12-16 “獣”と大精霊は相対する
―――― 空気が変わった。
それは、エアとイグニスの共通認識だった。
相対する子猫の姿をしたそれの纏っていた気配が、まるで別人の魂でも降りて来たかのように切り替わった。
今までの気配を“大きな風に吹かれて波打つ水面”とするのなら、今の気配は“鏡のように静かな水面”だろう。
落ち着き、静かで、感情の揺れが何も見えない。
戦闘の高揚感、焦り、怒り、喜悦。そう言った物が、欠片も見て取れない。
いや、そもそも、思考しているのかさえ疑問に思えた。
だが、2人はその変化を不思議には思わない。2人はその気配を変だとも思わない。何故なら――――
「見た目に続き、気配まで王にそっくり……」
何故なら、2人はその気配を良く知っているから。
エアが無意識に呟いた言葉にイグニスがピクリと反応し、若干イラっとしながら返す。
「“似ている”だけだ」
「同じだなんて言ってないし♪」
猫には聞こえないように小声で喋る。
聞かれて困る内容ではないが、何も聞かれないのならそれに越した事はない。まあ、そもそも、吹き荒れる風の音で、猫の耳には大精霊2人の声などまったく届いてないのだが。
「イグニス、ちょっと炎引っ込めといてね♪」
「何?」
「久しぶりに王に似た気配を浴びて、昂って来ちゃった……!」
「……くれぐれも殺すなよ」
「その為に炎引っ込めてって言ったんじゃん♪」
風と炎は相性が良過ぎるのだ。
風の流れに炎を乗せるだけで、異常な攻撃範囲と火力が実現できてしまう。
遊び半分で風を吹かせるならともかく、多少なりとも本気を出すのなら、イグニスの炎は明らかに“やり過ぎてしまう”。
この場の目的は、決して猫の命を奪う事ではない。
「それじゃ、行くよ♪ 王のそっくりさん!!」
風が吹き荒れる。
先程までとは比べ物にならない風力。
周囲の木々が引っこ抜かれ、大岩が浮き上がり、海の水が空に向かって流れる。
更に、今まで一定方向に渦を巻いていた空気の流れが、まるで岩礁によって流れが乱れる海流のようにグチャグチャになる。
上や下や、右や左や。
乱れ狂う風の流れの中で、一帯を覆っていた炎が流されて小さくなる。
勿論、2人を狙って“自動で”動いていた大量の武器達もあっと言う間に流れに飲まれて、羽虫のようになすすべもなく舞っている。
そして――――当の猫はと言えば、その場で蹲っていた。
「ありゃ? 流石に無理かな♪」
エアは、何も出来ずに伏しているのだと思った。
隣で見ているイグニスもそう思った。
だが、違った。
違ったのだ。
猫は伏して“待っていた”のだ。
己の手持ちから出された武器が、風の流れに乗って周囲に散らばるのを。
ドンッと凄まじい爆発音が全周囲から響き渡り、ほぼ同時に爆風が巻き起こる。
「何!?」
エアの作り出した荒れ狂う暴風が、更に凶暴な爆風で押し流される。
炎を引っ込めて見る専になっていたイグニスには見えていた。
風に飲まれた武器から、爆裂系の魔法が一斉に放たれるのを。
(随分力押しだな? もう少し小細工するかと思ったが……)
もっとも、イグニス自身もどちらかと言えば力押しを好む事もあって、攻め方に関しては否定的ではない。
状況打破に直接的で無理やりなやり方が必要なのも理解している。
だが、妙に違和感を覚えた。
イグニスがその違和感の正体を考えるよりも早く、猫が動き出した。
閃光のような速度で跳び上がり、弱まった風の隙間を縫うようにして、空中の木や岩を足場にして一気にエアとの距離を詰める。
先程までの重苦しい動きではない。
身軽にして高速――――襲い掛かる風の中にあって“風に乗る”。
エアが即座に反応して、爆発で打ち消された風を再び循環させる。
「そう簡単には近付けさせません♪」
イグニスは手を出さない。
「炎を引っ込めろ」と言われただけで、別に「手を出すな」と言われた訳ではない。出そうと思えば横からでも後ろからでも手は出せる。
しかし、その必要性は感じない。
確かに、エアの風は爆風で簡単に穴を開けられる。だが、エアの能力が風の流れを操るだけの安い能力ではない事をイグニスは知っている。
属性としては風からの派生になる“雷”を操れるうえに、今は風で巻き上げた大量の岩や木々がエアの手の内にある。
切り返すにしても、受けに徹するとしても、エアには十分過ぎる程に手札が残っている。
だから、猫がどう攻めようとエアが捕まるような展開は無い、と確信していた。
なのに――――
「え……?」「消えた……!?」
猫の姿が、忽然と消え失せた。
転移――――ではない。魔力の使えば見逃す筈がないし、空間に穴が開けば直ぐに気付く。
見えない速度で移動した、と言う可能性も無い。
そんな速度で動けば衝撃波が起きる。それが小さな物であったとしても、“風使い”のエアが気付かない訳がない。
であれば答えは1つ。
“隠れた”だ。
隠れているのは間違いない。しかし、周囲を索敵や感知の異能で探っても見つからない。
大精霊の感知を逃れるとは、恐ろしい程高度な隠蔽スキル。
(いや、違う!? 相手のハイドスキルが優秀なのではなく、俺達の感知スキルが阻害されている!?)
