2-13 勇者を想う
アザリアは、杖の神器である“極光の杖”に選ばれた勇者である。
元々は侯爵の家に生まれた正真正銘のお嬢様であり、ゆくゆくは王子に嫁いで国の繁栄の一助となるのだろう……そう皆が思って居た。
しかし、10年前、アザリアが5歳の時に、その全てを夢幻とする魔族と人の大きな戦争が起こった。
戦う力を持たない領民や国民を守る為に両親は立ち上がり、アザリアを祖父へと預けて勇者達と共に戦場へ向かって行った。
そして―――2度と戻る事はなかった……。
遺体はおろか、遺品さえ戻る事はなく、非情に、淡白に、ただ「死んだ」と言う事実だけがアザリアに伝えられた。
現実は更に試練を与える。
魔族に支配された国に貴族の居場所などなく、持って居た家も、資産も、領地も、領民も、何もかもを奪われて、祖父と2人で荒れ地へと投げ出された。
唯一幸運だったのは、祖父が元々軍人であり、その力と知識で守ってくれた事だろうか? そして何より、祖父の顔の広さが救いであった。
最初はアザリアと祖父の2人旅だったが、月が一周りする頃には10人程の仲間達が出来て、苦しいながらも賑やかな旅が続く。
アザリアは少しでも皆の……祖父の力になりたくて、色々な事を皆に教わった。
剣術、弓術、天術、薬草学から占いのやり方まで、吸収できる物はなんだってした。
そんな頃、運命の出会いを果たす。
魔王を打倒せんと戦い続ける者達との出会い。
彼等の多くは戦争の敗北と共に命からがら逃げて来た敗残兵達であった。
敗残兵の中には、生き残った事を悔いる者も死を望む者も居た。それでも彼等が生き続けたのは、死した勇者の忘れ形見“極光の杖”を次の勇者へと繋ぐ為。
その極光の杖に、両親や家を奪われたアザリアが選ばれたのは、ある種の運命だったのかもしれない。
アザリアが新たな勇者として最初に皆に言った言葉は、今でも彼等の中で響いている。
――― 私が必ず全てを取り戻す。だから、それまでは誰も死なないで。
それは勇者の命令であって、幼い少女の願いでもあった。
だから、皆必死に生きる。
時にアザリアを守る盾となり、時に立ち塞がる敵を切る剣をなり、生き続ける。
アザリアが立派な勇者に成長し、魔族に―――魔王に奪われた全てを取り戻してくれるのだと信じて。
* * *
祖父のマントの中が好きだった。
幼い頃からずっとアザリアを守ってくれた、大きくて優しくて偉大な祖父。
始めてアザリアが魔物を倒した時も、魔物の返り血を浴びないようにマントを広げて守ってくれた。
『良いかいアザリア? 魔物の血は、時に毒であったり酸だったりする。決して倒した後も油断してはいけないよ?』
そう言って優しく頭を撫でられたのを覚えている。
その時に感じた安心感も。
偉大な祖父の血を引いている事の誇らしさも。
全部覚えている………つもりだった。
2年前、祖父は死んだ。生きている者全てが逃れられぬ“老衰”での死。
悲しかったが、それを泣いている間もなく勇者としての日々は過ぎる。
祖父が居なくなって、仲間達の先頭に立つ役がそのままアザリアへと移ったからだ。
忙しさと、魔族達の戦いで、いつしかそんな祖父が居た頃の想いも、遠い思い出となって記憶の引き出しの奥底へと仕舞われて居た。
もう2度と開く事は無いと思って居たその引き出しを、剣の勇者は開けてくれた。
祖父と同じように、魔物の返り血から守ってくれた時、幼かった頃の色々な暖かい想いが噴火したように込み上げて来て……思わず顔を赤くしてしまった。
恥ずかしさと共に、ふと思ってしまった。
――― 私に兄が居たら、こんな方なのかしら?
