銀の音色にのせて
この物語は鉄道擬人化小説です。静岡県にあります「大井川鐵道」の路線を人にして物語を作っています。そう言うのが苦手な方はごめんなさい。
「あ、SLさん。新しいハーモニカを買ったのですね」
大井川がにっこりと笑う。
「ああ。前のも愛着があるのだがな」
「これも、いつものお店で?」
「もちろんだ。やはりハーモニカは浜松に限る」
そういうなり、SLはおもむろにハーモニカを吹き始めた。
――線路は続くよ、どこまでも。
美しい音色が、静かな山里にこだまする。
1コーラス吹き終わり、SLはハーモニカから唇を離す。そのとたん、どこからかパチパチという拍手が聞こえてきた。
「……いかわ……」
「あ、いかわさん。こっちで聞きましょうよ」
反対側ホームでにこにことほほえみながら拍手していたのは、つい先ほど千頭駅に戻ってきたいかわ。大井川がおいでおいでと手招きをすると、きょろきょろとあたりを振り返った後、チョコチョコと走りよってきた。
みんなの元に駆け寄るなり、いかわはSLの顔をじっと見つめる。いかわの汚れのない瞳に見つめられるのが苦手なSLは、あえて視線をそらせると、今度は別の曲を吹いた。
――みかんの花咲く丘。
美しいメロディに、いかわの表情がうっとりとしたものに変わる。そんないかわを見て、大井川は心が温かくなるものを感じた。
1曲吹き終わった。ぱあっと顔を高揚させると、いかわはまたもパチパチと激しく手を叩く。ついでにしっぽもパタパタと振り動かす。これにはさすがの大井川も苦笑していた。
「いかわさん、音楽好き?」
大井川が優しく訪ねると、いかわはうれしそうにこくこくと頷く。瞳をきらきらとさせて、うれしそうに二人の顔を交互に見つめるいかわを見て、大井川は優しく頭をなでた。
「……私は練習をしたいだけなのだがな……」
苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべるSL。小さくため息をつくと、手の中のハーモニカをくるくると回した。
「いいじゃない。練習から聞いてもらえば。喜んでる人もいるわけだし」
「まあ、そういわれるとそうなんだが……。なんだか気恥ずかしくてな」
SLは頭をポリポリとかく。
大井川は苦笑すると、やけに目をきらきらさせたままのいかわの肩をぽんと叩いた。
「いかわさん、吹いてみますか? ハーモニカ」
そのとたん、いかわの目が真ん丸になる。大井川がポケットからハーモニカを出すと、いかわはハーモニカと大井川の顔を交互に見る。
「オレのですよ。大丈夫だから」
おそるおそるといった風にいかわはハーモニカを手に取った。いかわの両手よりも大きなハーモニカは、金属部分がかすかにすすけていた。
いかわは大井川の顔をのぞき込んだ。その瞳が「いいの?」と問いかけている。
大井川は大きく頷いた。
いかわはかすかに震えながら、ハーモニカに口づけた。
ぷうぷうと三音ほど漏れた後。
ハーモニカから、聴いたことのないメロディが流れてきた。
明るいメロディ。うきうきするリズム。
なのに、どこか哀愁漂う曲。
聞き覚えはないのに、何故か懐かしいと感じる音楽。
一曲終わり、いかわは唇をハーモニカから離した。そのとたん、音と言う音が消えたかのような静寂に包まれる。
いかわはあわてて大井川の手にハーモニカを返すと、近くの物置に隠れてしまった。
「あ、待て!」
我に返った大井川だが、タイミングは遅かった。すでにいかわは物置の陰に隠れてしまっている。ハーモニカをポケットにしまうと、ゆっくりと物置に近づいていった。
いかわは、物置の壁にぺったりとくっつき、小さくカタカタ震えていた。よほど怖いのか、大きなしっぽを抱き抱えるような姿勢で、小さく丸くなっている。
「いかわ」
大井川は呼びかけた。一瞬ぴくんと反応はあったが、丸くなった姿勢は変わらない。
大井川がそろそろと手を伸ばし、いかわの頭に手を添える。
「すごいきれいな音楽だったから、びっくりしたんだよ。オレも、SLも。怖がらせちゃってごめんね」
その言葉に、ゆっくりといかわの頭が持ち上がる。上目遣いに見上げるいかわの瞳には、まだおびえの色が見られた。
「怒ってるんじゃないよ。ヒトってね、すばらしいものに出会うと、言葉がでなくなっちゃうんだ。本当だよ」
ー-ーホントウニ?
いかわは瞳でそう尋ねる。
大井川はにっこりほほえむと、ゆっくり大きくうなずいた。
いかわの瞳がきらきらと輝き出す。ぎゅっと抱きしめていたしっぽがするりと腕からこぼれ、ゆらりゆらりと揺れている。
大井川は、いかわの頭を優しく撫でた。いかわは少し恥ずかしそうに首を動かすと、ぽふっと大井川の胸に顔を埋めた。
「ところで……」
あれから半日は過ぎ、すっかり日も暮れた頃。終業作業をしていた大井川に、SLは尋ねた。
「あの曲は、何という曲だったのだ?」
「あの曲?」
「昼間、いかわが吹いた曲だ」
SLの言葉に、大井川は困ったような顔をする。
「あ、ああ……オレも知らないんだ……」
「そうなのか?」
「うーん……昔々、どこかで聞いたことがある気がするんだけどなあ……」
「私もそう思うのだが……」
うーんとうなる大人二人。
「……もしかして、SLさんもレパートリーに加えたいとか?」
思いついたように言う大井川に、SLはまじめな顔つきで答えた。
「あれはいかわのものだろう。私ではああは吹けぬ」