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<第十二章>誰が為にそこに立つ

<第十二章>誰が為にそこに立つ




 ほの暗い廊下の床上。アフロ頭の中年男が手足のねじれた無様な格好で寝ていた。

 背には大きな刺し傷があり、まだ暖かい命の雫がこびり付いている。男の息は既に無く、見開かれた目は白濁し焦点が定まっていなかった。 

 ジャリッ――

 元の名を南城と言ったその男の顔の横を、闇よりも暗い色の靴が踏み抜いた。

 靴の主は自分の足が南城の血で汚れることなど全く意に介さず、何もその場に無いかのように平然と通り過ぎていく。

 武田が去ってから先ほどまで無数の狂人がここを訪れていたはずなのだが、今はどういうわけかただの一匹もその姿を見せなかった。

 何故ならば男の通った道に、全員ゴミ屑のように転がっていたのだから。

「そろそろクライマックスか」

 その西洋風の緩い癖毛を風に揺らし、男は確信気に呟いた。

 まるで自分が作成したゲームのシナリオを確認するかのように。

 一度読んだ小説の内容を思い出すかのように。

 クスクスと妙齢の女性のような笑い声を上げながら、男は満足そうに、釣りあがったその漆黒の瞳を天井に向けた。

 







 鋭は全速力で曽根と本田に迫った。

 屋上の荒い地面を両足で交互に蹴り飛ばし、相手が息つく暇もないくらい素早くその眼前に躍り出る。

 いくら一般人よりも強かろうと、イミュニティーやディエス・イレ以上の武闘派集団だろうとも、黒服メンバーは所詮人間に過ぎない。自分のこのいじられ尽くした怪物じみた身体能力には決して適いはしないと心の中で思っていた。

 だが――

「ちっ!」

 一瞬で勝負をつけるために放たれた鋭の入魂の一蹴りを、二人はお互いを押し合うことでかわした。そしてそのまま屋上の左右に広がるように転がり、鋭を挟み込む。

「――黒服は傭兵集団だ。仲間が死ぬのはいつものこと。あまり俺たちを甘く見るなよ!」

 本田は余裕があるとは言えないが、かなり落ち着いた表情でそう叫んだ。

 ――さすがに軽く見すぎたか……さっき黒村を楽に倒せたのも、狂人集団の存在や狭い廊下ってことが大きかったからな。

 「コキッ」と首を鳴らす。

 同時に左から曽根が、右から本田がそれぞれ黒柄ナイフを構えて飛び出してきた。いくら鋭でもまともにこのナイフの斬撃を防ぎきることは出来ない。デパートで感染した安形の一撃を防ぐ事ができたのは安形の意識が無かったからだ。もしあれが感染していない本来の安形の一撃だったのなら、今頃は片腕を抱えて戦っていたかもしれない。

 鋭は両手の掌でそれぞれのナイフを反らすと、その手で二人の腕を掴み、それぞれの進行方向に思いっきり引ぱった。

「ぬぉっ!?」

 曽根は間抜けな声を出して倒れてくれたが、本田は辛うじて踏みとどまり、反転し、こちらに再び踏み込んでくる。

「しつこいな。本当にお前らは……」

 鋭は地面、屋上の入口と、飛び跳ねて本田の左横に移動し、そのまま肘打ちを浴びせようとした。だが本田もそれを予想していたようで、首をいなすように鋭の肘をかわすとその先にある腕を掴みねじり上げた。しかし鋭は痛みに顔を歪めることなく、その捻られた動きと合わせるように宙返りし、捻られる前の状態で元の場所に再び降り立ち、本田の腹に膝を突き入れた。

「ぐふっ!?」

 本田は大量の唾液を吐き出し、後方に吹き飛んだ。肩を屋上の柵に激しくぶつけ、腹の痛みに悶絶してる。

「化物じみた動きだろ? 俺をこんな体にしたのはお前らだ。お前らが俺を怪物にした」

 鋭は悪意のある視線を倒れている本田に向けた。

「……おいおい、げほっ、げほっ……俺たちに、八つ当たりすんなよ。鋭……お前をそんなにしたのは白居候と黒服本部の科学者たちだろ?」

「お前らも同罪だ。いや……もうすぐ同罪になる」

「はあ、はあ……あ? どういう意味だよ?」

「白居がやろうとしていることが成功すれば、お前ら黒服メンバーは嫌でも人間の敵となる。そうなる前に俺が殺してやる」

「人間の敵? 白居候が? はっ、意味が分からないな。頭がおかしくなったんじゃないのか? 狂人の親だけに」

「お前ら下っ端が知らないだけだ。興味があるのなら白居か草壁、キツネに聞いてみろ。……当然、俺を倒せたらの話だが」

 鋭はあからさまな殺気を放出しながら、本田に止めを刺そうと屋上の端へ向おうとした。しかし丁度自分の背後で倒れていた曽根が起き上がりナイフを突き出してきたため、仕方が無くその歩みを止めた。

