13
メイは、アーサーに教えてもらった文字を、宿舎に帰ってまた勉強することにした。ハニーはそんなメイを見て、熱心ですのね、と感心していた。とにかく早く文字を覚えて、授業がわかるようになって、知識を増やしたいと思った。もっと広い世界を知って、自分として生きる道を模索したいと、そうメイは思った。
勉強がしたい、とは思うものの、メイには未だに噂と好奇の視線、それに陰口がついて回っており、それが彼女の体力のほとんどを奪っているのが現実としてあった。
メイはまた、精神の限界を感じ、授業の休み時間に人けのない中庭に逃げ込んだ。木の陰に座り込み、はあ、と大きな息を吐いた。
すると、奥の方から男女の話し声が聞こえた。他に人がいたのか、と思って木の陰から覗くと、男女が2人、仲よさげに腕や体を絡ませ合っていた。 メイは、見てはいけないものを見てしまった、と思い、慌てて木の陰に隠れた。このままここから出ていっては、自分が彼らの逢瀬を観ていたことがバレてしまう。早く2人がここから去ってくれないかをメイは祈るしかなかった。
メイの祈りが届いたのか、2人は案外早く別れてくれた。次の授業も始まるし、それもそうか、とメイは安心しながら思った。自分も教室に戻ろう、そう思ったメイは立ち上がった。
「やっぱり、メイちゃんだ」
背後から声がして、はっと振り向くと、そこにはダニエルがいた。メイは、あ、こんにちは、と軽く会釈をしたあと、ん、とダニエルに目を凝らした。さっきの絡み合っていた男女の、男の方は、そういえばダニエルであった。ダニエルは、いつもの親しみやすいニコニコ笑顔でメイの方を見ている。
「もしかして、…私がずっとここにいたって…」
「もちろん知ってたよ」
「…さっきのは彼女ですか?あの…覗くつもりはなくって、ごめんなさい…」
「あはは、違うよ、トモダチだよ」
メイは、ダニエルの言葉に、訝しげな顔をした。友だちの距離感ではなかったようにメイには思えた。ハニーの言っていた話もあるし、彼女も遊び相手の一人なのだろうか。メイの疑いの目に気がついたのか、ダニエルは笑顔から一転して、寂しそうに目を伏せた。
「…やっぱり、メイちゃんも僕の噂を聞いたよね」
「あ、えっと…」
「僕って、見た目がちょっと派手だから、よく誤解されるんだ。みんな、あることないこと噂して、今では遊び人ってことになってる、はは、参ったよね、ほんとに…」
そう言って、肩を落とすダニエルに、メイは、そうだったんですか、と呟いた。噂に振り回される苦しみは、メイにもよくわかった。メイは、ごめんなさい、と頭を下げた。
「勘違いしてしまって…私、あなたのこと勝手に誤解してました」
「いいんだ、気にしないで」
ダニエルは、またいつもの人懐っこい笑顔に戻った。そして、でもね、と少し落ち着いたトーンでそう言うと、メイの側に近づき、腰をかがめてメイと視線を合わせた。青色の瞳に、メイは目が離せなくなる。
「僕は、メイちゃんとは特別に仲良くしたいんだ。…駄目かな?」
ダニエルは、そう静かにはメイに尋ねる。メイは、ダニエルの言葉に驚く。アーサーの婚約者である自分にそんなふうに近づいてくる男子生徒など一人としていなかった。ここから始まる恋や出会いがあるかもしれない。メイはダニエルの方をきらきらした瞳で見つめ返す。
「はい!もちろん!」
「(…予想外の食い気味…)そっか、嬉しいよ」
ダニエルの人当たりのいい笑顔を見ながらメイは、いや、この人は女性の友だちが多そうだし、しかも、友だち相手にあんなに濃厚なスキンシップまでしてしまうのだから、恋愛の対象にするには、かなり苦労しそうだと思い直した。その時ふと、メイは彼が長男であることを思い出した。
「…って、あれ、そういえばダニエルさんって、長男でしたよね?婚約者がいるんじゃないんですか?」
婚約者がいる相手を恋愛対象にはできない。そう思いながら言ったメイは、ダニエルを纏う雰囲気が、顔は笑顔のままだが冷たく凍るのを感じた。メイは、口を噤む。
「僕は跡取りじゃないから、婚約者はまだ決まっていないんだ」
「そう、なんですか」
「そんなつまらない話はいいから、楽しい話をしようよ」
ダニエルはそう言うと、メイの腰に腕を回し、彼女を自分の方に引き寄せた。メイは抵抗する暇もなく、彼の鼻が自分の鼻に当たるほど近くに連れてこられる。メイは、そんなダニエルに驚くが、しかし、ダニエルの瞳をみて、何かに気がついたように、え、と呟く。
「メイちゃん、僕はね、君ともっと親しくなりたいな…」
「…あの、ダニエルさん、なんだか悲しそうです」
メイの言葉に、ダニエルが、え、と声を漏らす。メイは、ダニエルの気が緩んだ隙に、彼の手から離れる。しかし、瞳は見つめたまま、ほら、と口を開く。
「私にそういうことを言いながら、傷ついてる顔をしています。…なにかありましたか?」
「…」
ダニエルは、目を見開いた後、なんだ、と少しだけ動揺がわかる声をもらした。
「君ってつまんない女の子だね」
「あの、…」
「冷めちゃった。バイバイ、メイちゃん」
ダニエルは、そう言うとメイに背中を向けて歩きだした。しかし、ダニエルは歩みを止めて、背中を向けたまま話しだした。
「…アーサーはね、僕が今まで見てた限り、人に対して好きになるとか愛してるとか、そういう感情が全く欠落してたんだ。そういうところ、僕はとっても気に入ってたんだけどな…」
「あの、一体…」
ダニエルは、それだけ言うと、メイの言葉を聞かずに、中庭から去っていった。




