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新学期の初日から授業があるらしい。初めての授業を受けて、メイは、そもそも自分は字すら読めないという致命的なことを思い出した。しかし、そういう話は学校側に伝わっているのか、生徒に教師が問いかける場面は何度もあったが、メイが指名されることはなかった。

授業と授業の合間の休み時間にも、メイはまた好奇の視線にさらされた。メイの中で何かが限界を迎え、とうとう顔を伏せたまま教室を飛び出してしまった。



逃亡してきたメイは中庭の木陰になっている芝生の上に体育座りで座り込んだ。

ふと、廊下のほうで女子生徒の黄色い声が聞こえてきた。メイが何かと思って視線を移すと、廊下を歩くアーサーが見えた。周りにいた女子生徒たちは頬を染めてアーサーに熱い視線を送っている。男子生徒も、羨望の眼差しでアーサーを見ている。


「(街でも思ったけど、本当に人を惹きつける人だな…)」


あの見た目の上に、中身も秀でているのならば致し方ない。メイは、そんな人の婚約者という肩書をもってこの学校に入学するとどうなるか、ということをそこまで深く考えていなかったことを後悔した。



授業開始のチャイムを聞きながら、メイは廊下を歩く生徒たちが皆教室に入ったのを見て、大の字になって寝そべった。先程までの生徒たちの声がなくなり、しんと静かになる辺り。世界は動いているのに、自分だけ隠れてこんなところで止まっていることの罪悪感と、少しのわくわくが共存して、なんだか変な気持ちになる。

こんな風に寝そべっているところをアンナが見たら発狂するだろう。しかし、お嬢様らしくと口酸っぱく言ってきたアンナはもうここにはいない。代わりにいるのは、お嬢様らしくない彼女をみて注意ではなく陰口を叩く人たちだ。こんなところ、他の生徒たちにみられたら、また噂をされるだろうとメイはわかっていた。すっかり疲れていたメイは、そんなのべつに良いや、こちとら田舎育ちのオーガニック令嬢ですよ、と投げやりになったが、ふと、アーサーまで悪く言われてしまうか、と気がつくとそそくさと起き上がった。

しかしすぐに、授業を抜け出している時点でもう悪く言われるか、と思い直して、重いため息が出る。いや、自分はもう何をしても悪いように噂されてしまうのだ。メイは苦々しくそう思う。おそらく、ターナー家という没落貴族の、行方不明になって、記憶喪失のまま農村で数年間暮らしてきた得体のしれない令嬢が、あのブラウン侯爵家のあのアーサーと婚約関係にあることが皆気に食わないのだ。そうである以上、メイは何をしたって悪いように言われる。みんながこの噂話で楽しむ流行が早く廃ることをメイは願うだけである。


「(まだメイさんなら上手くやれたのだろうか…)」


貴族の社会で生きてきたであろう記憶を無くす前のメイなら上手く立ち回れていただろうか。そもそも、彼女ならばここまでは言われなかった気がする。

はあ、と何度目かわからないため息をつく。いつまでも教室から逃げるわけには行かない。けれど、この1時間だけは、人の目から逃れさせて欲しい、許して欲しい。そう思いながら、体育座りをしている体勢のメイは自分の膝に顔を埋める。


「あ、悪い人がいる」


聞き覚えのある声がして、はっと顔を上げる。声の方向を見ると、目の前にエドガーが立っていた。男子制服を着たエドガーに、この人もこの学校の生徒だったんだと気がつく。ネクタイの色は青色で、六年生だということがわかる。


「え、エドガー…」

「早速おさぼりだなんて、なかなかやるね」


エドガーはいつもの無表情でそう言うと、メイの頭に手を伸ばした。メイが驚いて避けられないでいると、すぐにエドガーは手を離した。


「葉っぱついてるよ」 

「…あ」


さっき寝転がったときだ、と思いながらメイは、ありがとう、と返した。エドガーは取った葉っぱから手を離す。葉っぱはひらひらと舞いながら地面に落ちた。メイは葉っぱが落ちたのを見てから口を開いた。


「…驚かないでほしいんだけど、私、字が読めないんだよね…」

「へー」

「だから、授業がさっぱりで、逃げてきちゃった。あなたもさぼり?」

「俺は昼寝。ここ、俺の昼寝スポットだから。人が来ないし、日当たりは良いし」


エドガーはそう言うと、メイの隣に腰を掛けた。メイは、そうなんだ、と言うと、立ち上がろうとした。すると、エドガーがどうしたの、と聞いた。


「いや、昼寝の邪魔したら悪いかなって…」

「まあ悪いね」

「そうでしょう、それじゃあ」

「でも、そんな顔してるのに一人にさせられないよ」


エドガーの表情がないけれど優しい瞳に、メイは目が離せなくなる。メイは目を伏せた後、またエドガーの隣に腰を掛けた。なんとなくだけれど、エドガーはメイが教室でどんなことになっているのか察しているのだと、メイはそう思った。