 その隙に本田は何とか立ち上がる。

 ――まともにやってたら埒があかねえな。何か使えそうなものはないか……?

 鋭が本田の攻撃を捌いている光景を横目に屋上のあちらこちらを見渡す。すぐに役にたちそうなものが二つ見つかった。大型の竿状アンテナとガスタンクだ。

「ガスタンクか……普通は貯水タンクがあることが多いけど、この場合は儲けだな。あれを使えば鋭を……」

 頭の中で算段を企てていると、鋭に蹴り飛ばされた曽根が真横に吹き飛んできた。

「お、お前何普通に戦闘放棄してるんだ!?」

 曽根は血で濡れた口でぜえぜえと息を吐きながら本田を睨む。

「悪い悪い、でもいい案が浮かんだぜ。もしかしたら鋭を上手く痛めつけられるかも」

「……どんな案だ?」

 本田はこちらに近付いてくる鋭に注意をしつつ、簡単に説明を始めた。








「武田――くそっ!」

 向こうの部屋の状況がかかなり気になるところだが、安形は彼らに構うことは出来なかった。何故ならば狭い実験室の廊下で、三体の振り子人間が飛び掛ってきている真っ最中だったからだ。

 振り子人間たちは満面の笑顔を右、左、右、左、とリズムに乗って揺らしながら、安形に爪や拳を突き出してきた。

「このっ――!」

 先ほどのように己の拳で迎撃しようとしても、狂人と振り子人間とではその体の頑丈さも動きも大きく違う。安形がいくら殴打を加えても、全く苦しむ様子もなく平然と襲いかかってくる。

 『悪魔』とは純粋なイグマ細胞に感染した人間の総称。その細胞の本能のままに人を襲い、他者の肉体を食らい尽くす。だが、今ここで目にしている振り子人間は違う。『悪魔』を、イグマ細胞を、殺人目的で改造し、生まれた黒服の兵器。身体能力こそ純粋な悪魔に劣るものの、その知能は高く、動きも統率が取れていた。

 ――こいつら、隣の資料室に張ってあったレポートで見た……黒服の最新実験体か! たしか正式名称は『ソムヌス』だったか?

 安形は隣の部屋に居た時に見た資料の写真とその内容を思い出し、舌打ちした。

 黒服の腹部を振り子人間の大きな爪が裂いていった。そして糸を引くように僅かな血が跳ねる。

「チャァアァァアアアッ!」

「うわぁぁああっ!?」

 腹部の痛みに顔を歪めた瞬間、他の二体の振り子人間が背中にタックルを浴びせてきた。避けることが出来ずに安形は体を床に投げ出してしまう。

 ――不味い! 

 咄嗟に横に転がろうとしたが、生憎ここは廊下だ。転がって避けるスペースなどない。この状態では真正面から迎え撃つことしか方法が無かった。 

 振り子人間の爪をギリギリ黒柄ナイフで防ごうとしたが、予想よりも遥かに相手の力が強かったため爪を防ぐことは出来たものの、ナイフは後方――非常用階段の方へ吹き飛ばされてしまった。こうなればもはや己の肉体のみで何とかするしかない。直ぐに立ち上がろうと試みたが、状況をさらに悪化させる事態が起きた。

「な、何だ急に眠気が……!?」

 突如頭にもやが掛かったように感じ、自分の体が思うように動かないことに気がついた。

 ――まさかこいつら……爪に麻酔液が!?

