<第四章>特攻
<第四章>特攻
深い後悔、胃の中で巨大な怪物が暴れているかのような苦しみが、痛みが、悲しみが、何度も体を反芻する。
武田は魂の抜けた死人のような顔つきで、たった一人。真っ赤に濡れた服のままミミズ感染者の闊歩する夢遊町住宅区の裏路地を歩いていた。
自分が木枝をこの手で殺してしまった。
勝手に助けられないと諦めて。
勝手に苦しんでいると判断して。
自分が殺されると思い込んで。
ズキズキと噛まれた鼻が痛む。
――ああ……やっぱりこれは現実なんだな。
武田はその痛みを感じる度に、己のしてしまった殺人という事実と恋人を失った悲しみに襲われた。
その悲しみから逃れるためにじわじわとどす黒い憎しみが湧き上がって来る。
「くそ、青木の馬鹿野郎……なんであの時扉を開けたんだよ。お前が開けさえしなかったら木枝は……」
自分の罪を擦り付け、既にこの世には居ないであろうしばしの同胞に憎しみを飛ばす。
本人が気づかない中に、徐々に、徐々に――武田の心は崩れだしていた。
「ん?」
裏路地の先から激しい足音が聞こえた。状況から考えると誰かが狂人たちに追われているようだ。武田はもうこれ以上他人の厄介ごとに巻き込まれたくないと思い、その逃げている人物を助けようとはせずに古びた荒廃した家々の隙間に身を挟ませた。
――俺に気づかず行ってくれ。
げっそりとした頬を壁に擦り付けながら、心の中でまだ姿の見えぬ相手にそう一瞥する。
程なくして一人の年をとった男性が真横を通り過ぎていった。この街では一般的なボロボロの服装に無精ひげを生やした男だ。
――次はあいつを追ってる狂人達が通り過ぎるのを待つだけだな。
緊張した様子で身をさらに潜ませる。先ほど衝撃的な襲撃を味わったばかりの武田にとって、狂人たちは恐怖の対象でしかない。団子虫のように体を丸めながらじっと息を殺して壁に体を押し付けた。
「――来たか」
再び足音が聞こえてきた。狂人たちだろううか。だが少し妙な感じがする。音は何故か住民が逃げた方向から聞こえた。狂人たちならそんな方向から来る筈は無いのだが。
「おっ! 一瞬何か見えたと思ったら、やっぱり人が居たか」
所々禿げて崩れ落ちている壁の合間に、先ほど通り過ぎた無精ひげの男の顔が飛び出した。他の生存者に会えて安心したのか、嬉しそうにこちらを笑顔で見つめてくる。
――ふざけるな! もうすぐそこまで狂人が迫ってるんだぞ!? 何で戻ってくる? 何でわざわざ俺に話しかける?
武田はあまりにも考えの無い男の行動に、口元を小刻みにピクピクと動かした。
壁から伝わってくる狂人たちの行進音がかなり大きな音になる。どうやらもう1十メートル以内には来ているようだ。男が気づいていないことから恐らく曲がり角の先に居るのだろう。
――このままじゃ、まずい。さっきと全く同じだ……!
武田は再び無神経な生存者に命の危険に巻き込まれ、追い詰められた。大量の汗を流しながら目を血走らせて男を睨みつける。
死にたくないという強い感情が壊れかけた心を通り頭の中に流れ込んでくる。
――俺を巻き込むな……! 俺を危険にさらすな……! ふざけるなよこの野郎!
