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<第十六章>孤独な狂王(後編)

<第十六章>孤独な狂王(後編)



 

 十秒間。

 それがこの戦いの結末を確認できる最大の時間。

 鋭の心臓に刃を立て、彼と重なるように倒れ込みながら、安形は己に残された時間をそう仮定した。二人の間合いはほぼゼロ距離。当然鋭の体に蔓延はびこっているミミズたちは本能の命ずるままに安形を襲う。

 またたくく間に飛び移り、その体内へと侵入し、支配し、主のために周囲の生きとし生けるもの全てを破壊する。鋭の持つ最大の特性であり、黒服の生体技術の集大成。疫病鬼ネルガルという名を与えられた感染生物。

 彼らは鋭の意思によって行動し、その死と共に同時に感染能力を失い機能停止する。逆にいえば、彼らが動きを止めないということはまだ鋭に戦う力が残っていることを意味していた。

 既に全身をミミズに覆われているため、今更鋭の上から退いても意味は無い。黒柄ナイフを引き抜き、鋭の黒い血を体中に浴びながら、安形はどうにかミミズの動きが止まることを願った。

 一秒、二秒、三秒――

 どんどん過ぎてゆく時間。しかしミミズの動きは止まらない。安形にまとわり付きながら、そこら中の皮膚から頭を体内へ潜り込ませていく。

「安形――!」

 己の自我を失い、鋭の道具となった本田を必死に腕の中に押さえ続け、曽根は安形の様子を食い入るように見た。

「あああああぁぁあああ――」

 その曽根自身も、抱えている本田の体からこちらへ移ろうとするミミズや、足元から這い上がってきたミミズに覆われ今にも感染しそうだ。次第にまぶたが重く、意識も遠くなっていく。

 ――ここまで、ここまでやっても駄目なのか!?

 霞が掛かったような視界の中、安形は黒柄ナイフを再び振り上げようとした。しかし既に大分体内に侵食されている所為か、腕に力が入らず手からナイフが抜け落ちてしまう。

 鋭に最後の一撃を叩き込んでから既に六秒。もう後が無い。ふらふらと鋭の胸に崩れ落ちる。

 截と翆が安形を助けようと駆け寄っても、その体を取り巻いているあまりに多いミミズの影響でどうすることも出来ないだろう。なにより今二人はキツネの相手で手一杯の状態だった。

 心臓を貫かれた状態の鋭がまだ動けるか、それとも死ぬのか。その結果が後者になることをただ願うより手は他にない。

 十秒感染まで残り三秒、二秒、一秒――

 擦れる音がする。

 鋭の首が僅かに上がった。安形は反射的にその顔を見上げる。

 それは怪物の、イグマ細胞に支配された化物の顔ではなく、人間のように感情の篭った表情をしていた。まるですまないと謝っているような表情を。

「鋭――?」

 脳裏に過ぎるかつての鋭の姿。がっくりと、彼の頭が地面に落ちる。

 その瞬間、全てのミミズが動きを止めた。

 





 



 遠のいていた意識が戻ってくる。

 本田と一緒に地面に寝転びながら、曽根は鋭と安形の方に視線を向けた。自分の意識が戻ったということの意味は一つだけだ。その意味を心の中で叫ぶ。

 ――……勝った――

「……う……?」

 感染が解除されたことで内臓の激痛が戻ったらしく、血を吐き出しながら本田が呻いた。

「……終わった、のか?」

 それでも決して涙をみせることなく、任務の結果を確かめる。曽根は彼の命がまだ持っていることに安堵し、ずっと止めていた息を吐き出すように答えた。

「ああ、終わった。俺たちの勝ちだ」

「……そうか」

 これで任務は完了だ。ずっと張り詰めさせていた神経を緩め、本田は今日始めて体の力を抜いた。

 嬉しさと、生き延びたことに対する喜びが湧き上がってくる。

「これで昇進だな」

 そして満足そうに、よこしまな言葉を呟いた。






「翆、安形さんを」

 床に広がっていたミミズたちが動かなくなっていくのが分かる。鋭の死を悟った截は翆に声をかけた。

「分かってる。けど、そっちはどうするんだ?」

 顎でキツネを示しながら、翆は警戒の篭った表情を浮かべた。キツネは翆の鋭い視線にワザとらしい笑顔を返す。

「安形さんが鋭を倒しちゃったからな。……――この二人はその報酬として殺すのはやめるよ。生かしておけば安形さんを操るいい道具にもなりそうだし。どうやら安形さんは僕が思っていた以上に使えるみたいだからな」

