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突発的な与太話

作者: 潮路


 猛烈な吐き気のようなものに襲われて、私は小説――エッセイを執筆することにした。

「吐き気」というのは我ながらよく表現出来ている。突然で、強烈で、制御不可能。それでいて実に刹那的だ。一度吐き気を覚えてしまえば、先のことなど考えていられない。今この一時だけがこれまでの人生で最も優先される事項となるのだ。

 吐くこと以外の思考を許さず、どこで吐くか、いつ吐くか、時間も余裕もないままに、一体どうやって終着させようかと辛うじて余った知能を回転させる。

 そして何とか決まった話題というのが「どうして私は自制が利かなくなるまで酒を呑んでしまったのか」というものだ。

 どうして。どうしてかと問われると、それは自分の人生の空虚さに打ちひしがれていたからだと答えざるを得ない。つまるところ、週のはじめから自己嫌悪していた訳だ。

 半生――自分が歩いてきた道のりを振り返り、なんとまあ、蛇行というか下手な生き方をしてきたか。実に行き当たりばったりで、それでいて(この場合、「だからこそ」の方が適切か)なんと何も実っていないことか。これならまだ、サイコロを振って、出てきた目に従って行動していた方がよほど生産的だったのではないかと思える程には酷い。「何もしてこなさ」に関しては誰にも負けない自信がある。

 どうしてこうなった。酒を呑む。どうしたらこうなった。酒を呑む。どんなにこうなった。酒を呑む。どうしてもこうなった。酒を呑む――


 とまあ、そんなこんなでこうなった。疑いようのない事実である。

 頭が痛い。酒を呑んでこうなったのは、人生で初めてかもしれない。明日の仕事に支障が出るかもしれない。しかし、もはや過ぎてしまったこと。

 過去のショックが今のショックを起こした。これから先、もしかしたら更なるショックが起こるかもしれない。人はショックを受けると脳が痺れて流暢に考えられなくなるものだが、その時は気を付けた方が良い。その衝撃はまだ終わっていなくて、もしかしたら更に傷付く可能性があるのだ。勝手に終わらせてはいけない。勝手に反省会ムードになってはいけない。

 さもないと、ただでさえ酒で胃に負担をかけているのに、更にギトギトのラーメンを衝動的に食らうことになる。これにより、更にコンボが継続するのだ。

 どうして、どうして自分はこんなに駄目なんだろう。駄目なことを敢えてやろうとしてしまうのだろう。例えば、なんで身体に良くないと分かっていて、エナジードリンクを呑んでしまうんだろう。少なくとも学生時代まではそんなもの意識すらしなかったし、ましてや中毒の一歩手前になるなんて夢にすら思わなかった。でも今なんて、爪のデザインしたアレがなかったら絶対に凌げる気がしない――なんで凌げる気がしないって思うんだろう。なんで?

 いや、そんなことは今はいいんだ。なんでこう、自分は――こってりした豚骨スープがちぢれ麺に濃密に絡まって、見る者をたちまち涅槃に誘うような香りを放っている。極上の一杯を啜る時、果たして人間は何を考えているのだろうか。極楽浄土、天上天下、唯我独尊。相対する時、すべての時間は凝縮される。実に刹那的だ。一度口に運んでしまえば、先のことなど――


 私はこれでも場数を踏んできた。何の場数か、後悔の場数である。

 悔やんできた。どんな些細なことにも全力で悔やみ尽くしてきた。人生で初めての悔やみは、歳ははっきりしないが、初めての瓶入りのコーヒー牛乳を飲もうとした時、どんな開け方でそうなったのかは知らないが、紙蓋の欠片が中に入り込んでしまったことだ。「コーヒー牛乳の純潔を穢した」とわんわん泣いた。当時の私が泣き虫なことを差し引いても、あまりに些細なことで泣いた。

 そんなレベルのことを何千回とやってきたから知っている。私は「後悔」を感じるハードルが異常に低い。(更に付け加えると「悔いなし」と思える為の障壁は異様に高い)ぶっちゃけ後悔する為に生きている。そして今後も後悔し、当然死ぬ間際には「もっと〇〇しておけばよかった」と嘆き倒すことになるのだ。分かり切っている。


 酔いと食い過ぎと眠気で本当にヤバい。そのせいか、声が聞こえてくる。

――それであなたは本当に幸せなんですか?


 そんなわけはない。ふざけるな。冗談も大概にしろ。

 一つ言わせてもらうなら「もっと〇〇しておけばよかった」なんて、私でなくとも、ほとんど誰もが思う事なんじゃないだろうか。そんなこと言ったら幼少期から英才教育を受けてきたごく限られた人物しか、後悔なき人生は送れないのではあるまいか。それこそ「人生は運ゲー」となってしまい、産業廃棄物さんチームに配属された私は試合開始三秒で断末魔もなしにフェードアウトではないか。

「何もしてこなさ」が「悔いの多さ」が取り柄だと言うのならば、もういっそのこと、何をしてきたかよりも、何をしてこなかったかを考えて生きていった方が良いのではないか。

 どんな人間がどんなに綿密な人生を送ろうとも、全分野を網羅的に駆け巡ることは出来ないはずだ。この世の天才――ニュートンでもアインシュタインでも誰でもいいが、その者達は、あらゆるスポーツやあらゆるサバイバル術、あらゆる賭け事、もしくはあらゆる犯罪に精通していただろうか。そもそもニュートンらがそれらに一度でも興味を抱いていただろうか。と問われれば「そんなはずはない」と皆が答えるだろう。そう、あのニュートンですら、この地球上で出来ることの全ての行動に比べれば、ごくごくわずかな行動しかしてこなかったのだ!!

(当然そんなことよりも、自分の知的好奇心を満たしつつ、名声を高めていく方が余程楽しくて充実していただろうし、それが正解なのだ) 

 我々が一生涯で出来ることなどたかが知れている。しかし、その逆はどうだろう。

 出来ないこと、していないことは星の数ほどある。そしてそれらは「やらないまま」にしておくことが出来るのだ。いつかはやるのかもしれないが、少なくとも今はやらないでおけるのだ。楽しみは後に取っておくに限る。


 今回は何をやらないでおこうか。明日はどんな悔いを残そうか。

 ほら、だんだん変な自信が広がってきただろう。

こういう日もある。

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