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ほのぼの・じんわり系 あれこれ

Bar かくれん坊

「もーういーぃかい……」


他に誰も居ない店内で、煙草を手にした女店主が酒に()けたハスキーな声で呟く。


チリン


古びたドアについたベルが来客を知らせる音を小さく鳴らした。


「あら、いらっしゃい」


カウンターの中で女店主は笑顔になる。

その顔には人生の年輪としていくつもの皺が刻まれているが、彼女の美しさを損なうどころか、かえって凄みまで増している。


「日本酒でいい?今回は特別に良いのを取り寄せたのよ」


冷蔵庫から大吟醸の瓶を取り出し封を切る。

女店主は檜の升にグラスをセットし、溢れるまで注いだ。

ツマミはふかしたジャガイモにバターを絡めホタルイカの沖漬けを添えた小鉢だ。

それを酒を注いだ升と一緒に、カウンターの(すみ)に置く。

そこは間接照明の灯りを受けて、煙が揺蕩(たゆた)っている。


「あんたも物好きねえ、毎回こんな汚いババアしかいない汚い店に来て。他に帰る場所がちゃんとあるでしょう?」


そう言いながらも女店主の目の奥には懐かしさと喜びが滲んでいる。


「……もういいんじゃない?」


「……」


「……まだなの?」


「……」


「もう6年よ」


女店主は煙が揺らめくカウンターの向こうを見つめるが、返答は得られなかった。


カランコロンカラン


ドアが押し開けられ、ベルが勢いよく鳴る。


「ご免なさい、今日は貸し切りで……」


言いかけた女店主の声が止まる。

入り口にいたのは全身黒い服を着た若い女。10代後半か、20代前半に見えるが化粧も髪型も随分と地味だ。

仕立ての良さそうなその服を着慣れている風には見えず、店の中をおそるおそる見ている。


今時の若者が喪服に合わせて今日だけ落ち着いたヘアメイクにしているとしたらそれなりに育ちが良いということだ。

そして場末のバーにも、高級な喪服にも不釣り合いな溌剌さが、知らずとその身から漏れ出ている。

そんな彼女を見て一瞬で女店主はその正体にアタリをつけ、よそ行きの顔を作った。


「……いらっしゃい。何かご用?」


「すみません、貸し切りの紙がおもてにあったのはわかっていたんですけど……あの、山田 美奈子さんのお店ですか?私は宮内 柚羽(みやうち ゆずは)と言います。宮内 昭三(しょうぞう)は私の祖父です。」