 迫り来る振り子人間たちから仰向けのまま遠ざかりつつ、自分の傷と相手の爪に視線を走らせる。振り子人間たちの爪からは僅かに水のような液体が垂れていた。

 獲物を弱らせてから食するのは野生世界の常識だが、この振り子人間の場合はかなりたちが悪い。まるで蜘蛛のような手口だ。対象の動きを封じ、自由を奪ったあとに思うがまま、欲望のままに生きた生の相手をむさぼる。

 考えるだけでも恐ろしい。

 安形は唇を血が出るまで噛み何とか意識を保たせると、必死に黒柄ナイフの飛ばされた場所まで仰向けのまま後退しようとした。だが狂人たちの死体が無数に転がっているため、中々上手く進めない。立ち上がればすぐに取りに行けるのだろうが、そんな隙など振り子人間たちは見せてはくれなかった。

「くそっ……!」

 仕方が無く所持していた残りの小型ナイフ三本の中、二本を取り出し左右の手で握りしめる。黒柄ナイフと比べれば強度も長さも、切れ味も大分落ちるものの、そこら辺の包丁よりは対感染者戦に適している黒服専用の特注ナイフだ。先ほどキツネがホイホイと放り投げていたのも勿論これである。

「チャァー!」

 先頭の一匹が突撃してきた。安形はその瞬間右手に持っていたナイフを今出せる最大の力で前方に放り投げ、その振り子人間の喉下に命中させた。振り子人間は苦しみ顔を歪めたのだが、ダメージはあまり無いようで、他の二体の背後まで後退すると再び攻撃態勢を取った。

 所詮小型ナイフは威嚇と注意を引きつけるための物に過ぎないのだ。キツネのように無数のナイフを同時に投げつけるならともかく、安形は残り二本しか所持していない。あっと言う間に全てを使い切り、仕方が無く付近に転がっていた、恐らくは狂人が使用していたであろう金槌を拾った。

 ――どうすればいい? どうすれば!?

 自分の三年間の経験を思い出し何か良い手は無いかと探るが、考えれば考えるほどにこの危機を乗り越える方法が分からなくなってしまう。

 自分の専門は後衛。前衛を援護したり、中衛の指示のもと前衛に引きつけられた獲物に止めを刺す役目。他の役割よりは乱戦に慣れている。だがそれも所詮は相手を罠に嵌めたあと、不意をついた状態などあからさまにこちらに有利な場合での話だ。真っ向から感染者の集団を打ち負かすなんてどんな黒服メンバーでも不可能だろう。もし出来る人間が居るとすれば、それは鋭のような『人間を止めた人間』だけだ。

 一匹が頭上を飛び越え背後に移った。これで黒柄ナイフを取るにはこの振り子人間を倒すしかなくなった。

 安形は前後どちらの相手にも対応出来るように体を半身にし、丁度壁を見るような体勢で左右に振り子人間が来るようにした。

 資料室のほうからは何も聞こえない。ガラス窓もこの体勢では覗くことが出来ない。今頃二人がどうなったのか物凄く心配になる。

 ――早くこいつらを倒して武田を止めないと……!

 まぶたが重い。

 頭が霞む。

 これ以上あの爪を受ければもう意識を保っていることは不可能だ。この戦いに勝利するには一撃も貰わず、かつ速やかに三体もの振り子人間を仕留めなければならない。

 ――絶望的だな。

 安形は気が遠くなる思いがした。

「チャァァァ……」

 振り子人間たちの包囲が狭まってきた。死の臭いが、気配が、空気が自分を包み込むのを感じる。どう考えてもこの現状を乗り越えるのは不可能だ。荒い呼吸をつきながら、親友である截が助けに来てくれることを願った。

 安形もキツネが現れた時点で何となく截が動きを封じられたことには感づいている。しかしこれほどの窮地にあってはその在りもしない奇跡にすがるしかなかった。

 截、友、亜紀、そして自分。

 あのとき生き残った四人の中で一番生存力が強かった截。彼が居れば今頃はこんな状況にはなっていなかっただろう。彼は誰よりも冷静で、誰よりも強く、誰よりも心に闇を持っていた。

 だからこそキツネは彼に興味をもった。彼を仲間に引き入れた。彼に自分の技術を教え込んだ。

 自分に似ていたから。

 才能があったから。

 闇を持つ者は絶望の中でも生きていくことが出来るから。

 自分は何故黒服に入れたのか? と考えることはよくある。その答えはいつも同じだ。

 あの時、截の心は復讐という名の煉獄に沈み込もうとしていた。完全に『向こう側』の人間になりかけていた。キツネはそれを止めるために、截、いや――悟が完全に闇に落ちるのを防ぐために、自分という存在を利用したのだ。

