2-6 勇者を考察する
陽は落ちて、夕闇が音も無くクルガの町を包む。
朝早くから勤勉に仕事をして居た人達も、夜の闇には敵わずに手を止めて、ある者は家路につき、ある者は飲み屋へ向かい、ある者は女を求めて大通りを彷徨う。
そんな町のある飲み屋。
かつて、この町を魔族に対抗する為に組織されたリベリオンズ。そのアジトが店の地下に存在する。
この店の店主であり、リベリオンズの構成員でもあるディール。彼の悩みは深刻だった。
時刻は仕事が終わる時間。
言ってみれば、飲み屋にとっては稼ぎ時……なのだが、現在この店は閉まっている。勿論、彼自身には何の問題もない。至って健康その物で、魔族が居なくなってからは調子が良いくらいだ。
問題なのは―――物資。
魔族が町から居なくなって、一見すると何もかもが良い方に転がったように思えるが、実際はそうではない。
この町を支配していた上級魔族ジェンス=ジャム・グレ・アレインスは黄金の勇者の手によって倒された。
しかし―――その事実は、その先にある絶望をも呼び寄せる事になった。
魔王アドレアス=バーリャ・M・クレッセント。
ジェンスは彼の側近の1人だった。
果たして魔王が側近の首をとられて、黙って居るだろうか?
断じて、否である。
しかもそれを討ち取ったのが、魔王の天敵である勇者だと言うのだから尚の事だ。
魔王アドレアスは、近いうちに側近の首を落とした勇者を殺す為に動くだろう。……いや、もしかしたら既に動き始めているかもしれない。
皆が、それを恐れている。
確かにこの町の人間は、黄金の勇者の持つ魔族を圧倒する力を目にした。そこに人類の希望を見出したのも嘘ではない。
だが―――相手は魔王なのだ。
10年前の戦いで、勇者は全員魔王に敗北している。
その事実が、見え始めた希望の光を遠ざけてしまう。
『また、勇者が敗北するのではないか?』『そしてまた、絶望を味わう事になるのではないか?』そんな不安が人間達を逃げ腰にする。
結果何が起こるかと言えば………この町からの逃亡である。
行く当てが有っても無くても、「魔王との戦いに巻き込まれるよりはましだ!」と、町の住人の1割程は逃げ出した。
魔族が居なくなったと噂を聞いて訪れる行商人達も、長居はせずにさっさと町から去って行く。もっとも、行商人達はそもそも多額の賄賂を魔族に渡して町を渡り歩く事を許されている為、魔族と事を構える事など有り得ないが。
元々町に出入りしていた別の町の商人達も、魔王の報復を恐れて遠ざかり……必然として起こったのが物資の不足である。
食料は元々自給自足で何とかしている為なんとかなっているが、酒などはほとんど別の町からに頼って居た為、現在はこの町で作られている微量の物が各店に少しずつ置かれているだけ。
ディールの店の酒も、昼間の時点で既に全部出してしまっている。
夜に酒の無い飲み屋に人が寄り着く訳もなく、こんな時間に店を閉める事になってしまった訳である。
「はぁぁぁ……」
深い、深い溜息を吐く。
店である以上、売り上げを出さなければ暮らしていけない。
だが、売る為の酒が無い。
食料だって、そこまで大袈裟に騒ぐほどではないが、決して潤沢な備えがあると言う訳でもない。
1番の悩みの種であった魔族が去ったと言うのに、彼の悩みは尽きない。
「あ~、勇者様ぁ」
そして、目下もう1つの悩みがこの店の従業員のユーリである。
リベリオンズの構成員としても面倒を見ている為、ディールにとっては妹のような存在だが……彼女の時々見せる異常な行動力には頭を抱えたくなる。
近頃は、その行動力が黄金の勇者に向いているから大人しい……のだが、若干色ボケになっていて困る。
今日も、何やら勇者からプレゼントされたと言う花飾りを、椅子に座って溶けそうな笑顔で見つめている。
ディールとしては店も閉めているので「家でやれ」と言う気持ちで一杯なのだが、そこは可愛い妹分と思って大目に見ている。
「ねぇねぇマスター! 勇者様、本当に優しくて恰好良いわよね!」
「……そうだね」