 截は両手のナイフを構えたままキツネをじっと睨んだ。その視線をしっかりと受け止め、キツネは話を続けた。

「……嘘じゃないさ。僕は言葉遊びはしても約束を破ったことはない。お前もよく知っているだろ」

 截のナイフを手の平で押し下げ、そう自慢するように言う。

 キツネに刃を向けられるチャンスなど滅多にない。心では腕を振りたくて仕方がなかったが、背後に寝ている二人の体ももう限界だと分かっている。仕方がなく截はナイフをしまった。

 すぐに回れ右をし、佐久間と愛の様子を伺う。寄って来た数匹のミミズたちは戦いながら足で潰したり遠ざけたりしていたから感染の可能性は低い。心配するべきは二人の傷だけだ。確か二人とも尋常ではない出血をしていた。普通ならもうとっくに死んでいるだろう。

 恐る恐る体の状態を確かめると、奇跡的にも二人は生きていた。

「――良かった。早く傷の手当てをしないと……!」

 自分で行ったのか佐久間の腕は上部が布で巻かれ、止血されている。愛の方は何の対処もしていないようだったが、見た目よりも傷は浅いらしく、また負傷箇所が腸だったため永らえることが出来たようだ。刺さっているナイフを見ると、キツネがこれを行った犯人だと推測できる。怪女を一撃で仕留められるほどの腕でなぜ疲労している女性一人を殺せなかったのかは不明だが、截はそれにはあまり深く考えなかった。









 安形は自分の体を見た。体内に入り込もうとしていたミミズたちが、ボロボロと肌の上から落ちていく。完全に機能停止したようだ。これで夢遊町中の狂人たちも皆もとの人格を取り戻すだろう。

 赤黒い血の池が足元に、鋭の胸の上に広がっている。既にズボンや上着はビチョビチョだ。だがそんなことなど全く意に介さず安形はじっと鋭の顔を見つめた。

 飛山鋭。彼の一生は何だったのだろうか。

 安形はどうして彼が黒服に利用されていたのかも、数多の超感覚者たちの中で、なぜ彼が般若の実験体に選ばれたのかも何も知らない。そしてこの町中の人々を犠牲にしてまで彼が食い止めようとしたものが一体なんだったのかも、全ては謎のままだ。

 だが、もうその答えを知ることは無いだろう。結果として鋭の黒服に対する反逆は成功した。極秘実験施設であるこの白居邸は公の下に晒され、夢遊町は今後何年も復興するまで政府の監視下となり、多くのマスメディアも訪れることになる。こんな場所で実験を続けることなど出来はしない。

 実験に関する全ての資料や機器も破壊した。極秘の研究である以上、同じようなものが他の研究所にあるとは考えられ難い。ましてや鋭の体に関わった研究員も全て死んだのだ。例えこの計画を再開しようとしても、一からのやり直しだ。当分の間は何も出来ないに違いない。

 研究の集大成である鋭自身もたった今この世を去った。

 イグマ細胞は生命活動を停止するとそのデータを採取し難くなるという特徴を持つ。鋭の亡骸からその体のデータを採取することは困難を極めるのだ。

 安形は思った。もしかしたら、鋭は最初から死ぬつもりだったのではないのか。そのために自分を雇ったのではないのかと。鋭にとって最後の暴走は予定外の現象だったのだろう。おそらく鋭は最終的には必ず自分に刃を向け、殺されることを考えていたのだ。それが白居の計画を阻止するための決めになるから。それが、最大の攻撃だから。

 だから鋭はあのとき、実験室で自分を裏切るような真似をした。ワザと嘘をついて狂人を呼び込んだ。自分の敵意を呼び起こすために。佐久間と愛を助けるという名目で己を殺させるために。

