10話 シュレディンガーの自分
死の罰から免れて二日。
チェーンの喫茶店にて、俺は頼んだカフェオレを少し啜ると、まだ気まずい関係のイオちゃんが話を切り出した。
「ご、ごめんね、急に呼び出して」
「いや、こっちも話したいことがあったしいいけど…、どしたの?」
ちび、とクリームを溶かし込んだウィンナコーヒーを啜るイオちゃん。
猫舌なのか、「ぁちっ」とこぼし、口を窄めてふーふーと吐息をかける。
可愛さで殺しにくる小動物かな。
「ぎゃわ」と叫びたい気持ちを抑え、俺はイオちゃんの話に耳を傾けた。
「もしかして、なんだけど…。蘇生させる以外で、なにかした?」
「………?いや、まったく」
輪廻から魂を引っ張ってきて、修復した体に入れ直したくらいだ。
何も変なことはしていない。
俺が疑問に思っていると、イオちゃんは手のひらを机の上に置いた。
「あの、ちょっと見てて」
「ん」
手品でもしてくれるのだろうか。
そんなことを思っていると、イオちゃんの手が異形のものに作り変わった。
「え゛ッ!?」
嘘!?作り変わった!?!?
え、ここ異能ないよ!?ないよね!?コウくんの魅了無効と因果律無視があるから余計にわかんないんだけど!?
激しく困惑する俺に、イオちゃんは「やっぱ知らなかったんだ」とこぼした。
「そ、蘇生してから、ちょっと体がムズムズするなぁって、思って…。
いろいろやってたら、その…」
「こーなっちゃったと」
「う、うん。は、ハジメちゃんが何かしたのかな、って思ってたんだけど…」
「しとらんしとらん」
「だよね…。してたら言ってるよね…」
しおしおと萎れる彼女に、俺は「ちょっと触っていい?」と許可を取る。
質感は白の陶器。外骨格なのだろうか。
怪物の鉤爪のようになった指先をまじまじと見つめ、ふとあることに気づく。
「………これ、特典の中にあったぞ」
「へ?」
「いや、あの…、輪廻の中に転生特典システムがあってね?
脳死で作って放り込んだ雑に強い異能がいくつかあったんだけど…」
「それが、なんで…?」
前世の善行に応じて、強い特典を渡すだけのシステムが不具合を起こしたのか。
そう思い至り、俺はふとあることに気づく。
……蘇らせたタイミング、特典が付与された直後だったりしない?
俺は滝のように冷や汗を垂らし、恐る恐る口を開いた。
「あの、おこらないでね?」
「え、あ、うん」
「多分…、なんだけどさ?
えと、その…、転生直前に引っ張ってきたせいで特典持ったまま復活しちゃったかもー…なんて、あは、あはは…」
「もっと早く気づかないかなぁ???」
「ごめんなさい」
余裕なかったもん。仕方ないじゃん。
そんな言い訳など許さない迫力が、あのちっこいイオちゃんから放たれている。
俺は即座に深々と頭を下げた。
誇れ、イオちゃん。君は俺に頭を下げさせたはじめての微生物だ。
「じゃあ、本題。これなに?」
イオちゃんのお顔が怖い。
いや、違う。愛くるしいお顔なんだ。だけど、その圧が怖い。
俺はおしぼりで汗を拭うという議員ムーブをかましながら、必死に言葉を紡ぐ。
「ま、待って、今思い出す。
結構強めの特典だったのは覚えてる」
やっべ。全然覚えてねぇ。
魂の選別やら転生特典やらの管理は全部輪廻システムに投げてたからな。
「こんなのあったら面白そう」なんて力を面白半分で作って放り込んだくらいの記憶しかない。
何作ったっけ、と一つずつ思い返す中、当てはまるものがあることに気づく。
「…………あ。思い出した」
「…それで?この手はなに?」
「『最強の右手』」
「さいきょうのみぎて」
「うん、『最強の右手』。本当にただひたすら強いだけの右手。オンオフ切り替え化」
いやあ、そんなの作ったなぁ。
「右手だけ最強とか面白くね」なーんて思ったはいいものの、明らかに性能を盛りすぎて扱いに困ってたんだよな。
並々ならぬ善性の塊じゃないと引き当てられないからとたかを括っていたが、まさかイオちゃんが当ててしまうとは。
