可愛らしい声に聞き覚えがあって、振り向くと、そこには優しい笑顔があった。

「ご主人様、大丈夫です」

 俺を励ますような声。俺の、今一番のヨメ。学園ものアニメの、一番人気のあるヒロインだった。おさげ髪の似合う、女子高生。

「みみりん!」

「大丈夫。あなたには私がついているわ」

 彼女が俺にしがみついて、無邪気に笑った。

「だから、私を愛して。他の子なんてどうでもいいじゃない」

「……!」

「だから、私に愛を頂戴。DVDも、グッズも、みんな揃えて、私を愛して」

 優しい笑顔に、全く合わない言葉に、頭がくらくらした。ああ、コイツも同じだ。

「愛しているわ、ご主人様。だから、私にも愛を頂戴?」

 俺は強烈なめまいに襲われて、その場に倒れた。耳に残るのは、「愛をください」とささやく、可愛らしくおぞましい少女の声。


「……」

 悪夢から覚めて、俺は台所で水を一杯飲んだ。汗がびっしょりで、気持ち悪い。パジャマが濡れて冷たくなっている。着替えて、顔も洗った。

 布団にもう一度もぐりこみ、天井を見上げると、そこには「みみりん」のポスターがあった。先日アニメグッズのショップで並んで手に入れた代物だった。

「……」

 俺は無言で立ち上がり、それをはがす。でも、捨てることは出来なかった。

「どんなヨメでも、愛すのが夫だからな」

 ぼそり、と呟いて、ポスターを丸めて、机の下にしまった。どうしたって、抜け出すことなんか出来ないのだ。ヨメからの要求に。俺は自嘲気味に笑うと、もう一度布団の中で目を閉じた。今度は、ヨメたちとの幸せな夢を期待して。


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