イグニスは正しかった。
確かに、2人の感知能力はまったく機能していない。
それは、猫が使った究極天術【夜の帳】のせいだ。使用者から一定範囲内では、発動者に対しての感知、索敵、追跡の一切の効果を無効にする。
だが、究極天術は例外なく発動時に大きな視覚エフェクトが発生する。それを、どうやって気付かずに発動させたか?
先程の大量の、全周囲での爆裂魔法の発動である。爆発の瞬間、爆炎と爆音で目と耳を封じられたその瞬間に究極天術を撃っていたのである。
(力押し? どこがだ……!)
認識を改める。
あの猫は、3手も4手も先を見て攻め方を組み立てている。
そう、その姿はまるで……
(王……!)
100年前に姿を消した、精霊達の王の姿に似ていた。
無論、精霊の王は、この猫とは比べ物にならない程、強く、速く、賢しく、恐ろしい。
それでも、同じ姿をしている事もあって姿が重なって見えた。
そして、イグニスが感じている懐古の情を、エアもまた同じように感じていた。
今の状況を忘れて、思慕にも似た王への崇拝の気持ちで息が詰まりそうになる。
―――― 油断だった。
秒にも満たない一瞬の油断。
過去を思い出した寂寥感が生んだ隙。
猫が果たして、その心の隙までも計算していたかは定かではないが、事実としてこの瞬間に生まれた致命的な一瞬。
その隙を、逃す筈がなかった。
宙を舞っていた岩の影から猫が飛び出し、エアに向かって黒い光を纏う前脚を振り被る。
普段のエアならば、真正面から突っ込んでくる相手なんて簡単に排除出来る。だが、心の揺れを突かれればその限りではない。
イグニスとしては、そのままエアがぶっ飛ばされてからタッチで終わり……で、良かったのだが、無意識に体が動いてしまう。
片腕を人の形から崩し、炎となった腕を伸ばして猫を飲み込む。
だが――――甘かった。
イグニスは猫を警戒した。
しかし、その警戒すら猫の計算のうちであったと知る事になる。
炎が猫を飲み込むと、あっという間に小さな体は燃え尽きた。いや、燃え尽きたのではない。ただ、“消えた”だけだ。
さっきのように隠れたのではない。
炎の中で隠れようと燃えるだけだ。勿論、イグニスは猫を燃やさないように、脅かす程度の火力に抑えているが。
猫は、燃え尽きたのではない。元々、そこには“いなかった”のだ。
(幻……!?)
普段なら幻覚系の能力なぞ、自然と一体である精霊には大した効果は無い。
しかし、【夜の帳】の効果を受け、第六感の機能をほとんど奪われている今の状態ならば、大精霊であろうとも幻惑や幻覚の効果を普通に受けてしまう。
(本体は――――!?)
そう思った瞬間、目の前に星空が見えた。
星空ではない。
それは――――星空のように怪しく輝く、猫の右目だった。
突然、イグニスの顔の前10cmに猫が現れた。
驚き見開いたイグニスの目と、魔眼の輝きを纏う猫の目が合う。
「ッ!?」
「イグニス!!」
エアが叫ぶがもう遅い。
ここに至って2人は漸く気付く。
猫が狙っていたのは、エアではなくイグニスの方だった、と。
エアを狙う幻を見せたのは、エアを護るように意識を向けさせる事で、イグニス自身への注意を解く為。
しかし、それが分かったところで全て手遅れだ。
次の瞬間には、イグニスの額に猫の前脚が乗せられ、この時点で勝負はついた。
だが――――猫の動きはそれで止まらず、そのままイグニスの頭を乗り越えて、背負われた大剣に向かう。
2人は見誤っている。猫はイグニスを狙ったのではなく、イグニスの背負っている大剣――――神剣を狙っていたのだ。
「クッ……!」
咄嗟に振り払おうとするが、猫の手が神剣に触れる方が一瞬速い。
猫が神剣に触れ、そして――――
「ミュッ!?」
バチンッと空気が弾けるような音と共に、猫の体が10m以上吹き飛び、ボールのように3度4度バウンドしてから地面を転がった。
死んではいないようだが、意識が飛んだようでそのまま動かなくなる。
「だーから、大丈夫って言ったでしょ♪」
呆れたように言いながら、エアが指を鳴らすと、荒れ狂っていた風が治まり穏やかな風に変わる。
「神剣に触れられるのは王とボク達だけだもの♪ 『持って行って良い』とは言ったけど、そもそも触れないんじゃ、持って行ける訳ないもんね♪」
「王と同じ姿で、同じ異能を使うんだぞ? 万が一が有るだろう」
「無いでしょ♪ 王と同じく“魔神”だって言うなら別だけど♪」