 だがこれはあくまでただの推測だ。実際のところ、鋭は本気でパンデミックやアウトブレイクを引き起こそうとしたのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。鋭が死んだ今、真実は分からない。ただ安形は鋭の目的が後者だと確信いていた。最後のあの表情を見たから。化物でも、怪物でもない、純粋な人間としての鋭の顔を。

「安形さん」

 截が呼ぶ声が聞こえる。名残惜しそうに鋭の死に顔を数秒ほど見ると、安形はその場を離れた。滑るように紫の巨体から折りながら、急いで屋上の入り口へと向う。

「二人は、大丈夫か?」

 そしてずっと気になっていたことをすぐに聞いた。

「ああ、心配ない。重傷には違いないけど助かる見込みはある。幸い上には大助さんが操縦しているヘリもある。まだギリギリ間に合うはずだ」

「そうか、良かった」

 安形はほっとしたように胸を撫で下ろした。

「あ、安形さん……」

 真下から声が聞こえる。下を向くと、佐久間が青白い顔でこちらを見上げていた。

「え、鋭はどうなったんだ?」

 心配そうに聞いてくる。

「鋭は……死んだ。もう動くことはない」

「……そうか」

 佐久間は悲しそうに目を伏せた。僅か三日間とはいえ苦楽を共にした仲だ。情の厚い佐久間にとって例えこの事件の原因であろうと心を痛めずにはいられないのだろう。

「佐久間。喋らない方がいい。お前の怪我は軽くないんだ」

「ああ、分かってるよ。姉御と一緒に仲良く養生するさ。あ、同じ病室って出来る?」

「同じ病室?」

 場違いな佐久間の提案に思わず目を丸くする。

「――ふ、分かった。頼んでみるよ」

 軽く微笑みながらそう言うと、佐久間は嬉しそうに笑った。だがやはり鋭の死に対するショックが大きいのか、その表情は重い。

 截と翆の手で、先ほど着陸したヘリに乗せられる佐久間と愛を眺めながら、安形も鋭の死を悲しんだ。『人』の死は何度体験しても慣れるものではないなと思いながら。






陽介ようすけさん、この二人を付近の黒服が所持している病院へ急いで運んで下さい」

 截は二人をそっと椅子に横たえると、運転席に座っている中年の男に呼びかけた。顎鬚を生やした短髪のその男は軽い感じで振り向く。

「何だ、さっちゃん。無理やり俺にヘリの運転をさせたと思ったら、今度はパシリか? 人使い荒いぜ」

「馬鹿なこと言ってないで早く離陸して下さい。翆も付けますからパシリではないですよ」

「はあ、何で私が!? あんたが乗れよ!」

「え? 翆ちゃんがおじさんと一緒に居たいって? しょうがねえな、可愛い翆ちゃんのためだ。病院まで一走り行ってやる!」

「おい、嫌だぞ! こいつと二人きりになるのは――あんたも乗れって!」

「寝かせているんだからこれ以上乗ることは出来ないだろ。それにこの人たちがいるから二人きりじゃない」

「ちょっ、そんな屁理屈――」

「よっしゃ、じゃあ飛ぶぜ! さっちゃん、危ねえから離れてな」

 まだ何かを叫びかけた翆の言葉を切り、陽介はヘリの操縦桿を倒した。次第に機体が浮上していく。

「おまっ、この野郎、後でどうなるか覚えてろよ截!」

 いくら吼えようともプロペラの音で截の耳には届かない。ヘリは直ぐに屋上から離れていった。

「截」

 安形がその背後から声をかける。截は振り返ると同時に安形の顔を見つめた。

「助かった。お前が来なかったらあの二人は……」

「気にしないで下さい。僕はただキツネに受けた一発を返したかっただけです。安形さんが礼を言うことじゃない」

「いや……それでも俺が助かったことは事実だ。ありがとう」

 安形は真剣な顔で截の肩に手を置いた。

「相変わらず安形さんは真面目ですね。キツネの馬鹿にも見習って欲しいくらいだ」

「はは、あいつは不真面目というよりはただの唯我独尊だろ」

 笑い合う二人。

 その笑いを中断させるようにいきなり屋上の扉が開いた。

 ずらりと黒スーツを着た人間たちが、きびきびした足取りで入ってくる。

「……白居か」

 いつの間にか一人鋭の横に立っていたキツネはその様子を見て無感情に呟いた。

 オールバックに漆黒のスーツ。吸血鬼のような顔をした中年の男、白居学がゆっくりと屋上に足を踏み入れた。倒れていた本田と曽根はその瞬間、己の傷のことなど忘れたように一瞬で立ち上がり、びしっと姿勢を正す。

 ――あれが、白居か……――!