 自分が居れば截は人間でいられる。

 闇に沈み込まなくて済む。

 希望を持っていられる。

 一人じゃないと思える。

 もし自分が居なければ截は全ての人間としての感情、思い、心を捨ててまで復讐に走っていたはずだ。そう、まるでキツネのように常に作ったような表情をした人形、生きた殺人兵器になって――。

 ――ここで死んだら截はキツネになってしまう……そんなのは御免だ。あんな気味の悪い男は二人もいらない。

 安形は截のことを考えると意識がはっきりしてくるのを感じた。

 ――俺はあいつから離れるわけにはいない。あいつを人間でいさせるためにも、俺とあいつの約束を果たすためにも。

 自然と腕に力が篭る。

 激しい興奮によってアドレナリンが作用したのか、眠気が僅かに吹き飛んだ。

 仁王のような表情を作り、左右の振り子人間に備える。

「死んで堪るかぁぁあ!」

 安形は腹の底から叫ぶと隙が生まれることも構わず立ち上がった。

 当然、左から二体の振り子人間が、右から一体の振り子人間がその隙を突こうと一気に爪を突き出してくる。だがその爪は空を切り、振り子人間たちは互いの爪と爪をぶつけ合った。

 安形は体を起こすと同時にガラス張りの廊下を生身で突き破り、廊下に隣接している無数の実験用小部屋の一つに飛び込んだのだ。

「ぐぅううっ!」

 腕、足、肩……体中にガラスの破片が刺さり、または皮を裂き、拷問器具に包まれたような痛みを感じる。しかしそんなものに苦しんでいる暇は無い。真後ろから凶暴な三匹の怪物が追ってきているのだ。

「らぁぁああっ!」

 続けざまに飛び込んできた振り子人間の顔面を、ホームランを打つように、振り返ると同時にハンマーで殴り飛ばす。ぐぼっ、と鈍い音を響かせながら飛んでいくその可哀想な被害者からすぐに視線を反らし、二体目にも同様にに殴りかかる。今度は簡単に避けられてしまったが、構わずその勢いのまま相手の頭上のガラスを砕いた。

「チュアゥアア!?」

 いきなり真上から無数の透明な刃が降り注ぎ、振り子人間は一瞬注意をそちらに取られる。その機を逃すことなく安形はハンマーを振り下ろし、相手の頭が下がるのに合わせて今度は膝でその顎を打ち上げた。さらにクラクラと揺れる振り子人間に止めのストレートパンチを浴びせ、廊下に吹き飛ばす。

「俺は死なない! お前らなんかには殺されない!」

 咆哮のような雄叫びを上げて元の廊下に飛び出す。今吹き飛ばしたばかりの振り子人間に馬乗りになり、その頭部に何度も何度もハンマーを振り下ろした。麻酔付きの爪で引っかかれようともお構い無しだ。

 最後の一撃を相手の肉の見えた頭蓋にめり込ませると、別の単体の攻撃を避けるためにそこから飛び離れる。

「くっ――?」

 一瞬睡眠欲に負けそうになったが、自分の片腕をナイフで軽く切り、その痛みで持ち直した。

 二体になった振り子人間はこれまでのように積極的に攻撃しようとはせず、様子を伺うように安形から数メートル離れた位置に移動した。相変わらずの笑顔だったが、少しだけその表情がいびつになっているようにも見える。

「どうしたぁあ!? 来いっ!」

 もはや安形は何を言うにも叫んでいた。そうして興奮を保っていなければすぐに麻酔の効果で倒れてしまいそうだったからだ。

 二体の振り子人間は頭を揺らしながら同時に駆けて来る。それを見た安形は小部屋から見つけたアルコール瓶を足元に投げつけ、ポケットから取り出したライターで火をつけた。

 今まさに獲物に覆い被さろうとしていた振り子人間たちはいきなり目の前に炎の壁が生じ、急ブレーキを足に掛ける。

 安形は自分の服にも火が移っているにも関わらず、全く構うことなくそのまま動きを止めた眼前の敵に突撃した。

 燃えながら突っ込んでくる決死の男に振り子人間たちは恐怖を覚えた。しかし逃げようとしても背後は資料室へと繋がる鍵の掛かった扉しかない。

「うぉぉおぉおぉおおおおおっ!」

 安形はアルコールによって赤い光を放っている黒服を脱ぎ、それを前方に投げつけた。視界を火の服で塞がれた振り子人間は、何もすることが出来ずにただ悲鳴に似た泣き声を出す。

