食卓
実家に帰って気づいたことがある。母がしょっちゅう家を空けるのだ。お一人参加限定のツアーに参加するのが楽しくて仕方ないらしい。国内をあちこち旅行していた。母にそんな趣味が出来ていたとは。母が不在の間だけ、父が夜ご飯は食べたのかと聞いてくる。お腹なんて全然空かなかったけれど、部屋に居るのが飽きたのか、私も父と二人のときはリビングで食事をとるようになった。
ある時から父がケーキを買って帰宅するようになった。旅行中の母の分も、と一応3つ律儀に買ってくる。ケーキはどれも小ぶりで、可愛いという表現ではかえってその繊細さに失礼にあたるような、芸術的という言葉はこんなときに使われるのだろうなと思えるような、そんなケーキだった。
私も父も何を話すでもないけれど、時間をかけてゆっくりケーキを食べた。時折母から電話がかかってくる。
「ちゃんとご飯食べてるの?」
「食べてるよ。」
「冷蔵庫におかず沢山作って置いたから。」
「うん、食べてる、頂いてます。」
「お父さんの分も冷蔵庫にあるから温めて食べるようにね。」
「うん、お父さんもう帰ってる、リビングで一緒に食べてるよ。」
「あらそう!大丈夫そう?」
「うん、大丈夫。」
「食べた後は愛乃が食器洗いなさいよ!」
「うん、はい。」
「ほか何かあったかしら?」
「大丈夫だよ。」
「あ、お母さんのケーキは愛乃食べていいからね。」
「うん、ありがとう、頂きます。」
(ちらっと父を見るけれど、ケーキにちょうど一口目の切り込みを入れている一番美味しいときだったから、話しかけなかった)
「じゃあお父さんに宜しくね!」
「あっ。」
ツーツーーー
どうして人は人に何かを食べさせたくなるのか、ちゃんと食べてるのかと聞きたくなるのか、何がちゃんとなのかも分からないけれど、なぜ、食べてくれるなら、とこりもせず作ってくれるのか、ただ食べているだけなのに、食べていると安心してくれるのか、食事は人が人を思う優しさで出来ているとは、このことだろうか。
食卓に並んだ料理もケーキも、私を思う二人の優しさだ。
喉の奥がきゅっとなる。胸がいっぱいで、私があまり量を食べられないのは、こんな理由もあることを、二人は知らない。
部屋で一人になると、この部屋で落ち着いている自分がいることに気づいた。
笹ノ上のあの家は、もう二度と巡ってこない彼との時間をぎゅっと詰め込んだ、宝物のような世界だ。ただいま、おかえり、行ってらっしゃい、行ってきます。どれだけ時間が過ぎても、私にはこの言葉たちが歯痒かったこと、彼は気付いてないんだろうな。ままごとみたいで時々口元が緩むようなときもあった。二人が二人で居ることに慣れていくと、じんわりやってきたのは愛おしい気持ち。最初から最後まで、時々寝返りを打つように形を変えて彼を想い、ずっとそこに眠り続けてきた。
彼のことを嫌いになれない。恋って、残酷だったんだ。
今日も1日が終わる。
誰とも何とも交差せず、わざと時を止めて。
このままでいいのだろうか。
私って一体何者だったのだろうか。これから何になれるのだろうか。
この宙ぶらりんさが怖くなってきた。突然くしゃみが出る。部屋の中にティッシュケースを探す。ああ、気付いたら冬が通り過ぎていた。