* * *
森の中をアザリア達は歩く。
クルガの町への帰り道だった。
ヴァニッジが警戒しながら先頭を歩き、その後ろを戦果である真っ二つになったブルーサーペントの変異種の死体。
歩く者達の中に、ブルーサーペントを屠った剣の勇者の姿はない。何か気になる事があるのか、あの場に残るらしいので別れて来た。
剣の勇者―――。
魔族を倒しクルガの町を解放したと言う“旭日の剣”を持つ勇者。
黄金に輝く鎧に全身を包み、顔どころか肌を一切見せる事なく、声を発する事も無い。
正直に言ってしまえば、不気味な存在でアザリアは苦手だった。
正体を晒して身内や恋人を殺された勇者が居た事は知っているし、そう言った事情から素性を伏せる勇者が過去に居た事も知っている。
ただ……あそこまで徹底して正体を隠しているなんて話は聞いた事がない。
相手が男か女かすら分からないと言うのは向き合う側として色々思うところがある。
仲間達曰く、「体つきは恐らく男」らしいが、それだって確信ではない。
「…………凄かったな、剣の勇者……」
ずっと黙って歩いていたが、もうすぐ町だと言うところでヴァニッジが口を開いた。
それにブルーサーペントを担いでいた者達が答える。
「そうだな……まさか、この硬い鱗を一撃でぶった斬っちまうとは……」
ブルーサーペントに、アザリア一行の攻撃は通じなかった。
アザリアによる支援術で攻撃力を底上げしてあったにも関わらず、だ。
時間をかければ倒せたかもしれないし、もしかしたら天術ならばダメージを与える事が出来たかもしらない。
だが……戦いに「もし」なんてない。
あの場で剣の勇者が助けに入らなければ、全員虫の様に薙ぎ払われて戦闘不能になり、今頃ブルーサーペントの胃の中だっただろう。
つまり―――そう言う事だ。
「……ただ、剣の振り方はやっぱり素人にしか見えなかったけどな?」
とアザリアの隣を歩いていたアルバが言う。
昨日の勝負の後、アルバは「剣の勇者が本気ではなかった」と皆に言った。そして、それは正しかったのだ。
今日ブルーサーペントを屠った時に見せたパワーもスピードも、アルバとの勝負では使う事はなかった。
その力と速度を持ってすれば、素人の剣技であっても、そこらの魔物や魔族なんて一撃必殺だ。しかも振るうのは『魔族殺し』と謳われる旭日の剣だ。下手すれば魔王ですら両断出来る。
では―――何故、昨日の勝負では使わなかったのか?
考えても分からず、アザリアは疑問をそのまま口にする。
「どうして剣の勇者は、昨日の勝負で本気を出さなかったのでしょうか? あの圧倒的な身体能力を持ってすれば、アルバにだって勝てたのでは?」
「そうさな……。確かに、あのパワーもスピードも、対応出来た気がしないな」
アルバの若干凹み気味な発言に、何かを思い出したようにヴァニッジが言う。
「お嬢、もしかしてだが……」
「はい、なんですか?」
「勝負を始める時にお嬢が『剣の技量を見る勝負』って言ったからじゃないか?」
その発言に、皆がその時の事を思い出し「そう言えば、言ってたなぁ」と呟く。
剣の技量の勝負―――だからこそ、敢えて剣の勇者は圧倒的な身体能力を封じた上で戦った。確かに、頷けなくはない理由だが……。
「でも、剣の勇者は剣の腕が……」
そう。
剣の勇者は、誰がどう見ても剣の腕が素人のそれだ。それを超人的なパワーとスピードで振るうからこそ脅威なのであって、剣技単体であれば怖い事は何も無い。
本人だって、そんな事は理解していた筈だ。そして、純粋な剣の勝負をすれば当然自身に負けが待つ事も。
「そうだよなぁ……。剣の勇者は負ける事を分かった上で戦ったって事になるんだよなぁ」
アザリアは、勝負がついた時の事を思い出していた。
敗北した剣の勇者に向けられる住人達の失望の目と、隠そうともしない溜息。アザリアにとって1番恐ろしい物。
10年前の敗北で、勇者に向けられる目は決して優しくない。そんな中で、少しずつ信頼を取り戻して来たと言うのに、その人達に再び失望の目を向けられるなんて耐えられない程の痛みだろう。それは、同じ勇者である剣の勇者とて同じだった筈だ。
しかし―――それでも剣の勇者は敢えて負けると分かっている勝負を受けた。
無様に負ける姿を晒し、失望の目を向けられる結末を知って居ながら。
何故か?
