2-19 魔王アドレアスの帰還
クルガの町から離れる事15km。
そこが、魔王アドレアス=バーリャ・M・クレッセントの率いる軍の野営地。
軍―――とは言っても、その兵士の数は500にも満たない。
だが、侮るなかれ。
現在野営地に居る兵士は、1人残らず魔王アドレアスに実力を認められて招集された魔族達だ。
勿論その中には上級魔族も多数存在している。
そして、魔王の側近たる名前持ちも。
魔族は基本的には名前を持たない。
しかし、魔王達が台等した際に自身の名を名乗ってから、魔族達の間では「名を持つ事は強さの証明である」と言う風習となった。
強者を倒した者、戦果をあげた者は魔王から名を授かる。
それが、名前持ちと呼ばれる一握りの強者達だ。
数は確かに頼りない。
しかし、紛れもなくここに居る者達の力は、国1つ滅ぼす事が出来る程の戦力なのだ。
「魔王様は、まだお戻りにならないのか?」
「うむ。そろそろ帰って来るかと思うのだが」
この野営地に魔王アドレアスは居ない。
“お出かけ中”……と言う奴だ。
「魔王様自ら先触れに行くなどと……人間共に安く見られるのではないか?」
「そうかもしれんな? だが、魔王様が行くと仰れば、我等は頷くしかあるまい?」
「そうだな……」
魔王の言は絶対だ。
主だから―――ではない。
魔王と言う存在が、絶対強者だからだ。
誰も逆らえない。
誰も抗えない。
故に最強。
故に―――魔王なのだ。
「この招集は無駄になるのではないか?」
「どう言う意味だ?」
「魔王様が直接勇者共の所に行かれたのだぞ? 何もせずに帰って来ると思うか?」
「……うむ……確かに」
「であれば、今頃剣と杖の勇者は死んでいるだろうさ」
目的である勇者2人がもう居ないのであれば、その討伐の為に召集された自分達の出番も無い……と言う事だ。
魔族達が溜息を吐いて項垂れる。
勇者との戦いは、魔王より名前を授かる絶好の機会だったからだ。どれだけ力を付けて上級魔族になろうとも、そこから一歩抜けだして名前持ちになる為には、相応の実績が必要であり、勇者を倒したとなればそれは十分過ぎる実績となる。
故に、今回の招集で最も闘志を燃やしていたのは名前の無い上級魔族達だった。……だと言うのに、今回の手柄の全てを魔王に掻っ攫われるとなれば、文句を言う事も出来ず、もう彼等は泣くしかない。
「あ~あ、勇者のどっちかだけでも生き残ってくれねえかなぁ……」
「はっはっは、それは無理だろう。魔王様が相手だぞ? 肉片すら残るかどうか」
「待て待て、落ち込むのは早いぞ。杖の勇者には取り巻きが大勢居ると言うし、そいつらくらいなら残して置いてくれるかもしれん」
「魔王様の食べ残しを、お零れで貰ってもなぁ」
そう言って「はっはっは」と皆で笑う。
自分達の主たる魔王アドレアスは、完全で最強であると信じて疑わない。何故なら、事実として魔王は強い事を皆が知っているから。
この場に居る者の大半は魔王アドレアスに勝負を挑んだ事が有る者達だ。
「私を倒せたら、魔王の座をくれてやるぞ?」と言われ、上級魔族が30人がかりで挑んで1分もかからず全員半殺しにされた―――なんて事は、この10年で散々繰り返された話で、すでに彼等にとっては恐怖の逸話でも何でもなく、ただの笑い話にしか聞こえない。
「そんな事当たり前だろう」と。
一頻り笑うと、空から巨大な魔力を帯びた何かが高速で落ちて来た。
誰も驚かない。
誰もそれが何かなんて確認しない。
するまでもなく、これ程強大で、身震いがする程の魔力を出せる存在なんて1人しか居ないと知っている。
降り立ったそれを出迎える為に、全員が手を止めて膝を突く。
魔王アドレアス=バーリャ・M・クレッセントの帰還だった。
しかし―――その姿を見た全員の間に動揺の波が広がる。
何故なら、最強で、最高で、完璧である自分達の主が……血を流していたから。
