肉が実る植物
何らかの生きた動物を犠牲にすることで、肉は生まれる。
豚肉、牛肉、鶏肉、我々はそれを食べるために生産する。
そんなのは当たり前で、生まれる前からあったこと。
生まれる前から受け入れてきたこと。
そう思いながら、何ら疑問を抱かずに肉を食べ続けるならば、
あなたが肉になればいい。あなたが犠牲になればいい。
生まれて間もない、親から与えられるしか能がない子供が
ご飯に出されたおいしそうなお肉を食べるのは当たり前である。
親は子供に食べさせるためにお肉を調理し、
子供はただただそれを食べる。
そんなのは悪いことではない。
そこに善悪の入る余地は一切ない。
しかし、大人になったあなたは、
十分に物事を考えれるあなたには、
お肉についてよく考える責任がある。
お肉は食べるために作られる。そんなあり得ないことを、
そんなふざけたことをあなたが信じているのなら、
あなたがお肉になればいい。
あなたが狩猟採集民ではなく、
動物を直接殺してもいないならば、
どうして食べられるために動物が殺されているというのか。
スーパーで並べれているお肉は、食べるため誰かが並べたのか。
違う。売るために並べられている。
屠殺場で殺された動物たちも食べるために殺されたのではなく、
売られるため、誰かの利益のために殺されたんだ。
屠殺場で動物をお肉にしたのはあなたではない、
それを仕事としている人たちだ。
これには需要と供給のバランスがなりたっているんだろう。
需要のある側は、「食べないと不健康になるから」
そんなどうしようもない言い訳が、
生物として誕生してしまったからには避けようがない、
もっともらしい理由がある。
しかし、お肉を供給している側はどうだろうか。
彼らにはもっともらしい理由があるのだろうか。
動物を殺すのに言い訳できるものがあるのだろうか。
「需要があるから」
そんなのでいいのだろうか
私は別に、屠殺場で働いている人たちを批判したいわけではない。
現に彼らがいないと社会が成り立たないだろう。
のうのうと生きている一般人が食べるために動物を殺せるとは到底思えない。
1億人ちょっとしかいない日本人を、
たったの野菜だけで生かし続けれるとは思えない。
だから、この日本社会で生きている私が彼らを批判できるはずがない。
私が問題だと思っているのは、
食べるため以外の邪な理由が、
動物を殺戮する現場に入ってしまっているのに、
「食べる」ために動物達は殺されていると本気で思っている人たち、
だからしょうがないとなっている一般常識。
今までのは前書き。
お肉を食べるうえでの前置きでしかない。
今までのは全部嘘で、誤りで、
私自身気持ち悪いと思う。
「そんなこといちいち考えなくていい」
そう思いたくなる。
お肉を食べるために考えるのが必要なのであって、
お肉を食べるうえで考える方がおかしいのだろう。
それが社会の摂理であるし、
自然の摂理でもある。
だから
私は何も考えない。
植物がお肉を実らせてくれればいいのに。
そうだったら、こんな思ってもいないことを、
書きたいと思わなかっただろうに。