木枝を失った苦痛―それがリプレイされたかのような今の状況に、高熱で沸騰させられたごとき強烈な憎しみと排除感が沸き起こった。
「ん、まずい奴等が来る! 俺も中に隠れさせてくれ」
ようやく足音が耳に届いたのか、無精ひげの男は慌てて家々の隙間に身を乗り出した。
もう一刻も猶予は無い。ここにこの男が入り込んだら確実に自分も殺される。二人が隠れられるほどのスペースなんて無いのだから。既に一人―最愛の恋人である木枝を殺してしまったんだ。生きるか死ぬかの状況だし今更こんな馬鹿な男を殺すくらいそれほど抵抗はない。武田は男に気づかれないように腰の後ろで万能ツールからナイフを引き出した。
「邪魔なんだよ!」
そして一気に男の背に突き刺した。
「――なっ!?」
まさか攻撃されるとは考えもしなかった無精ひげの男は、目を見開き武田を振り返る。痛みを感じるより早く驚きが勝ったらしい。
「ここは俺が隠れていたんだ! 俺を巻き込むな」
武田はさらにナイフを男の体に強く押し込むと、思いっきりその腰を蹴飛ばした。
「ぐぉおっ!?」
鮮血を弾かせながら道路のど真ん中に倒れこむ男。
その直後に男の前の狭い十字路の右側から三人の狂人が現れた。左から順に鉄パイプ、木材、草刈用の鎌などで武装している。
「くっ、来るな!」
既に虫の息だった無精ひげの男は口から血を吐き出しながらそう叫んだ。
しかしミミズ感染者と化した彼らにそんな言葉は意味を成さない。男はあっと言う間に三本の武器によってその体をぼこぼこに打ちつけられる。
最初こそそれなりに呻き声を漏らしていた男だったが、数十秒もたつと静かになりただじっと三人の攻撃をその身で受けるだけになった。
それを見ると、排除完了と判断したのか狂人たちは男の体からそれぞれの武器を退かし、何事も無かったかのように歩き出した。
「はぁ、はぁ……」
三人が居なくなると、武田は慎重に家々の隙間から這い出た。そして先ほどまで自分に笑いかけていた無精ひげの男のつぶれた顔を見つめる。
既に死んでいるにも関わらず、男は壮絶な表情で武田を睨みつけていた。
「悪く思うなよ。もう……生きるか死ぬかしかないんだ。奇麗事なんて言ってられない。俺は、木枝の為に生きる必要がある、木枝の分まで生きなくちゃいけないんだ」
そのまま自分に言い聞かせるようにぼそりと呟く。
歩き出そうとふと視線を前に戻すと、正面にある家の窓には日の光に反射し鬼のような顔をした自分の姿が映っていた。
武田は無言でその顔を見つめた。
ただじっと――血の滴るナイフを右手に持ちながら。
「あそこだ」
古いタバコ屋の前から頭のみを道路に出した格好で、鋭が二百メートルほど先に見える五階建てほどの建物を指差した。仲間が立てこもっているらしきデパートだ。
それを聞いた途端安形が目を細めて質問する。
「思ったより早くたどり着いたな。だがどうする? ここから見えるだけでもかなりの数の感染者がデパートの周囲に居るぞ。殺すわけにもいかないし……お前はどうやってあそこから抜け出したんだ?」
「俺があそこを出たときはここまで感染者は居なかった。多分……生存者の気配に引かれて集まってきたんだろうな」
僅かに奇妙な間を置きながら鋭が答えた。
「ちょっと、あそに行くくらいならこのまま逃げた方がいいじゃない! あんなとこ死にに行くようなものよ!」
先ほど助けたOL風の長い髪の女性が、感染者達を見て喚く。
「少し黙ってくれ。大声を出すな。俺たちを奴らに気づかせる気か?」
安形は煩わしそうに女性の口を遮った。
「周囲に感染者が集まっているのはまだ生存者が居る――中に踏み込まれていないってことだ。安全性は保障出来る。俺が最後に見たときもかなり頑丈そうなバリケードが作られていたし……あと数日は十分に立てこもれるだろう」
鋭が確信を持った様子で頷いた。風で前髪が揺れ綺麗な白い額を覗かせている。
「じゃあ問題はない。どうせ俺がお前を逃がした後にその、例の兵器を黒服の連中が始末するはずだ。お前を早く逃がすことが出来れば、数日も掛からずにここら一帯のミミズは消える」
「そうだ。俺がこの街から消えれば奴らも兵器を手に入れる事しかやる事はなくなる。兵器が消えればそれを守るために殺害行動を取っているネルガルも消滅する。俺たちにとってこの女が足手まどいでしかない以上ここに置いて行くべきだ」
「じゃあ、決まりだな。問題はどうやってあの中に入るかか」
デパートの周囲に群がる感染者、狂人たちの姿を遠目に身ながら、安形は悩ましげに呟いた。
「あんたはあいつらを殺す事が出来ないんだろ? だったら強行突破は無理だ。ここからデパートまで住宅の屋根の上を通って行こう。 上からなら窓からデパートの中に入れるかもしれない。俺もあそこから出るときはそのルートだった」
「それ以外にはいい方法はなさそうだな。よし、それで行くぞ。頼むから君も、静かにしていてくれよ」
そういえば名前知らねぇと今更気づきながら、安形は女性に言った。