アザリアが「剣の技量の勝負」とルールを定めたからだ。
勝負から逃げる事無く、自分に絶対的不利なルールであっても、相手の提示した土俵の上で正々堂々と戦う。
「何故?」と問われれば、その答えは「勇者だから」だろう。
人によっては馬鹿と思われるかもしれない。「愚かだ」と笑う者も居るかもしれない。
それでも―――負けて尚、礼儀を持って頭を下げた剣の勇者の姿は、とても輝いて見えた。
だから、アザリアは思う
――― なんて高潔な人だろう
剣の勇者は、おそらくとても純粋で真っ直ぐな人間なのだろう。
真正面から向き合う事から逃げず、武人として、戦士として正々堂々と戦う事を選ぶ。たとえ負ける事が分かって居ても、それを選ばずには居られないある種の危うさを含んだ純粋さ。
「負ける事を呑み込んだ上で、それでもあの人……あの方は正々堂々と勝負する事を選んだ、と言う事でしょう」
「え? いや、でも……それで負けちまったら意味無いんじゃ?」
「あの方にとっては、負ける事よりも、私の提示したルールを順守する事の方が重要だったんですよ」
だからこそ、剣の勇者は負けても頭を下げる事が出来たのだ。まるで「戦ってくれてありがとう」とでも言うように。
仲間達にもアザリアが言わんとしている事が伝わる。
剣の勇者は、ただ超人的な力を持つだけの人間ではないと言う事が。
愚直なまでに真っ直ぐで、純粋で、礼を持って人に接する事の出来る人。
――― 勇者たるべき心を持った者。
そんな相手に対して、礼儀を欠いていた事を理解し皆が黙る。
剣の勇者への謝罪の気持ち。その本質を見抜けなかった自分達の情けなさ。言葉に出来ない色んな苦い物が、後から後から湧き上がって来る。
クルガの町に辿り着いても、皆の沈黙は続いていた。
だが、どれだけ精神が凹んでいようとも、戦士としての感覚は死んでおらず、町に入った途端に全員が異変に気付く。
「……?」「なんだ?」「皆、警戒しろ」
持って居たブルーサーペントの死体を投げ出し、即座にアザリアを守る陣形になり武器を構える。
町の異変は一目瞭然だった
――― 静かすぎる。
誰も通りを歩いて居ない。
作業をしている音も、話声も、何も聞こえて来ない。
何が起きたのかと、確かめる為に動き出そうとした瞬間―――全身を鎖で縛られたかと錯覚する程の恐怖で体が動かなくなる。
「ッ!?」「な、んだ…!?」「これは…?」
全身から冷たい汗が噴き出し、足と手が脳の命令を無視して震えだす。
そんなアザリア達を嘲笑うように、声が上から降って来る。
「ようやく戻ったか、杖の勇者殿?」
声をかけられただけ。
それなのに―――鳥肌が立つ。全身の毛孔が開いて、すぐそこに迫る命の危機を体に知らせている
視線を声のした上に向けるまでもなく、声の主がフワリと下りて来る。
パッと見は人間に見えた。
だが、その両腕は爬虫類の物のような異形の腕。腰の辺りから垂れ下がる蛇のような尾。
紛れもない魔族だった。
「あまりにも帰って来るのが遅いので、住民を何人か殺して、お前達を迎える為の楽しいオブジェでも作ろうかと思って居たところだ」
綺麗な顔立ちに似合わぬ異形の腕で髪をかき上げてみせる。
アザリアは、震える唇を何とか抑えて声を絞り出す。
「貴方は……?」
聞くまでも無い事を聞いた。
こんな化物のような気配を纏う存在はただ1つしかない。
目の前に立たれただけで、心臓を掴まれたような気分になる相手はただ1つしかない。
アザリアの言葉に、魔族は「クックック」と静かに笑う。滑稽な道化を眺める蔑みの目と共に。
「まさか、私を知らんとはな? だが、そうだな。折角の勇者との初対面だ、名乗っておこうか? 私自身に名乗らせる栄誉を噛みしめると良い」
言うと、羽織って居た漆黒のマントを翼のようにバサッと広げる。
「アドレアス=バーリャ・M・クレッセント。この国を支配する魔王である」
あまりにも絶望的な、勇者と魔王の邂逅であった―――…。




