11-19 ただの魔族の朝
アルバス境国を支配していた元魔王ギガースは、昨夜の剣の勇者への敗北を以って魔王の座を降り、ただの魔族になった。
所属する場所も、肩書も無くなったので、今の彼は“野良の魔族のギガース”である。
人間で言うところの“無職”と同列の肩書だが、本人はさして気にしていない。それどころか、色々な柵から解放された事を好ましく思っているくらいだ。
元々、支配者であるより、先頭切って敵を叩きに行く“ただの戦闘員”の方が性に合っている男だ。
そんなだから、魔王となってからずっと、その椅子に居心地の悪さを感じていた。
だからこそ、彼の日常は、魔王であろうが、ただの魔族であろうが変わらない。
陽が昇る前に起き出し、十分な柔軟運動。そこから筋トレ。陽が昇る頃までにそれを終え、後は朝飯の時間まで魔導拳の型を流す。
時には瞑想をする事もあるが、大抵は体を動かしている。
雨が降ろうが、雷が落ちようが、雪が舞おうが、毎日続けている。
勿論、今日もだ。
「ふぅ」
習慣になっている一連の流れを終えて一息つく。
いつもの倍以上の時間がかかった。より正確に言えば、2日前――――魔王であった時に比べて、だ。
だが、これだけの時間がかかる事は昨日の時点で分かっている。だからこそ、今日はその時間を織り込んで早く始めたのだ。
そのお陰で、今日は“いつも通り”の時間に終わった。
「はぁはぁ、流石に……疲れるな……」
体を動かすと、嫌でも自身が大きく弱体化した事を思い知る。
走り込みをすれば、いつもの距離を走るのに倍以上の時間がかかり、倍以上疲れる。
集中していても型が乱れているのが自分で分かる。
体のサイズは小さくなっている筈なのに、体が重くて堪らない。
焦る。
もう戦いの時は其処まで迫っていると言うのに、肝心要の自分がこの様では、協力してくれる勇者達に――――特に自分を友と言ってくれた、あの小さな剣の勇者に申し訳が立たない。
少しでも力を取り戻そうと足掻いてみているが、力が戻る気配は一切ない。
むしろ、足掻けば足掻く程ダメになっている気さえする。
「……こう言うのを、悪足掻きというのだな……?」
自嘲する。
笑ったところで何か変わる訳ではないが、情けなさ過ぎて笑うしかない。
嘆いていてもしかたない……と思い直し、再び構えを取って型を流す。悪足掻きだろうが「やらない」なんて選択肢は存在しない。
暫く無心で体を動かし続けたが、ふと体が空腹を訴えている事に気付く。
そう言えば、魔王だった時には放っておいても部下が用意してくれていたが、ただの魔族となった今は自分で用意しなければならない事を思い出す。
昨日は件の剣の勇者と適当な物を食べて済ませたが、今日はどうしたものだろうか?
無心で体に染みついた型をなぞっていたが、空腹と共に頭を過った“朝飯”の一言で乱れる。
「……いかんな」
師である魔王アビスは、お世辞にも面倒見の良い師ではなかったが、口酸っぱく言われた事が1つある。
『どんな時でも、飯を食え。そして寝ろ』だ。
どれだけの強者であろうと、空腹と睡魔には勝てない――――と言う事だ。時間をかけて磨いた力も技も、空腹と睡魔に邪魔されれば錆びた刃も同然。
どんな時でも十分な食事と睡眠をとって、己の力が100%発揮出来るようにしておけ、と言う有難い師の教えだ。
中断して何か食べるか、と構えを解く。昨夜屋敷に泊めた勇者達も起き出している頃だろうし、一緒しても良いかもしれない。
その時、まるでギガースが修練を中断するタイミングを待っていたかのように、フラリと背後から気配が近付いて来る。
相手は意図的に気配を消しているようだが、魔力波動を感知出来るギガースに対しては意味の無い行動だ。
だが相手が気配を消しているのは悪意を持っての行動ではなく、ただ単純にギガースの邪魔をしない配慮だったらしい。何故なら、ギガースが何かしらの反応を見せるまでもなく、相手の方から声をかけて来たから。
「精が出るな」
聞き覚えのある声だった。
いや、声を聞くまでもなく正体は分かっている。魔力波動は個人を識別出来る。
「短剣の勇者……シルフ、だったか?」
「驚いてないな……? 気配消してたのに気づいてたのか?」
「うむ」
気付いていた、と言っても、それはシルフが近付いて来たからだ。
魔王の時であれば、もっと感知範囲が広かったし、精度も高かった筈なのだが、弱体化の影響はこう言う部分にもキッチリ現れているらしい。
ギガースの弱体化の話はともかく――――今は、目の前の短剣の勇者の事だ。
昨夜、剣の勇者を見送った後、この短剣の勇者がコソッと近付いて来て言うのだ。
『この国には、敵国の魔族が紛れ込んでいると言うのは本当か?』と。
確かに、アルバス境国は闘技場の興行を売りにしている国だ。故に、周辺の国から魔族が観光気分で入って来ている。
普段なら気にも留めない事だが、周辺国が敵となった現状では宜しくない存在だ。