全力で聞き流す。
暫く話を聞いてやれば満足して帰るかとディールは予想していたが、予想以上にユーリの色ボケ具合は深刻だったらしい。まったく帰る気配がない。
「でも、勇者様……今日も一言も喋って下さらなかった……。それに、兜を脱いで下さらないし……」
シュンっと落ち込む。
色ボケした奴は浮き沈みが激しい……なんて事は、長年飲み屋をやって居るディールも承知の上だが、それを身内がやると色々泣きたくなる。
「それは仕方無いでしょう?」
他の部分はともかく、勇者の正体に関わる部分については真面目に説得しておかなければならない。
恐らく、そこは黄金の勇者にとっての踏み込んでは行けない部分だ。ユーリが何か失礼をして、勇者がこの町を離れるような事になったら、それこそこの町の人間達がどうなるか分かった物ではない。
少なくても、魔王アドレアスと何かしらの形で決着がつくまでは居て貰わなくては困る。
「歴代の勇者でも、素性を隠す者は多く居ました。はい、それは何でですか?」
「…………」
問題を出されて黙る。
答えが分からない訳ではない。勇者の物語の読者としては、こんな問題は基本中の基本、初級の問題だ。
答えは「身内が狙われるから」だ。
過去の勇者の中には、親兄弟や恋人を魔族に人質に取られて命を落とした者も多い。
そう言った事情から、本当の名前や出身地が記録として残って居ない勇者も少なくない。
ディールもユーリが当然答えを分かっていると理解している。だから、そのまま続ける。
「それに―――黄金の勇者は、歴代の勇者達と比べても特異な存在です」
「魔法と…天術の両方を使えるから、ですか?」
「そうです」
魔法は魔族だけが持つ力。
天術は人間だけが持つ力。
その両方を使える存在は、1つしかない。
「黄金の勇者の正体は、半魔です」
半魔。
それは、人間と魔族が交わった時に、小数点以下の確率で生まれる“両方の性質”を持った存在。
魔法と天術の両方を振るう才を持ち、人間のような理性と、魔族のような強靭な肉体を持つ、ある種の完成された存在。
人間達にとっては、魔族へ対抗する切り札になり得る可能性のある半魔だったが、魔族もそれを理解していた。
故に―――殺される。
本人を、ではない。半魔の身内と、身の周りに居る者全てを無残に殺す。例外は1人もない。
そして半魔本人は人間達の前に吊るし上げられ、「半魔のせいで死んだのだ」と自分達の殺した人間達の首を転がして見せる。
そんな魔族達の「半魔に関わると殺される」と言う刷り込みはまんまと成功し、半魔は人間達にも魔族にも受け入れられる事のない蝙蝠となった。
その刷り込みは、今の時代も………いや、魔族に支配された今の時代だからこそ強く残り、半魔は生まれてすぐに捨てられるか、身を隠し、表には姿を見せる事無く生きる事を余儀なくされる。
そう言った経緯から、黄金の勇者は決して兜を取らないだろうとディールは確信している。
兜を取れば、その下に隠しているであろう半魔の証―――赤い瞳を晒す事になるのだから。
「町の人間達も、黄金の勇者が兜を取る事は望んでいませんよ」
勇者の正体が半魔だと確定すれば、そこには小さくとも不信感や不安……そして何より恐怖が生まれる。
今の町の現状で、それはまずい。
町の住人達とて、気付いている。だからこそ、勇者が半魔であると言う事実には触れないようにしているのだ。
「私は……勇者様が何者だって、信じますよ」
「皆が皆、ユーリの様には行かないでしょう……半魔ですよ?」
ユーリは納得いかない。
黄金の勇者は自分を救ってくれたのに。
この町を魔族の手から解放してくれたのに。
絶望に包まれて居た日々を終わらせてくれたのに。
それなのに、勇者が半魔だからと信頼が揺らぐのが、どうしても、絶対に納得いかない。
「半魔だって、勇者様は勇者様です!」
たとえ世界に迫害される存在だとしても。
たとえ自分たちとは違う赤い瞳だとしても。
たとえ誰が嫌っても。
勇者に向ける信頼も、愛情も、何も揺るがない。




