2-40 戦いの終わり
猫と魔王の戦いに決着が付く10分前。
アザリアとその仲間達の戦いは続いていた―――。
戦闘開始と同時に戦場全体に張ったアザリアの究極天術【サンクチュアリ】。
その効果によって魔族の魔法が封じられ、魔族には弱体化を、人間達には強化を施す。
その助けもあって杖の勇者であるアザリアの手によって、軍を率いていた魔王アドレアス……の偽物が討たれた。
しかし、【サンクチュアリ】の効果時間が切れる。
その効果で釣り合っていた両軍の戦力差が崩れ、一気に人間達が蹂躙される―――とは、ならなかった。
魔族達は、自分達を率いていた魔王が偽物である事を知って居た。故に、偽物が勇者に敗れたとて魔族の軍に動揺は無い。
ただし、統率には小さな乱れが生じた。
対して人間達の連携は揺るぎなく、それどころか追い込まれる程に研ぎ澄まされて行った。
魔族は個々の持つ高い身体能力、そして魔法を武器に攻め立てる。それを人間達が連携して防ぐ。
そんな図式がずっと続いていた。
だが―――時間の経過は魔族に味方する。
元々持って生まれた肉体能力の差で、人間に比べて格段に魔族は疲れにくいからだ。
そして今、人間達は徐々に負傷者が増え、魔族達に押し切られそうになっていた。
その中にあって、アザリアも懸命に杖を振るい天術を唱え続ける。
三重詠唱の発動と引き換えの頭痛も時間が経って大分マシになったし、魔力を回復する回復薬で、魔王との戦いで失った魔力を回復したが、それでも全快に程遠い。
本来の戦闘力の四割減……と言ったところだろうか?
状況を考えれば、そろそろ戦闘の継続が困難になるデッドラインだ。
軍を退かせるのならば、この辺りで決断をしなければならない。
普段のアザリアであれば、皆の命を優先して撤退の命令を出していた。今それが出来ないのは―――当初撤退に使う予定だった神護の森で、断続的に爆発音が響いているから。
爆発音がすると言う事は、今も森の中では戦いが続いていると言う事だ。
剣の勇者と魔王アドレアスの決戦が。
今撤退を選べば、その邪魔をしてしまうのではないか……と危惧している。
剣の勇者が強い事は知っている。
だが、相手は魔王だ。そう簡単に勝てる相手ではない。
安易に動いて、あちらの戦況に変化を齎す様な事になれば、それこそ戦いの結末がどうなるか分からない。
とは言え―――いつまでも仲間達に戦い続けさせる訳には行かない。
(どこかで、決断しなければ……!)
もはや、人間達に500の魔族を押し返せる力は無い。
人間に許された道は逃走のみ。
「お嬢! これ以上は無理だ!!」
誰かが叫ぶ。
この戦いに参加する全員が命を賭ける覚悟で戦っている。にも関わらず「無理だ」とアザリアに言ったという事は、本当にもう無理と言う意味だ。
(逃げるしかない……)
頭では分かっている。
それなのに選べない。
アザリアはこの戦いを始める前に、敵軍の将が偽物である事にも、本物が自分達の逃走路を塞いでいた事にも気付かなかった。
その読みの失敗が、今この瞬間の決断力を鈍らせる。
「でも―――!」
「せめてお嬢だけでも退いてくれ!」
先程の「無理」発言は決して自分達の命惜しさに言って居たのではない。
自分達の最後の希望である杖の勇者……そして何より、仲間達にとってはアザリアは可愛い妹であり、娘であり、恩人であった。そのアザリアを守るのが、これ以上「無理だ」と言っていたのだ。
そしてその「無理」の判断は正しく、アザリアに向けて魔族達が殺到する。
「あッ…!?」
「お嬢ッ!!」「逃げてッ!!」「テメエ等、お嬢に近付くんじゃねえ!!」
皆が叫ぶ。
しかし、アザリアを狙う魔族の動きは止まらない。
アザリアも慌てて天術を唱えようとするが、数が多い。独りで処理できる数ではない。
誰もがアザリアが血の海に沈む姿を幻視した。
その時、空気を引き裂くように何かが鳴いた―――
「カー」と若干間抜けにさえ聞こえるカラスの鳴き声。
次の瞬間、戦場を静かな風が吹く。
吹き荒れる土煙を晴らす様に風が駆け抜け、そして
――― 魔族の体が粉々になった。
悲鳴1つすらあがる事なく、赤い肉片となった魔族の体が、戦場を彩るように散らばる。
攻撃しようとしていた魔族も、魔法を唱えていた魔族も、人間を追いまわしていた魔族も、人間をいたぶっていた魔族も、全員例外無く粉々な肉片となって地面に転がった。
500の魔族が一瞬にして全滅。
何が起こったのかは分からないが、人間達には1人として被害は出ていない。
「……え?」「何…が……?」「誰か、何かしたの?」「いや、分からん…」「何かの奥の手が発動した、とか」「いや、だから分からないって」
誰も状況を呑み込めない。
ただ、目の前には魔族の血と肉片が散らばっていると言う事実だけが置かれた。
何が起こったのか分からないのは、アザリアも同じであった。ただ、彼女だけは仲間達が気付かなかった事に気付いた。
森の方で「カー」ともう一度カラスが鳴き、バサバサと戦場から遠ざかるように飛び去る黒い姿。
「……?」
あれだけ激しい戦闘をすれば、大抵の鳥は勝手に驚いて逃げ出す。
それなのに、あのカラスは今の今までずっと森の中で静かにしていたのだろうか。
それに何より、飛び去った後ろ姿に強い異和感を覚えた。
「三本足のカラス……?」
そう、飛び去った後ろカラスには、確かに足が三本あったのだ。
(魔物かしら?)