「ま、魔王様、その傷は―――」
言葉の途中で、魔王の尻尾が魔族の顔を横殴りにする。
ゴキャっと魔族の顔が拉げ、次の瞬間には凄まじい速度と威力に耐えられずパンっと風船のように赤い血を撒き散らして頭が破裂した。
「五月蠅い、黙れ」
普段通りの静かな口調……だが、明らかに機嫌が悪い。それも凄まじく。
いつもの魔王ならば、煩わしい部下の行動も半殺しで許す度量がある。だが、今は有無を言わさず殺した。
力加減を間違えた……訳ではない。今の尻尾の動きは、明確な殺意を持っていた。
ぶち撒けられた真っ赤な血を見て、少しだけ魔王が冷静さを取り戻したのか、周りに聞こえないように「チッ」と口の中で舌打ちする。
「決行は予定通り3日後だ。準備を怠るなよ」
それだけ言うと、自分用の天幕へと戻って行く。
決行は予定通り―――それは、勇者がまだ生きている事を意味する。そして、魔王の負って居た傷……。
どうやら、今代の勇者は舐めてかかって良い相手ではないらしい―――と、その場に居た全員が闘争心を燃え上がらせた。
* * *
魔王の天幕の中―――。
急拵えの簡素な玉座に魔王アドレアスは腰掛ける。
「剣の勇者め……!」
頬に触れると、勇者に蹴られた傷が熱を帯びて少し腫れていた。
痛みを感じたのは何年ぶりだろうか? 先代より魔王の力を継承した10年前より更に遡らなければ思い出せない程過去の事だった。
アドレアスが頬に触れていた手を軽く上げると、天幕の隅で置物のように目と口を閉じていた女の魔族が寄って来る。
「失礼致します」
魔王の口と鼻に付いていた血を丁寧に拭い、治癒魔法をかける。
魔王の体に備わっている治癒力を持ってすれば、この程度の傷は放っておいても30分と経たずに回復出来る。実際、左腕の傷はすでに血が固まって塞がり始めている。
しかし、部下の手前いつまでも傷をそのままにしておく訳にもいかない魔王の事情もある。
魔王の姿が傷の無い元通りになる頃、何の挨拶も無く天幕の中に1人の魔族が入って来る。
ガディム=エル・アントリレ。
魔王アドレアスの仕える名前持ちの1人にして、魔王の片腕と称される男。
女魔族が離れるのを待ってから、魔王に1度頭を下げる。これで彼の挨拶は終わりだ。これ以上の礼儀作法は全て「する必要は無い」と魔王自身から許しを貰って居る。
「勇者達はどうでしたか?」
「杖の勇者は取り巻きを含めて雑魚だな。お前達名前持ちどころか、上級魔族でも十分相手が務まるだろう」
「それは、名前の無い者達には朗報ですね。今回で戦果をあげて、名前を賜ろうと意気を上げている者が多いようですので」
「あんな雑魚を狩ったところで、名前をやる程の功績か? と言われると、正直首を傾げるところだがな」
その言葉の後が続かない。魔王が口を噤んだから。
勿論ガディムが先を促す事は出来るし、普段ならそうする。しかし、今のイライラしているのが表に出る程冷静さを欠いた主相手にそれを出来る程ガディムは豪胆ではないし、それをやれば殺される事を理解出来ぬ程の馬鹿でもない。
それに、先は聞かなくても想像はつく。
「雑魚」と判定した杖の勇者を殺して居ない事。
魔王が傷を負って戻って来た事。
もう1人の勇者の事を話す事を拒んで居る事。
以上を踏まえれば、何があったかは馬鹿でも分かる。
魔王は剣の勇者と戦い、傷を負わされて戻って来た……と言う事だ。
そんな事情は察する事が出来る。だが、だからこそ詳細な話を聞かなければならない。
世界を支配する13人の魔王のうちの1人たる魔王アドレアスを退ける勇者の力は、決して看過出来るものではない。そして、今からその勇者と一戦交えようと言うのだから、少しでも勇者の情報は共有しなければ命にかかわる。
ガディムは黙って待つ。
魔王が、自分に傷を負わせた勇者の事を話してくれるのをじっと待つ。
重い沈黙が1分程続き………ようやく魔王が話す気になったのか、ゆっくりとした口調で口を開く。