屋上に上がると周囲を綺麗に一望出来た。さっきまでは分からなかったことまでよく見える。デパートの周囲の駐車場や道路はまるで戦争があったかのように無数の車が転倒し、その中には警察車両まであった。ここまで甚大な被害が出ていればイミュニティーも動き出していいはずだが、元々スラム街という場所の所為か、黒服の力によるものなのか、それとも一ヶ月前の水憐島、紀行園での事件の後始末に追われているためか、イミュニティーは全く行動を起こしてはいないらしい。そもそもここでこういった事件が起きていることすら気づいていない可能性もある。
実はこれには草壁国広の多大な努力が影響しているのだが、そんなことは安形たちには分かるわけがなかった。
「まいったな。感染者が屋上にも居るじゃないか。しかも五体も」
デパートの丁度目の前の家の屋上で窓を叩くようにして群がっている狂人たちを見て、安形は残念そうに舌打ちした。その家の住民たちが感染でもしたのかもしれない。
「はぁあ!? それじゃ中に入れないじゃないのよ。どうすんの!?」
かなり近い位置にいるにも関わらず、大声で怒鳴る名前不明の女性。どうやら元々大声で話すのが癖のようだ。
「どうするって……なんとかしてあいつらを退かすしかないだろ。一人一人ミミズを除去するしかない」
「五体も居るのよ。そんなの無理でしょ。殺した方が早いわ。どうせもう人間じゃないんだから」
「おい、何言ってるんだ。あいつらは一時的に感染してるだけなんだぞ。そんなことなんかできるか。それにその理論だと俺がさっき君を殺しても良かったってことになるぞ?」
「だって……そうしないとこっちがやられるじゃない!」
女性は泣きそうな顔をして言った。
それを見た安形は思わず目を下に移す。
――この子は一般人だ。自分や鋭のような心構えも覚悟も無い。いきなりこの地獄に放り込まれたただの普通の女性。いつ感染者に襲われるか分からない恐怖や緊張に常に侵されているこの状況では、そう考えるのも当然か。
「君、名前は?」
「……稲城愛」
「愛さんか。愛さん、俺たちはこういうことに慣れている言わばプロだ。大丈夫。きっと君を無事にデパートに送り届ける。信じて俺たちに任せてくれ」
安形は自分の盛り上がった大きな胸を張りながら、安心させるように言った。だが愛は先ほどまでの大声はどこえやらか細い声で話す。
「信じたいけど――無理よ。五体も居るんでしょ? 勝ち目が無いじゃない」
「勝ち目は、あるさ」
何か妙案を思いついたのか、安形は自信たっぷりに力強く答えた。
デパート最上階である五階。無数の大きなテーブルが並び、鮮やかな絵画や植物が所々に飾られている。いや、飾られていたと言った方が正しいだろう。少なくともそれらが美しさを放っていたのはもう何十年も前の事なのだから。スラム街と化した今のこの夢遊町で手入れをされ原型を止めている物など何一つ存在しない。かつては有名なレストランだったここも当然のように酷い有様だった。
「みんな見ろよ! 誰かがデパートの前に居るぞ」
窓を覗いていた中年の男、禿げを隠す為に側面の毛をバツ印のように頭の頂上でクロスさせている変わった髪形の男が驚いたように声を上げた。
「他の生存者か? どこだ!?」
声を聞きつけてここに潜んでいた他の人間たちも窓に集まってくる。その数はざっと十人は居た。女性、男性、老人若者……年齢も性別も様々だ。
「おい、あれ鋭じゃないか? 朝ここを出て行った……生きてたのか」
だぶだぶの灰色の長ズボンに同様のトレーナを着たヤンキースタイルの若い青年が、窓から身を乗り出し嬉しそうに顔をほころばせた。この青年は鋭が始めて夢遊町に来たときに一緒に感染者たちから逃げ友情を結んだこの街の住民だ。ただ鋭については偶然この街に来た一人旅の若者や、自分と同じように世捨て人になった人間程度にしか思っておらず、この事件の根本的な原因が鋭の黒服脱走であることは知らない。
「他にも誰か居るわよ」
四十代ほどのやせ細った女性が安形と愛を指差した。
「ここに来る気なのか? 入口の前にも二階の窓の前にも狂人たちがいるんだぞ?」
先ほどのバツ頭の男が目を吊り上げながら言う。
その時、窓の外―下の家々の屋根に居る安形たちがいきなり激しく動き出した。
「あっ!?」
その様子を見たほぼ全員が一斉に声を上げる。特にバツ頭は一際大声で叫んだ。
「突っ込むぞ! 正気か!?」
「うおおおおおおおっぉお!」
野獣のような雄叫びを吐き出しながら、安形はその逞しい大きな体と強い力を活かし、アメリカンフットボールの選手顔負けの勢いで一気に感染者たちの目の前に到達した。
「何が勝ち目があるだ! ただの特攻じゃないか」
その後ろを愛と一緒に追いながら、呆れたように鋭が呟く。
安形の考えは実に単純明快だった。
勢いを付けた突進で感染者達を屋上や屋根の上から落とすというものだ。落ちても二階程度だし、ミミズに強化さっれて居る状態では死にはしないだろうと思っての作戦だった。
――殺すよりは百倍いい!