元々居る生物に良く似た異形の魔物なんて珍しくも無い話だ。
「アザリア様!」
呼ばれて「これ以上は考えても仕方無い」と、飛び去ったカラスへの思考を切る。
魔族が居なくなったとてここが戦場で有る事には変わりない。
自分達の目の前から敵が居なくなったとて、剣の勇者の戦いはまだ続いて―――
ズンッと地面を揺らす程の振動。
森の方から、何かしらの凄まじい圧力が流れ出しているのが分かる。
今までも爆発音が響いて来る事はあったが、今感じている物に比べれば、今までのそれは児戯にすら思える。それ程の強く、恐ろしい圧力が森から噴きつけて来る。
「これは……!?」
具体的に何が起こったのかはアザリアには分からない。
だが、離れていてもこれ程の力を感じる魔法か、天術か、技が発動されたのであれば、森の中での戦いに何かしら大きな動きがあった事は間違いない。
剣の勇者が勝ったのならば良い。
しかし、森から伝わって来る力はどこか禍々しさを感じる。
そんな力を、あの剣の勇者が使うとは到底思えない。と言う事は、必然この力を使っているのは魔王の方と言う事になる。
あの完全無敵の剣の勇者が負けるとは思って居ない。
だが、相手は魔王なのだ。
もし、今この瞬間に魔王に追い詰められて居たら―――もし、今アザリアの助けを待っていたとしたら……。
その可能性が頭を過ぎると、思わず体が勝手に駆けだしていた。
「あっ、お嬢!?」「え!? 行くんですか!?」
仲間達の声もスルーして、エネルギーをバンバン放出している森に向かって走る。
体の痛みも、残り少ない魔力も気にしない。
心の中に有るのはただ1つ。
(あの人を助けに行かなきゃ―――!!)
無口で、何を考えてるのか分からなくて、強くて、優しくて、いつも人を護る為に全力を尽くす人。
懐が深くて、海のような、空のような、どこか……師でもある祖父を思い出させる人。
出会ってからたった数日なのに、アザリアの心の深い所まで、あの金色の後ろ姿が根を張って居た。
だから―――剣の勇者が居なくなってしまう事に心が耐えられない。
「お嬢待って!」「俺達も行くから待てって!」「お嬢ッ!」
後ろから何人かゼエゼエ息を切らせながら追いかけて来る。
森に入ってから数歩走ったところで―――
「あれ?」
前方から噴きつけていた圧力が突然消えた。
それはつまり、何かしらの攻撃が終わった事を意味する。
自然と足が早くなる。
森の中は酷い有様だった。
そこら中で木々が薙ぎ倒され、地面が黒く焦げ、爆発で抉り飛んだクレーターがいくつも広がっている。
これだけでも、どれだけの激闘をしているのかが窺い知れる。
破壊の痕1つ見ても、アザリアが戦った魔王の偽物の攻撃とは比べ物にならないと分かる。
これが本物の魔王と本物の勇者の戦い―――。
背筋が寒くなる程の恐怖が、一瞬アザリアの全身を駆けて行った。
(これは、人間が踏み込める戦いなの……?)
