11-47 泥と拳
「魔王スキル――――【沈め、滅べ】」
沼だった。
ヴァングリッツを中心とした、周囲50mの地面が泥の沼地へと変わる。
魔王スキルの効果だった。
範囲内に立っていた魔族達が、まるで落とし穴を踏んずけたようにストンッと沼に吸い込まれていく。
泥沼――――と言っても、その粘度は低く、ほとんど濁った水と言っても良い程だ。だと言うのに、沈んだ者達が這い上がろうとすると、途端に重く、硬い泥となり下へ下へと引きずり込んでいく。
落ちるは一瞬、上がるは不可能。それがヴァングリッツの魔王スキルの怖い所だった。
「沈めぇえええええっ!!」
最高の笑顔でヴァングリッツが叫ぶ――――のだが、肝心のギガースは1mmも沈んでいなかった。
泥に沈む事無く、当たり前のように立っていた。
「な……に!? どう言う事だ!?」
「“土属性は不遇”なんて言葉を知っているか? 大なり小なり、全ての属性には同属性の効果を打ち消してしまう相殺効果があるが、土属性はそれが特に顕著だからだ。お前の使う【沈め、滅べ】は、誰がどう見ても土と水属性の混合。対して、我の持つ“黒土の剛拳”は超神聖と土属性の混合。この意味が分かるか?」
ヴァングリッツもそこまで馬鹿ではない。
魔王スキルと言えど、属性を持っていればその影響が出る。そして、ギガースが指摘した通り、ヴァングリッツの魔王スキルには属性効果が付いている為、同属性である強い水か土属性を持っている相手には効きが悪い。
冷静になって観察すれば、ギガースの足元だけが中途半端に泥濘になっている。一応【沈め、滅べ】の効果は受けているが、靴を1cm沈める程度の深さしかない。
意味する事は――――相性が悪過ぎる。
「私の負け――――などと、言う訳がないだろうがッッ!!」
ドンッと、爆発したように泥が噴き上がる。
「地面を泥にするだけだとでも思ったか!?」
いや、かつてはそうだった。
しかし、その様を同じ魔王だったバグリースに「貴様の能力は地べたを這う虫を殺す為の物なのかね?」と散々に馬鹿にされた事をきっかけに、生み出した泥を自在に操るところまで昇華させたのだ。
もっと言ってしまえば、飛行する相手――――例えば、鳥の姿をしたバグリースのような相手を捕まえる為の進化だった。
「であろうな」
だが、これはギガースも予想している。
腐っても魔王スキルだ。どの程度の汎用性があるかは分からなかったが、10でも100でも警戒の手を考えておいて損はない。
魔王スキルは、対する者にとってほぼインチキなのはギガースも心得ている。
だから――――噴き上がった泥の塊が、隕石の如く降って来ても1mmも慌てない。
ゆったりとした動きでいつもの構えをとる。
「ふぅ」
1度大きく息を吐き、拳を軽く握る。
「“魔纏”」
両手に黒い魔力光が灯る。
ギガースの十八番、魔導拳の基本技。
いつもより魔力の乗りが良い。今までの魔導拳は、外に拡散しようとする魔力を無理矢理拳の周りに抑え込む感じだが、今は魔力が吸い付くようだ。
拳の握り具合に応じて、魔力がナチュラルに反応してくれる。
普通の人間にしてみれば些細な違いかもしれないが、ギガースには大きな違いだ。魔力コントロールに気を割かなくて良い分、拳に威力を乗せる事だけに集中できる。
明らかにその拳を包む“黒土の剛拳”のお陰だ。
(これが神器の力――――これが、勇者の力、か!)
