世界の終わり
『勝手に死んじまえばいい』
中学校の帰り道。
小さな石ころを蹴りながら、俺は心の中でつぶやく。
2012年12月21日。
世界の終わり説。
ツイッターが、世界の終わりだと騒ぎだした。
ある人は、怖いと。
ある人は、ありえないと。
ある人は、死にたいと。
怖い?
あぁ、確かに怖いだろうな。死ぬだろうって、宣告されるようなものだからな。
ありえない?
そりゃ、20日はこんなに平和だから、明日終わるとは思えないよな。
死にたい?
なら、勝手に死んじまえばいい。
死にたいなら、死ねよ。
それで、どうする?
なにがしたい?
今のこの世界が不満だからだろ?
俺だって不満だ。
だけどさ、
それで死んだってなにも変わらない。
今の大人は理不尽だと思う。
ふざけるな。
いいかげんにしろ。
毎日毎日、思っている言葉。
すべてお前らの自由で、俺らは動かされている気がしてならない。
俺ら子供は、大人の遊び道具ではない。
お前らは子供なんだよ。
昔みたいに、人形遊びがしたいんだろ?
どんなふうにでも、好きな世の中にできるからさ。
だけどよ、
生きてる俺らを巻き込むんじゃねぇ。
俺らは俺らなりの生き方があるんだよ。
子供を人形がわりにして遊ぶんじゃねぇよ。
こんな世の中知るか。
だったら、いっそのこと、世界が終わればいい。
大人が全員、消える。
消える。
消える。
消える。
俺の存在だって・・
消える。
・・・俺は生きる。
こんな世の中だからこそ、生きぬく。
そして、俺は大人になったら、
こんな最悪な世の中にしたりはしない。
俺は、生きるぞ。
最高の世の中をつくりあげるために。
お前は、死ぬか?
こんな世の中で暮らしたまま、死ぬか?
このまま、死にたいのか?
俺らと一緒に、つくろうや。
最高な世界をさ。