耳に入り込んできた鋭の声に心の中で反抗しながら最初の感染者を見据える。場所は丁度デパートから三軒ほど前の屋根の上だ。
「ああああぅうううあうあああっ!」
感染者は空ろな目を向けるとその両腕を覆いかぶさるように安形に振り下ろした。
だが安形はそれが自身の体に触れる前に肩で相手を強打し、思いっきり吹き飛ばす。感染者はボーリングのピンよろしく屋根から落ちていった。
「あと四人!」
逞しい声で気合を入れる安形。ヤの付く人達が見れば『アニキ!』と叫びたくなるような勇ましい姿だ。
次の家の屋根に飛び乗った途端、今度は二体の感染者が同時に襲いかかってきた。普通ならば二体どころか一体の狂人を退かす事も至難の技だ。しかし今の安形は助走をつけ犀のような激しい突進移動の真っ最中であり、なおかつ感染者達も屋根の上という限定された狭い場所にいるため、その通常時の論理は大きく外れた。
「どっりゃあぁあああ!」
大きく広げられた両腕は安形の渾身の力によって同時に左右の感染者の首を体ごと屋根から刈り取った。つい数秒前のデジャブウを見せているように落ちていく二つの人影。その様子を見た鋭は思わぬ結果に嬉しい誤算だと喜んだ。
「あと二人!」
勢いに乗った安形はそのまま残り二人も一層しようとする。これまでのことから考えるとそれは簡単に達成出来るかのように見えた。だが――
「待て安形! 武器を持ってるぞ」
残り二人の姿を見て慌てて鋭が声を裏返す。
これまで素手で人間を襲っていた感染者たちだったが、何故か最後の二人はそれぞれ武器を構えていた。
――こんなことは見たことも聞いた事も無い。イグマ細胞に感染した生き物が道具を使用するなどとは……
鋭は冷や汗を流した。
安形の耳にその声は勿論聞こえていたが、ここまで勢いがついてしまっている状態では、感染者にたどり着く前に止まることはもう出来ない。既にかなりの速度で全力疾走していた所為で自分から死にに行くような絵図になってしまった。
「あああぉおおおぁああああ!」
二体の感染者はそれぞれ手に持った金属性の陶器と鉄パイプを振りかぶる。もはや避けることは不可能だ。
愛は思わず視界を両手で覆った。
――避けられない!