俺が「そうだ、そうだった」と納得するのを前に、イオちゃんは恐る恐る問うた。
「………あのさ、これ、持て余さない?」
「持て余すね、めっちゃ」
「う、うぅ…。ヒーローになりたいとは言ってたけど…」
「ほら、まあ…、相応しいスーパーパワーはゲットしたってことで…」
「要らないぃ…」
しまった、ガチ泣きさせてしまった。
わたわたとあわてる俺に、涙を拭ったイオちゃんは思いついたように声を漏らす。
「あ。ねぇ、ハジメちゃんなら剥がせたりしない?」
「その、本当にごめんなんだけど、特典って輪廻行かないと分離しないから…」
「もっかい死ななきゃダメってこと…?」
「う、うん…、その、融通効かなくてごめん…」
実質、八方塞がりなわけで。
イオちゃんは最強の右手を持つヒーローという、この世界では確実に持て余す称号を手に入れてしまったわけだ。
「謝らなくていいよ、知らなかったんだから」
やはりイオちゃんは天使。
こんなクソマッチポンプ怪人にも気を遣ってくれるなんて。
「隠せば大丈夫だしね」と笑い、手を元に戻してみせるイオちゃん。
これを受け取ったのが善性の化身みたいなイオちゃんで良かった。半端に善行を積んだ自己中が振るったら、大惨事確定だった。
俺が安堵に胸を撫で下ろすと、イオちゃんが問いかける。
「それで…、ハジメちゃんの話って?」
「や、大したことじゃない…んだけど、さ。
ちょっと悩んでることがあって」
「守仁くんに勝てないとか?」
「それもだけどそうじゃなくて…」
言い淀む俺に、イオちゃんは揶揄うように笑った。
「守仁くんを好きになっちゃったかも…、なーんて…」
「!?!?」
「………すっごいわかりやすいよね」
俺には精神プロテクトがかかってるはず。超能力で頭の中を覗き見るなんて不可能だ。
だというのに、どうして俺の悩みをピタリと言い当てたんだ。
戦慄く俺に、イオちゃんが続けた。
「おとといから守仁くんを見る目に色が入ってるような気がして」
「い、いや、俺、前世は推定男だぞ?女ならとにかく、男になんて…」
「推定でしょ?そもそも、ハジメちゃんに前世があるって…、アカシックレコード…っていうのにも載ってないの?」
「……………ありません、はい」
「それさ、言い方悪いけど、存在してないってことなんじゃ…?」
そうかな。そうかも。
アカシックレコードに載ってなかった時点で薄々気づいていたが、アイデンティティを保てなくなるから認めたくなかったんだよな。
今は秘密を共有する友達もいるし、認める余裕が出てきた。
シュレディンガーの自分が解けかけてきたぞ。
「いや、でも価値観は男寄りだぞ…?」
「着替えで全然狼狽えてなかったよ?」
「そ、それは、微生物の裸なんて…」
「……守仁くんのは通常状態でこのくらい」
「はわっ、はわわ…!?!?」
「……ものすごく見てない?」
まさか、俺は乙女だった…!?
前世が存在しないと仮証明されてしまったことで、俺が保っていた「男の価値観」が瓦解しているのだろうか。
そこまで考えて、俺はふと気づく。
イオちゃんがどうして『性剣守仁 コウ』のスペックを知っている?
問おうとする俺に、イオちゃんは「あっ、聞かないで」と顔を真っ赤にする。
ラッキースケベか。互いにスケベハプニングを引き起こしたというのか。
愕然とする俺に、イオちゃんはこほんと咳払いし、笑みを向けた。
「ようこそ、こちら側へ」
「い、いや、で、でも…」
「守仁くんはポニーテールが好き」
「どう?」
認めよう、俺は俺っ娘乙女だった。
衝動に身を任せ、ポニーテールにした髪をイオちゃんに見せた。
「……葛藤の割には変わり身早すぎない?」
「これがメス堕ちだぜ、イオちゃん…」
「自己申告するんだ…」
今日、俺はメスの自分に負けた。
仕方ないじゃん、推定前世がめちゃくちゃぼんやりしてるんだもん。
クソマッチポンプ怪人は倒しても復活するし、なんなら消した途端本体が大暴走して世界丸ごと滅ぶとかいうクソ仕様付き