 その服を剥ぎ取った時にはもう遅かった。既に安形は懐に飛び込み、死を表すその暗色のナイフを振り子人間の腹に刺していた。

「チャァアアアッ!?」

 ナイフから逃れようと爪を伸ばしたが、その腕はハンマーで弾かれ無残にもガラスの壁を貫き、隣の小部屋と廊下を繋げただけで終わる。

 そのうち爪に巻きついた黒服から火が移ってきた。イグマ細胞はたたでさえ火に弱いという特性があるのに、服にこびり付いたアルコールが垂れてきた所為でそれが回るのがかなり早い。着ていた人間だった時の服にも炎が感染し、あっと言う間に全身を赤い殺し屋が包み込んだ。

 安形は黒柄ナイフを抜き、その火達磨となった敵を横の小部屋に蹴り飛ばすと、煙と血にまみれた体で最後の一体を見つめた。

 既に息は激しく切れ、体中が火やガラス、爪痕で傷ついている。眠気も限界に近いし、これ以上動ける時間は数えるほどしかない。

 安形は自分の体に鞭を打ち、残る全ての力を使って足を踏み出した。

 息を止め真っ直ぐに黒柄ナイフを突き出す。それがかわされるとすぐに大きな手の平と爪が飛んできたので、屈みながらハンマーで相手の腕を反らした。

 死と隣り合わせの状況に何度も、何度も考えていた言葉が頭に甦る。

 ――何のために生を選び、黒服に入った?

 遠い記憶もそれに追従する。

 ――何のために警察に入った?

 振り子人間はすぐに腕を引き、次の攻撃を放つために力を溜めた。

 ―何のために今この場に立っている?

 安形は両腕の武器を前方に構えそれに用心する。

 全てはただ一つの理由。

 自分の力を役に立てるため。

 悲しむ人を見たくなかったから。

 例え僅かでも己が犠牲になることで誰かの命が救われるのなら、それを可能にするために自分はこの場に立っている。

「チャァアア!」

 連続して二本の爪が迫ってくる。

 自分には特殊な感覚も優れた技術も、経験も何も無い。だけど、それでも誰かを助けることが出来るのなら――誰かを救うことが出来るのなら。

 防ごうとした黒柄無ナイフが弾かれ、握ったハンマーの柄にひびが入る。


 「――俺は決して諦めない!」


 振り子人間の胸にはまだ小型ナイフが刺さったままだった。安形はそれを右手で掴み、固定すると、柄にひびの入ったハンマーをそこに打ちつけた。

 ガァンッ!

「チャァァアアアアアッ!?」

 打ち込むと同時に、耳元で銃声が轟いたような悲鳴が鳴り響く。

 ガンッ!

「ッアァァアアァァアアッ!!?」

 声はどんどん大きくなっていく。

 ガンッ!

 激しく抵抗してくる体を全身を使って押さえ込み、さらに小型ナイフをハンマーで相手の体内に減り込ませる。

 ガツンッ!

 ガン、ガン、ガン、ガンガンガンガンガンガンガンッ――――

 生きるとは自分で目的を決め、それに向って突き進む事。満足出来る死を迎えられるように励むこと。自分はまだ満足してはいない。ここで死んだら悔いだけが残る。

 そんな死は。

 そんな人生は。

 そんな『生』は御免だ。

 安形は思いを、気持ちを、決意を持って、渾身の一撃を打ち込んだ。

「くたばれぇぇえぇええええええ!」

 ガンッ――……!




『そうか、ゆうちゃんは誰かの役にたつ大人になりたいのね? それじゃあ、ゆうちゃん、もしお姉ちゃんに何かがあったら、助けてくれる?』

『うん、分かった! 俺大きくなったら警察になって、悪い人を一杯捕まえてやるよ。僕が姉さんたちを守るんだ! 僕がいる限り誰も悲しい目には合わせないよ!』


 遠い、遠い記憶。

 自分を死んだと思い込んでいる大切な家族の言葉が甦る。

 ――苦しんでいる人を助けることが俺の目的なんだ。生きる意味なんだ。そのために俺は警察官になり、黒服に入った。……確かに時には誰かの命を犠牲にすることも必要だろう。でもそれはあくまで助けられない場合のみでの話だ。助けられるのに、まだ救えるのにそれを犠牲にすることは間違っている。