近付いてくる二つの凶暴な鈍器を視界に納めながら、安形は自分が超感覚者で無いことを今更ながら残念に思った。刹那に数週間前の出来事を思い出す。
「ふう、良くそんだけかわせるな。ホント、超感覚者ってのはズルイぜ」
黒服訓練室での稽古中、いつまでたっても自分の拳を直撃させる事の出来なかった截に向かって安形は妬むように呟いた。
截の超感覚――「絶対危機回避感」は、不意打ちも正面からの攻撃も全て事前に察知することが出来るという超感覚者達の中でもかなり使い勝手のいい代物である。力はあっても技術や速さの無い安形の攻撃が当たる事が無いのは至極当然の結果だ。安形も当然それを分かっているのだがやっぱり心では納得がいかないため、よくこのような愚痴をこぼしていた。
「確かに利点はあるけど、こんなものは人間相手には大した効果は無いですよ。考えも無しに突っ込んでくる悪魔ならともかく、人間には頭脳がある。感覚だけに頼ってたら僕だって簡単にやられます」
「それでも有利には変わりないだろ? 俺の攻撃を散々避けといてよく言うな」
「有利かどうかは時と場合によりますよ。超感覚は一つの道具に過ぎない。強みもあるし、勿論弱点もある。その弱点を巧みに利用されたら――例えどんな感覚を持っていても対処しきれません」
安形の僻んだような質問にやや苦笑いしながら截は答えた。
「それってキツネとかこの前の赤鬼のやり方ってことだろ? 俺にそんな器用な真似が出来ると思うか?」
「まあ、確かに安形さんには厳しそうですね」
截は声を出して笑った。それを見た安形は不機嫌そうに文句を言う。
「おい、否定しろよ。それじゃやっぱり俺にはどうしようも無いってことじゃないか」
「そんなことは無いですよ。さっきも言ったじゃないですか。超感覚者は幾ら凄い感覚を持っていても所詮人間だ。ただ普通の人とは違う『性格』を持っているだけです。弱点や特徴すら理解していればどうにでもなりますよ。例えれば指定制服のある学校で違う学校の制服を来ているようなもんです」
「随分分かり難い例えだな」
安形は混乱したように頭を抱えた。その様子を面白そうに眺めながら截は言葉を続ける。
「僕は結局は一番強いのは『普通の人間』だと思っています。有名な映画や漫画とかでもそうじゃないですか。普通の人間が最後は大きな役割をこなして見事に事件の決着を着ける。特別な人間はその前に劇的な死を迎えるか、主人公を守って死んでいく。人間は人間だからこそ弱くまた強い。力が無いからこそ考えそれを克服し乗り越える。だから安形さんが超感覚を持たないことは別に何の劣等感も抱く必要は無いですよ。これまでのように自分のやり方で戦えば良いんです。まあ努力することは大切ですけどね」
截は大きな曇りない目で安形を見据えながらそう言った。何かを悟っているような深みのある瞳だ。
それに対し、安形はこう返した。
「……何かお前の方が年上みたいでムカつくわ」
「だぁああああっ!」
狂人たちの攻撃が体に命中する事などお構いなく、安形は力強く目の前の屋根に己の足を沈めた。当然その結果、安形の体――肩と太ももに狂人の鉄パイプと陶器が命中する。
「あああっ!?」
愛が絶望するような高い声を響かせた。
「ああぅううぉおおおおお!」
獲物の動きが止まったことを確認し、再び攻撃を繰り出そうと腰の高さまで大きくその腕を振りかぶる二体の狂人。勝利を確信しているのか、先ほどよりもさらに振りかぶっている。安形はその動きを痛みに耐えながら何とか見逃さなかった。
――截、俺は俺のやり方でやれば良いんだよな。
「う……ぉおおおおおおおお!」
安形は強靭な足腰の筋肉を力いっぱい稼動させ、狂人たちが二撃目を繰り出すよりも早くその二体の体を両手の張り手で押し飛ばした。
大き過ぎるほど振りかぶっていた狂人たちは、ブリッチを作るように勢い良く体を後ろに仰け反らせる。
「どぅおぃやーっ!」
安形はそのまま左手の一体を屋根から蹴飛ばした。
――あと一匹!
勢いに乗り素早く右を振り返る。
先ほど受けた掌撃で持っていた鉄パイプを下に落としてしまった狂人は、体勢を立て直すと素手で安形に掴みかかってきた。それと同時に掴まれている安形の腕に、例の染み込むような電気が走るような感染の兆しの感覚が現れる。
「俺は凄い感覚も大した技術もないけど――体の頑丈さとこの腕っ節の強さならだけなら誰にも負けるつもりは無いぞ。例えイグマ細胞の感染者だろうがな!」
ドッカと音が聞こえてきそうな激しい投げを繰り出され、狂人は安形によって地面にその身を押さえつけられた。警察ドラマなどでよく犯人が組み伏せられているあの格好だ。
――さぁ――来い!
相手の上に跨ったまま安形は狂人の本体とも言えるミミズが自分に移ろうとする瞬間を待つ。五秒ほど時間が経ったころに安形は狂人を掴んでいた腕を放した。そこには一匹のミミズが頭を腕にめり込ませながら蠢いている。
「消えろ!」
勢い良くそれをもう片手で握り潰し、安形はその細長い感染生物を爆ぜ潰した。先ほどまでの騒音が嘘のように辺りが静寂に包まれる。
「……終わったな」
屋根の上にいた全ての狂人が退けられたことを確認し、鋭は安堵の息を吐いた。