思わずニヤけてしまいそうになるのをグッと我慢し、落ちて来る泥の塊に向かって拳を振り上げる。
拳から泥までの距離は8m。
本来ならば拳圧が届く距離ではない。しかも、下から上への打ち上げ攻撃は衝撃が減衰する。だと言うのに――――泥の塊、約2tを拳の一振りで容易く破砕した。
ドパッと気味の悪い音をたてて空中で弾けた泥は、重く濁った雨となって降り注ぐ。
「血だの泥だの、今日は良く降る」
降らせている本人が言うべきセリフではないが、残念ながらそこにツッコミを入れてくれる人間は居ない。
降り注ぐ泥が、ベチャベチャとギガースの体を汚す。
と――――
「む……?」
異変を感じ、警戒心に反応して腕の筋肉が無意識にピクッと動く。
体が――――いや、着ている衣服が重い。
泥を吸った分重くなった、と言うレベルの話ではない。まるで突然衣服が鉛の塊になったかのように重くなった。
いや、肉体能力を磨き上げているギガースが“重い”と感じていると言う事は、現在の衣服の重量は軽く見積もっても400kg以上ある。
重量級の全身鎧の3倍以上の重さだ。
「はぁハハハハハッ!! ただの泥と侮ったな汚物!」
「……なるほど、これが魔王スキルの真の効果か」
「その通り。【沈め、滅べ】の泥を食らった者はそうなる!」
そう言う能力である可能性も一応頭の片隅にはあった。
敢えて食らった――――と言う訳ではないが、変に警戒して出足が鈍るくらいなら、さっさと食らって能力を確認してしまった方が良いと思ったのは本当だ。
正々堂々戦う事を好むギガースとしては、敵の攻撃は真正面から受けて、その上で倒したいと言うのも理由だったが。
食らったからにはちゃんとした分析をする。
魔王スキルとは、その魔王自身を表す能力だ。
ヴァングリッツの性格を考えれば、「泥に沈める」「泥を浴びれば重くなる」だけの能力とは思えない。
もっと嗜虐的で、相手を追い詰めて苦しむ様を楽しむような魔王である事をギガースは嫌と言う程知っている。
推測。
(恐らくだが、泥を浴びた対象を重くするだけではないな……? 泥の付着量によってより大きな効果を課せる能力ではないだろうか?)
当たっていた。
ヴァングリッツの【沈め、滅べ】は、泥に様々な弱体化や状態異常を付与する能力である。
その気になれば“即死”の効果を課す事すら出来る。ただ、大きな効果を発揮させる為には相応の泥が相手に付着していなければならない。
更に言うならば、ギガース本人に何らかの効果を課すならば、その肌に直接泥を付けなければならない。
現在泥を浴びているのは衣服だけの為、ギガース自身には何の効果も届いていないのだ。
(だとすれば、重くなった衣服を脱げば良いと言う簡単な話ではないな……?)
重さを嫌って服を脱げば、肌が露出して泥を直接受ける可能性が格段に高くなる。そうなれば、どんな面倒な効果を投げられるか分かった物ではない。
「ふむ、大まかな予想はついた」
「……何?」
ギガースは迷わず、目の前の泥沼に向かって足を踏み出す。
泥で汚れた服も靴も重いが――――何事もなかったように。
踏み出した足が泥に沈む前に、黒土の剛拳の持つ土属性が足元の泥を“底無し沼”から“浅い泥濘”に書き換える。
「貴様……まだ動けるのか!?」
「多少動きが重いが問題ない」
鍛え方が違う――――。
ウエイトを背負って訓練するなどギガースにとっては日常的な事だし、わざと重く作らせた鎧を着込み、動きを制限した訓練もしている。
流石に400kgの重量に挑戦した事はないが、神器の強化の有る現状でならば、そこまで騒ぐ程の負荷ではない。
「ならば、更に泥を被るが良い!!」
ヴァングリッツが手を挙げると、泥沼のギリギリ外に居た魔族達が一斉に魔法を放つ。
全員が揃って爆裂系の術式。
ギガースにはそこらの魔族の魔法が効かない事はヴァングリッツも十分に理解している。であれば、先程のような時間稼ぎの目くらまし――――ではなかった。
そもそも魔法はギガース自身を狙ったのではない。
ギガースの周りの泥の中で、次々と爆発が起こり泥を撒き上げる。
「……そう言う狙いか」
撒き上がった泥を食らいながらもギガースは構えを崩さない。
その身に浴びた泥の4割は、放っておいても黒土の剛拳が無効にしてくれる。だが、このまま泥を浴び続ければ、重量を加算されるだけでは済まなくなるかもしれない。
剣の勇者がある程度数を減らすまでは、退却させるように説得、ないし時間稼ぎをするつもりだったが、こうなっては積極的に攻めて行く必要がある。
だが、その前に――――
「戦いを拒む者、戦う事に疑問を持つ者、この場から即刻立ち去れ! ここより先は、我が前に立つ者を容赦なく殺す!」
一瞬シンッと静まり返るが、誰1人戦場から離れようとせず、次の瞬間には魔法による爆撃が再開される。
「ハハハはっ、当てが外れたな? 怒鳴れば怖気づいた臆病者が逃げてくれるとでも思ったのか? 残念だったな! 私の部下に、そんな雑魚は居ない!!」
「別に逃げぬのならばそれで良い。人魔共生を目指す我としては、無理に戦わされている者とは戦いたくないからな? 全員戦場に残ったと言うのならば――――」
両の拳が纏う黒い光が、ギガースの闘志に反応して一瞬膨れ上がる。
「残らず、叩き潰す!」




