9話 メス堕ち
「……あと2回残ってるよな」
イオちゃんを蘇生させた翌日。
「これ以上関わらない方がいい」とイオちゃんと距離を置くことを推奨したことを思い返し、俺はため息を吐く。
イオちゃんほどではないにしろ、この世界に来て俺が好意を抱いたのは2人。
吉良師匠とコウくんだ。俺はその分の不幸を引き受ける必要がある。
…え?ボクシングモンスター?戦慄が上回っているのでノーカン…だと思う。
あとで本体に確認しておこう。
「…来なきゃよかったな」
微生物なんざ知らない、なんてメンタルが保てたらよかったのだが。
半端に人間らしい感情があるせいで悩みが絶えない。「俺になる前の俺」は、何を思って前世の記憶なんてものを受け入れたのだろう。
ただ世界を作るだけのシステムであったなら、イオちゃんを死なせることもなかったのに。
そんなことを思いつつ、俺は通学路を歩く。
瞬間。通りがかった車が跳ねた泥が、俺の体を汚した。
「……蘇生分の不幸かな…?
足りないんなら本体も言っとけよな…」
100人殺した程度では補填できなかったらしい。
「足りないから頭から泥を被るくらいの不幸は来まーす」と伝えてくれてもいいのに。
まったく、融通が効かない本体である。
これはハンカチ程度じゃ拭えないな、とぼやいていると。
「は、ハジメちゃん、大丈夫?」
いつもと変わらない様子のイオちゃんが、タオル片手に俺の元に駆け寄ってきた。
俺はそれに嬉しさを覚えかけるも、即座に顔を逸らし、歩み出す。
「は、ハジメちゃ…」
「また死んじゃうかもだし、近寄らない方がいいよ」
ありがとう。そう言ってタオルを受け取れたら、どれだけよかったか。
心配を跳ね除け、通学路を駆けていく。
カーブミラー越しに見えたイオちゃんの悲しそうな顔が、俺の心を抉った。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「真白さん、なんかあったのか?」
真白 ハジメは決して人付き合いが悪いわけではない。
致命的とまでは行かずとも世間知らずな面が目立つし、事あるごとに勝手に敗北感を募らせて暴走する悪癖があるが、それを除けばどこにでもいるような普通の女子。
それが守仁 コウから見た、真白 ハジメの印象であった。
しかし、今日ばかりは何かが違う。
いつもはこちらに突っかかって、勝手に「また負けた」と打ちひしがれるというのに、今は極端に人を遠ざけている。
コウが疑問に思っていると、共に食事をとっていたイオが辿々しく口を開く。
「ちょ、ちょっと、いろいろ、あって…」
イオも詳しくは知らない。
わかることと言えば、真白 ハジメが神に等しい存在であるということだけ。
だが、それを言葉にする術も、伝えるだけの薄情さも、彼女は持たなかった。
そのことに気づいたのだろう。
コウはその違和感を前に思考を巡らせる。
(真白さんと小川さんの間に何かあったのは確かだろうな…。
小川さんを問い詰めるのは気が引けるけど、ちょっと聞いてみるか)
イオの葛藤を遮るように、コウは「何があったんだ」と問いかけた。
「え、えーっと、その…、ご、ごめん、言えない…」
「……そっか」
確実に何かを知っているような素振りだ。
しかし、あまり深く踏み込むのもよくない。
コウはそれだけ返すと、教室から出ていくハジメの後ろ姿を見やった。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「そろそろ、1回来るか」
昼休み。校舎裏にて、俺はため息を吐く。
先んじて本体に聞いてよかった。
何が来るかはわからないが、クラスメイトに惨殺死体を見せつけるわけにもいかない。
そんなことを思っていると、視線の先にぶつぶつと譫言を呟くおばさんが見える。
少しばかり履歴を見ると、既に3人ほど殺しているのが見えた。
「治安悪すぎねぇか、この街」
コウくんが受ける不幸が起きるようにそうなっているのか、それとも別の要因なのか。
呆れを吐き出し、俺はおばさんに気づかないふりをして弁当を広げる。
脳天に一発。それで俺は死ぬ。
なら、殺しやすいように頭を垂れていればいいだろう。
そんなことを思いつつ、校舎に腰を据えて、ももも、食事を摂る。
何故だろうか。あんまり美味しくない。
もうちょっと味があった気がするんだが、と疑問に思っていると、俺の前に影が降りる。
気配からして、ナイフか。
ヤケクソ顔を晒したおばさんと目が合う。
俺が暴力を受け入れようとした、その時。
「やめろクソババアァァアアアアア!!!」
全速力で駆けてきた影が、おばさんを容易く吹き飛ばした。
「離して、離して」と叫ぶおばさんに、「先生呼んで」と叫ぶ影。
そこにいたのはコウくん。
そのことに気づくと、俺の口は勝手に動いていた。
「な、んで…」
「いいから早く!!先生呼べ!!」
もがくおばさんを全体重をこめて押さえつけるコウくん。
おかしい。俺はここで死んでいたはずだ。
例え同位体であれ、誰かに押し付けない限りはその運命からは決して逃げられない。
しかし、目の前の男は確かに、運命を変えてみせた。
誰がどう死力を尽くせど何人たりとも変えられなかった因果を、この男は変えてみせたのだ。
「離しなさい!!こんの、クソガキィ!!」
「おい!そこで何して…!?」
「先生!こいつ凶器持ってます!!