 振り子人間は動きを止め、力なく壁にその体を打ちつけられたまま鳴き声を途切れさせた。だらーっと壁に血の滝が流れる。

「そうだろ? 鋭――」

 安形はそのまま振り子人間の横の壁に寄りかかった。

 ずっと迷っていた。

 ずっと分からなかった。

 鋭がやろうとしていいることは本当に正しいのか。

 自分の考えは甘いのか。

 でもここに来て、死の恐怖から自分がこの場に立っている意味を思い出して、今やっと決心が、その答えが見つかった気がする。

「鋭、俺が……お前を必ず止める。例えどんな結末になろうとも」

 そう改めて決意した。







「二人は……どうなったんだ?」

 体が重い。足が進まない。

 まるで床に倒れている元狂人たちが纏わり付いているかのようだ。

 もはや起きているのか寝ているのか自分では判断が付かず、これは夢なのかという疑念すら湧く。

 しかしそれでも安形は扉に向って歩き続けた。

 まだ二人が死んだとは決まっていない。必死に自分の助けを待っている可能性もあるから。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 皮膚がひりひりと痛み、風が当たるたびにヤスリで擦られているような錯覚を覚える。

「佐久間……愛さん……」

 覚束ない足取りで扉の前まで来ると、震える腕でそのノブを掴み、顔をガラス窓へ近づけていく。



『何言ってんだよ、もう分かっただろ? 鋭は怪物だ! あんたがいねぇと俺らが逃げられない! 頼むから一緒に来てくれよ!』


『当然でしょ。あんたたちが助けたんだから最後まで責任持ちなさいよ』


 二人の言葉が山彦のように耳の奥で鳴る。

 ――生きててくれ……! 

 心の中で叫んだ。

 自分が守ると約束した。

 生きてこの町から出すと。

 そう確かに誓った。

 誰かを助けたくて、富山樹海のような悲劇を生みたくなくて、敢えて黒服に入ったのに、ここで誰も守れなければ自分の三年間は、努力は何の意味も無くなってしまう。

 これ以上自分の力不足で誰かが死ぬ姿は見たくない。

 救えたはずの人間が救えないなんてもう御免だ。

「頼むから……生きててくれ……」 

 安形は心の底からそう願い、ガラス窓の反対側を覗いた。

 

 

 

 



 バッバッバッバッバ――

 一機の漆黒のヘリが、それ以上に暗い空の中を飛んでいた。

 コックピットからは夢遊町の全体が見え、その大きさは徐々に大きくなっていく。

 乗員はパイロットを含み三人居たが、三人ともヘリと同じように真っ黒な服を纏い、まるで死神か悪魔と魂の取引を行った人間のように見えた。

 何かに気がついたのか、後部座席に座っていた一人の男がパイロットに指示を出した。するとパイロットは一瞬驚いたようだったが、その指示の通りにヘリの操縦桿を動かした。

 周囲の形式が茶色く濁り、次第に荒廃した町の中へと入っていく。

 何故か、どういうわけか、ヘリは真っ直ぐにある場所へ向っていた。

 地獄の始まりの場所。

 憎しみと悲しみの原点。

 白居邸へと――。






 

 資料室の中には誰の姿も無かった。

 安形は安心とも不安とも区別の付かない大きな溜息を吐いた。

「はあ、死体が無いってことはまだ死んではいないよな……?」

 体中の緊張と力が僅かに抜ける。その所為か、押さえ込んでいた眠気がどっと舞い戻って来た。

 瞼を擦りながら何とか扉を開けようと試みてみたが、やはり開かない。

「武田……お前は一体何のためにそこまでして生きようとしているんだ?」

 黒村と取引したとはいえ、こんな異常な状況だとは言え、武田の生に対する執着心は尋常ではない。精神に異常をきたしているならともかく、先ほど見たところかなり冷静で安定しているようだった。

「お前にも……生きる意味が、信念があるのか?」

 自分と比べてそう考えたが、武田の心を支えているものが一体何かまでは分からなかった。

「う――?」

 ぐらりと膝が折れた。

 太股から下が綺麗さっぱり消えてしまったかのように自然に床に倒れ込む。

「――くそ!? まだ、こんな所で寝てるわけには……!」

 いくら精神力で我慢していても、もう体は限界だったらしい。度重なる戦いのダメージも相成って、安形はこれまでで最大の眠気に襲われていた。

 必死の抵抗も意味が無く、瞼は段々と閉じ、視界が暗くなっていく。

 ――駄目だ、まだ俺は……!

 そして一気にブラックアウトした。

 





 



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