「アンナがね、あなたと私は昔からの友人だったって。そうなの?」

「まあ、出会った時期で言えばアーサーより早いね」

「あなたと私って、仲良しだったのかな?」

「さあ、どうかな」 


エドガーは、芝生の上に寝転び、腕を枕にして目を閉じる。メイは、掴みきれないエドガーの様子に小さく笑う。


「メイはどう思う?」

「え?」

「今、俺と仲良くなりたいと思う?」

「ええ、もちろん。あなたのまとってる空気が、なんていうか、心地いいから」


メイの言葉にエドガーは小さく吹き出して、エドガーは上半身を起こすとメイと目線を合わせた。エドガーの青緑色の瞳が太陽に反射して綺麗に光る。


「嬉しいよ。俺も、メイと仲良くなりたいと思っているから」


エドガーの言葉に、メイは微笑む。そんなメイを見て、エドガーも微笑んだ。

メイは、よし、と言うと立ち上がった。そして、制服のスカートについた草を払った。


「教室に帰るね」

「へえ、途中から戻るなんて勇気があるね」

「体調が悪かったって言えば大丈夫。ここで行かないと、本当にへこたれてしまう気がするから」


メイは、エドガーの方を振り向き、ありがとう、エドガーのおかげ!と手を振ると、自分の教室の方へ歩きだした。そんなメイを見て、エドガーは、変わんないなあ、と呟いた。






なんとか一日の授業を終えたメイは、自分の宿舎に戻ろうと廊下を歩いていた。


「お持ちになって!」


強気な声がして、振り向けばそこには、桃色の少し癖のある長髪をして、瞳がくりっと大きな美少女が立っていた。リボンを見れば赤色で、同じクラスにこんな子いただろうか、と、思考を巡らせる。こんなに目立つ子に気が付けないほど自分はうつむいていたのか、とわかると、メイはまた疲れを感じた。

眉をきゅっと吊り上げて、大きくて可愛い瞳を睨みつけるように歪ませる彼女を見て、さっきまでは陰でこそこそ言われてきたが、とうとう面と向かって何か言われるのだろうか、とメイは思った。メイはどぎまぎしながら少女のほうを見た。


「あなたが、アーサー・ブラウン様のフィアンセでして?」

「え、ええ、まあ…」


解消予定ですが、という言葉を飲み込んでメイは答える。少女はメイのことを頭からつま先までじっと見ると、ふふん、と鼻を鳴らした。


「アーサー様のフィアンセというからどんなに素敵なレディかと思えば、ガッカリ、ですわ。ハニーのほうがずっと、ずーっとお似合いでしてよ」

「は、はにー?」

「あら、申し遅れましたわ、わたくし、ハニースイートキャンディ・ルイスと申しますの。ルイス伯爵家の長女ですわ。ハニーとお呼びになって」

「は、ハニーさん。えっと私は、」

「メイ・ターナーでしょう?この学校で知らない人なんておりませんわ」


ハニーは、桃色の髪を片手でぱっと払うと、ハッキリ言いますけれど、とメイの方を睨んだ。


「あなた、アーサー様と婚約してるだなんて似つかわしくなくってよ。はやく辞退なさっ、…」


ハニーの言葉が止まる。ハニーの視線の先を見れば、ミツバチがぶんと音を立てて飛んでいる。蜂はハニーの鼻の前をかすめるように飛んでいく。それを見たハニーが、ひ、ひ、と声にならない悲鳴をあげる。

メイは、急いでハニーのそばに行くと、彼女を蜂から庇うように立った。そして、鞄から教科書を取り出すと、慣れた手つきで蜂を窓の外に追い出した。


「大丈夫?ミツバチはそこまで凶暴じゃないから平気だよ。もちろん刺されることもあるけど…」


自分も何度刺されたことか、と思い出しながら苦笑いをする。メイは、ハニーの瞳をみて、どこも刺されていない?と心配そうに尋ねる。貴族のお嬢様なのだから、怖い思いをしただろう、とメイはハニーを可哀想にと思いながら見つめる。

ハニーは、固まったままメイを見つめる。メイは、だ、大丈夫?と再度尋ねる。


「(お、お、お、お姉様……!)」


ハニーは口元を隠すように両手の指を組んで、それを唇に当てた。きらきらとした瞳でメイを見上げる。メイはそんなハニーに首をかしげる。ハニーは、はっとすると、ふんっ、とそっぽを向いた。


「べ、べつにこの程度のこと、なんでもなくってよ!」

「そう、ならよかった」


メイはそう言いながら、鞄に教科書をしまった。そして、ハニーの方を見た。


「ところであなた、婚約辞退したらって言ってたけど…」


メイは期待を込めた瞳でハニーを見た。彼女はアーサーに気がありそうだし、家も伯爵家というなら申し分ないだろう、見た目も整っているし、お似合いではないだろうか。そんな気持ちでハニーに聞くと、ハニーは、お、お忘れになって!と手を振った。


「わたくし、レディーとして、お姉様の婚約者を奪うだなんてそんなはしたないこといたしませんわ…!」

「(…お姉様?)」

「それでは、失礼いたしますわ!」


ハニーはそう言うと、そそくさとメイの前から去っていった。耳まで赤くなっていたハニーにメイは首を傾げながら、まあ悪い人では無さそうかな、と呟いた。


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