剣の勇者と比べれば、まだまだ勇者として未熟である事は理解している。
だが―――今までその差は努力と重ねれば追い付ける物だと思っていた。そんなアザリアの思いを、目の前の惨状が粉々に壊す。
圧倒的な力と力のぶつかり合いによって引き起こされた惨状。
足が止まりそうになるのに気付き、頭を振って思考を切る。
今は剣の勇者の元へ駆けつけるのが先決だ。
暫く無残な姿になった森を駆けて行くと―――突然視界が開けた。
「こ……れは……?」
砂だった。
足元には土ではなく砂が広がっている。
カラカラに干乾び、栄養の一欠片すらない完全に死んでいる砂。
――― 砂漠
森の中に、百m程の円形の砂漠が出来上がって居た。
「こ、こりゃあいったい…?」「何があったんだ?」「どんな力を使ったらこんな事になるんだよ……」
数秒遅れて到着した仲間達が、揃ってクエスチョンマークを浮かべる。
と―――砂漠の中心に誰かが倒れているのを見つけた。
「あれは!」
距離があるうえに倒れているので誰かは確認出来ない。
だが、もしもの可能性がアザリアの頭を過ぎる。
「剣の勇者……!」
砂に足を取られながら懸命に走る。
近付くにつれ、倒れている人物が誰なのかが判明する。
体を半分砂に埋めるようにして倒れている人物。その四肢は蜥蜴のようで、腰の辺りからは尻尾が伸びている。
「あれって……」「まさか……!?」
「魔王アドレアス……」
魔王だった。
マントが無い事を除けば、クルガの町で見た姿そのまま。
皆が驚いて足を止める中、アザリアだけは構わず走って近付く。
見えたからだ。
倒れ伏す魔王の首を貫く―――旭日の剣が。
近付いて目視で確認。更に極光の杖でトントンっと叩いてもう1度確認。
間違いなく、完全に絶命していた。
「お、お、お嬢、どうだ?」
「大丈夫ですよ。完全に死んでます」
「ま、マジか!?」「本当に!?」
皆が近付いて確認する。
やはり、誰が確認しても死んでいる。
そして、1つの事実。
旭日の剣で貫かれていたと言う事は、魔王を殺したのはその剣の使い手。そして、旭日の剣の使い手は世界でたった1人しか居ない。
「剣の勇者が魔王を討ったんです」
「す、すげぇ……」「マジかよ……。だって、剣の勇者は1人で戦ってたんだろ?」「あ、ああ。誰も助けに行ってない筈だ」「それに、ここに来るまで見た? 上級魔族や名前持ちの死体が転がってたわよ?」
信じられない事だった。
剣の勇者は、たった1人で魔王と数十人の魔族を倒してしまった。
魔王1人だって強過ぎる相手だと言うのに、その上数十人の魔族まで。その魔族達とて、魔王と行動を共にしていたと言う事は、アザリアの倒した偽物の魔王と同等かそれ以上だったかもしれない。
それを、たった1人で―――。
「アイツは化物かよ……」
「化物じゃありません。勇者なんですよ、あの人は」
アザリアは誇らしげに言った。
剣の勇者が自分とは比べ物にならない程優れているのは理解している。しかし、それでも同じ“勇者”の肩書を背負う者として、やはりその活躍は誇らしいのだ。
「ん? なあ、なんか魔王アッチの方を睨んでないか?」
言われて魔王の顔を見ると、確かに何かを睨むような顔をして居た。
そして片腕をその方向に伸ばしたまま絶命している。
「アッチに何かあるのか?」
全員がハッとなる。
魔王が戦場で意識を向ける対象なんて1つしかない―――敵だ。そして、その敵は1人しか居ない。
「「「剣の勇者だ!!」」」
一斉に魔王の視線の先に向かって走り出す。
砂の中に金色の鎧が埋まっているなんて事はなかった。あれだけ目立つ金色だ、見逃す筈がない。
砂漠を抜け、苔の臭いのする森へと入る。
「剣の勇者! 居るなら返事をして下さい!」
声が枯れる程叫びながら探す。
皆もアザリアと同じように、剣の勇者に呼びかけながらその姿を探す。
しかし、一向にその姿は見つからない。
全員で探しても、金色のきの字すら発見出来ない。
焦る。
ただただ焦る。
すると―――何かを見つけた声があがる。
「お嬢!!」
「居ましたか!?」
慌てて駆けて行くと、木の根元に視線を向けていた。
その視線の先には―――白と茶の毛の子猫。
「猫にゃん!!!」
見間違う筈も無く、剣の勇者がいつも連れている子猫だった。
しかし、いつものような元気さはどこにもなく、目を閉じてグッタリしている。その姿はまるで―――死体。
「猫にゃん猫にゃん!!」
震える手で抱き上げようとするアザリアを慌てて制止する。
「お嬢待って! 動かさないで!」
止めてもまだオロオロしながら子猫を抱き上げようとするアザリアを、何とか3人がかりで引き離す。
「猫は生きてるのか?」
「一応ね。でもかなり酷い、手持ちの治癒術じゃダメだ……。ちゃんとした治癒師の所に連れて行かないと。でも動かすにしたってこんな状態じゃダメだ。一旦応急手当してからだな」
「助かるか?」
「全力は尽くすよ。死なれるとお嬢が泣きそうだし」
「……いや、お嬢ならもう泣いてるよ…」
「にしても、剣の勇者は何処に行ったんだ……?」
2章 終わり
おまけ
2章終了時点のステータス
名前:無し
種族:猫(雑種)
身体能力値:10(+128)
魔力:3(+166)
収集アイテム数:85種
魔法数:24種
天術数:4種
特性数:2種
装備特性:【魔族 Lv.166】
マスタースキル:【収集者】
派生スキル:【ショットブースト】【隠形】【バードアイ】【制限解除】【仮想体】【毒無効】【アクセルブレス】
ジョブ適正:暗殺者、忍者、マリオネッター、魔導士、魔王