 初めてみる自分の組織のボスに截は鋭い視線を飛ばした。

「諸君、ご苦労だった。これで今回の騒動は終了だ。各自支部にもどり体を休めろ。報酬は追って振り込む」

 ――今飛び出せばあいつを殺すことが出来る。俺たちの運命を狂わせた組織の首を、取ることが出来る。

 じとりと張り付く汗を額に浮かべながら截は拳を握り締めた。

「何やら契約した要員以外の人間もいるようだが、まあいい。結果が全てだ。お前たちにも同量の額を払おう」

 静かに右腕を動かし、腰にしまった白柄ナイフに当てがう。

 ――あいつに直接会える機会なんて滅多に無いんだ。今を逃せば、もう会えないかもしれない。

「截、下手なことは考えるな」

 気配を察したのか、安形がその腕を後ろから掴んだ。

「安形さん……!」

 截は小声で反論しようとする。

「ここで白居を殺しても黒服自体の消滅には繋がらない。また新しいリーダーが生まれるだけだ。下手したらキツネとかな」

「……それは嫌だな」

「前にも言ったが機会を待て。必ず全てを終わらせるチャンスはある。それまでに命を無駄使いするな」

 安形も内心では截と同じ気持ちだ。今にも白居の顔面を殴り飛ばしたくて仕方が無い。きっと昨日までの安形だったのなら実際にそうしていただろう。

 鋭の存在が、鋭の行動とその結果が安形の足を食い止めた。ここで白居に挑むことには何の意味のない。何かを成し遂げるためには己の感情を心の奥底に潜める必要がある。

「そんなことを言うためにわざわざここまで上がって来たんですか?」

 二人のやり取りを見通し、暴挙を食い止めるようにキツネは白居に近付いた。これで白居に一撃を打ち込むためにはキツネをどうにかしないといけなくなった。流石の截も、諦めざる終えない。

「なに、あの鋭を倒した奴らの顔を直に見ておきたくてな。それにお前に傷を負わせる相手というものも珍しい」

「クスクス、この腕の傷はちょと油断してただけですよ。実力で負けたわけじゃない」

「そうか? ふ、まあそういうことにしておいてやろう」

 キツネの言葉を言い訳だとでも捉えたのか、楽しそうに笑うと白居は体を反転させた。

「今後この町の対処について話がある。キツネ、付いて来い」

 背を向けたままそういうと、指で部下たちに何かの指示を送った。黒スーツを着た男たちはその途端鋭の方へ歩き出し、色々と調査を始める。

「鋭は取りあえず支部のどこかへ運べ。もう役には立たないだろうが、ここに残してイミュニティーにサンプルを提供するわけにはいかないからな」

 そのまま扉を開け、階段を降りていく。まるで地獄に帰る悪魔のように、悠然とした足取りで。キツネは一瞬だけ截と安形に視線を送ると、その後を追った。

 闇の世界へ消える二人の姿を、截と安形は決して目から離さず眺め続けた。

 それぞれが、それぞれの思いを抱きながら。

 いつか、必ず彼らを倒し、この地獄を終わらせるために。

 隠し、研ぎに研いだ爪を振り下ろすために。

 じっとその獲物の姿を目に焼き付けた。











 狭い階段に二人の足音が木霊する。

 一段一段その音を味わうように降りながら、白居は渋い声でキツネに声をかけた。

「心配するな。鋭の暴走は予想外だったが、計画には何の影響もない。ただ僅かな遅れを引き起こしただけだ」

「……どういうことです?」

「お前にはまだ言ってなかったが、この計画のデータも、実験設備も、資料も、全て予備の場所に複製を取ってある。本来ならば『先方』へのプレゼントのつもりだったが、今回の事件の所為であちらを使用せざるおえなくなった。遅れると言ったのはその許可を取るための契約や、やり取りが複雑だからだ」