「宮内さんとこのお孫さんね。何か?」


女店主、美奈子は笑顔のままだが、そこに他人を寄せ付けない圧力を覗かせる。

柚羽はそれを感じ取ったのかビクリとしたが、帰ろうとはせずに店内に入りドアを閉めた。


カランコロン


「……」


二人は暫く無言のまま店内は煙だけが踊っている。


「……あの、うちのお父さんや、伯父さん伯母さんがごめんなさい!」


柚羽が唐突に頭を下げた。

美奈子は目を見張り、笑いながら煙草の煙を吐いた。


「ごめんなさいって何が?」


「……山田さんに酷いことを言ったり、遺産も渡さないって」


「なんだそんな事。もう昔の話じゃない」


美奈子の周りにバリアのように張られていた圧力が空気に溶けて消えた。

柚羽は肩の力を抜くが、眉を下げたままだ。


「……でも……」


「そんなもん時効よ時効。それに私が遺産放棄をしたのは、別に貴方のお父さんたちに言われたからじゃないわ」


「そうなんですか?!」


「あら、貴方も私をお金目当てだと思ってたの?酷いわねえ」


「えっ……あっ違います!」


「嘘、ごめん。可愛いからつい揶揄(からか)っちゃった。ごめんね宮内(ミヤ)さん」


美奈子がカウンターの隅にそう声をかけ、柚羽もそちらを見て息を呑んだ。


「おじいちゃん……」


カウンターの隅には昭三の写真が入った写真立て。

そこに供えるように日本酒と小鉢があり、その横には火のついた線香が煙を(くゆ)らせている。


「今日、命日だからね。そっちも七回忌だったんでしょ?」


「……はい……あの、お線香あげてもいいですか?」


「えっ、うん。いいけど」


線香を立てて手を軽く合わせる柚羽を見て、美奈子が言う。


「ミヤさんから一番下の孫は"ゆずちゃん"だって聞いてたわ。確かあの時は中学生だったっけ」


「はい。今年で20歳(はたち)になったので、やっとこのお店に来れました。もっと早く来たかったんですけど……」


「わー、真面目~。じゃあお酒は飲める?」


「少しだけ」


「ビール?カクテル?ミヤさんとお揃いはどう?」


美奈子は冷蔵庫から取り出して大吟醸のラベルを見せる。


「それ、試してみたいです」


「良いわね。でも酔っぱらっちゃうから嘗めるだけにしてね」


美奈子は日本酒をグラスに半分ほど注いで、ツマミと共に出した。


「あ、じゃがバター?」


「そうそう、ミヤさんこれ好きだったでしょ?でももう歯が悪いから塩辛が食べれないって当時言っててさ。だからホタルイカにしたの」


「うふふ。おばあちゃんもいつもじゃがバターに塩辛つけてくれてました」


「奥様、北海道ご出身だったんだって?」


「はい!」


「じゃあミヤさんと、奥様に乾杯」


美奈子は自分のグラスにも手酌で酒を注ぎ、柚羽と乾杯をした。

柚羽はお酒をチビりと嘗めてみる。


「……美味しい!!今まで飲んだ日本酒と違う!」


「そりゃよかったわ。うちもいつもは安酒しか出さないんだけどね」


「じゃがバターも美味しいです。ホタルイカ、塩辛に似てますね」


「でしょ。それ、沖漬けって言ってね。私、地元が北陸なの」


「……私、おじいちゃんの気持ちがわかったかも」


「ん?」


「おばあちゃんが死んじゃった後、おじいちゃんとても元気が無くなったんです。でもお父さんと伯父さん達が将来の遺産とかの話を急にするようになって、余計に皆おかしくなって」


「……」


「私、おじいちゃんがたまに一人で夜出掛けるの知ってて、大丈夫かなって思ってました」


「……ああ」


美奈子が自分のグラスを空けた。


「ある時、思いきって聞いてみたんです。そしたら『秘密の隠れ家に行くんだ』って笑ってました」


「うん、そーね。あの頃のミヤさん、現実から隠れてここに飲みにきてたのねぇ」


「……まさかお店の名前が、そのまま"かくれん坊"だとは思わなかったけど」


「ははっ、ダサイでしょ?」


「ごめんなさい」


柚羽は謝ったが、なんだか嬉しそうだった。


「ここでちょっと隠れて、もーいーよ、って思うまで美味しいお酒とおつまみ食べて、家に帰ってたんですね」


「そうそう。ここはちょっとだけ隠れるところ。帰るところはお家なのよ」


「……山田さん」


「美奈子で良いわよ。なに?ゆずちゃん」


「本当におじいちゃんの恋人じゃなかったんですか?」


「ぶふっ」


美奈子が吹き出すのと、カウンターの隅の線香の煙がぐらりと揺れたのは同時だった。


チリン


「えっ」


ドアベルが小さく鳴ったのを聞いて、柚羽は入口を振り返り驚いて目を見張った。

()()()()()()()()()()()からだ。


「あーあ、ゆずちゃんが変なこと言うから、ミヤさん出ていっちゃったわ~」


「……おじいちゃん、今までここに居たんですか……」


「そうなの。毎年命日に来るんだよね。成仏してないのか、今日だけ向こうから遊びに来るかはわかんないんだけど。成仏してないならいい加減もういいんじゃない?って声はかけてるんだけどね」


「……なんだ。やっぱりおじいちゃんは美奈子さんの事好きだったんですね」


「ふふっ。本当にそんな関係じゃないわよ。だいたいね、ミヤさんが生きてる間は二人きりになった事なんて滅多になかったんだから」


「え?」


カランコロンカラン


「おーい、美奈子ママ!ミヤさんの七回忌始めるよー!」


鈴木(スー)さん、川口(カワ)さんいらっしゃい!待ってたわ!」


渡辺(ナベ)の奴も30分後くらいにくるって!……あれ?その子は?」


美奈子は形の良い唇を吊り上げ、にっこりした。


「特別ゲスト!なんとミヤさんのお孫さん。ゆずちゃんで~す」


「え?え?」


焦る柚羽を、祖父と同じくらいの年の頃の男性二人が大喜びで取り囲む。


「ええーー!!ミヤさんの!?」


「いや~嬉しいな!ミヤさんね。お孫さんの自慢話、すっごく楽しそうに話してたんだよね!」


「おじいちゃんが?」


「そう!今夜は貸し切りだからミヤさんの思い出話しようね!オジサン奢るから飲んで飲んで!」


「ちょっとスーさん、駄目よ!……万が一ゆずちゃんを酔わせたりしたら、ミヤさんに祟られちゃうわよ!!」


「そりゃ怖い怖い」


美奈子と男二人は大笑いし、つられて柚羽も笑った。

笑い声にかき消されて、ドアベルが小さくチリンと鳴ったのには誰も気づかなかった。


最後までお読みくださりありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点]  お酒は全く飲めないのですが、こんな店主さんや常連さんがいらっしゃる素敵な雰囲気のBARがあるなら是非行ってみたいものです。  嫌なこと、辛いことがあったときに、一時的に避難できる場所が…
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