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本当に良いのかい、と問われるのは、これが五度目だった。
「良いんです、校長先生」
同じ答えを返しながら、私は机の向こうの男を促す。彼は右手にペンを握ったまま、真意を探るように私の目をのぞき込んでいた。それに視線を返してやりながら、いったい何が読み取れるというのだろう、と考える。諦めだろうか。それとも解放感だろうか。
校長の手元には一枚の書類が寝かせられている。その紙切れに一行、彼が名前を描き込めば、私は学校から除籍されることになる。
何度となく確認を取られているのはそのためで、はっきりと頷いてみせるのに、そろそろ私も飽きていたところだった。
「……彼女のことは、きみの責任ではないよ。誰もきみを責めたりはしない」
「関係ありません。私とあの子とはなにも」
遅かれ早かれ、という自覚はあった。数年後、十数年後、数十年後の如何を問わず、いつか私はこうやって、レールを外れていくのだろうと。そのふんぎりがつかないままで歩み続けた、今までのほうが狂気の沙汰であったのだ。誰も傷つけずにじぶんの形を保つことなど、決してできはしないのに――。
校長は私の答えを受けてなお苦々しげな顔をしていたけれど、終いには「わかった」と一言つぶやいて、書類に名前を記した。堅苦しく整った小粒な文字だった。
「ありがとうございます、先生」
「ほかの学校へ行くのかい。大学への推薦状も無駄になってしまうよ」
「構いません」
失礼しますと告げて踵を返す。校長の重い溜息が聞こえてきた。
廊下の窓は開かれていた。吹き込んだ風の、温く、穏やかな気配。両手に収めた書類の軽さ。生徒たちの笑い声はもう、遠いものとして耳に届いた。
――お父さん、お母さん。
――あなた方の期待を裏切る、私のことを許してください。
そう語る手紙を添えて、書類を入れた封筒をポストに投げ込んだ。
ほんのわずかに期待していたような、肩の軽くなる心地はしなかった。代わりに訪れたのは心臓を締め付けるばかりのやるせなさ。もう戻るところはないのだと思い知らされて、しばらくその場に立ち止まっていた。――ずっとここに張りこんで、収集の人間を待てば、まだ後戻りは効くかもしれない。あるいは両親に頭を下げれば。代替案は幾つも浮かんでくる。
しかし私は、そのどれも実行に移すことのないままでポストの傍を離れた。重苦しい後悔と、はち切れそうな荷を背負いながら。
ふたりはいまだ海の向こうにいる。手紙が届くのも、もう数日はあとのことになるだろう。中天を越えたばかりの秋の太陽が、薄雲の向こうで光っている――。
*
そうして私は、人気のないホームで夜汽車を待っている。日に数度しか走らない汽車を、太った荷を抱きかかえて。力なく点滅する街灯が、私の足元に影を落としていた。
俯いた視界に前髪がかかる。学校を出るにあたり、脱色をかけた髪がそこにあった。安価な薬ひとつでは色が抜ききれなかった髪。夜の中ではそれも暗色に映る気がして、唇は皮肉な笑みを作る。惰性で引きずった因縁のありかだった。所詮、と考えずには、胸の暗澹のやり場が見つからなかった。
定刻が訪れて、彼方に生まれた光点が明度を増していく。すぐに規則正しい走行音が耳に届いた。
私は重い荷を抱え、椅子から尻を持ち上げた。まばたきをした途端、まなうらに彼女の笑みが浮かぶ。さようならと告げた声も。けれども朝を待たずに地を蹴った、彼女の名前だけが思い出せなかった。
――白い光に視界が染まる。断ち切るように汽笛が鳴る。
煌々と、まばゆく灯るライトが夜を、