2-32 魔王の天敵
アドレアス=バーリャ・M・クレッセントは魔王である。
彼が産まれたのは約50年前。
魔族同士の交配で純血の魔族として生を受けた彼は、瞬く間にその持って生まれた才と潜在能力を開花させ、当時の魔王の1人の配下として取り立てられた。
魔王の配下となってからも力の研鑚を怠る事無く続けた結果、たった1年で上級魔族へと進化し、破竹の勢いで人間の戦士を駆逐する彼が名前持ちとなるのにそう時間はかからなかった。
当時の魔王より授けられた名が、アドレアス=バーリャ・クレッセント。
彼が自他共に認める魔王の右腕となって時間が過ぎ―――10年前の人間と魔族の大きな戦いが起こった。
彼の仕えていた当時の魔王もその戦いに参加し、そして―――敵の旗印でもあった、当時の剣の勇者と相討ちになって死んだ。
悲しむ気持ちは無かった。「死んだのは弱いのが悪い」と言う魔族のルールは、魔王であっても例外ではないからだ。
そして、先代が死んだ事で次代の魔王が選ばれる。
魔王の力の継承―――より正確に言えば【魔王】の特性の継承。
【魔王】の特性の持ち主が死ぬと、その近しい者―――部下や血縁者の中で力有る者が選ばれ、特性が継承される。
ちなみに、継承先を誰が―――何が選んでいるのかは誰にも分からない。何かの意思が勝手に継承者を選び、勝手に【魔王】の特性を押しつけて次の魔王にしてしまうのだ。
アドレアスもその例に漏れず、謎の意思によって“次の魔王”に選ばれた。
魔王となった者の決まりとして、「名にアルファベットを入れる」と言うものがある。
古い者から順番に割り振られ、全員がA~Mのどれかを名に入れている。
誰が始めた決まりなのかは、最古の血である3人の魔王ですら覚えていない。
アドレアスは、その決まりが鬱陶しくて堪らなかった。
何故なら、彼の名に入っているアルファベットはM。13番目……最後を示す物だからだ。
アルファベットが示すのは、あくまで“魔王になった順番”であり、強さや権限ではない。
それはアドレアスも理解しているが、「自分が最後」である物を背負わされるのは、やはり魔王としてのプライドが許さない。
とは言え、魔王の決まりの1つ「魔王同士の戦いは禁止」がある為、他の魔王を倒してアルファベットの繰り上げを狙う訳にも行かない。
そんな訳で、彼がMの字を背負ったまま10年が過ぎた。
その10年間は特に語る事も無い程静かなものだった。何しろ、既に人間達は魔族に敗北し、世界は魔王達の手の中にあるのだから。
しかし―――勇者が現れた。
よりにもよって、先代魔王と相討った“剣の勇者”。
先代魔王の戦果としてアドレアスの手にあった“旭日の剣”は、まるで何かに導かれるように勇者の手に渡り、クルガの町の支配を命じていたジェンスはやられ、アドレアス自身も手傷を負わされた。
アドレアスにとって勇者は恐れるべき対象ではない。人間の強さなどたかが知れているからだ。だが―――剣を握っているのが半魔であるのならば話は別だ。魔族に匹敵する程の肉体を持って生まれ、魔法と天術の両方を操るその戦闘力は決して軽んじて良い物ではない。
故に、決戦の日、魔王は自身の影武者を片腕とも言うべきガディムに命じた。
自分の代わりに軍の後方に立たせ、勇者の目を惹き付ける役目。
そして、アドレアス自身は人間達が神護の森と呼ぶ森林へと側近の部下達と身を潜ませた。
神護の森は神聖属性の空気に包まれている。
魔族にとっては呼吸をするだけで大きなダメージを受ける、毒の沼地に等しい場所だ。しかし、それはアドレアスの浄化魔法で簡単に解決した。
潜む場所を敢えて神護の森にしたのは理由がある。
恐らく、人間達が逃走、または隠れる場所として使うだろうと踏んだからだ。
勇者率いる人間の軍と、アドレアスの部下の魔族500人。魔族が力任せに押せるようならば、人間達は当然神護の森へと逃げ込む、しかしそこには魔王が先に潜んで居て「ようこそ」と逃げて来た者達を出迎えて絶望させる訳だ。
反対に、もし人間達が魔族を押すような展開になったのならば、森から飛び出して人間軍の側面を強襲、無防備な後方部隊を壊滅させ、残った前線部隊を前と後ろから挟撃して詰みに持って行く。
そんな展開をアドレアスは思い描いていた。
杖の勇者が魔法封じの天術を持ち出して来た事は想定外ではあったが、杖の勇者との間にある圧倒的な力量差のせいで、アドレアスには欠片の影響もない。
―――しかし、アドレアスの描いた展開の全てを無視して、戦闘が始まると同時に剣の勇者が森の中へと突っ込んで来た。