「『あちら』の方はそれを了承しているんですか? もしかしたら、全ての資料をこちらに渡さず、計画を自分のものにする危険もあります」

「ふふ、それは無いさ。お前も知っての通り、この計画は『あちら』とこちらの協力があってこそ成功するものだ。黒服の力無くして実行することは不可能に近い」

「ですが、『あちら』の力は強大です。本気になれば……」

「確かに組織自体の影響力は大きい。だが、『六角行成』一人の力ではどうすることも出来まい。イミュニティー内には奴のことを疎んじている人間も多数存在する。先月の水憐島事件の効果もあるしな。だから奴は私たちを必要とせざるおえないのだ」

「なるほど、全て読んだ上での行動でしたか。鋭の暴走に僕だけを呼び、草壁を呼ばなかったのもそれが理由なんですね」

「ふ、何を言っている。私はお前を高く評価している。彼女を呼ばなかったのは単に必要が無いと思ったからだ。事実鋭は粛清された」

「あなたが僕をそこまで評価しているとは意外でしたよ、『先生』」

「お前の訓練をしていた時代から何度も言っているだろ。私はお前に期待している。誰よりもな。お前の方こそ、下手な謙遜はよせ。らしくないぞ」

「クスクス、すいません。自分を隠すのが癖になってしまったようで。でもこれは先生に教えられた通りの行動なんですがね」

「そうだったな。だが、私の前では小細工はやめろ。お前の信用にもかかわる」

「分かりました」

 しれっとした調子でキツネは答えた。その様子に白意は何かを言いかけたが、口を開いたところで、それを言葉にすることは止めた。

「……まあいい。行くぞ。仕事はまだまだ残っている。遅れることにはなったが、計画の完成に近いことには変わりない」

 にやりと口元を歪め、クスクスと笑う。

 その後ろでキツネが鋭い視線を飛ばしていることなど気がつきもせず、彼は次の一歩を踏み出した。進むべき場所を目指して。その場所がどんな場所なのか知りもせずに。

 己の望みのままに、足を動かした。









 キツネと白居が出て行った直後。しばらくその入り口を見つめていた二人だったが、何かを思い出したように安形は背後の鋭を振り返った。

「どうしたんです?」

「いや、何でもない。ただ……まだ鋭が生きているような気がしたんだ」

「……そうですか」

 同情するように、截は安形を見た。

「ああ、ったく、結局あいつの依頼をこなせなかったぜ。これで俺の首はとんだかな?」

 暗くなった雰囲気から逃れるように、安形はワザと明るい声を出す。

「白居は全員に報酬を出すって言ってたし、大丈夫だと思いますよ。キツネも安形さんを見直すような言葉を呟いてましたしね」

「あのキツネが? それが本当なら嬉しいが」

 少し前まで殆ど音が無かった夢遊町が、何時の間にか雑音だらけになっている。截はすぐにその原因を理解した。

「……感染が解けて町の人たちが意識を取り戻したみたいだ。これからイミュニティーや警察も来るでしょう。騒がしくなる前に、さっさとこんな町、離れませんか?」

「そうだな。俺もいい加減疲れたよ」

 ゆっくりと安形は空を見上げた。

「酒をがなきゃいけない相手もいるしな」

「確か、ここへ来る時に使用したヘリが町のはずれにあるんでしたよね。鋭の回収ヘリを待ってもいいけど、そっちを使った方が早いでしょう」

「そういえばあのパイロットのこと完全に忘れていたな。生きているといいが」

 自分をここまで運んできたパイロットのことを思い、僅かに安形は苦笑いした。

「さあ、帰りましょう。俺たちの住処に」

 截が道を譲るように手を屋上の入り口の方へ伸ばす。

「ああ、帰ろう。俺たちの、偽りの家へ」

 その誘いに答えながら、安形は歩き出した。

 来るべき日へ向けて。

 黒服を、キツネを、白居を、全ての悪腫を取り除ける日を目指して。

 確固たる目的の下に、足を踏み出した。










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