「剣の勇者……アレはダメだ。名前持ちですら、束になってかからねば相手にならん」
「ッ……それほど、ですか?」
重苦しい動作で魔王が頷く。
魔王に傷を負わせた時点で相当な強さである事は予想していた。だが、魔王の口から「ダメ」と言う単語が出る程であった事に驚きが隠せない。
「信じられるか? 私の【亡霊の魔眼】を容易く擦り抜けて来たんだぞ?」
「なッ!!? ま、まさか! 何かの、間違いでは……?」
【亡霊の魔眼】。
アドレアスを魔王足らしめる異能。
視界に捉えた対象に幻を見せる幻惑の魔眼。
だが、【亡霊の魔眼】はただ幻を見せるだけの力ではない。幻の中で負わせたダメージを現実に反映させる異能なのだ。
相手の腹を殴る幻を見せれば殴打した痛みが相手を襲い、腕を千切る幻を見せれば本当に腕が千切れ飛ぶ。
この能力の恐るべきところは、アドレアスが何もする必要がないという点だ。ただ座って相手を見ているだけで、勝手に相手が弾け飛ぶ―――そう言う恐ろしい異能。
そして、魔法効果ではない為に、幻術外しの魔法や天術では回避できないのがまた恐ろしいのである。“魔眼耐性”や“幻覚無効”等の対抗スキルでも持って居ない限り、逃れる術がない。
しかし―――剣の勇者は、【亡霊の魔眼】による幻に惑わされずに魔王と戦っていた。
勿論【亡霊の魔眼】が効かなくても戦う事は出来る。魔法でも殴り合いでも魔王は絶対的な強さを誇るからだ。
だが、魔眼を封じられる事は、魔王にとって飛車角落ち……とまでは行かなくても、片翼は確実に捥がれた状態である事は間違いない。
「ふんっ、そうであれば良いと私も思うがな。それに、剣の勇者を警戒する理由はまだある」
「魔王様の【亡霊の魔眼】を回避する以上の警戒要素はないかと思いますが……」
ガディムの言葉に、魔王は「ククっ」と小さく笑う。今から自分が言う事は、確実に驚かせると言う確信があるからだ。
「転移術式の使い手だ」
「……は?」
「剣の勇者は転移術式の使い手だ、と言った」
「ま、まさか、そんな筈は! 勇者が―――人間如きが転移術式を使うなど!?」
ガディムの驚きは当然だ。
転移術式は、数ある魔法の中でも上から数えて10番内に入れる程術式の編み方が難しく、エネルギーの消費に至っては究極魔法に匹敵すると言われている代物だ。何より、主であるアドレアスでさえ使えない物を勇者が使うなんて事信じらなかった。
予想通りの反応が返って来た事に若干満足感を味わいながら、更に驚かせる話しを続ける。
「恐らくアレは人間ではない」
「……それは、どういう?」
「魔法を使って居たからな、間違いない」
「では、魔族―――いや、魔族では勇者になれない………まさか! 半魔、ですか?」
「だろうな。であれば、人間離れした身体能力にも納得が行く」
知らず、ガディムがゴクリと唾を呑む。
――― 剣の勇者を甘く見ていた……!
確かに警戒はしていた。
“魔族殺し”とまで呼ばれる旭日の剣の使い手だ、勿論相応の警戒は置いていた。にも関わらず、実際の剣の勇者は、その予想値の倍―――いや、3倍は上を行って居た。
戦力を見直さなければならない。
戦略を、戦術を見直さなければならない。
今回魔王が見た剣の勇者の力が限界値であると誰が言える?
どれだけ警戒してもしたりないように思えた。
「ジェンスが殺られたのも、強ち奴が無能だったから……とは、笑えなくなりましたね」
「そうだな。奴ではどう引っくり返っても勝てない相手だったのは間違いないだろうな。だからと言って、その弱さを認める気など更々ないが」
弱肉強食が魔族の絶対ルール。
そして、魔王は全ての命の上に立つ絶対強者だ。
それを、魔族は誰もが信じている。
それなのに、ガディムは頭の片隅で思ってしまった。
――― 剣の勇者は、魔王を食い殺すのではないか?