まるで、アドレアスの策を読み切って居たかのように、目の前にチラつかせた偽物のアドレアスの姿などまったく気にする事も無く、一直線に森の中へと走って来る。
策を読む知恵。
そこから最善手を選ぶ決断力。
自ら危険な場所に飛び込む勇気。
正に―――勇者。
正に、魔王の天敵たる存在。
しかし、アドレアスが森の中に居ると言う確証があった訳ではないらしく、森に入って来てからはキョロキョロと辺りを見回している。
それもその筈。森の中に潜む際、アドレアス自身と部下達全員に【インヴィジブル】をかけて体を不可視化してある。どんなに優れた感覚を持っていても、高位の探知術でもなければ気付く事は出来ない。
だが、一向に勇者は森から離れない。
確証は無いが、森の中に何かが居る事には気付いている、と言う事らしい。
アドレアスは剣の勇者の能力を高く評価している。故に、今気付かなくても、すぐに何かしらの方法で隠れているアドレアス達を見つけ出すと踏んだ。であるならば、見つかるのを待つなんて馬鹿な話だ。見つかる前に、先手を打って攻撃する方が賢い。
なので、貫通力の高い魔法―――【シャドウランサー】を放って先制攻撃した。
結果は、直撃はしたがダメージは無い。
とはいえ、落胆はない。
剣の勇者の能力と、その身に纏うのが高い魔法防御力を擁するオリハルコンの鎧である事を考慮すれば、生半可な魔法ではダメージを与えられないのは想定済み。
クルガの町では高火力の爆裂魔法【エクスプロード】すら耐えた勇者だ。本気で命を狩るのならば、アドレアスの手持ちの中でも火力重視の魔法でなければならない。
まずは挨拶の一発、と言う事だ。
わざわざ相手に気付かせる為の一撃を放ったのは理由がある。
剣の勇者を、真正面から捻じ伏せたい―――!
アドレアスが魔王になって久方ぶりに感じる、強者との戦いに興じたいと言う強い欲求。
長い安穏とした時間が忘れさせていた、命を削り合うような、闘争本能が燃え上がるような戦いを、魔族としての本能が求めている。
血湧き肉躍るような戦いが始まる―――…と期待したのだが、【インヴィジブル】を解除すると、勇者は膝を突いて剣を地面に置いた。
勝てない勝負に挑まないのは賢い事だが、アドレアスにしてみれば残念だった。と、思った瞬間―――
【審判の雷】
襲いかかる巨大な白い雷。
アドレアスはそれを知っている。
10年前の戦いで、当時の魔王と相討った剣の勇者が使っていた究極天術の1つだ。
勇者の恭順の姿に油断していた一瞬を突いた、称賛を贈りたくなる程完璧なタイミング。
アドレアスを除く全ての魔族が天術の直撃を受けた。
アドレアスも無事……とは言っても、咄嗟に纏っていた魔王のみに許された装備“深淵のマント”で体を守っただけだが。
雷の光で周囲が見えない。
だが―――剣の勇者の次の行動は予測できる。
まずは数の利を潰しに来る。
森の中に連れて来ている部下は全員実力派だ。究極天術であろうとも、1撃で落とされるような雑魚は居ない。
――― 次の勇者の行動は、究極天術を食らって弱っている部下の排除。
そう読んで、勇者が動き出すより先に叫ぶ。
「全員散れっ!」
白い光の先で、部下達が見えないながらも動く気配。
が、予想外の事が起きた。
剣の勇者がアドレアスに突っ込んで来た―――
部下への命令を聞いてから動き出したのではない、明らかにその前からアドレアスに向かって走り出していた挙動だ。
始めからアドレアスが狙いだった。いや、剣の勇者であれば、部下を散らせる命令すら織り込み済みだった可能性がある。
(読み越された―――!?)
動揺は一瞬。
勇者の攻撃は、何もせずとも深淵のマントが防いでくれる。
そして実際その通りに、旭日の剣は深淵のマントによって防がれ、アドレアス自身には軽い衝撃が伝わっただけだった。
しかし、勇者の次の行動は予想外。
手を伸ばし、マントを剥ぎに来たのだ。
「むっ―――!」
そう簡単にマントを奪わせない。
奪われたところで勇者が使えるような品物ではないが、だからと言って渡して良い物ではない。
勇者が1度距離を取る。
クルガの町の時とは違う、臆病にさえ見える慎重さ。
「どうした? 怖気づいた訳ではあるまい?」
見え見えの挑発。
だが、剣の勇者はそれに乗って来る事はなく背を向けて走り出す。
「ちっ、まさか本当に逃げるつもりではないだろうな?」
折角久方ぶりに燃え上がった闘争心が、相手の逃走で戦闘終了なんて展開を受け入れられる訳が無い。
剣の勇者の背を追って走り出す―――。




