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野宿ガール  作者: 五月雨拳人
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6話 魔の一時間を越えて

     ◇


 三月九日(木曜日)


 天気は昨日に引き続き快晴。


「よし、行くか」


 紗月は気合を込めてアパートの玄関を開け、駐輪場に向かう。


 自転車には、再び箱が装着されていた。昨日三時間かけて帰宅した後、疲れた体に鞭打って作業したのだ。


 今回は昨日の失敗を反省し、結束バンドを三倍にして十五箇所を固定した。これで駄目ならもう固定金具を使うか、金属製のネジで留めるしかないだろう。今度こそ人事を尽くしたので、後は天命を待つのみだ。


「いざ、リベンジ!」


 初日とは違う緊張感をもって、紗月はペダルを踏み出す。荷物を減らしたせいか、ペダルは昨日よりも少しだけ軽くなった気がした。



 朝の通勤ラッシュを横目に、自転車は順調に進む。そして一時間後、とうとう昨日のデッドポイント、箱が脱落した坂道に到着した。


「もってくれよオラの箱ーッ!」


 勢いある心の叫びとは裏腹に、自転車は歩くのと同じくらいの速度で坂を下り始めた。慎重にブレーキをかけながら、自転車は遂に問題の段差に差し掛かる。


「フン!」


 紗月はここでブレーキを目いっぱい握り、速度を自転車が段差を乗り越えられるギリギリまで落とす。


 やがて自転車は、昨日とは比べ物にならないほど小さな振動を車体に与えて段差を乗り越えた。


「……やった」


 越えた。昨日トラブった場所を無事越えた。紗月は魔の一時間に勝利したのだ。思わず雄叫びを上げたいのをぐっと堪え、心の中でガッツポーズをとる。


 しかしすぐに気を引き締め直す。まだ最初の山を越えただけで、この先いくらでもこういう場所が待っているのだ。いちいち一喜一憂していたらきりがない。それよりも、二度とこういうことがないように、坂はゆっくり下ろと心に誓った紗月であった。




 文字通り大きな坂を越えてからは、順調であった。何より、魔の一時間を越えたという安心感が、朝から緊張していた紗月の心身を解放したのが大きかった。


 そうしているうちに時刻は正午に近づき、紗月は腹が減った。いつもより朝食をしっかり多めに摂ったとは言え、何時間も自転車を漕いでいると普段よりも腹が減る。


 さて飯屋を捜すかと思ったが、市街地を抜けて郊外に来ているので見渡す限り飲食店どころか自販機すら見当たらない。あるのはせいぜいガソリンスタンドぐらいだ。


 しかし慌てるなかれ。郊外と言えど、せいぜい自転車で数時間走った程度の距離。紗月にとっては未知でも何でもなく、これまでバイクだけでなく自転車でも何度も来た既知の場所だ。ここら辺に飯屋がないことぐらい、既に承知のことである。


 地図を見るまでもなく、頭の中に周辺の地図が浮かび上がる。この道の先にあるのは、カレーのフランチャイズ店ぐらいだろうか。しかし紗月はあの素カレーで勝負せずトッピングで値段を稼ぐやり口が嫌いなので、よほど食事に困らない限りは行かないと決めている。あんなものはカレーではない。揚げ物にかけるカレー味のソースだ。よってカレー屋はパス。(個人の感想です)


 だがそうなるともう飯屋はおろかコンビニも遥か遠くになるのだが、飯を食うのは飯屋だけではない。紗月は慌てず騒がず、腹の虫を宥めるように粛々とペダルを漕ぎ続けた。


 そうしてやって来たのが、郊外によくある大型ディスカウントスーパーである。市街地にある全国展開するような有名スーパーではなく、地方ローカルでありながら独自の入荷ルートを駆使したり大量入荷で仕入れ値を抑えて商品の低価格を実現した利用者の財布に優しいこの手のスーパーは、紗月のような仕送りとアルバイトで生活している者にとってはありがたい存在だ。


 駐輪場に自転車停め、紗月は中へと入る。目指すはもちろん、惣菜と弁当のコーナーだ。


 主婦や昼飯を買いに来た近所の勤め人たちに紛れ、紗月も弁当を物色する。スーパー内で作っているためまだほんのり温かい弁当を手に、値段を見て驚く。


「やっす……」


 のり弁がたったの250円。マジかよ、と思って他の弁当を見ても、どれも似たり寄ったりの値段だった。畜生、家が近所だったら絶対通うのに……と心の中で血の涙を流しながら、紗月は昼食用にのり弁とペットボトルのお茶を、夕食用にカップ麺と2リットルペットボトルの水をカゴに入れレジへと向かう。


 重くてかさばる2リットルの水を買うのは、水道のない場所で野宿する時に便利だからだ。お茶やジュースでは喉を潤すしかできないが、水なら歯を磨いたり手を洗ったりもできる。なので紗月は荷物に余裕があれば必ず2リットルの水を買うことにしている。


 想定以上の安さで昼食を手に入れほくほく顔の紗月であったが、問題が一つあった。


 このスーパーにはフードコートなど、ゆっくり座って食事をする場所がないのだ。駐輪場の隅でこっそり食べようにも、今はちょうど昼食の買い物客で賑わっていてとてもではないができそうにない。見られると恥ずかしいからだ。


 飯屋を捜す食料難民から逃れ弁当を入手できたと思ったら、今度は食べる場所を探す羽目になるとは。


 しかしそこは旅慣れた野宿ガール紗月。こういう時はどこに行けば良いかちゃんと知っている。


 そうと決まれた移動だ。買った物を自転車の箱に入れ、紗月はスーパーを後にした。


あくまで個人の感想です。

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