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ジョセフとの結婚を知らされた翌朝、ココはいつもと違う気持ちで目が覚めたけれど、いつもと同じように髪をとかし、顔を洗い、両親におはようと言った。しかし、なんとなく娘の変化に何かを察した両親は顔を見合わせて、それから笑顔を取り繕ってココを見た。
「ジョセフは、嫌なのかい?」
父がそう尋ねた。ココは、父の目を見つめた。優しい瞳が、そんなこと言わないでくれと言っている。ココは服を少しだけ握ると微笑んだ。
「そんなことないよ。パパとママが良いって言う人と結婚するのが一番」
「ならよかった。ジョセフは見た目はああだけど、よく働くし、きっと良い夫になる」
「それに、ジョセフの親にあなたの傷のことを言ったけど、構わないって。うちの息子なんて毛まるけなんだから気にしないって。嫁入りしてもきっと、うまくやっていけるわよ」
母はそう言ってココを抱きしめる。大丈夫、大丈夫、と。その様子に、ココは自分の背中の傷のせいで縁談の話がなくなったことがあるというのをを察した。
ココには背中に傷があるのだ。ココは小さい頃高いところから落ちて怪我をしたのだという。その時に頭を打ち、幼い頃の記憶がなくなってしまったのだった。その時についた深く痛々しいという傷は、しかしココは、自分では直接見たことがない。街にはあるという鏡でもあれば見られるのかもしれないが。
早速、ジョセフの家に野菜を持っていくように言われて、ココは丘の方へ向かった。丘を越えた先にジョセフの家はあり、ココの家よりいくらかは余裕のある生活をしている。
ジョセフの家につき、人を探したが見つからず、あたりを見渡しながら歩いていると、畑を耕すジョセフがいた。ジョセフはココに気がつくと、いつもの無愛想な顔で、おお、と素っ気なく言った。
結婚が決まった、と言われてどんな顔をしていいかわからず、ココは視線をそらしたあと、ぎこちなくジョセフに野菜を手渡した。ジョセフは雑にそれをうけとると、ああ、とだけ言った。
「そ、それじゃあ…」
「待てよ」
ジョセフは、乱暴にココの手首をつかんだ。腕はやっぱり太くて毛深くて、その腕で転ばされたことを思い出して震え上がる。ジョセフは乱雑にココを引き寄せると、少しだけいやらしく光らせた目をココに向け、舐め回すよう上から下に動かした。その視線に鳥肌が立つ。
「オレたち結婚すんだぜ。聞いたか?」
「う、うん。聞いた…」
「んじゃ、キスでもすっか」
「えっ、え、」
「ええじゃろ。いつかはするんだから」
そう言って、すぼめた唇をココに近づけるジョセフ。ココは、これは仕方ないこと、両親が望んだこと、そう唱えることで、泣き出したい自分を殺そうとした。
しかし、また、昨日の教会の少年が浮かんだ。
なんで、なんで思い出すの。
ココは、自分をバカバカしいと思った。関係のない少年だ。自分とは縁のない、どんなに綺麗だと美しいと憧れても、どうともなることがてきない少年。それなのに、彼の顔を思い出したとき、ココは力いっぱいジョセフの手を振り払っていた。
「やっぱり、あなたとは無理っっっ!」
そう叫びながら、脱兎のごとく逃げ出した。
息が切れるのも忘れて、ココは無我夢中で走った。気がつけばココは教会についていた。肩を揺らして息をしながら辺りを見渡した。まだ朝早い時間で、教会には誰もいなかった。古い教会のステンドグラスから、朝の光が差し込む。昨日少年が祈っていた場所までゆっくりと歩き、ココは立ち尽くす。こんな、人から聞いた物語の登場人物のような、手の届かない相手がちらついて、両親が選んだ結婚相手を振り払うなんて、自分はどうかしている。これでジョセフが気を悪くして結婚しないなんて言ったらどうしよう。
こつ、こつ、と革靴が教会の廊下を叩く音がする。不安で頭がいっぱいだったココははっとして、音の方を振り向く。そこにはなんと、昨日の少年がいたのだ。
現れた少年をココが驚いて見つめた。なぜか少年も目を丸くしてココをを見ている。
「…メイ?」
ココの知らない名前をつぶやきながら。