国定忠治
東海林太郎という歌手を知っているかい。
初めはやくざの歌と歌うのを難色示した彼が、おいらが民衆の味方だと知って「名月赤城山」歌って大ヒットになったらしい。おっと、これは俺の死んで百数十年もたったあとのことだ。
新国劇はじめ様々な劇になっているらしい。
餓えに苦しむ人達を救いたくて、代官所を襲った。
みんなは生き神さだと言っておいらに手をあわしたぜ。だが、このまま、赤城山にこもっていれば皆の衆に迷惑をかけると判断したおいらは組を解散して、山を降りて、わらじを履くことにした。
旅から故郷に帰ったおいらを待っていたのは。「疫病神。出てゆけ」と言って石を投げる人々だった。
俺が旅にでたあと、俺を捕まえるために、お上はかなりの負担を人々に強いたらしい。そうして人々に恨まれた俺は、また度に出た。
俺は関所破りの罪で処刑になった。おれが、痛風で寝込んでいたときに、踏み込んできやがった。女房は俺の遺体を引き取らなかったようだ。そのためか、彼女は連座に問われることもなく、無罪だった。俺が捕まったときも妾のお町といっしょだったからなぁ・・・
参考 中江良二 忠治御用旅