真白さんが襲われました!!」
「なっ…!?真白、大丈夫か!?」
呆然とする間にも、運命が変わっていく。
本体が嘘をついたのか?違う。俺が抜けた本体にそんな器用さはない。
ありえない光景を前に、俺はどんな顔をしていたのだろう。
駆け寄る先生に腕を掴まれ、俺はその場から連れ出された。
昼休み。俺が死ぬことは、なかった。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「大変だったな。真白さん、怖かったろ」
「……まあ、うん、ありがとう」
放課後。俺は釈然としないながらも、コウくんたちと共に帰っていた。
もしかすると、背負うべき不幸が後回しにされたのかもしれない。
となれば、この帰路で俺が死ぬような大惨事が起きる可能性がある。
免れたとは言え、俺が受けるべき罰は残っている。そのはずなのだ。
正直、彼らを振り払って下校したい。俺は基本的に寿命以外で死なないが、2人は違う。
だがしかし、状況はそれを許さない。
俺が不審者おばさんに狙われたことや、先日の変死体事件。
それらを加味した教師が複数人による下校を命じたのだ。
純度100%、俺のポカの結果である。
ちくしょう。あのカス共、死体も残らないように消しとくんだった。…いや、どのみち問題視されるか。
そんなことを思っていると、イオちゃんと目が合った。
「…………」
「は、ハジメちゃ…、うう…」
「真白さん、小川さんと喧嘩でもしたのか?」
「……いや、そういうわけじゃないけど」
「じゃ、いつもみたく仲良くやろうぜ。
あんなことがあったんだし、気分転換しなきゃだろ?」
そうしたいのは山々だが、俺の力がそれを許さない。
無意識のうちに何をしでかすか、自分でもわからないのだ。
誰かを好きになってはいけない。
誰かを好きと思ってはいけない。
俺はただのシステムなんだ。誰かと仲良くなること自体が間違いなんだ。
そう自分に言い聞かせ、俺は無視を決め込む。
100年なんてあっという間なのに、どこまでも長く感じる。
と。その時だった。
「危ないっ!!」
俺とイオちゃんを抱え、コウくんがその場に転がる。
聞こえたのは、轟音。
土煙と白の煙が溢れ、視界の隅を揺れる。
俺たちが疑問に思ってそちらを向くと。
大型のトラックが、先ほど俺が立っていた場所に突き刺さっていた。
「や、やっちまった!?」
降りてきたのは、まだ若い男。
完全に助手席が潰れた状態だったというのに、体はピンピンしてるらしい。
まさしく奇跡。そうとしか思えない光景を前に呆然としていると、コウくんが安堵のため息を漏らした。
「2人とも、無事でよかったぁ…」
「…………」
なんとなくわかる。今しがた起きた不幸は、俺が受けるべき二つ目の罰だった。
不可避の死。襲いかかるはずだったそれが、またしてもコウくんによって防がれた。
何の代償もなく、運命を書き換えた。
莫大な力を消費したわけでもない。世界という土台そのものを崩したわけでもない。
完全なルール無視だ。微生物如きが成せる技じゃ、決してない。
…まさか、勘違いしていた?
二度の奇跡を経て至った結論を、2人に聞こえないように呟く。
「………もう、崩れてた…?」
コウくんは数多くの人を救っている。
その全てが、避けられない死の運命だったとしたら。
俺が見た時にはもう、守仁 コウというイレギュラーによって、因果律がしっちゃかめっちゃかに荒らされていたとしたら。
想像が事実だとすれば、俺が見ていた因果律はもう原型を留めていなかったのだろう。
呆然と確信を呟く俺に、コウくんは訝しげに首を傾げた。
「なんか言ったか?」
期待に胸が膨らむ。
違う、揺らぐな。俺はただのシステムなんだ。これは何かの間違いなんだ。
繰り返し、表に出そうになる感情を抑える。
「…………あ、ありが、とう…って。
その、さ、さっきのも、お昼のも…」
ダメだ。自分を抑えられない。
感謝が口をついて出る。
そんな俺を見て、何を思ったのだろう。コウくんは俺に眩い笑みを向けた。
「気にすんな。何回だって助けてやるよ」
何故だろうか。彼の言葉に安堵を覚えたのは。
いつもなら、「微生物が何を言っている」だなんて吐き捨てていたのに。
疑問が巡る感覚を心地よく思いながら、俺は気恥ずかしさに顔を逸らした。
主人公だからね、運命を無自覚に書き換えるなんて、造作もないよね