表立って敵対関係になったからと言って、「じゃあ自国に帰ります」などと素直に帰る魔族は居ない。「戦争になるのなら、いっちょこの国を内部から荒らしてやるか!」と行動を起こすのが魔族と言うものである。
その危険性に気付いていたシルフは、昨夜のうちに行動を起こしていたのだ。
ギガースの肯定の言葉を聞くや、『そいつらを今から排除して来ようと思うのだが、問題あるか? 前提として、コチラの存在は気付かれないように殺るが』と何の躊躇も無く言った。
仮にも元魔王相手に「今から魔族殺してくるけど良いか?」と正面切って聞いて来るとは、いったいどんな神経をしているのやら……。
感心すると同時に気付いた。
恐らく、現役勇者の中で1番の“食わせ者”はこの女だ、と。
敵側の魔族の暗殺を、剣の勇者が頼む訳はない。あの猫なら、自分でやるだろう。
だがその妹である杖の勇者も、そう言った「薄暗い事をしろ」と命令するタイプには微塵も思えない。
であれば、この女は自分の判断でこの“汚れ仕事”をやろうとしている事になる。
数多くの勇者を見てきたが、大概は妹御や槍の勇者のような真っ直ぐな人間だ。しかし、偶にこの女のような、表向きは涼しい顔をして勇者らしからぬ事をする奴が居るのだ。
(剣の勇者もどちらかと言えば、この女側だな……)
あの猫も「“正々堂々”なんて肥溜めに投げとけ!」と言うタイプ。勝つ為ならば、何をしても許されると思ってる節がある……が、もっと分かりやすい。
「それで、そちらはどうだった?」
「一応一通りは始末出来たと思う。町中が浮足立ってたから他国の魔族を捜すのは簡単だった。思いの外早くこの町を回り切ったから、馬を借りて港町にも行ってみたが、アッチにはそんなに居なかったから、適当な嘘を掴ませて何人かは逃がした」
「そうか……。妹御達には?」
「黙っといてくれ。汚れ役は黙ってやる方が話がスムーズに進むんだ。……それに、うちの連中潔癖だから、絶対良い顔しないだろうしな?」
それはそうだろうな、と頷いておく。
良いか悪いか……はたまた“勇者らしい”かはさて置き、こう言う事を率先してやる者は必要なのだ。
(10年前の勇者の中には、こう言う者が居なかったから我等に勝てなかったのかもしれんな……? ……ふむ、その勇者を蹂躙した我が言う事ではないか……)
「じゃあ、俺は寝る。他の連中にあったら暫く起こすなって言っておいてくれ……」
「了解した。しっかり眠ると良い」
「……そうさせて貰う」
言いながら、若干フラフラした足取りで屋敷の中へと入って行く。
徹夜仕事だったのなら、禄に食べていないだろう。
(朝飯に誘えば良かったか……?)
まあ、眠気と空腹どちらが優先かは人による。先に寝たいと言うのなら、寝かせてやるのが良いだろう。
改めて朝飯の事を考えようとした時、突然背後で、
「ミィ」
猫の鳴き声――――。
思わず、ビクッと肩が跳ねる。
バッと振り返ると、予想通りに白と茶色の毛の子猫がちょこんっと地面にお座りしていた。
相も変わらず、人畜無害そうな姿と鳴き声をしているが、この子猫こそが歴代最強と誉高い剣の勇者本人(猫)である。
そして何より、ギガースの代えがたい友人。
「……いつから其処に……?」
「(『それで、そちらはどうだった?』の辺りから居たけど)」
全然気付かなかった。
シルフとの会話に気を取られていたとしても、これだけ近くに居て魔力波動の反応が何も無かったのは異常だ。
魔王の時は問題なく感知出来ていたのに、今はそれが出来なかった。
弱体化によって感知能力が鈍っているとしても、ここまで接近されて気付かないと言うのは変だ。
(それだけ、奴の能力が強化されている……のか!? この短期間で……?)
それに、ギガースの背後に居たと言う事は、対面して話していたシルフには丸見えだった筈だ。だと言うのに、猫に気付いている様子は欠片も無かった。
「……どんな隠蔽スキルを使って……?」
「(え? 何が?)」
「いや……良い」
そもそも、この猫の存在自体が規格外なのだ。
ギガースの常識に当て嵌まるような、小さな存在ではないのだろう。
頼もしさと同時に、微かな恐怖心が湧いてきそうになる。
師であるアビスと同じ、“力の底が見えない”感じ――――……。
「(良いのか?)」
「うむ、良い」
この猫も徹夜仕事だったのか、「くぁぁっ」と小さな口を精一杯広げて欠伸をしている。
「(色々報告はあるけど、それは1度寝てからにするわ……。一晩中寒い場所を行ったり来たりして流石にクタクタだ……)」
「寒い場所……?」
「(ん~……雪山の山頂とか……)」
雪山――――と言えば、ここら辺ではウィンダルム山脈しかない。
(まさか……猫の身1つで、あの険しい山に登って来たのか……!?)
ギガースの驚きにも気付かず、猫はもう1度欠伸する。
「(んじゃ、どっかで適当に寝て来るからアザリア達には適当に言っといて。昼頃には起きて来ると思うから)」
「うむ」
「(ああ、それと――――この国の連中を逃がす方法は見つかった)」
「本当か!?」
「(まあ、実際に逃がせるかどうかは、また別の話だけどね……)」




